老兵の半生(校長)

昭和37年、私21歳の高校一年生詰めいれの学生服
七つ年下の級友たちとの入学式。
式辞を話す初代校長の顔を見て、「やばい」と思いました。
実は、その人とは何度か酒を酌み交わしたことのある人でした。
姓は知っておりましたが、名までは知らなかったのでまさか
校長とは、思いませんでした。
彼は実家の山形市を、離れて単身赴任で地元のある旧家に下宿
しており、酒豪で豪快な気質で偉ぶらない、泥臭い振る舞いの
中に、一つ筋の通ったいわゆる、現代の侍的な雰囲気の人でした。
そもそもの出会いは、彼の行きつけの居酒屋で会ったのが
始まりでした。帰りはが同じ方向だったので時たま
「サンタルチァ」を歌いながら高野町通りを、下宿まで送って
行くのが、彼と居酒屋であった時の慣例になっていたのでした。
まさか入学式で合うとは
学校では、私は夜間生であったため個別に会うことなど
なく、勿論話す機会やすれ違うこともありませんでした。
何しろ校長先生ですから、夜の授業等にも顔を出すことも
ありませんでした。
卒業後彼の所に挨拶に行ったとき「なんだ吉田君
内の生徒だったのか」と驚きもせず「頑張ったね」
といってくれました。実は在学中も三度ほど一緒に飲んでました。
多分生徒であることは、知っていたのかも知れません。
4年間の高校生活を、挫折することなく終了することが出来たのも
この校長と知り合えた事が、最大の原因だったと思います。
彼の葬儀も山形の護国神社で神前式で行われ浪々とした「しげん」
の響きの中で送り出されて行きました。最後まで侍にふさわしい
待遇でした。その後一度も神前の葬儀には参列した
記憶がありません。

今はなかなか彼のような教育者は、見当たりません。

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