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サーランはカリー

インド料理といえばカリーとなるのだろうか、デリーの知人の家でご馳走になる料理はカリーとはいえない気がする。でも日本人が見るとみんなカリーとなるだろう。

北インドではあまりカリーという料理はなく、羊のカリー、エビのカリー、鶏のカリー、玉子のカリー、位なのだろう。でも北の方はカリーという言葉はなく、サーランという言葉があり、英国人から攻めて占領されたとき、あるインド人は我々のムルグサーランがムルグカリーとなり、ゴーシュトサーランがゴーシュトカリーと、イギリス人と共にカリーという言葉が流行ってきて、若い連中もムルグカリーと使っている。

何と嘆かわしいことかと言っていた文章に残ってます。でも北の方では今もサーランという料理もあります。

東京オリンピックその後

今も交通事故の後遺症のため形成病院へ通っているが、足が短くなったり切らなきゃ、保険の後遺症として認められず自費で通っている。

マッサージさんに東京オリンピックの時と言われ、私にすればオリンピックの思い出なんかあまりなく、その前に東京に外国人のお客様が来るからといい風営法が変わって飲み屋の営業時間が短くなったこと。そして、食べ物を出すスナックやコンパという大きな箱で、カウンターの中にバーテンだけ。勿論女性バーテンもいるというような店が増えたってこと。

その当時は読売ランドの水中バレエの衣裳として係の主任、衣裳会社から派遣させてた。
そして衣裳部屋の隣の女性控室から、アベベ走ってよって声がかかったことしか覚えていない。

そうそう、オリンピックで思い出したのは、それが数年経ってまだまだ衣裳のデザイナーをしていた時、銀座のミニクラブの打合せをした後、仕事仲間と夕食に新橋センターでおでんを
食べたら、田舎こんにゃくの煮詰まったようなこんにゃくが喉につかえて口の中にも戻らず、胃の中にもいかず、目をシロクロさせて苦しがって結局、胃の中に入ったのだが、それが原因で夜中からしゃっくりがとまらず、次の日起きて病院へ行ったら10月10日。

昔は体育の日でお休みで吉祥寺でも一軒しかやっていず、その医者に言わせると食道の所にある弁、呼吸する時と食道へ行くのと調整するためのものが傷ついたので、ということで冷やしてといわれ、氷を買ってのどにあえがっているとすぐに氷はとけて…一週間程会社休んだことがあった。

オリンピックは関係ないか。今ならメールで連絡できるが、当時はそんなものがなく、わざわざ会社へ行き筆談で休みますといって帰った。

セコアさん元気になってよかったね

昨日までのハイテンションはまだ私自身は続いているが、山形ではそれを許さず。いや、JAYだけだろうけど。
昨夜は帰りにセコアに寄り快気祝いに空也の最中を届ける。早寝だなと思いながら又飲んでしまった。
日曜、唐さんとこから四日続けてだ。

仙台回遊

断食明けの井上君はますますシャープになって、井上君との話は楽しく昨夜とは違って若い人と
(でも井上君も40代のおしまいか、50かな)話していると楽しい。
少し飲みすぎ気味だが、みちるちゃんに聞いたアクセサリー屋さんへ。
後は夕方あちゃーるさんへ行くまで時間つぶし。あちゃーるで食事をし、空也の上生菓子で
お茶を飲んで山形へ帰る。やはり一日は長い。

料理教室

朝カプセルホテルで起きかっぱ橋へ行き頼まれた包丁を買いに行く。
送ってもらっても送料はかかるので、つば屋の社長の顔をみながらという訳で。
あとは銀座へ出て、空也最中、予約しておいた最中と和菓子。
1時からは中級17回目の料理教室。吉祥寺の大好きなドイツパンのリンデ。
四匹の猫へまわり、西荻の兜蟹。美呂さんとは2ヶ月ぶり。彼女が19歳からの知り合いで
もう60代前半かな。お互い古いねってことで東京駅から深夜バスにのり仙台へ。

中級17回目
1.NUTTY GOSHUT ナッツペースト入りラム料理
2.PHUL GOPI PICKLES カリフラワーのピクルス
3.NARIYAL BHATH ココナッツごはん
4.SHAHI TUKRE シャヒトクレ