丸太写真館のご主人が撮影した昭和42年の羽越水害記録に川西町上小松にある小松木材の写真があります、小学生のころ休みの日にこっそり工場に入って、むろのある部屋や大きな従業員風呂に入ったり、チップの山に登ったり、藁倉庫の中で勝手に藁積みなおして家みたいなのを作ったり、外にはレールにトロッコが置いてあり、それに乗ったり、河原では木材捨て場から木を集めて工場横の川に隠れ家作ったりといい遊び場所でした、もちろん大人に見つかるとしかられてはいましたが、現在、HPに『奥州旧米沢上杉藩領内にある、当地で豪雪に耐え抜きし杉の良材をJASフローリング工場の技を駆使し、杉無垢材フローリングに仕立てまいり、旧藩主上杉家にちなみ、杉床板上杉フローリングと命名せり。』としてフローリング材販売してます、小学生の頃伐採した木が干してあり、そのかわは誰でも持っていってよかったと思います、かわはぎが家にもあって剥ぎ取りした記憶があります、フローリングの木っ端は風呂燃料で販売してたので実家でも良く使ってました、昭和の40年頃まで石油が主流になる前の時代、家にはみなお風呂用の煙突があって、夕方になると煙が昇ります、なんかあの頃がいい感じでした。
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