バード遠望地との看板から落合側に下ると、九十九折り道の写真付き看板が見える、明治27年の宇津峠新道である、昭和42年の宇津トンネル開通前私が小学4年まではこの道を車が行き来していた、父の車の助手席に乗り、車とすれ違うときは崖ぎりぎりに寄って”左オーライ、バックオーライ”とか言ってはらはらどきどきだった、道は砂利、雨で道はえぐれ重い荷を積んだ車は右に左に大きくうねるのでした、この頃、父は秋になると胃が痛い、胃が痛いと言って、母は毎日、胃に好いという事で大皿にてんこ盛りの千切りキャベツを出していたのでした、しかし羽越水害の昭和42年以降に道は舗装、峠はトンネルとなり父の胃病みは納まったのでした、胃はこの悪路のせいだったのがはっきりしたが、キャベツ効果が分からずじまいだった・・そんなことがふと思い出された、この下側には峠道の石積みが残り、発掘調査もしているようでした、峠ももうすぐ終わる頃「切腹松」という看板が出てきます、名刀村正を盗み追っ手に追われ、もはやこれまでとここの松ノ木の下で切腹したという箇所・・ほんとかどうかは分からない、そして落合の地蔵尊に出ます。ここから旧宇津トンネルへと行く道と現113号線に交わる道につながります。
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