「米坂線の今」を訪ねる旅は今泉駅から出発である。今泉駅は軽便鉄道長井線の駅として1914年(大正3年)に開業。その後1926年(大正15年)に、米坂線の米沢~今泉間の開業に伴って経由駅となった。長井線とJR線の接続駅として当地方の歴史の中で、多くの物語を秘めている駅である。
政治的には、米坂線の開通に際して、長井町側では長井駅を経由することを猛烈に陳情したが実らなかった。旧白川信号所までが今泉駅の構内扱いとなっていることは、この間の政治的な妥協の歴史を伝える証左の一つといえる。この経過については次をご覧ください。なおタイトルが「政争の駅」という過激なタイトルとなったことをお許し願いたい。
また今泉駅は、紀行作家宮脇俊三が終戦の玉音放送を聞いた駅としても有名である。上の写真のとおり、戦後80年の今でも駅前通りには旅館の看板が見える。その一つ栄屋旅館は、昭和10年頃から駅弁を売っていたという。長井線100周年にはその復刻版も販売された。現在、国鉄色の駅銘板や木製のホーム上屋、トンボが付いた横葺きのトタン屋根などは長井線側に多く残っている。駅前の風情と共に駅の佇まいは、当時の国鉄時代の姿を今に伝えている。
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