米沢藩の下級武士と農家が住んだ川西町玉庭地区、江戸時代勤番で武士が江戸や京都の勤めを終えて帰る折り、雛を買ってきました。歩きだから背中にしょってだろネ・・年月の記載した箱が残っているものがあります。家族のため、家宝として代々大切に保存してきたもの・・米沢の相良人形や成島人形・他のこけしや人形などと一緒に茶の間や二の間・床の間などに飾りました。そして、近所の方を誘い、お雛見を楽しんだそうです、解説のスタッフが来る人来る人にどこからですかと声をかけ、説明してます。そんな玉庭ひなめぐりは地区内外から訪れた人をもてなす取組として2日間に渡り公開しています、田舎に戻り昨年に続きお手伝いさせてもらいました。もう2年になるんだと・・感慨深いです。。今年は玉庭小学校で・・相良や成島焼に続いて?新たな玉庭で採れたつちで雛人形ができてます。代々残っていくのでしょうかネ・・”えんむす雛”ネーミングいいですね・地元お母さん方の郷土料理もおいしかったです。
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