川西町小松の丸太写真館さんから寄贈された写真の中で場所が分からなかった1枚の写真(西区七夕祭り・昭和28年7月(1953年))とある。
この場所、昭和42年8月の羽越水害の記録写真から判明した、現在の嵐山酒造さんの向かい側になる。
7月の七夕祭り、子供がたくさんいて町は活気に満ちているが、この昭和30年代をピークにして町の人口は減少し続けている、同じ明治11年7月にバードはこの通りを進んでいる。現在七夕祭りは行われていないが、当時どんな町並みだったか思いをはせる。
この反対側の嵐山酒造さんは創業、享保2年(1717年)飯豊山系の豊かな伏流水、南部杜氏と地元蔵人が精魂こめて香り高い酒を醸し出す酒蔵さん、実家ではここの『花娘』を昔から飲んでいる。
もろみの醗酵の最後の段階で米粒が浮いた状態を“酒米桜花の如し”と詠みこれから生まれたお酒を「花娘」と銘名されてます。
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