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『米坂線の今』萩生駅の1 駅を守る人が

  • 『米坂線の今』萩生駅の1 駅を守る人が

 萩生駅は1931年(昭和6年)8月10日開業。1994年(平成6年)12月に待合所が改修されている。駅の正面には「九里学園」と書かれたフラワーポットが3基。2年前の8月、この駅を訪ねた時にもサルビアの赤い花が咲いていた。今年も酷暑に耐えて花を咲かせていた。2年前の記事はこちらからどうぞ。

 → 無人駅の善意の花:おらだの会

 

 ただし2年前と比べると、プランターの損耗が目立って見えた。駅舎の角には「九里学園高等学校」と書かれたジョウロが置かれていた。ホーム側に歩いて行くと、草削り器が落ちていた。プランターの花に水をかけ、除草作業を行っている人がいるのだろう。列車の来ない駅を守ろうとしている人がこの駅にはいるのだ。

2025.09.18:orada3:コメント(0):[停車場風景]

『米坂線の今』今泉駅の2 みんなの思いがつながれば

  • 『米坂線の今』今泉駅の2 みんなの思いがつながれば

 カーテンが閉められた事務室の窓に、「いつもありがとうございます」のメッセージが添えられた地元児童の絵が飾られていた。これを見た感想は、昨年秋のブログに投稿しましたのでご覧いただければ幸いです。

 → 長井線祭りに思うこと(今泉駅にて):おらだの会

 

 待合室には米坂線を走った気動車・べにばな号などの写真も飾られていた。鉄道愛好者から提供されたものであろうか。さらに、豊田地区ふるさと振興会の掲示板も設置されていた。駅の所在地である豊田地区の見所を散歩コースとして紹介している。2013年(平成25年)に長井まちづくり基金助成事業を受けて制作したもののようである。

 

 今泉駅には子どもたちの声や鉄道愛好家の思い、そして地元の人たちの鉄道に対する期待の声が詰まっているように思う。駅とはもともと、そうしたものであったのかもしれない。改めて思うのは、それぞれの思いがつながっていれば・・・と。

2025.09.14:orada3:コメント(0):[停車場風景]

『米坂線の今』今泉駅の1 国鉄時代を今に伝える

  • 『米坂線の今』今泉駅の1 国鉄時代を今に伝える

 「米坂線の今」を訪ねる旅は今泉駅から出発である。今泉駅は軽便鉄道長井線の駅として1914年(大正3年)に開業。その後1926年(大正15年)に、米坂線の米沢~今泉間の開業に伴って経由駅となった。長井線とJR線の接続駅として当地方の歴史の中で、多くの物語を秘めている駅である。

 政治的には、米坂線の開通に際して、長井町側では長井駅を経由することを猛烈に陳情したが実らなかった。旧白川信号所までが今泉駅の構内扱いとなっていることは、この間の政治的な妥協の歴史を伝える証左の一つといえる。この経過については次をご覧ください。なおタイトルが「政争の駅」という過激なタイトルとなったことをお許し願いたい。

 → 長井線リポート(17)  白川橋梁からの眺め:おらだの会

 → 第9話 政争の駅 その1(今泉駅):おらだの会

 → 第9話 政争の駅 その2(今泉駅):おらだの会



 また今泉駅は、紀行作家宮脇俊三が終戦の玉音放送を聞いた駅としても有名である。上の写真のとおり、戦後80年の今でも駅前通りには旅館の看板が見える。その一つ栄屋旅館は、昭和10年頃から駅弁を売っていたという。長井線100周年にはその復刻版も販売された。現在、国鉄色の駅銘板や木製のホーム上屋、トンボが付いた横葺きのトタン屋根などは長井線側に多く残っている。駅前の風情と共に駅の佇まいは、当時の国鉄時代の姿を今に伝えている。

 → 長井線リポート(18) ザ昭和 in 今泉駅:おらだの会

 → 長井線リポート(19)  面白景色の宝石箱 in 今泉:おらだの会

2025.09.12:orada3:コメント(0):[停車場風景]

木造駅舎『絆』展  駅舎を愛する人々と共に

  • 木造駅舎『絆』展  駅舎を愛する人々と共に

 広田泉さんは、2021年(令和3年)3月28日に53歳という若さで旅立たれた。羽前成田駅開業100周年となる年であった。一周忌となる令和4年の春には「泉の桜」を植樹し、「特別写真展 昨日の一歩、明日の一歩」を開催した。そして米屋こうじさんに広田泉さんとの想い出を語ってもらった。米屋さんは最後に、「泉さんのおかげで、この場所に新たなつながりや思い出が生まれている」として、「共にあること」を大切にしていこうと結んだのでした。

 → 広田泉伝 [ 完 ]  明日の一歩 共にあること:おらだの会

 

 フラワー長井線に残された二つの木造駅舎。2010年から今日まで、二人の写真家が情熱を傾けて応援してくれた駅舎である。写真は、昨年の長井線祭りの前夜祭に集まった首都圏からのお客さんとの交流会の様子である。米屋さんが撮影したものであり、そのタイトルは「駅舎を愛する人々」であった。また今年になって西大塚駅では、不定期ではあるが週末に待合室での土産品等の販売が始まっている。

 「駅舎を愛する人々」の思いが過去から現在、そして未来へとつながりつつあるようにも思える。木造駅舎が最初に繋いだのは二人の鉄道写真家であったが、その後地域の人々と駅舎を愛する人々を繋いでくれていたのだ。この絆を大切にして、山鉄を元気に、地域を元気にしていきたいと思う。(木造駅舎『絆』展は、7月6日で終了となります。)

 → 芋煮会の前夜祭!:おらだの会

 

2025.07.06:orada3:コメント(0):[停車場風景]

木造駅舎『絆』展  二人の写真家が目指したもの

  • 木造駅舎『絆』展  二人の写真家が目指したもの

 2015年(平成27年)10月の長井線祭りに参加してくれた広田泉さんは、翌年から続けざまに長井線応援企画を実施してくれました。2016年(平成28年)4月の「ちゃぶ台写真展」に続いて同年10月に企画された「長井線祭り協賛3駅交流写真展」が印象深いものでした。西大塚駅で米屋こうじさん、時庭駅は123の会、羽前成田駅で広田泉さんが写真展をやったのです。この事業と同じような企画を、米屋こうじさんは2012年(平成24年)4月に実施していました。西大塚駅と成田駅、蚕桑駅で行われた「木造駅舎ギャラリー展」がそれです。

 → 三駅合同写真展:山形鉄道 おらだの会

 → 鉄道憧憬 山形鉄道駅舎内写真展・後半スタートです。

 

 二人の鉄道写真家は、沿線の各駅が住民と共に盛り上がっていく姿を追い求めていたのではないかと思うのです。広田さんが語っていました。「何とか線路を繋げ、人を繋げてニッポンを繋げたい。本気でそう考えていますので、応援よろしくお願いいたします。」と。「ローカル線は地元の人に愛されないと残っていけない。だから私は、駅を愛している人を応援したい。」と。その思いは、米屋さんも同じ思いであろう。広田さんは最後に語ります。「地元の人に言いたい。皆さんは何をやってる? ここで生きる覚悟がありますか?」と。10年たった今、私たちは「線路を繋げて人を繋げる」ことができたのだろうか。

 → 広田泉さん逝く ~ 線路を繋げて人を繋げて:おらだの会

2025.07.04:orada3:コメント(0):[停車場風景]