東京オリンピックその後

今も交通事故の後遺症のため形成病院へ通っているが、足が短くなったり切らなきゃ、保険の後遺症として認められず自費で通っている。

マッサージさんに東京オリンピックの時と言われ、私にすればオリンピックの思い出なんかあまりなく、その前に東京に外国人のお客様が来るからといい風営法が変わって飲み屋の営業時間が短くなったこと。そして、食べ物を出すスナックやコンパという大きな箱で、カウンターの中にバーテンだけ。勿論女性バーテンもいるというような店が増えたってこと。

その当時は読売ランドの水中バレエの衣裳として係の主任、衣裳会社から派遣させてた。
そして衣裳部屋の隣の女性控室から、アベベ走ってよって声がかかったことしか覚えていない。

そうそう、オリンピックで思い出したのは、それが数年経ってまだまだ衣裳のデザイナーをしていた時、銀座のミニクラブの打合せをした後、仕事仲間と夕食に新橋センターでおでんを
食べたら、田舎こんにゃくの煮詰まったようなこんにゃくが喉につかえて口の中にも戻らず、胃の中にもいかず、目をシロクロさせて苦しがって結局、胃の中に入ったのだが、それが原因で夜中からしゃっくりがとまらず、次の日起きて病院へ行ったら10月10日。

昔は体育の日でお休みで吉祥寺でも一軒しかやっていず、その医者に言わせると食道の所にある弁、呼吸する時と食道へ行くのと調整するためのものが傷ついたので、ということで冷やしてといわれ、氷を買ってのどにあえがっているとすぐに氷はとけて…一週間程会社休んだことがあった。

オリンピックは関係ないか。今ならメールで連絡できるが、当時はそんなものがなく、わざわざ会社へ行き筆談で休みますといって帰った。