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【2012/5/28 朝日新聞】南陽市知名度アップの切り札
∞ 「コスマス効果」早々に
 ケニア出身嘱託職員 県縦断駅伝初V貢献

 南陽市が4月、鳴り物入りで嘱託職員に採用したケニア出身の元留学生、オンディバ・コスマス選手(22)。先の県縦断駅伝競走大会で区間新記録の快走を見せ、南陽・東置賜チームを悲願の初優勝に導いた。南陽の知名度アップの切り札に、と採用を決めた塩田秀雄市長(59)は「広告塔としてお釣りがくる」と笑いが止まらない。

 駅伝最終日の4月29日。南陽市内の中継所は、新調されたワインカラーに白抜きで「南陽市」と書かれたのぼりが目立ち、大勢の市民が詰めかけた。2分52秒差の3位でタスキを受けたコスマス選手は、軽快なピッチで先頭の北村山を猛追。11キロ付近で追いつくと、一気に振り切り、最終ランナーにタスキをつないだ。

 2006年7月に初当選した塩田市長は、企業誘致のため首都圏へ行くたびに市の知名度の低さを思い知らされた。自らも県立宮内高校(現南陽高校)で陸上部に所属し、県縦断駅伝にも出場したことがある。「注目度が高く放映時間の長い駅伝こそ、南陽の知名度を高める絶好の機会」と思いついた。

 まず有望選手を集めることを考えた。スポーツ紙や月刊誌で情報を得て、首都圏の10余りの大学陸上部を回った。だが、ほとんど相手にしてもらえず、門前払いにあったことも。ようやく4年前、公務員志望の学生1人が市役所に入り、翌年には2人、2年前にも4人、昨年は1人。選手が8人となった昨年4月、市役所陸上部が発足した。初参加した11月の東日本実業団対抗駅伝では14位。22秒差でニューイヤー駅伝(全日本実業団対抗駅伝)の出場権を惜しくも逃した。

 「なんとか10キロ28分台の選手がほしい」。昨年秋、何度も訪れて顔なじみとなった山梨学院大の陸上部監督に持ちかけると、「コスマスはどうかな」。これから伸びると目を付けていた選手だ。「向こうから言ってきてタイミングがよかった」と市長。

 コスマス選手の市役所入りはスポーツ紙などで報道され、県縦断駅伝を中継するラジオ放送では南陽の名が何度も流れた。

 次は東日本実業団対抗駅伝で13位までに入り、ニューイヤー駅伝に出場することが目標だ。「ユニホームの胸にある『南陽市役所』がテレビに出れば、さらに知名度が上がる」

 コスマス選手に倣って子どもたちが陸上競技に興味を持ち、それを親たちが応援するようになれば、と相乗効果も期待している。

◇ 「いずれマラソンも」
 抜けるような青空が広がった今月20日、南陽市高梨にある市立沖郷中学校のグラウンドで市内3中学校の連合運動会が開かれた。コスマス選手は女子800メートルと男子1500メートルに登場し、ペースメーカーの役割を果たした。男子で1位になった宮内中3年の大津吉信君(14)は「何とかついていこう思った。走りやすかった」。

 コスマス選手は、市教委スポーツ文化課の嘱託職員だ。1年契約で5年更新できる。駅伝やマラソンに出場するほか、スポーツアドバイザーとして小中学校や公民館などでスポーツ教室を開き、競技力の向上や健康・体力づくりを指導している。

 赤湯温泉の旅館の寮が下宿先だ。2LDKでテレビ、ベッドなどがある。毎朝5時半に起き、下宿近くを1時間ほど走る。旅館が作ってくれる朝食をとり、8時前に市民からもらった自転車で市役所へ。15分ほどで到着する。

 ほとんどジャージー姿でネクタイはしない。午後6時ごろから8時半ごろまで市営体育館周辺でランニング。毎週火、木曜日には南陽・東置賜チームの合同練習がある。9時半には下宿に戻り、旅館の風呂に入り遅い夕食。テレビなどをちょっと見て10時には寝るという。

 「駅伝のときはまだ本調子ではなかった。いい成績を挙げれば南陽市の知名度アップにもつながる。いずれマラソンにも出てみたい」(内藤文晴)

 ※ オンディバ・コスマス 1989年12月、ケニア生まれ。クロスカントリーの成績で日本にスカウトされ、2005年4月、山梨学院大付属高入学。08年4月、山梨学院大入学。箱根駅伝に出場し、11、12年は3区の区間賞を獲得。

中学校連合運動会の男子1500メートルでコスマス選手(左)はペースメーカー役を買って出た=南陽市立沖郷中グラウンド
2012.05.28:supobun:count(1,733):[メモ/  南陽市役所陸上部]
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