市民ぐるみの上杉まつりへ

 この「米沢まつり」は、昭和38年に「春の米沢上杉まつり」に改称され、米沢市・米沢商工会議所・米沢織物協同組合連合会・米沢観光協会が主催団体となり、商工会議所に事務局を置き、第2期の上杉まつりの新しい構想の検討が始まる。
 このころから歴史ブームが芽生え、退潮した仮装行列に代わり、上杉の城下町としての雰囲気を共闘した催事が台頭する。その現れの一つが武てい式(39年)であり、現在に続くが、実行組織も43年に「米沢上杉まつり実行委員会」として発足、市と商工会議所職員の出向および臨時職員による独立事務局が設置された。
 初めの頃は仮事務所で転々とし、現在の観光協会に定着するのは昭和55年である。また、41年からコンクールを廃止、甲冑行列を強化して「上杉軍団行列」とし、神輿渡御を加えてその総称を「上杉行列」としたのは43年からである。
 さらに米織青年連合会が制作した新民謡「米沢新調」を市民に普及させるために「米沢新調パレード」(昭和46年米沢民踊流しとなる)がこの年からまつりの開幕イベントとして加わり、このまつりに厚みが増す。
 翌44年は、上杉謙信を主人公としたNHK大河ドラマ「天と地と」をテーマに編成され、謙信の少年時代の傅役 金津新兵衛を演じた俳優高松英郎も特別参加、期間中の人出は40万人を記録した。昭和48年になって「川中島合戦」が導入され、翌49年の「川中島合戦」は、日本テレビによって全国へ生中継された。
 この時期、上杉行列や川中島合戦の主要な中核団体として、上杉・松岬両神社信仰会・米沢市役所・米織連合会・米沢市農協・米沢酒造組合・米沢市商店連合会の協力が続き現在に至っている。
 上杉まつりのテーマソングとなった「これぞ天下の上杉節」(だいご昭作詞・佐藤時志作曲。安藤由美子歌)が発表されるのは46年。小学校の鼓笛隊参加もこの年に実現して、このまつりは新たな盛り上がりを見せる。
 そして、昭和46年には、「市民ぐるみ」を標榜して、旧市内1戸100円、周辺地区1戸50円の市民募金が実現する。63年度におけるこの市民募金は1戸一律220円となり、上杉まつり総事業費の約4分の1を占めるようになった。
2008.03.09:[上杉まつりの由来]