レインボープラン推進協議会

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3月25日10:30より長井市勤労センターで「絆」循環プロジェクトの参加者の方々と初めての会合を持ちました。

前回の事業説明会には出席できなかったという方々も交えて前回の説明会の内容を再確認した後、まずはそれぞれの自己紹介から始めました。

以下その自己紹介を紹介させて頂くと…

 最初に「それじゃ私から」とトップを買ってでていただいたのは相馬市から避難して来たSさん。
地元の家が半壊してしまったことと原発に対する不安もあり、地元には帰らず長井市で暮らそうと思っているとのこと。
 相馬では自宅を兼ねた洋食店を営んでおられたとのことで、旦那様は料理の腕を活かして長井で職を得たとも。小国に両親がいるので、一緒にお手伝いできれば嬉しいとの言葉も頂きました。

 次に富岡町から娘さん家族と避難して来たSおばあちゃん。原発事故直後避難先を転々とし、5回目の移動で長井市にたどり着いたという方。
 地元では自給自足用に1.1haのお米を始め手広くお野菜を作っていたということで、農業経験者が少ないメンバーの中では早くも貴重な存在です。

 福島から避難して来たSさんはご夫婦で出席。奥様はお子様と共に長井にて避難生活を送り、旦那様は週末に福島から長井に来られるとのこと。    今回のプロジェクトに対して「野菜やお酒の販売による売り上げよりも長井の方々とのつながりや避難者同士のつながりといった『横のつながり』が大切だと感じ関心を持った」と。
 旦那様からお話を頂くと、「子供が幼いのでどこまで協力が出来るかわからないが、実家が農家ということもあり子供に土に触れさせる機会を作ってくれればありがたい」とは奥様の弁。今回のプロジェクトの理念にあたる部分を理解していただけて大変嬉しく感じました。

 最後は長井が地元で福島県の郡山市で生活をしていたというAさん。長井と福島県をつなげる役割ができたらと意欲を見せてくれました。


 参加者共通の話題は、どんな作物を作ろうかと品目の選定や山形と福島の食文化の違いなどに及び、このプロジェクトでつくった野菜などで、双方に、新しくおいしいメニューのお料理が生まれる期待など、先ずは交流の成果が生まれました。

 このあと、地図を使って活動の場となる田や畑の場所を確認しましたが、それぞれ避難生活の現状の一端に触れることができたということが一番大きな収穫だったのかもしれません。

 すでにメディアを通じて食傷気味の「絆」という言葉ではありますが、被災地へのボランティア減少の実態を見れば言葉だけが踊り始めているというのが現実。
長井にいる約90世帯の避難者の方々と確かな「絆」を結ぶために,まずは参加を表明してくれた方々としっかりと絆を結びこの事業に取り組みたいと思います。

レインボープランを参考に、より安全な野菜などを作って、ふるさと福島に届ける「絆循環プロジェクト」を立ち上げます。
コミュニケーションの場、健康づくりの場として、誘い合って参加しませんか。

●活動内容 野菜やお米づくりのほか、企画、経理、広報など得意分野を選べます。
●活動時間 有償ボランティアとして、「お好きな時間の活動班」と「ある程度決まった時間の活動班」とのいずれかを選択できます。
●第1次締め切り 4月15日(日)

この事業は、参加者ご自身が組織を作り、栽培計画・作付け・収穫・販売までに携わり、安心できる生鮮野菜と酒米づくりを行うもので、市民農場がしっかりとサポート役を引き受けます。(現在、福島県庁に事業の採択を申請中)
作られた野菜は現段階では福島県いわき市の2団体を通して人々に届け、酒米は津波で酒蔵を失しない、長井に蔵を構えた鈴木酒造店様にお酒にしてもらい(予定)、福島の被災地に届けます。

第一回目の事業説明会を3月19日行いました。

参集者は、福島、いわき、南相馬、浪江、富岡から避難している方がた。
自らも避難者であり、事業を組み立て、推進役を引き受けたMさんの
「“復興は、復元ではなく転換”を、口先ばかりではなく行動で起こそう。」
「私達が作るのは安心野菜と「甦る」という銘柄の酒。そこには“経済よりも生命優先”というメッセージも込められています。」との熱い呼びかけに、参加者も心を動かされ前向きに取り組もうとの感触を得ました。

●申し込み・問い合わせ先
090−2271−3249(市民農場・竹田)
090−3645−6745(避難者・村田)
E-mail:tm-ohan@jan.ne.jp(事務局・横山)



農業の仕事始めを「鍬おろし」と言います。
今年は1月15日、毎年仕事始めは、参加者全員で軽い作業をしてから、お餅を搗いて頂き、今年の抱負を語りあいます。
 今年の作業は、機械に頼らず全員で葉大根を一粒ずつ手蒔きしました。
無加温のビニールハウスの中は、豪雪でも以外に暖かく、17日ごろから発芽が始まり、

3月6日にはこんなに大きくなりました。

これからの天候にもよりますが、彼岸過ぎには収穫が見込めそうです。
1月15日は底冷えのする雪模様、農場の4号ハウスに10時半から「葉大根」の種をまきました。
10名の男女ボランティアが作業に余念がありません。



一方の公民館では会食の準備に張り切る数名が、農場で掘ったばかりの大根や、
両手をかじかませながら寒風に立って吊るした「大根干し(べろ大根)」などを料理しています。
11時に参加者(ボランティアと役員)22名で竹田理事長を迎え農作のお祝いをお茶の乾杯で始めました


それに先立ち竹田理事長の挨拶があったので要旨をお伝えします
* まず皆さん健康に気をつけてください
* 去年の農作業の目標は「慈しみの心」でした。今年は「気づく」「伝える」「実行する」
気づいて伝えても実行しなければマイナスです。課題を共有して取り組みましょう
* 会報でも伝えていますが、外部評価を受け、より良い経営体をめざして理事達が勉強している。これから皆さんの意見を聞く機会をひろく設けるので、皆さんからも一緒になってより良い農場づくりに取り組んでいただきたい.
   
入院中のお詫びと色紙のお見舞いへの謝意の後、以上のことを述べたが淡々とした話しかたのなかに理事長のより一層の愛情(人、作物、農場への)を感じさせられました

食事は当農場ならではの献立です。
知りたいですか?

大根のオンパレード:大根干し煮物、大根葉の煮物、大根の塩もみサラダ、大根の甘酢漬け、沢庵漬け、粕漬け、おみづけ(大根入り):お雑煮、みかん、お茶、雪を被ったこの時期だけの甘い大根をこんな風に贅沢に使って料理して葉大根を植えて皆で食べる大根三昧のパーティなんて世界中でここだけです



食後は事務局長の質問コーナー。はい、いいえに手を上げて答えます。
ボランティアの参加意識を知り経営に繋げたいという熱い思いが伝わる一幕でした

次は地主さん夫妻から全員にくじ引きで当たるお年玉。農場で働くボランティアの必需品や好みを熟知した品ばかりです。自転車の雨除けカバー、移植ヘラなど、ありがとうございます

最後は事務局長から「農場として生産・販売以外に何が出来るか」という新たな視点での問いかけによる話合いです。
意見として、農場のある身近なこの地区(館町地区)に15世帯の被災者がお住で、農場に参加してもらうように声をかける、またあるボランティアは自分の所属する団体の活動例を話しこの大震災を風化させてはならないと言い、またMさんから酒を造って岩城に住んでいる人達と絆を保ちたいなど、前向きの声が出る半面、高齢のボランティアの現状からは、疑問を投げかける場面もありました。
今年の鍬おろしは、その名のように畑に鍬をいれました。今までにないことだそうです。
これも経営改善への取り組みで直ちに取り組んだ理事たちの賜物でしょうか
★経営改善への取り組みについては「農場通信―農場飛躍準備特集2011.12.22号」をぜひご覧下さい

集う快さとともに、理事長を始めとして役員の並みならない決意を感じた新年の催しでした
また会員でありボランティアである私たちにも農場に主体的にかかわることを強く求められていると感じました

 今年の当農場の鍬納め(農家の「仕事納め」のこと)は、12月25日館町自治公民館で開きました。
 恒例行事の鍬納めは、設立以来毎年、理事が中心となりボランティアの方々の労をねぎらうことと、無事に収穫が出来たことに対する大地への感謝の意を込め開いてきました。
 これまでは、ハウスの中で行っていましたが、今年は、30名ほどが参加が見込めるとのことで、初めて公民館での開催になりました。
 最初に、東日本大震災で亡くなりになられた多くの犠牲者の方々への黙祷から始めました。
 次いで、都合により欠席になった竹田理事長に代わり、洞口副理事長が「日ごろのご苦労をねぎらい,お陰様で今年も若干の黒字決算となる見込みであること、そして、来年もよろしくお願いしたい」とのあいさつをされました。
 続いて、「おきたまネットワークサポートセンター」所属の山形県NPOアドバイザー(置賜地区担当)の伊藤えり子さんから「農業さんは経営改善に取り組まれたことを高く評価している。是非会員皆さんの協力で成果を上げていただきたい」とのご祝辞を頂きました。
乾杯の音頭は、今月1日から当農場に緊急雇用の制度で就職された、いわき市からの原発避難者である村田さんにお願いしました。
横山事務局長が、経営改善計画案の概要を説明し、「2年後の次の10年に飛躍するため関係者皆さんが当事者になって取り組んでいただきたい」と訴えました。

開会に先立ち、みんなで搗いた御餅を頂き、今年の反省と来年への期待を織り交ぜ有意義なひと時を楽しく過ごしました。


 なお当日、被災者への義捐金を呼びかけたところ、17,400円が集まり、翌日、山形新聞長井支社長さんに預けて着ました。
このことは、翌々日の山形新聞全県版に紹介されました。(T)


このレポートは、次のブログ(「http://hopi-09.cocolog-nifty.com/blog/」から本人のご了解を得てここに転載したものです。
「農ギャル」の生き生きした姿を垣間見ると同時に、「なでしこジャパン」の風が農の世界にも確かに吹き始まっているようです。(農場広報担当)


ニューファーマー・フォーラム2011レポート(NO1)
      NPO法人・レインボープラン市民農場 主任 村田 孝
            
12月15日に山形県新庄市の山形県立農業大学校「緑風館」にて行われた「ニューファーマー・フォーラム2011」に参加した。
このフォーラムへの参加を勧められた時「私のような素人が参加していいものか?」
と戸惑ったが、ネットで今回のテーマを確認するやいなや、すぐにその不安は雲散霧消となった。
そのテーマとは『女の力〜私たちの視点、そして、男性に求めるもの〜』というもの。かつて出会ったネイティブアメリカンに「男が頑張るとそれは金儲けか喧嘩にしかならない。母なる地球はやんちゃな男の子達の散らかしも、食いしん坊の食べ残しも、いつかは自分で片付けてくれると寛容に受け止めていたようだが、どうやらそうでないことに気づき始めている。今は腕まくりをして母は自分で大掃除をしようとしているところだ。そしてそれに合わせて女性の時代が来るので、その時は本当に賢く強い女性の後について行くがいい。男は女性に力を貸すだけでいいのだ。」
http://hopi-09.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-1a86.html
とのアドバイスを受けていた私は、このフォーラムがそのアドバイスの真偽を確かめる良い機会に思えたのだ。(当然素敵な女性への期待感も高まる。)
そんなわけで、下心も芽生えたところで足を運んだ会場は、農業者や新規就農を志す方々が研修の場としている農業大学校の「緑風館」で、館内の掲示物を一見しただけでもこれだけの研修コースがあるのかと驚かされた。
フォーラム会場は「新農業人ネットワーク」主催だけあって、若い方々、そして今回のテーマに相応しく女性の姿も数多く見受けられ(参加者83名!)大学の講義会場という懐かしい雰囲気に少しホッとさせられた。
さて、そのフォーラムの内容だが、農業における女性の力と可能性をテーマして語り尽くされた4時間半。農業ド素人の私にも十分に魅力的で刺激的な話ばかりだった。
まずは今回「個の尊重と夫婦二人四脚で築いた夢工房」と題した基調講演を行った栗田和則氏と栗田キエ夫妻の驚くべき暮らしぶりとその哲学、生活の知恵に圧倒された。
会場で手渡された資料を要約すると
「秋田県との境に近い山形県金山町の奥の奥、杉沢集落という山に囲まれた2.5キロ程の谷あいで自給自足を貫く。二人はそれを「自創自給」と呼ぶ。
米・野菜を自給、季節の野菜とキノコを宅配し、鶏もヤギも飼う。チーズやアイスクリーム、メープルシロップ、地ビールも手作り。築200年の家と手作りのログハウスは太陽光パネルと薪で暖をとり、孫と作った薪窯でピザも焼く。ハウスで作った質の高いたらの芽が当たりヨーロッパ、中国、アメリカにも足を伸ばし、ヨーロッパ人の暮らしぶりからヒントを得て都会人に山里暮らしを伝えるべくB&B(ベッド&ブレックファースト)の宿泊所を作ったところグリーンツーリズムの先駆けにもなる。」
となる。
私の耳には、お二人が代わる代わるマイクをやりとりしながら伝える暮らしぶりは農業の話しというよりはサバイバリストのそれとして響いたが、もしかしたら私たち日本人は最後の最後にはこの二人のように暮らすことを迫られるのではないかとふと思ったりした。その際そこに希望を見るためには「豊かさのとらえなおし」が必要だ。
“自分たちが豊かに暮らすために創造する。余ればそのときに売る”
“楽する楽しさはダメ。愉しむ。それは労働の達成感から”
“豊かさをお金で測ってはダメ”
“人間にとって大切なものは蓄積されていく。”
(農業に携わろうとする後輩達に対するアドバイスは私には原発事故後の全ての日本人に対するそれに聞こえた。)
そして夫婦のあり方として共感したのは、
「お互いを『〜さん』と呼び合うこと。それが対等の関係を維持する秘訣であり、個の尊重につながる。故に二人三脚ならず、二人四脚。二人いるのだから足はちゃんと4本でなくてはならない。」との主張。そうでなければ新たな豊かさなど創造できないと言わんばかりだ。(実は私たち夫婦もお互いを「〜さん」で呼び合っている。崇高な理由があるわけではないが。)                    
… NO2に続く

ニューファーマー・フォーラム2011レポート(NO2)
             
さて、基調講演のあとは山形県内で活躍する農業に関係する女性たちからの活動紹介へと移ったが、タイトルは「先輩&若手女性農家に聞く・農における女力」というもの。
5名の女性登壇者は職業や立場が異なっているものの皆魅力的な方々ばかりだった。
女性のみの農場を設立し多様な活動を展開する若手女性経営者
http://www.kf831.com/girls/index.html
嫁として農園を切り盛りしながら、地産地消や担い手育成でも活躍する主婦
http://www.city.yamagata-yamagata.lg.jp/shiseijoho/sub2/kakuka/kikaku/danjo/annai/files/purana/No.34/34-2.pdf
地域の食文化の伝承、農産加工の推進にも努める農家レストランの女性オーナー
http://nagomi1224.exblog.jp/
小学校の体験授業で米作りに魅せられ、以来夢を追い続けて就農にこぎ着けた女性
http://agrin.jp/page/3825/
東京在住でありながら地方の農家の応援隊を結成しボランティアとして活躍する女性
http://www.treep.jp/blog/earthday/
(活動報告はどれもとてもおもしろかったのでそれぞれのURLをクリックして是非その一端に触れて欲しい!)
活動報告の中で印象に残った言葉を紹介させてもらうと
農業をやりたい女性は増えている
女性らしい農業とは楽しい農業
男性であること、女性であることの前に大切なのは人であること
みんなが楽しく働けるようになるにはどうしたら良いのかを考えるのが女の力
農家レストランの3つのこだわり=地産地消・手作り・季節のもの出す
女性が農業をやっていても違和感のない社会を作りたい
小学生の頃から米を作りたくて雑草を使って田植えごっこをして遊んだ。
都会の人が土に触れるきっかけを作りたい、などなど。
(女性ならではの発言の中にハッとさせられるものもあった。)
何か不純な動機を疑われそうで恐縮だが、個人的には若手女性の方々の今後に大変興味をそそられた。
事前の下心に関しては前述した通りだが、彼女達の話しを聞いていて私が思い出したのはフランス現代思想家・内田樹氏の言葉の数々である。
例えば、神戸女学院大学の文学部名誉教授として20年以上女子大生を指導してきた内田氏は「最終講義〜生き延びるための六講〜」(技術評論社)に「生き方のシフトは若い女性から」と題して次の様に述べている。
“…昔だったら間違いなく「こんな田舎でくすぶって家業なんか継いでもしょうがない。早く都会に出て、横文字職業に就きたい」となったと思います。でも今の人たちはそうじゃない。田舎暮らしも農業のことも、とても肯定的に、面白そうに話してくれる。おじいさんおばあさんが農業やってて、両親はやってないんだけれども、このままだと継ぐ人いないから私がやろうかな、そんなことをごく自然に言ったりするようになってきました。風向きがずいぶん変わったなという感じがします。…中略…どう見ても若い女の子たちの方が、時代の潮目の変化を感知している。“ 

 私はこの日、“時代の潮目の変化を感知している若い女性”を見たのだった。
今は地球全体で異常気象ゆえの災害が猛威を振るっているように見えるが、それは地球生命体が自らのバランスを取り戻そうとしているからこそ起る現象であると言われている。もしそれが事実なら、母なる大地といわれる通り、自然とどこかでつながっている女性たちもこの地球の動きに”感応“し始めているのではないか?

フォーラムが終了した後の交流会で、それを裏付けるような話しを登壇者の女性たちから聞くことができた。
応援隊を結成してボランティア活動を行っている女性からは「都会にいると土に触れたいという欲求に駆られる時がある。細胞の奥から動かされているという感じがする。」なんて凄い言葉が聞かれたかと思うと、ガールズ農場の代表からは「教育学部で心理学を勉強していたが、子供に安心できる環境を残しているのかと疑問を感じるようになった。」など、教育の一端を担う現場で働いていた私には十分に共感できる話しを聞かせてくれた。
さて、話しはつきないが、最後にこのフォーラムに参加して私が感じたことを2つ記してこのレポートを終了したいと思う。
まずひとつは、原発事故後の世界を“復旧・復興”ではなく“転換”させなければならないと考える私のような者にとって、やはり「農業と女性」は重要なファクターであることを改めて認識させられたということ。「経済優先」ではなく「生命優先」の世界はこの二つの中から立ち上ってくるはずだ。
ふたつ目は、農業をとりまく環境が依然厳しいものだとしても、今回のように知識や経験、精神が継承される場が機能する山形県の農業をとても羨ましく感じたということ。
(放射能にまみれた我が福島県の農業は今後どうなるのか? パネルディスカッションではTPPに対する危機感についても触れられたが、福島県はその土俵にすら上れないのだ。)
今回集まった若い農業人たちのこれらの動きをTPPなんかで台無しにしないで欲しい。そしてTPPなんかに負けないで欲しい。そんな思いを強くして会場を後にした。 以上