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天元台高原の蝶

  • 天元台高原の蝶
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天元台ロープウエイ湯本駅や高原駅の駅舎内ガラス窓付近の棚や椅子を掃除すると昆虫の死骸が出てきます。自ら、標本のようになってます、きれいなので写真にと思い取り上げたら触角がポロリ白いほうは高原生息の蝶”アサギマダラ”のようですが黒いほうは駅舎長に聞いてわからないとの返事・・・何なのか気になるのです、ネットで高原の蝶調べたがわからない・・そういえば元会社の職場内に昆虫博士がいたのを思い出す

2017.07.19:li-no:コメント(0):[気ままなつぶやき]

高原は涼しい

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天元台ロープウエイで高原駅につくと”涼しーい”の一言がでます、下界のような蒸し暑さはなくなります。夏は外にいるとじっとしていても汗がじわっと出てくるのですが1350mを超える高原はさらっとして気持ちいいです。サルの群れも気持ちよさそうに動き回っています、高原駅の近くや2番目のシャクナゲリフト付近は細竹が良く出るのでよく見かけますが細竹はもう終わりのようで、ゲレンデの草原内で何かをついばんでるようです・・しかし何を食べてるのか??親について子供が同じように何かをついばんでます、やはり親の背を観て子は育ってるようです・・

2017.07.17:li-no:コメント(0):[気ままなつぶやき]

小松天神睦

  • 小松天神睦
  • 小松天神睦
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今日は実家のある川西町小松のフレンドリープラザ北側の天満神社の祭礼、神輿を見に行く、とおく東京都台東区浅草の三社祭や宮城県、岩手県など県内外の祭りにも参加している神輿会、この神輿は明治時代に作られたと伝わってる。いったん祭りは途絶えていたが、93年の町のフレンドリープラザ建設を契機に、地域を盛り上げようと有志が結集しみこしの修復に着手し94年の夏祭りから活動しているようです、ポスター写真は中学の同級生がとったものでした・・みこし東京では担いでいたのだが・・

2017.07.16:li-no:コメント(0):[気ままなつぶやき]

米沢市内昭和30年代末頃

  • 米沢市内昭和30年代末頃

米沢市内の古い写真がありました、昭和38年12月なのか翌39年1月なのか正確にはわからないようです、数人に尋ねましたが場所どこだかわからず・・市内のふるい方に聞いて現在の写真撮ろうと思います。拡大してみるとマツダのキャロル、ボンネットバスが見えます・・

2017.07.10:li-no:コメント(1):[気ままなつぶやき]

天元台吾妻国際スキー場

  • 天元台吾妻国際スキー場
  • 天元台吾妻国際スキー場

硫黄鉱山時代の学校を宿舎に改造し、昭和38年12月にスキーリフト1基を新設し、スキー場をオープンしたのが始まり、最盛期には6基のリフトが稼働し、昭和40年11月にホテルが営業を開始、昭和52年には、施設と社名を一体化するため、株式会社天元台に社名を変更しました。昭和61年にはスキー選手の夏の強化と夏山リフトの利用客増加を図るため、全国に先駆けて「グラススキー場」を「しらかばゲレンデ」にオープン、昭和62年天元台ロッジの全面増改築とロマンスリフトを新設し、スキーの黄金時代に即応し、スキーヤーの安全確保と輸送力の増強を図ってまいりました。(天元台HPより)とあります、初めて天元台に行ったのは高校1年のスキー場開き、昭和47年11月末あれから45年後まさか定年してここに勤めることになるとは思ってもみなかった。アルバムの中に昭和53年1月3日正月休みで帰省した時に行った天元台のチケット残してありました、当時回数券10回1000円、リフトが5基、ロープ塔も2基,天元台ホテルがありました・・スキー場の名前は吾妻国際スキー場なつかしい。。なぜかな昔、国際スキー場という名前が多かったような気がします。

2017.07.10:li-no:コメント(0):[気ままなつぶやき]