天元台ロープウエイ湯本駅や高原駅の駅舎内ガラス窓付近の棚や椅子を掃除すると昆虫の死骸が出てきます。自ら、標本のようになってます、きれいなので写真にと思い取り上げたら触角がポロリ白いほうは高原生息の蝶”アサギマダラ”のようですが黒いほうは駅舎長に聞いてわからないとの返事・・・何なのか気になるのです、ネットで高原の蝶調べたがわからない・・そういえば元会社の職場内に昆虫博士がいたのを思い出す
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天元台吾妻国際スキー場
硫黄鉱山時代の学校を宿舎に改造し、昭和38年12月にスキーリフト1基を新設し、スキー場をオープンしたのが始まり、最盛期には6基のリフトが稼働し、昭和40年11月にホテルが営業を開始、昭和52年には、施設と社名を一体化するため、株式会社天元台に社名を変更しました。昭和61年にはスキー選手の夏の強化と夏山リフトの利用客増加を図るため、全国に先駆けて「グラススキー場」を「しらかばゲレンデ」にオープン、昭和62年天元台ロッジの全面増改築とロマンスリフトを新設し、スキーの黄金時代に即応し、スキーヤーの安全確保と輸送力の増強を図ってまいりました。(天元台HPより)とあります、初めて天元台に行ったのは高校1年のスキー場開き、昭和47年11月末あれから45年後まさか定年してここに勤めることになるとは思ってもみなかった。アルバムの中に昭和53年1月3日正月休みで帰省した時に行った天元台のチケット残してありました、当時回数券10回1000円、リフトが5基、ロープ塔も2基,天元台ホテルがありました・・スキー場の名前は吾妻国際スキー場なつかしい。。なぜかな昔、国際スキー場という名前が多かったような気がします。