歴史を振り返る時、「もしもあの時○○だったら」と語られることがあります。成田駅では左の写真にある木造駅舎の模型がそれです。この模型はおらだの会の初代会長であった石塚さんが、2010年(平成22年)8月に制作したものです。もしもこの模型が作られなかったら、現在の成田駅の姿はなく、また現在のような活動も生まれていなかったかもしれません。というのは、この模型がきっかけとなって、昔の駅舎を復活させようという動きが生まれたからです。さっそく長井市のまちづくり基金に申請し、2011年6月第1期改修事業が完了しました。そのお披露目会にはボンネットバスなどのレトロカーのパレードが行われたのでした。
この年の5月、西大塚駅では米屋こうじさんの呼びかけで、東北大震災に対するチャリティ写真展が行われました。その出品者の一人に広田泉さんがおられたのです。山形鉄道㈱さんは、駅舎を利用した写真展の第2弾を、改修された羽前成田駅で実施する意向でした。山形鉄道の要請に手を上げてくれたのが広田泉さんでした。それが「元気が出る鉄道写真2011」です。西大塚駅でのチャリティ写真展の開催、羽前成田駅の改修、成田駅での写真展開催という歴史の歯車が、木造駅舎の模型から始まったと思えるのです。
→ (38)元気が出る写真展~広田泉氏との出会い:おらだの会
それにしてもこのような大きな事業に取り組むことができたのは何故だろうと考えると、会員の頑張りはもちろんですが、地域の先輩方の後ろ姿があったからではないかと思うのです。山形鉄道開業に際してトイレや花壇などの整備を行った駅協力会の皆さん。そして平成7年にモミジ広場を造成した成田駅前生き生きボランティアの皆さん。駅舎には全国から応援してくれる人たちとの絆と共に、先人と私たちを結ぶ絆があると思う。この絆はこれからも大切にしていきたいものだ。
→ (29)「過疎化の玄関口」を「活性化の拠点」へ:おらだの会
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