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ああふる里、停車場そして友達

  • ああふる里、停車場そして友達

 7月13日、中学時代の同級会に11人の幼馴染が集まった。その一人がラインに、「中学生時代に撮った故郷の停車場です。」と投稿してくれたのが、上の写真である。その投稿に対して同級生からたくさんのコメントが寄せられた。

 

 ○とっても懐かしい汽車の写真、ありがとうございました。当時を思い出しました。

 ○3月下旬、ネコヤナギの芽が膨らみ、マンサクの花が咲く頃、次々と汽車に乗って旅立つ友を見送った。

 ○集団就職の時代、高度経済成長の大きなうねりの中に飛び込んでいった。「頑張れよ!」「お盆に帰って来いな!」

 ○懐かしくて物悲しい米坂線の冬景色。絶対、米坂線を復活させて欲しいです。

 

 この日、地元紙の参院選関連シリーズに「長期運休続くJR線 復旧へ政治の力が必要」という記事が出されていた。副知事に国交省職員が登用されたとも報道されている。さて「米坂線を復活させて欲しい」と言うのは、故郷を棄てた年寄りの単なるノスタルジーなのでしょうか。

 

 → 停車場憧憬 集団就職の頃:山形鉄道 おらだの会

→ 停車場憧憬  出稼ぎから:山形鉄道 おらだの会

→ 停車場憧憬 除雪人夫のこと:山形鉄道 おらだの会

 

【おらだの会】写真は1970年(昭和45年)頃の米坂線羽前沼沢

2025.07.14:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

8往復、国鉄時代と同じですね

  • 8往復、国鉄時代と同じですね

 さてさて、関西からおいでになったライターさんが、「駅銘板の秘密」に続いて発見したのがこの写真でした。これは1987年(昭和62年)12月30日に、羽前成田駅協力会が『新生長井線誕生祈願餅つき大会』を行ったものです。何故、12月30日に駅の待合室で餅つきをすることになったのか。一つは翌年の4月20日に山形鉄道株式会社が創立されることになったこと。2点目は赤湯駅に山形新幹線が停車することになり、新生長井線に旅行客が来てくれることを祈った。そして3点目は、駅協力会(おらだの会の先輩方)の一人が、お餅大好き人間がだったことなのです。

 

 そんなことはどうでもいいですが、関西のライターさんはこの写真を見て一言。「今の長井線と同じ8往復だったのですね。」と。今年の3月までは12往復だったのですが、4月から諸般の事情により8往復になっていたのです。減便で不便を感じている人が多いかもしれませんが、The国鉄時代と同じだったのです。さすがにライターさんはすごいですね。

 

 さて、大正3年の赤湯~長井間開通時の本数は、新長井市史によれば5往復でした。5往復、8往復、12往復、8往復・・・。山鉄は国鉄時代から1.5倍増便した。今、8往復に戻さざるを得なかった。そこには苦渋と悔しさと、申し訳なさがあったはずだ。私たち住民は、この社員の悔しさを知らなければならないだろう。今日スタートした「7人展」のテーマは「頑張れ!山鉄」だ。

2025.07.12:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

米屋こうじ著「木造駅舎の旅」から・・・

  • 米屋こうじ著「木造駅舎の旅」から・・・

 「木造駅舎『絆』展」に米屋こうじさんがおいでになり、2009年7月に発刊の「木造駅舎の旅」を見せていただいた。米屋さんが「実はこの本には羽前成田駅が入っていないのです。当時は、腰板がトタンで覆われ、窓はサッシ戸で、補修が目立っていて載せられなかったのです。」と。続けて、「けれども出札口などはカラーで使わせてもらいましたョ」と。2011年に成田駅の修復作業が行われましたが、2012年10月の米屋さんのブログには、修復作業後の成田駅について「何と素晴らしい!」の感想が述べられていました。

 → 鉄道憧憬 山形鉄道、羽前成田駅の近況

 

 同書の中に「消えゆく木造駅舎」と題したコラムがある。改修された只見線の会津本郷駅を紹介しながら、「駅舎は郷愁を誘うために建っているわけではなく、安全で快適に列車を待つ空間であれば良いのだ。・・・略・・・。それは承知している。しかし、鉄道が地域発展に寄与した歴史を、駅舎を通して学ぶことができないだろうか。・・・略・・・。各路線に一つぐらいは開業時からの駅舎が残れば良いのにと思うのである」と。

 

 二つの木造駅舎が残るフラワー長井線。両駅の住民が協力しながら、米屋さんの問いかけに応え、形にできればいいなぁと思う。

 

2025.06.08:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

米屋こうじさんの作品を観て

  • 米屋こうじさんの作品を観て

 駅茶で行われている「長井線今昔(記録写真&米屋こうじ展)」を観て来ました。その中で、米屋さんの上の作品が妙に印象深いものでした。私にとっては「妙に」と言わざるを得ないような奥深いものを感じるのでした。

 

 撮影地はこれまでも多くの作者が選択した場所であるし、構図も大雑把に言えば特に目立った差異はないように思います。けれども作品の前に立つと、全体に淡いトーンの世界に引き込まれるような錯覚にとらわれました。細部をみると、空の色のグラデーションが、その奥に聳える山並みを包み込んでいます。それぞれの光を放って映る木々の若葉は、油絵のように盛り上って見えるのです。霞のような淡いふる里の風景の中で、フラワー号と共に生命の歯車が確かに時を刻んでいる。そんな作品のように思えました。

 

 在廊されていた米屋さんに、着任して2か月経っての感想と作品に対するお考えを聞くことができました。米屋さんは「実際に住んでこの地域を観ると、季節が確実に進んでいることを実感する。」と語ってくれました。また、「自分の予断やこれまでの作品創りの視点を排除して、目に映るものをそのまま受け入れることを心掛けている。」とも教えてくれました。

 

 米屋さんの言葉からは、着任地あるいは撮影地に敬意(リスペクト)をもって向き合おうとする姿勢を感じました。「芸は人なり」と言います。米屋さんの次の作品を観る機会を楽しみにしたいものです。この作品展は、6月1日(日)までの会期です。ぜひご覧になってみてください。

2025.05.31:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

「懐かしい」ということ

  • 「懐かしい」ということ

 「長井線の今昔(記録写真×米屋こうじ写真展)」もあと1週間となりました。国鉄時代の最後の駅舎風景をご覧になった方からは、「懐かしい!」の声が上がりました。年配の方々はもちろんですが、若い方からも同じような感想が寄せられます。自分が直接体験したものでなくとも、メディアなどで何となく見聞きしていることから、親しみを感じて、「懐かしい」という感情が湧いてくるのでしょうか。

 

 「懐かしい」場所は、年配の人にとっては自身の楽しかった体験や想い出に誘う空間である。それは同時に「常に新しいものを追い続けなければならない」時代に生きる若者にとっては、レトロなもののゆるさや温かみに、癒しの場を「懐かしい」と感じるのかもしれません。さらに「木造駅舎」の持つ魅力が加わるのかもしれません。かつて写真家・宮嶋康彦さんに「街歩き撮影ツアー」をお願いした時に、宮嶋さんは次のようなことを私たちに語ってくれたものでした。「都会からの参加者は,『普通』に心が癒されるもの。旅人は,長い歴史を感じたい。時間が作り上げた歴史と失われたものを感じたいものである。」と。

 → 木造駅舎の魅力 (「旅と鉄道~木造駅舎紀行」から):おらだの会

 → 宮嶋康彦さんからのメッセージ:山形鉄道 おらだの会

 

 60年振りに成田駅を訪れた方が、米屋こうじさんの写真を見てポツンと言いました。「米屋さんの写真には全部、背景に山がありますね。この山々が懐かしくて、嬉しくて、そして有難いものだったんですね。」と。長井の街は昨晩、黒獅子が街を練り歩く伝統の祭りが行われました。米屋さんの作品に感動された方も、その祭りをご覧になっているだろうと思います。「祭りは懐かしくて、嬉しくて、有難いものだなぁ。」と、奥さんに話しているかもしれませんね。(写真展は6月1日までです。どうぞお見逃しなく。)

2025.05.25:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]