老兵の半生(坂本九1)

1982年3月5日、早春の澄み切った空気の中で、開校以来20年間
319人の卒業生を送り出して、長井工業高等学校定時制過程は、
閉校していった。最後の8名の生徒を送り出して
私度の会社にも、2名の卒業する生徒が勤務していました。
当時定時制 OB の会長をやっていた私にはこのまま平凡に
閉校式を終わらせたくない、何とか最後の卒業生に、花を持たせ
華やかに送り出して、やりたい。その思いから一年
前より、数人のOB仲間と相談してました。
あるOBから、「坂本九を呼ぼう」大変な事を言い出しました。
理由は我々が、定時制の学生の頃彼のヒット曲の中に
「みあげてごらん夜の星を」と言う歌がありあれは、定時制の
応援歌である。我々はその歌によってどんなに、励まされたか
わからない、卒業生にはこの歌をじかに聞かせてやりたい。
それが理由である
仲間は其れがいい、それがいいと決定の運びとなったり
実行委員長は、会長に決定と下駄をあずけられ
これは困ったぞ、まずその日の日程が合うかどうか、資金的には
どのくらいかかるのか、交渉するのにはどんな道があるのか
雲をつかむような話でした。
宿泊のはてから、送り迎えの車両から、演奏は如何するのか
様々なことが、未体験の連続でした。
何しろ今から26年も前のことですから、今ならイベント会社
にたのべば、資金と日程さえ合えばそんなに、
困難ではないでしょうが、素人集団では大変無謀な計画でした
まして「坂本九」と言えば押しも押されぬ当時のトップスター
それに県立高校であるが故に、県の許可を取らないとそんな
前代未聞の閉校式など、許可してくれるか分からない。
それでもまだ、私らも若かったのですね会長の私で41歳でしたから
みんな30代で、気力がみなぎっていました。
つづく

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