平成3年に組織化し、二井宿地区並びに高畠地区の生産者により構成されています。酒造メーカーとの契約栽培を中心として生産技術と生産能率の向上を図ることを目的としています。
〈重点事項〉1) 実証圃の設置2) 生育指標の確率3) 圃場巡回指導の実施4) 酒米生産地の視察、研修会を実施5) 品質向上(等級比率)
米という無味無臭に近い穀物を原料にして、麹菌と酵母の二つの微生物の力を借りて馥郁としたフルーティな香りで味わい豊かな酒ができる不思議。その造りに携われることは喜びでありロマンでもあります。
私が大切にしていることは「和醸良酒」という言葉です。読んで字のごとく、和が醸す良い酒ですが杜氏一人の力では酒造りは出来ません。蔵人とのチームワーク、会社全員とのチームワークが不可欠です。酒にたいする「気持ち」を蔵人全員で共有したいと思っています。
現在、米鶴は非常に良い環境の中にあります。自然の豊かさもさることながら、良質の酒米を蔵の周りの田んぼから手に入れることが出来ることです。高畠町酒米研究会を組織して、地元農家(含蔵人)、地元農協、県の指導機関と一体となって良質米生産に励んでいます。
酒造りは農業との共生なくしてはありえません。米の作り手はだれなのか、酒の造り手はだれなのかお互い顔の見える関係は非常に重要です。また会社の目の前がお客様たちと手植えした「亀の尾」栽培田で、毎日稲の成長が見られ心落ち着く場でもあります。まさに「米からの酒造り」を実践しています。
まだまだそれぞれの酒米が持つ固有の旨味を引き出し切れていないので、種麹や酵母との相性を見ながら試行錯誤しています。
試行錯誤というよりは葛藤しているといったほうが当たっているかもしれません。
米鶴にはオリジナルの酒米「亀粋」があります。亀粋は幻の名品酒「亀の尾」の変異種で、1993年に日本の蔵元として初めて品種登録を得ることが出来た米鶴独自の酒米です。
現在米鶴では鑑評会レベルの酒は兵庫・山田錦を使用していますが、これからは亀粋を使用して鑑評会にも挑戦していきたいと思います。
まだ米作りの担い手はいるのですが、次の世代が問題なので米鶴が中心になって営農法人を立ち上げて酒米作りを行っていく必要が出てくるかもしれません。
米鶴のお酒はファーストインパクトはあまりないのですが、飲むほどにうま味が冴えてきて、後味がスーッと切れるすっきり感が特徴です。雪国らしいやわらかで素直な香味の酒を造っています。
米鶴の酒を飲んだら山間の酒蔵や二井宿の田んぼの情景が浮かぶような酒を、これからも醸していきたいと思います。
昭和53年3月入社平成10年より製造責任者(杜氏)現在、常務取締役 杜氏
元禄年間、この地で農民の身分としては庄屋という、米が集まってくる地位にあった梅津伊兵衛が、年貢米を納め、地元農民に分け前を分配し、それでもなお余った米で地元の振興を願って酒造りを始めたのが、現米鶴酒造株式会社の最初の礎となっています。
米鶴という銘柄が誕生したのは、日本が明治維新をきっかけに近代国家への仲間入りを果たすべく、貧しいながらも活気があふれていた時代。豊かに実った米の姿、鶴の立ち姿がお辞儀に例えられることにちなんだ、感謝を伝える酒を意味します。また、米という漢字は88の数に例えられることから、88羽の鶴が末広がりに舞う、おめでたい名でもあります。
私達の蔵元は、私の祖父の時代から品質重視の姿勢を打ち出してきました。戦前から戦後にかけての貧しい時代、酒造りに使用できる米の量は政府から蔵元それぞれに制限がありましたが、私の祖父は自分たちの食べる米を減らしてまで米を磨く量を増やして良質の酒造りに打ち込んだと聞いています。
私の父はまだ全国的に無名の米鶴をなんとかして広く世の中に知ってもらうために、銘柄で判断されない、銘柄を隠して審査される品評会、鑑評会に出品をつづけて受賞数を重ね、そのことが評価されて県内外に米鶴が出荷されるようになり、現在の米鶴の基礎を築き上げました。
私が生まれた1969年は、人類が初めて月面に降り立った年です。米鶴が初めて「米鶴 超特選 F-1」の名で鑑評会品質の吟醸酒の市販を始めた、人類にも米鶴にも大きなチャレンジの年でありました。
1980年ごろから、地元で採れた米で造ってこその地酒との信念から、それまで酒造好適米は県外から買い付けていたものを、地元の農家と協力して酒米栽培を始めました。今では地元の高畠町二井宿地区で採れる米の約半分が酒造好適米で、米鶴ではそれを原料として主力商品を造っています。
1990年ごろ、酒米として栽培していた米品種「亀の尾」の稲から少し大ぶりな米粒で心白が入ったものを発見しました。言葉で言うのは簡単ですが、酒造りと米作り、両方を意識しなければこの発見は不可能です。この奇跡の発見が元になって、平成5年に戦後初めて個人による酒造好適米の新品種登録を果たした「亀粋(きっすい)」につながります。
2013年の全国新酒鑑評会金賞受賞により、国の機関が主催する鑑評会において1956年からの金賞受賞回数が30回に達しました。
単一酒造場の受賞回数としては全国でも有数の蔵元に数えられると自負しております。
その他にも、小さな挑戦と失敗をたくさん経験し、その中から時おり生まれる小さな成功を少しずつ積み上げて来て、今の米鶴があります。創業からこれまで積み上げてきたご先祖様と先輩方、見守ってくださったお客様と地元の方々、協力して下さった納入業者様方のおかげで、今の米鶴があります。
私が生まれて初めて日本酒を味わったのは幼稚園時代に正月のおとそとしてなめさせてもらった「米鶴F-1」で、その時の私の想像よりも美味しいと感じた記憶があります。思えばそのころから日本酒の魅力にひかれたのかもしれません。
私自身は酒造りの専門的な勉強をしたことはありませんが、日本酒ファンとしての経験は同年代の人よりは多く積んでいますし、まだ広く知られていない酒を楽しむための様々な方法を心得ています。
これまでしたことのない挑戦を続けて、米鶴に関わる人すべてがしあわせになるように、米鶴をたしなむ人すべてが笑顔になるように、米鶴の名を未来永劫続くようにしていくことが私の使命と心得ています。
末永くお付き合いくださいますよう、よろしくお願い致します。
1994年 東北大学 大学院卒 原子核理学修士2002年 米鶴酒造株式会社入社2007年 代表取締役社長