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木造駅舎『絆』展  二人の写真家との出会い

  • 木造駅舎『絆』展  二人の写真家との出会い

 山形鉄道㈱史における重要なポイントの一つは、2009年(平成21年)4月の公募社長・野村浩志氏の着任であろう。翌2010年のゴールデンウィークに米屋こうじさんが西大塚駅で「木造駅舎展」を開き、8月にはもっちぃ駅長が就任した。こうした動きが生まれた陰には、鉄道愛好家でもあった野村社長の存在があったと思われる。

 → 長井線リポート(29) 駅舎に残された思い:おらだの会

 → 駅に残る思い その1(笑門来福):おらだの会

 

 そして2011年(平成23年)5月、米屋こうじさんの呼びかけで、西大塚駅で東北大震災に対するチャリティ写真展が行われます。次に駅舎を利用した写真展の第2弾として開催されたのが、広田泉さんによる成田駅での「元気が出る鉄道写真展2011」でした。広田さんはチャリティ写真展の参加者の一人だったのです。おらだの会は、駅舎で様々な方々と交流することの楽しさを知ることができたのです。

 → 停車場ノート28 「広田泉の会写真展」続行中:山形鉄道 おらだの会

 → 停車場ノート ⑲大好きです!成田駅の変なおじさん達:山形鉄道 おらだの会

 

 この二人の写真家との出会いは、山形鉄道にとってもおらだの会にとっても大きなものでした。二人は、写真撮影や取材のための一時的でビジネス的な関係ではなく、「一緒に長井線を元気にしていこう」と考え、継続して実践してくれました。今日まで続く「絆」がここで生まれたように思います。

 

 ここでは米屋こうじさんを中心とする皆さんが、山形鉄道とりわけ西大塚駅に対して行ってくれた事業を再掲します。

 2010年4~5月 米屋さん最初の試み「木造駅舎展」

 2011年4~5月 米屋さん「東北の鉄道応援チャリティ写真展」

 2012年2月   「山形鉄道大学~米屋こうじ先生と行く鉄道写真教室ツアー」

 2012年4~5月 「ホームトレイン~Home Train」展  (西大塚・羽前成田・蚕桑駅)

 2013年8月   小野孝志さん「思い出は汽車に乗って」   ※西大塚駅99歳

 2014年5月    米屋さん「山形鉄道の四季~100歳を記念して」

 2015年9月   米屋さん「登録有形文化財登録記念 西大塚駅想い出の写真展」

 2016年10月    広田泉さん主催  「三駅(羽前成田・時庭・西大塚)合同写真展」

2025.06.28:orada3:コメント(0):[停車場風景]

アジサイの開花宣言

  • アジサイの開花宣言
  • アジサイの開花宣言
 ニュースで「山形県にアジサイの開花宣言」とのアナウンスが流れ、アジサイにも開花宣言というものがあることを初めて知りました。さて成田駅前のアジサイは、今が見頃です。また待合室のミニギャラリーには、アヤメとアジサイの切り絵が飾られています。切り絵作家・桑原重雄さんの作品です。

 アジサイには色や種類によって様々な花言葉があるそうです。青や紫には「冷淡」や「無常」の他に「辛抱強い愛」といったものもあるそうです。白いアジサイの花言葉は「寛容」で、恋人への贈り物に最適とのこと。ピンクのアジサイは「元気な女性」「強い愛情」という花言葉があるそうです。あなたは花に託してどんな思いを伝えますか? とにかく元気を出して、この梅雨を乗り切りましょう。
  停車場にアジサイの花咲きにけり あの日の想い色うつろうも

 追伸:ホーム西側のアジサイはまだ蕾です。
 追伸 6月27日現在、咲き始めです。
2025.06.26:orada3:コメント(0):[停車場風景]

木造駅舎『絆』展  駅の模型がなかったら

  • 木造駅舎『絆』展  駅の模型がなかったら

 歴史を振り返る時、「もしもあの時○○だったら」と語られることがあります。成田駅では左の写真にある木造駅舎の模型がそれです。この模型はおらだの会の初代会長であった石塚さんが、2010年(平成22年)8月に制作したものです。もしもこの模型が作られなかったら、現在の成田駅の姿はなく、また現在のような活動も生まれていなかったかもしれません。というのは、この模型がきっかけとなって、昔の駅舎を復活させようという動きが生まれたからです。さっそく長井市のまちづくり基金に申請し、2011年6月第1期改修事業が完了しました。そのお披露目会にはボンネットバスなどのレトロカーのパレードが行われたのでした。

 → (35)駅舎を再現~ミニチュアが本物に:おらだの会

 → (36)駅舎改修~どご新しくしたなや?:おらだの会

 

 この年の5月、西大塚駅では米屋こうじさんの呼びかけで、東北大震災に対するチャリティ写真展が行われました。その出品者の一人に広田泉さんがおられたのです。山形鉄道㈱さんは、駅舎を利用した写真展の第2弾を、改修された羽前成田駅で実施する意向でした。山形鉄道の要請に手を上げてくれたのが広田泉さんでした。それが「元気が出る鉄道写真2011」です。西大塚駅でのチャリティ写真展の開催、羽前成田駅の改修、成田駅での写真展開催という歴史の歯車が、木造駅舎の模型から始まったと思えるのです。

 → (38)元気が出る写真展~広田泉氏との出会い:おらだの会

 

 それにしてもこのような大きな事業に取り組むことができたのは何故だろうと考えると、会員の頑張りはもちろんですが、地域の先輩方の後ろ姿があったからではないかと思うのです。山形鉄道開業に際してトイレや花壇などの整備を行った駅協力会の皆さん。そして平成7年にモミジ広場を造成した成田駅前生き生きボランティアの皆さん。駅舎には全国から応援してくれる人たちとの絆と共に、先人と私たちを結ぶ絆があると思う。この絆はこれからも大切にしていきたいものだ。

 → (29)「過疎化の玄関口」を「活性化の拠点」へ:おらだの会

 

2025.06.24:orada3:コメント(0):[停車場風景]

「木造駅舎『絆』展」 その時歴史が動いた

  • 「木造駅舎『絆』展」 その時歴史が動いた

 さて前回まで「ここがポイント」と題して、西大塚駅と羽前成田駅の見所を紹介して来ました。今回の展示のねらいは、両駅での活動が人と人との絆によって支えられ、協力し合って進められてきた歴史を整理しておくことにあります。

 

 歴史を振り返る時、そこにはターニングポイントともいえる出来事があるものです。両駅でのターニングポイントとして考えられるものが、上の写真にあります。西大塚駅では2010年(平成22年)の年末大掃除の事業案内です。長井まちづくりNPOセンター(当時)が、置賜まちづくり学校として主催したもので、西大塚駅を木造駅舎の聖地にしよう」とあるのが、印象的です。なおその一年前に米屋こうじさんが西大塚駅で写真展を行っていました。

  → 駅に集う人々(西大塚駅 その1):おらだの会

 

 羽前成田駅では1996年(平成8年)4月のおらだの会の会報です。成田駅協力会を支え、駅前広場の礎を作ってくれた「成田駅前生き生きボランティア」の皆さんは、平成7年、「もみじ広場」の造成を機に引退。その後を「おらだの会」に託したのでした。最初の会報には、おらだの会の原点が記されています。鉄道アイドル伊藤桃さんがインスタグラムで、「この駅の好きなところは地元の方々、おらだの会の皆様が駅舎を『人が集まる場所』として大切にしているところ」と紹介してくれていますが、その基本は発足以来変わっていないのかもしれません。

  → (32)平成8年 おらだの会発足:おらだの会

  → フラワーの想い出帳 (その6 「最後まで幸せな気持ちに」):おらだの会

 

 

2025.06.22:orada3:コメント(0):[停車場風景]

ここがポイント(ベンチの美脚)

  • ここがポイント(ベンチの美脚)

 「ここがポイント」の最後は超驚きの場所、西大塚駅の待合室のベンチです。西大塚駅に行って、ぜひじっくりと覗いて見てください。きっと感動すると思います。

→ 待合室 ベンチの美脚:おらだの会

 

 さて、100年を越える駅舎が2つも残っていることは、フラワー長井線にとってかけがえのない財産です。そこにはそれぞれの時代背景や職人たちの息遣いを感じることができるように思います。それぞれの駅舎の良さを理解することを起点として、次の時代へのバトン渡しを進めていきたいものです。

 

 次回から、この駅舎を舞台に行われてきた活動の歴史を紹介していきます。

 

2025.06.20:orada3:コメント(0):[停車場風景]