白布温泉の西屋さん前のところに直江兼続鉄砲鍛造遺跡の石碑があります。上杉景勝の第一の重臣である直江山城守兼続がここ白布高湯で火縄銃を製造させたことを記念し、昭和45年に建てられている。慶長9年、兼続は江州国友村から鉄砲師を呼び寄せ、人里離れた白布高湯を鍛冶工場とし火縄銃を製造させたとあります、その数1000挺、白布に鍛冶工場を置いたのは、人目を避け密かに製造するためと、火薬の原料の硫黄、鍛冶に必要な大量の炭の供給を考えたものと思われています、天元台はその硫黄鉱山、天元台高原の歴史書の中に高山の記載があり高原には家族含め数千人が暮らしていたようです。。
西吾妻スカイバレー
通 行 可 能 期 間 は 4 月下旬 か ら 11 月上旬 ま で で白布温泉~早稲沢間を結ぶ約18km。磐梯山を望みながらヘアピンカーブ(東鉢山七曲)が連続する道を上り下りすると桧原湖の眺望が開けます、調べると昭 和 27 年 か ら 工 事 を 始め 、 昭 和 31 年 か ら 昭 和36 年 に か け て 自 衛 隊 協 力 を 得 て開 通 し たとあります、昭 和 43 年 か ら 昭和 48 年 に か け て 観 光有料 道 路 と し て再 整 備 さ れ て 工 事 費 の 償 還が 終 了 し た 平 成 15 年 か ら は 無 料 開 放さ れ て い る 。通勤で毎日通る天元台と吾妻スカイバレーの分岐点、ここに春の開通前1週間くらいから2台の車が停まってました、開通1番乗りを目指しているのだそうで、ほんとご苦労さんです・・・場所が不明ですが、白布ライン開通直後と思われる古い写真がありました場所どこなんだろうか???
船坂峠
天元台に勤めてはや4ヵ月、市内上杉神社前から会社のバスで南原経由にて船坂峠を通って天元台へと行っている、毎日通勤で通る船坂峠は米沢市の南、李山地区と関地区を結ぶ峠、かつて米沢と会津を結んだ主要道「会津街道」の要所の一つとして、古くから人々が行き交ってきた道である。現在は、平成になって開通した船坂トンネルで峠を越しているが、新道と並行して、以前の旧道が残っている。峠のトンネルを出たところには関小学校があり、その先の交差点を直進すると綱木地区、右が小野川温泉、左折すると白布峠から天元台そして檜原湖へ行く西吾妻スカイバレーとなる、この追分となる交差点に道標と思われる石碑がバスから見え気になっていたので写真撮りに行ってみた、安政六年(1859年)としっかり読み取れる、各面に文字があるが読めない??歴史好き幼馴染に確認してみよう・・