上杉文華館「上杉鷹山と藩主たちの関係」 

あけましておめでとうございます!

本年もよろしくお願い致します(´・∀`*)o<【☆*ネ兄*☆】

 

国宝「上杉家文書」を中心に藩政改革に取り組んだ上杉鷹山の生涯を

テーマとした第十段、「上杉鷹山と藩主たちの関係」

展示期間は、平成25年12月25日(木)~平成26年1月26日(日)まで。

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 天明年間の停滞を経て寛政3年(1791)に始まる第二次改革において、鷹山は

10代藩主治広、11代斉定の2代に渡り隠居の立場から藩政への間接的な助言、

指導を行いました。治広の治世は、ロシア船の南下と東北諸藩による蝦夷地出兵

など、外国の脅威が認識され実際の軍事行動も行われるなど、藩政改革だけでは

ない新たな課題が生じた時期にあたります。

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年が明けて第一回目の資料紹介は.....(●´艸`)(艸・●)☆.。(●´艸`)

国宝「上杉家文書」

「上杉治広答書」(うえすぎはるのりとうしょ)

 

 

江戸時代 (文化5年 1808)

16.1×77.0cm

米沢市上杉博物館

 

〔解説〕

 鷹山から届いた内密の書状に対し、治広が出した返答です。蝦夷地(現在の北海道)警備のため出兵準備を進めていたが、幕府からの命令はなく安心した、という内容です。幕府からの軍事命令に関する本音を記した文書のため、内密と明記されています。一九世紀に入ると、ロシア船がエトロフ島や蝦夷地周辺にしばしば来航し、警備のため諸藩に出兵が命じられました。 この書状によれば、米沢藩でも出兵の可能性を考慮し、準備を進めていました。出兵時の総大将を長尾権四郎とすることで鷹山と治広の意見は一致しています。総大将の選定は家老達へも相談できない機密事項だったようです。

ところが一二月一八日、幕府は南部藩と津軽藩に蝦夷地一体の永年警護を、秋田藩と富山藩に緊急時の派兵を命じました。このため治広は、米沢藩の派兵は決して無く「大安心」「安堵」したと述べています。一方で、川普請(工事)の御用を命じられるかもしれない、と心配をしています。

幕府からの軍役に応じることは、当時の大名にとって最重要事項の一つです。これに対し、治広が鷹山に深く相談し、鷹山も細々と助言を与えていた様子がうかがえます。

 

今回の コレクショントーク  1月25日(土)14:00~ です☆*:.。.

お見逃しなく!(^∇^*)*^∇^)♪

 

《 国宝上杉家文書が伝える、上杉鷹山の生涯 ⑪》

「上杉鷹山、細やかな気遣い」

【展示期間】:平成26年1月28(火)~2月23日(日)

 

お問い合わせ 米沢市上杉博物館 0238268001まで
 

2014.01.09:denkoku:[博物館情報]