北山原殉教遺跡(ほくさんばらじゅんきょういせき)

  • 北山原殉教遺跡(ほくさんばらじゅんきょういせき)
  • 北山原殉教遺跡(ほくさんばらじゅんきょういせき)
  • 北山原殉教遺跡(ほくさんばらじゅんきょういせき)
  • 北山原殉教遺跡(ほくさんばらじゅんきょういせき)
  • 北山原殉教遺跡(ほくさんばらじゅんきょういせき)

昨日はお休みで、来週孫たちに逢いに行くので従妹の美容院へ髪切りいこうとしたら、お盆期間は連休でした・・残念ですが場所が金池5丁目というところにありその100m先6丁目のところに北山原殉教遺跡があり寄ってきました、風情のある小道がありそのよこにあります、ここは昔の処刑場だったところで、ルイス甘糟右衛門はじめとする米沢の信徒たちが殉教した場所です、1669年に刑場が松原に移されたため、この地でのキリシタンの殉教は忘れられ、のちにこの場所を特定し、米沢の教会にてこの殉教地を譲り受け1929年には、殉教300年を記念して碑が建てられたということです。寛永5年12月18日(1629年1月12日)のことです・・殉教者の名前が刻まれた碑がありますが中には3歳5歳といった幼子の名前があります・・この寛永5、6年という年は、調べるとわが国のキリシタン史上稀にみる大迫害の行なわれた年という、全国で何千人という信者が処刑されたいうことです・・孫と同じような幼女たち天に召された幼子のため祈りを捧げました・・

2018.08.18:li-no:[歴史探訪]

この記事へのコメントはこちら

以下のフォームよりコメントを投稿下さい。
※このコメントを編集・削除するためのパスワードです。
※半角英数字4文字で入力して下さい。記号は使用できません。