最盛期の頃の仮装行列

 この広告仮装行列は、その後も人気を上昇させながら、県内でも有数のイベントとして急速に盛り上がっていった。
 行列当日、沿道の人出30万人というフィーバーぶりをみせた昭和37年の第13回の盛大ぶりを、当時の「米沢商工会議所報」(第64号)が次のように報じている。
恒例春の米沢まつりは・・・・5月3日の棹尾に第13回広告仮装行列を配して盛大に豪華に実施した。
 とくに今年は米沢藩の伝統を誇る神輿渡御と甲冑武者行列が合流、・・・・
 また、陸上自衛隊音楽隊の特別演奏パレード・前夜祭特別演奏会、それに空から航空自衛隊第4航空団のジェット機5機が見事な編隊パレード、アクロバットで協賛、春まつり始まって以来の空陸一体の大祭典となった。
 このほか期間中は多彩な催しで彩られた。

 この間の人出は延べ30万人、ゴールデンウィークを大いに楽しんだ・・・・
 この人出に対処し米沢駅では期間中延べ25輌の臨時列車を増結、山形交通でも臨時バスを繰り出し、期間中のバス客数は昨年よりもおよそ5千名の増となった。
 仮装行列は今年から3部制の新しいシステムをとったが、参加者24団体・個人で、内容の伯仲した出し物で入賞が競われ、その結果粡町商店会の「助六とおいらん道中」が第1部特等に、・・・・昨年優勝の弁天通りは「新作夕鶴」で連続優勝を狙ったが、運行上の事故があり、惜しくも3位に転落した。
 なおこの年の特別参加は市職員の「幌馬車米沢を行く」、米織組合の「はばたく米織」、米沢日報の「ミスよねざわオンパレード」、それに米沢信用金庫が特別協賛で花を添えた。

 米織と市職組が特別参加となったのは、市制施行70周年記念祝賀をこめた33年度(第9回)からで、この年の米沢市職組は百数十万円を投じて「古今三千年時代風俗絵巻」、米織青年連合会は六十数万円を投じた「織姫カーニバル」で豪華を競った。この広告仮装行列は、このころからピークに向かうが、その主役は、特別参加の米織、市役所と主要商店会であった。この広告仮装行列の導入で、米沢の春まつりは、東北にもその名を轟かすようになるが、その後商店会の人手不足や予算難の問題もあり、また世の中がテレビ時代に入って娯楽情報も増えたこと等々から、昭和41年(第17回仮装行列)からコンクール形式を廃止、各団体の協賛参加に切り替え、さらに、神社行列と仮装行列(甲冑)の1本化の方向へ進むこととなる。
2008.03.10:[上杉まつりの由来]