上杉文華館「上杉鷹山と藩主たちの関係」 資料紹介その2

  • 上杉文華館「上杉鷹山と藩主たちの関係」 資料紹介その2

国宝「上杉家文書」を中心に藩政改革に取り組んだ上杉鷹山の生涯を

テーマとした第十段、「上杉鷹山と藩主たちの関係」

展示期間は、平成25年12月25日(木)~平成26年1月26日(日)まで。

学芸員による、コレクショントークは1月25日(土)14:00~です☆*:.。.

 

今回は 2度目 の資料紹介....φ(・ω・*)

おめでたい (ω・ミэ)Э  内容となっております。

 

国宝「上杉家文書」

「上杉鷹山副啓」(うえすぎようざんふくけい)

江戸時代 (文政3年 1820)

32.6×44.0cm

米沢市上杉博物館

 

〔解説〕

米沢にいる上杉鷹山が、江戸にいる上杉斉定に宛て、男子誕生前後の様子を知らせた文書です。この男子は斉定と小座敷(こざしき)多喜の子(側室身分)で、のちの一二代藩主斉憲です。

この書状によれば、鷹山は出生前から妊婦である小座敷を度々見舞い、食事の量や腫れの具合に気を配っています。一〇日夕方には医師の矢尾板道迪が診察、出産の準備に入りました。夜に産気づいた、との報告を受け、家臣を向かわせたところ、すぐに男子を無事出生との知らせを持ち帰り、鷹山は小躍りして喜んだとあります。

翌朝、母子の無事を確認したうえで、直接初対面をし、赤子は「鞠々」(まりまり)と丈夫で、昨夜生まれたとは思えない、と驚いています。すぐに家老がお祝いに来て祝杯をあげ、治広やお彝(斉定の娘)ら家族も祝いに駆けつけました。男子誕生の喜びに包まれた城内の様子がうかがえます。

 

 

興味がある方は…下記の【現代語訳】(意訳)

どうぞお楽しみ下さい (*´艸`*)(*´艸`*)(*´艸`*)

 

~鷹山から斉定に宛て、男子(後の斉憲)誕生の様子を知らせた私信~

別添で申し述べます。なおさら揃って元気で努力されているだろうと遠くからお慶び申し上げます。米沢でも中殿(治広)も平和に過ごしておりますので安心してください。

さて、小座敷(斉定の妾)の出産がとても遅れ、どれほど心配していることだろうと噂をしております。小座敷は先月末から少しずつ産気づき、食事も普段よりは進まず、三日に見舞った際も気分が重く元気が無く、この頃にいたって腫れが少し増しました。しかしこれは出産も近くなったためで、何も心配はないと毎回矢尾板道迪(藩医)が申し聞かせましたが、出産も遅れ、とにかく不安なので折々お見舞いしました。

昨十日の二時過ぎに見舞いの使者を差し向けたところ、気分が重く、腫れもさらに増し、少々産気づいてきた様子だとのことでした。暮時に道迪に診察させたところ、出産準備をし、明朝までには無事に生まれるだろうとのことでしたので、道迪には早速出産の場に詰めるよう指示しました。

夜10時頃、用人たちから産気を催したと知らせがあったので、早速玄白と長左衛門(鷹山の側近)を差し向け、幾野(女中)も続いて差し向けました。すると玄白たちが着くや否や男子安産の由、二人は飛ぶように走り戻り知らせました。その時の僕の喜びは言いようが無く、ただ舞い上がり、思わず手は舞い、足を踏みました。実にめでたく大喜び、安堵この上無くお慶び申し上げます。

今朝にいたり、また玄白を遣わして様子を伺ったところ、母子ともに元気で、肥立ちもよく、小座敷も蓋つきの容器で一回ずつ四度食事をとられ、便通もよく、腫れも大いに減り、気分もよいとのことでした。

二時頃に本城へ行き赤子と対面したところ、まず体がおおきく、昨夜生まれたとは全く思えないほどでした。「鞠々(まりまり)」と太り、男子だからか、於彝(おつね)や於庸(およう)(2人とも斉定の娘、斉憲の姉)の出生の際とは大違いでした。丈夫でもう乳を探しているようでした。小座敷の気分も甚だ良く、三日に会った時とは格段に違い、煙草もいつものように吸っており、よく話もされました。

 家老たちがお祝いに来たので居間で面談し大喜びとだけ話合いました。家老達は茶の間でお酒を賜り機嫌よく堪能した様子でした。僕へも吸い物とお酒を賜り、側で祝いました。帰ろうと供揃えを命じたところ、中殿(治広)も祝いに参られ、これまた大喜びで、あなたへもお祝いを伝えて欲しいとのことでした。あとで書状で御礼を申し上げてください。

僕はこの書状を書くためまっすぐ帰りました。於彝も入れ違いにお祝いに来られました。なにも心配することはありませんので、とくと安心してください。まずまず右のお知らせまで。この間は書状を頂き、近況を承知し安心しました。その返事は今回書けませんでしたので、あとの便で書きます。もはや就寝時間になったので筆を置きます。また書状を出します。謹言

五月十一日                                同鷹山

上杉弾正大弼殿  御下

なお、本文の内容を二人の小姓頭へも伝えてください。誠にこの度は安産、産気づいたと知るや否や幾野を差し向けたところ、行く途中で長左衛門が馳せ戻るのに出合ったとのことでした。係の者たちが誰も詰めないうちに安産になりました。よく熟したものと見えます。於雍(およう)(斉定の娘、当時三歳)もこれまた大喜びでした。この間は僕が来たことをとても嬉しがり、側を離れずまとわりついてきて、とても愛しく、本城から帰るのが惜しくなりました。なお、追々お慶びを申し入れます。 以上

 

お楽しみ頂けたでしょうか~・*・~☆*:・°★:*:・°~・*

心温まる、微笑ましい資料です (*´▽`*)

 

今回のコレクショントーク 1月25日(土)14:00~ です☆*:.。.

スタッフ一同お待ちしております<(_ _*)X(*_ _)>

 

次回、展示予定

《 国宝上杉家文書が伝える、上杉鷹山の生涯 ⑪》

「上杉鷹山、細やかな気遣い」

【展示期間】:平成26年1月28(火)~2月23日(日)

 

お問い合わせ 米沢市上杉博物館 0238268001まで
 

2014.01.15:denkoku:[博物館情報]