カリーの由来、ヘンチキ論2

昨日に引き続き
2.南インドのタミール語と
ありましたが、これはタミル語が
正しく、のばしません。

タミルナードゥやアーンドラブラディッシュ
などの南インドでは
カリーとは、おかずという意味が
あると、前に東北大のタミル語の山下先生に
教えられたことがあります。又、テルグの権威
茨城大の山田先生にもカリーというのは
おかずだという説を聞いたことがあります。

3.の釈迦説だが、
佛教をちょっとでも勉強したなら
この説がすぐおかしいと気付く筈です。

それとも佛教の新しい発見、解釈として今までの
佛教の話を根底からひっくり返すような話です。

まず、シッタルーダ(後の釈尊)は
山で悟りを開いたということはなく、
苦行してた山から降りてきて村娘のスジャータから
供養された乳粥を食べ、精気をとりもどし
菩提樹の下へ坐り、悟りを開いたのです。

下山した地がカリーという名前というのも
知られていないし、
元々南インドのカリーを何で
釈尊と結びつける必要があったのだろうか。

民衆が叫んだおいしいという意味の
「クーリー、クーリー」も一体何語で話したのでしょうか。
釈尊の時代はマダガ国で
活躍していましたが、その言語が今も残っているのか
難しいとこです。

一体誰が釈尊をもってきたのでしょうか。

山崎さんの責任は重いです。

何に、何という文献によるものか
明らかにしてほしいです。