米沢藩葬儀場跡

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先々週の米沢ブラ散歩・笹野地区めぐりで通りかかった大壇原地内は、米沢藩主の葬儀が行われた場所で、第3代藩主・綱勝から第7代・宗房までの5名の藩主と1夫人の葬儀が行われました。現在はそばを植えた畑となっていいました、看板には万治元年(1658年)に第三代藩主・上杉綱勝夫人(媛姫)の死去に際し江戸から遺骸を林泉寺に移送して塵焼(火葬)した後に、大壇原で葬儀を営んだのが最初で、寛文4年(1664年)5月7日に三代・綱勝が江戸麻布邸で死去すると、廟所敷地内で塵焼を行い、笹野大壇原で葬儀が執行され、それが藩主葬送の慣例となりました。しかし、9代・上杉治憲(鷹山)の時代に葬法が土葬に転換すると葬儀は廟所で行うようになり、大壇葬場での葬儀はなくなります。江戸時代の藩主葬送の歴史を示す重要な存在とあるが、現存する遺構などは特になにも無いようです、

2016.10.09:li-no:[歴史探訪]

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