めがね橋の愛称で親しまれている洋風石造のアーチ橋、明治時代になり洋風技術の導入で多く作られたようです、南陽市の烏帽子山にある橋、市指定文化財「吉田橋」や「石造大鳥居」をつくった名石工 吉田善之助の弟子である川合兄弟の作とあります、この橋のちかくにエドヒガン桜の”こうじゅさくら”というのもあります。康寿”こうじゅ”はうちの長男と同じ名前です長男は”やすひさ”と呼びますが・・この橋の名前を知ったのはつい最近なのです・・子と同じ名前とは驚いたものです。
- 新着コメント
-
2021.09.07 (陶山加織)川西ダリヤ園の写真についてのご相談
-
2020.07.24 (渡邊義則)懐かしい新山神社獅子舞人形 作っていますか?
-
2019.01.24 (ねこちゃん)ブログ復活 おめでとう。
-
2017.07.10 (名無し)米沢市内昭和30年代末頃
-
2016.09.29 (蔵田 国生)御礼
この記事へのコメントはこちら