ギィーのことと教相判釈

この前のギィーの話で
続きを書こうかなと
思ったが
それは佛教の教相判釈と
いうことで
沢山ある仏典を釈尊の一生涯に
説かれたものとして、それらの形式、
方法、順序、説かれた意味内容や教義
内容などによって経典を分類し
体系づけ、価値を決め、
佛教の真の意図を明かす
ということになっているが、
自己の教義の、即ちその宗派の
優位を位置づけるような傾向が
あり、その宗派の成立の要因とも
いわれているものであります。

その中で天台智凱が説えた
五時八教の中に
五時で牛乳から乳酪、生蘇、
熟蘇、醍醐とした。
そしてこの醍醐とは、
サンスクリットのManDaといわれています。

m.n. the scum of boiled rice(or any grain)
又、Niri,Vttarar,Susr,the thick part of milk,cream.
775P
SANSKRIT-ENGLISH DICTIONARY

又、それに付属してワインの場合もあります。
ギィーは、それ以上に変化しない
ものとして敬われているのですが、
サンスクリットではギィーのことをグリタといい、

GHRita ghee,clarified
butter or butter which
has been boiled gently and
allowed to cool.

そして

GHRita-mandaとしては
the scum of melted butter,
fattiest part of grease.

ということなのです。