生まれ故郷川西町は、山形県の南部、置賜盆地のほぼ真ん中に位置し、上杉の城下町米沢市に隣接している町。
水田が広がる平野部からなだらかな丘陵地帯が連なり、『東に_吾妻、西_飯豊、東はるかの蔵王山♪見渡す峰もおごそかにィー♪・・・・・(小松小学校の校歌)』、と朝日の山々を遠望する恵まれた自然と豊かな緑に囲まれ、明治時代、英国の旅人イザベラ・バードがまさに「アジアのアルカディア」と称賛した美しい町です。
町には650種、約100,000本のダリアが咲き誇る川西ダリヤ園があります。また、本町出身の直木賞作家井上ひさし先生からの蔵書(約20万冊)を核として劇場を併設した川西町フレンドリープラザがあり、町内外から多くの人が集ります。
しかし、日本の工業化、高度成長期から多くの若者は都会へと流れ過疎化が進み、昭和25年の人口3万645人をピークに少子高齢化の進展や世界的な経済不況に見舞われている昨今では人口1万6千まで減少して、町の商店街は衰退し見る影もありません。特に高齢化率は4%代からH26年には31%まであがっています。(川西町HP参照)農業(米)が主だった頃の街は置賜で遊ぶなら小松といわれるほどで造り酒屋も数軒あり、豊かな時代もあったが、嗜好が変わり飽食の時代となり、米あまりとなり米価の下落とともに世帯収入は置賜最下位の取得に落ち込んでいます。
移住の地に決めた飯豊町は、山形県の南西部に位置し、東は米沢市および川西町、西は小国町、南は福島県喜多方市、北は長井市にそれぞれ隣接しています。町の北東部は、白川の水と肥沃な耕地を利用した農業地帯で良質米を生産し、丘陵地は肉牛の産地でもあります。町の南部は飯豊連峰に連なる山岳で覆われています。
JR米坂線と国道113号が東西に走っていて、仙台と新潟を結ぶ内陸横断ルートのほぼ中間地点となっており、交通の要衝となっていて、中津川地区は、自身の実家から豪雪地帯の玉庭からさらに峠を越えたところにあります。