2017年1月3日新潟三越のターシャ展行く途中、1時間ほど時間に余裕があり気になっていた新発田城見学によってみました、別名「あやめ城」とも呼ばれ、初代新発田藩主溝口秀勝(みぞぐちひでかつ)侯が慶長3年(1598年)に築城し、3代宣直(のぶなお)侯のときに完成したそうで、 山城とちがって、政治・経済の中心として交通の便利さを考え、平地につくった平城です。石垣がすき間なくかみ合うようにきちんと積まれる「切込はぎ」と呼ばれる美観を重視した技法でつくられ、北国の城特有の海鼠壁は全国的にも珍しいものです。と看板に記載があります。。表門前にはこの地が誕生の堀部安兵衛の像がありました、赤穂義士の討ち入りで中心的な役割を果たした有名な安兵衛さんですね、のぼり旗に”忠臣蔵を大河ドラマへ”とありました、各地の義士にかかわる市が活動しているようです。
新発田城は本丸、二の丸、三の丸と、堀や石垣に囲まれ、新発田川の水を巡らせた想像以上の大きいものでした、案内看板には11棟の櫓と5棟の門が並び壮観な景観を呈していましたとあり、中でも、天守閣の代わりを果たしていた三階櫓、3匹の鯱を配するという独特の櫓で、全国にも例がない大変珍しいものとあります。 明治初年に撮影した古写真が19枚あり、絵図も残っている看板に掲載されているのでまたゆっくり観にきたいと思います。
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