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大正の長井 3

  • 大正の長井 3

元禄7年(1694)に最上川舟運によって宮舟場が設置されて以来、飛躍的に商人町へと変貌する。大正3年(1914)の軽便鉄道により舟運は収束した。以降どのように長井は変わっていったか、年譜形式で紹介する。

 

大正10年3月31日

 

 

山形県立長井実科高等女学校創立。長井小学校校舎の一部で授業開始。14年3月27日、県立長井高等女子高に改称、校舎は14年9月に竣工。小野医師らが、桜樹植える

 

 

 

大正10年7月25日

 

長井信用販売組合出資証券

 

大正10年

 

長井実業団が組織される

大正11年1月

 

長井繭市場を産業株式会社組織に改める。大正15年に再び長井繭市場とする

 

 

 

大正11年5月

 

 

あやめ公園一町五反に拡張。町が果樹園を買収、拡張

 

 

大正11年5月30日(旧暦で5月4日)

 

 

長井隕石が森に。井上信一さん所有。重さ1.8kg、長さ13.4㎝のおにぎり型。石質隕石。昭和52年の調査時に名付けられた

 

 

大正11年9月2日

 

 

長井軽便鉄道を長井線と改称

 

 

 

大正11年9月15日

 

 

県立長井中学校竣工、落成式行う

 

大正11年10月

 

長井線工事が進捗する頃、あやめ高台に飲食店出る。汽車見屋・金田や・野川・辰見屋など

 

大正11年12月11日

 

長井鮎貝間の軽便鉄道が開通、鮎貝小学校で開通式開催

この機に乗じて栄楽館が成田駅前通り北側に建設。昭和30年解散

 

大正12年1月24日

 

従来の実業補習学校を長井農商補習学校と改め、長井小学校に併設、女子部を廃止する

 

大正12年2月27日

長井町徴章決定

大正12年4月22日

 

鮎貝荒砥間の長井線が開通、全線開通。竣工祝賀会を催す

 

大正12年4月1日

 

郡制廃止実施。(第2期の郡会議事堂は、郡教育会の手に移り、西置賜郡教育会館・同図書館となり、郡役所本館は官庁の出先機関の事務所となる)

 

大正12年4月

 

 

 

 

 

 

 

 

西置賜郡役所内に土木出張所を開設。郡役所廃止後も続行する

 

 

大正12年4月

 

 

泉屋にて、長井・萩生間に定期営業開始、後に昭和自動車株式会社が十字路線専用定期始まる

 

大正12年

 

西置賜郡立図書館・物産陳列館を置賜紬織物同業組合が譲り受け、初代郡会議事堂から移転する

大正12年9月1日

 

関東大震災発生

 

大正12年10月

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長井駅前に菊水館ができる。9月3日上棟式、10月落成。11月杮落とし。昭和49年5月30日幕を閉じる

 

 

 

 

大正12年10月1日

 

山形県特設電話番号簿形正書(仙台逓信局発行)

 

大正12年12月8日

 

長井町長に堀越源四郎(新町)

 

大正12年

 

松ヶ池公園のひょうたん池ほとりに、川崎玄子の句碑建つ

 

大正13年6月7日

 

長井高等女学校で第一回修学旅行を東京方面に実施

 

大正13年7月31日

 

羽越線完成。裏日本縦貫鉄道開通

 

大正13年10月27日

 

 

長井実科高等女学校の敷地、校舎等を寄付、その後県移管とする。女子校正門より新町に至る間延長105間、幅4間を延長。女学校前道路、北へ高野町二丁目道路開通

 

大正13年12月9日

 

伊佐沢村の久保の桜、内務省より天然記念物として指定。この頃地方の巨木を調べる。遍照寺のイチョウ・成田の大栗・蛇塚の大桑・草岡の桜・歓喜院の杉・川原沢の笠松など

 

大正13年12月15日

 

長井町電気町営並びに鉄道開通10周年記念祝賀会を催す

 

大正13年12月

 

 

電気部で屋上に2馬力のモーターサイレン設置。午前5時、正午、午後10時の3回を時報

 

大正14年4月1日

 

県立長井高等女学校創立(大正10年3月、長井実科女学校として発足したもの)

 

大正14年6月30日

 

西置賜郡役所廃止

 

大正14年6月

 

長井町の料理屋組合が主となり30日、アヤメ踊りを華々しく公開

 

大正14年7月

 

菅原白龍家に「白龍菅原先生旧里碑」を建てる

 

大正14年7月18日

 

東北6県自動車競走大会を松が池公園で行う。20周競技

 

大正14年8月5日

長井町同志会で新栄町に銀座マーケットを開業

 

大正14年9月18日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高野町に長井高等女学校竣工。10月30日に竣工式

落成記念時の絵葉書 正面

 

運動場

 

作法室

 

校章

 

 

大正14年10月

 

成田駅前に映画劇場

 

大正14年10月1日

 

第2回国勢調査

 

 

大正14年10月31日

 

県立長井高等女学校落成式挙行

 

 

大正14年

 

長井町役場と電気部

左の建物が電気部 展示も行っていた

 

 

大正15年6月25日

 

 

 

第一期長井新聞創刊、最終は昭和11年1月5日(135号)。発行人は横澤茂兵衛等

 

大正15年1月18日

 

東北電力株式会社設立

 

大正15年7月1日

長井繭市場開設

 

 

大正15年9月25日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

両羽銀行長井支店が現在地の栄町に移転新築

赤レンガつくり

 

大正15年9月28日

 

米坂線南米沢駅、西米沢駅開業

 

 

2016.02.18:n-old:[歴史的建造物]

大正の長井 2

  • 大正の長井 2

元禄7年(1694)に最上川舟運によって宮舟場が設置されて以来、飛躍的に商人町へと変貌していった。しかし大正3年(1914)の軽便鉄道により舟運は収束した。以降どのように長井は変わっていったか、年譜形式で紹介する。

 

 

大正5年

 

 

今泉で初めてブドウ栽培を行う

 

 

大正5年5月

 

長井尋常高等小学校校章、制定。改築記念事業として

長井線敷設によって移転改築した時の記念事業だった

 

 

大正6年1月16日

 

あやめ公園内の区有林の8割杉を売却、總宮神社維持金に寄付

 

大正6年5月23日

 

第2期長井小学校、大火で類焼 11か所で分散授業

建設工事に取り掛かる

 

大正6年5月23日

 

午後8時頃中道から出火。本町境町で51戸、東部落55戸、中道部落36戸等360棟焼失。小学校も焼失

 

大正6年6月

 

松ヶ池公園に演芸館竣工、昨年の奥羽六県連合共進会の際に建てたものを有志が買い受けたもの。郡内における屈指の劇場成り

昭和49年除却

ひょうたん池西に山形から移築

 

現文翔館敷地内に建設された演芸館 これを移築した右の建物は県会議事堂 

 

 

 

大正6年10月5日

 

山形県特設電話番号簿訂正書

 

大正7年2月22日

 

 

下伊佐沢方面電灯ともる

 

大正7年6月

 

あやめ公園にボンボリ点灯

 

大正7年10月

 

 

 

成田の佐々木貞次と泉屋で乗合型12人乗りの新車購入、長井・荒砥間のバスを運行する

 

 

大正7年

 

 

米沢区裁判所出張所が設置される

 

 

 

大正8年

 

 

宮区有志であやめ公園回りに吉野桜植える

第3期の長井小学校校舎完成

 

 

 

 

大正9年2月27日

 

 

県立長井中学校認可。第一回入学式は4月14日。仮校舎を長井尋常高等小学校に置く。創立開校式は4月15日

大正11年10月15日:全校舎竣工し落成式行う

昭和9年4月1日:第一種及び第二種を併置して実業科には農業を課する

昭和23年4月1日:新制高等学校となり、長井第一高等学校と改称。男女共学

昭和25年4月1日:長井第一高等学校と第二高等学校を統合し、校名を「長井高等学校」と称す。

昭和30年4月1日:長井南高等学校と称す

昭和39年4月1日:長井高等学校と称す

女学校

大正10年4月1日:長井実科高等女学校創立

大正14年4月1日:長井高等女学校

昭和23年4月1日:長井第二高等学校

          (定時制課程併設)

昭和25年4月1日:長井高等学校(統合)

昭和30年4月1日:長井北高等学校

昭和39年4月1日:長井高等学校(統合)

 

大正9年2月1日

 

 

大正8年11月に羽陽館両角製糸所を買い取り、郡是製糸KK長井工場が誕生。操業開始

 

 

 

大正9年6月10日

 

最初の時の記念日

 

大正9年7月11日

 

郡是長井工場焼失。9月には本町に再建。復興地固めとして国技館より横綱大錦栃木山一行

 

 

大正9年7月17日

 

大石沼に鯰養す

大正9年10月1日

 

 

第一回国勢調査。総人口7698万8379人

絵葉書

 

 

 

大正9年

 

消防署が栄町に

庁舎北に火の見櫓。肉眼で見張っていた

 

火の見櫓

 

 

 

大正9年12月15日

 

長井警察署庁舎竣工。境町に。同28日は移転完了した

現山形銀行長井支店南に

 

 

2016.02.15:n-old:[歴史的建造物]

大正の長井 1

  • 大正の長井 1

元禄7年に最上川舟運によって宮舟場が整備されて以来、飛躍的に商人町へと変貌する。明治・大正と時代は変わるが舟運は続く。大正となり、どのように長井は変わっていったか、年譜形式で紹介する。

 

 

 

大正1年9月

 

長井町で古川と松川の間に、町営の屠獣場を造る

 

 

大正1年9月

 

当時の人商広告の一端。 日向屋/霰弾・砥石・板硝子・セメント・万金物・風呂店・和漢書籍・洋服付属品・英米自転車・砂糖・石油・官塩之売捌

 

 

大正1年11月8日

 

長井町の運輸調べ  自動車1台・自転車160台・人力車44台・荷馬車5台・乗合馬車5台・積荷小車360台・川舟13隻・明治運送取扱店鍵屋運送店・内外通運KK社梅津伊利助運送・相沢人力車場

 

 

大正1年11月

 

町内の主な官公署 西置賜郡役所・米沢区裁判所長井出張所・山形県蚕糸業取締所長井支所・長井税務署・長井警察署・長井郵便局・同十日町局・置賜織物同業組合事務所など

 

 

大正1年

 

 

長井軽便線工事着工

 

 

大正1年11月11日

 

山形県織物同業組合連合会品評会・山形県園芸品評会が長井町・長井尋常高等小学校で開催。1週間

 

 

大正2年5月16日

 

 

長井町長に湯原弥三郎(上山出身)

 

 

大正2年8月27日

 

 

長井橋・時庭橋・手ノ子橋・松川橋が河川氾濫で流失

 

 

大正2年10月18日

 

 

赤湯梨郷間軽便鉄道開通。本日試運転。開通祝賀会は26日、宮内で開催

 

 

 

大正2年

 

幾多の移転を経てままの上に「蠶業取締所」が設置された

 

 

 

 

大正2年10月

 

 

本郡の中心で繁盛。旅館として、角万園・森・会津屋・和泉屋・西条屋・長井屋・塩釜屋など

 

角万旅館

 

森旅館

 

長井屋旅館

 

 

 

大正3年3月5日

 

 

あやめ公園が町営となる。面積2反歩くらいであやめも450株植える。宮公園をあやめ公園と命名する

 

 

大正3年3月20日

 

東京上野で大正博覧会開催

 

 

大正3年3月

 

 

 

今上陛下の即位記念事業として、松川沿岸八百余間(最上川左岸)の大堤防に数百本の桜樹を植える。旧堤防南古川橋から長井小学校東までの区間。つつじ公園東の堤防沿いには有志で献木した成木が植えられた

 

大正3年10月3日

 

長井の電気事業計画認可

10月に「長井町電気使用料規則」制定

 

 

 

大正3年11月15日

 

 

大正2年10月18日に赤湯梨郷間6.86kmに鉄道が敷かれ長井軽便鉄道と命名。大正3年11月15日には梨郷長井間11.5kmが開通、11年12月11日長井鮎貝間9.56km、鮎貝荒砥間2.64km、12年4月22日に長井線全線30.5kmが誕生した 

長井駅開業と同時に、長井町に初めて電灯点る

軽便鉄道の開通で最上川舟運が終焉をむかえる

 

開通記念のゲート 奥に長井駅舎が見える

 

多くの人でにぎわった 北側は田圃

 

現中央十字路の風景 右側に時刻表看板と裸電球が下がる

 

長井小学校、着工 5月

町勢要覧より

 

 

 

大正3年

 

 

大吟醸銘酒「小桜」でる

第百廿五銀行長井支店 設置年は不明

大正3年町勢要覧グラビアから

 

 

大正4年3月22日

 

特設電話番号簿

 

大正4年4月

 

外田公園誕生

 

大正4年5月

 

長井小学校校舎落成

第2期の小学校校舎正面 

 

 

 

大正4年9月16日

 

 

大正天皇即位記念御大典記念事業として、川原沢西光寺平5反歩、草岡白山森5反歩に杉苗3000本植栽

 

 

 

大正4年10月25日

 

 

松川橋開通式

 

 

 

大正4年11月12日

 

 

御大典記念事業として西置賜郡図書館を長井駅前に新築。開館

 

1階 物産陳列館内部

 

 

 

大正5年9月

 

荒砥町の有志ら、5人乗りのアメリカの新車購入。長井・荒砥間の定期バスを始める。今の大型ハイヤー

 

 

 

大正5年9月22日

 

 

山形県主催奥羽六県連合共進会開催で長井紬などを出品。10月31日まで。染織物416点、染物11点、図案32点、器具1点出品

当時の絵葉書袋

 

 

 

大正5年12月

 

長井大橋竣工式

2016.02.10:n-old:[歴史的建造物]

長井の明治 5

  • 長井の明治 5

元禄7年(1694)に最上川舟運によって宮舟場が設置されて以来、飛躍的に商人町へと変貌した江戸時代。明治に入りどのように長井は変わっていったか、年譜形式で紹介する。

 

治40年5月

 

 

 

竹田嘉蔵、点字講習所を始める。明治43年4月8日、私立置賜盲学校となる。普通科と技芸科に分かれ、生徒15人。外の郡よりも入学した。大正5年3月30日に閉鎖

長井小学校校舎東に整備 写真右側

 

明治40年5月23日

 

 

 

成田尋常高等小学校、五十川高等小学校、開進尋常高等小学校が合併。五十川山口東(5反7畝5歩買収)に新校舎を建設。成田・五十川・白兎の三大区を一学区とする

 

 

明治41年2月1日

 

 

長井十日町郵便局(無集配)を分設。場所は小桜酒造道向かい

 

 

明治41年5月

 

二重坂改修

明治41年

 

 

この年から3年計画で、松ヶ池公園の東西に築山を整備。東、南、西に堤も築かれ区画も方形となる

宮公園の絵葉書

宮公園は明治40年の創始

 

 

明治42年4月1日

 

米沢高等工業学校(現山大)創立

 

明治42年4月6日

 

最上川大洪水

 

明治42年8月10日

 

白川大出水、天坪道路決壊

 

明治42年8月

 

羽陽館川村製糸工場倒産

 

明治42年10月

 

この頃、小出高砂町、尾上町、松ヶ坂技町が誕生

 

明治43年4月2日

 

長井商工会の前身できる。理事長は横山孫助、理事竹田清五郎、書記立原和愛

 

明治43年4月

 

本郡紬織物同業組合を置賜紬織物同業組合に改める

 

明治43年

 

七兵衛つつじを全てもらい受け、白つつじの名所として「つつじ公園」の名を用いるようになる

 

明治43年5月

 

伊佐沢小学校で父兄参観日を設ける

 

明治43年

 

宮公園下に金田勝見が経営する茶屋のわきにあやめ(花菖蒲)を植えた。あやめ公園の創始

 

明治43年8月27日

 

長井町長に湯原弥三郎(上山出身)

 

明治43年11月11日

 

長井町に電話開通。電話交換業務開始(電柱100本建つ)

明治43年12月5日

 

 

長井町内に、51箇所に特設電話が架設された。

本町通り

 

明治44年3月

 

電話番号簿発行(ガリ版刷り)

明治44年6月1日

 

 

初代郡会議事堂を置賜紬織物同業組合が買い上げ事務所にする

門柱に同業組合の文字が

 

 

治44年5月24日

 

十日町より出火、24戸焼失

 

明治44年10月

 

西置賜郡会議事堂落成式 

明治44年度

 

 

西置賜郡会議事堂、特別会計で。設計費は150円。初代郡会議事堂の売却金も充てる。売却先は「置賜織物同業組合」に、6月に入居し、初代は模様替えと増築がなされた。大正12年の郡制廃止まで事務所として活用、以降組合は、旧西置賜郡立図書館・物産陳列館を譲り受け移転。初代郡会議事堂は、荒砥繭市場の建物として買い取られた。その場所には昭和4年、長井税務署の建物が新築された

当時の絵葉書

 

 

右に郡会議事堂、中に郡役所、奥に初代の郡会議事堂(置賜紬織物同業組合に払い下げ)

 

 

明治45年3月15日

 

長井自動車共栄会設立

 

明治45年4月

 

乗合馬車が長井・荒砥間、長井・手ノ子間を走る

 

明治45年4月

 

長井自動車共栄会を設ける。横浜よりフォード一台購入。当時鶴岡にしかなかった。赤湯・長井間を走る

 

明治45年5月8日

 

日刊米沢新聞刊行

 

 

2016.02.08:n-old:[歴史的建造物]

長井の明治 4

  • 長井の明治 4

元禄7年(1694)に最上川舟運によって宮舟場が設置されて以来、飛躍的に商人町へと変貌した江戸時代。明治に入りどのように長井は変わっていったか、年譜形式で紹介する。

 

明治30年3月15日

 

 

 

 

両羽銀行長井出張所が宮十日町635番地(第八十一国立銀行長井出張所内)に出張所を開設、同年4月1日開業。6月30日、第八十一国立銀行廃止に付き同所の業務を引き継ぐ。両羽銀行長井出張所が明治33年11月6日、十日町560番地に移転。明治34年8月1日、両羽銀行長井支店と改称する。大正15年9月25日に境町東2 428・429・430番地に新築移転する。(明治29年4月14日、山形に株式会社両羽銀行が創立)

 

 

明治30年4月

 

 

大山大将「義勇奉公」と揮毫する日清戦争記念碑建つ。高さ4.70メートル、吉野産の花崗岩。征清碑の選文は東宮待講三島殻修書は巌谷修なり。

 

現在も見ることができる 石碑の北東から

 

 

 

明治30年10月27日

 

 

株式会社長井銀行が長井市小出2458番地に資本金6万円で設立。明治37年11月にあら町(現越後屋呉服店北)に移転。昭和8年8月11日に羽陽銀行に買収される

 

 

 

 

 

明治30年11月

 

 

西置賜郡役所主催で、郡会議事堂において物産品評会開催

 

 

 

 

明治31年3月15日

 

佐々木宇右衛門、衆議院議員に当選

 

明治31年5月24日

 

 

菅原白龍死す(享年66歳)。後に、長井へ移送され時庭正松寺に埋葬される

 

明治31年6月

 

 

蚕種検査法制定により長井養蚕検査所本町におく。39年宮舟場に、39年更に郡会議事堂、41年十日町クラブ、45年蚕業取締所と改称、大正2年本町裏東町通りに移る

 

明治32年5月15日

 

福島・米沢間に鉄道開通。当日開通式

 

明治32年7月19日

 

西置賜地方大洪水

 

明治32年

 

横山孫助、製糸講習所を設立

 

明治33年

 

山形に電気ひかれる

 

明治33年4月21日

 

赤湯駅開業

 

明治33年4月

 

この頃の長井町の人力車50台。車夫70人を越える。宿場は大町相沢、館町枡形と二軒あり

 

明治33年12月11日

 

長井町長に、たたら信行(米沢市笹岡町)

 

明治34年3月

 

県立置賜農学校を小松町に創設

 

明治34年4月11日

 

 

奥羽本線山形まで開通。(全線開通は明治38年)福島山形間奥羽南線つながる

 

明治34年5月3日

 

午後2時、今泉で大火。43戸焼失

 

明治34年7月1日

 

ノーベル賞が創設

 

明治34年8月1日

 

両羽銀行長井出張所が長井支店に昇格

 

明治34年10月

 

 

宮公園入口に階楽館建つ。別名「長井座」。廻り舞台、桟敷あり、平間には枡区切りあり。上演するのは「石見重太郎」「八百屋お七」「玄蔵門破り」など実演した

明治34年10月7日

 

 

長井村で役場と小学校の位置に関して村民の間に軋轢が起こり、成田の区民220名、五十川に新築した村役場を襲って焼亡する

 

               

 

 

明治35年8月8日

 

 

〆切堤防100間余決壊

 

明治35年9月

 

 

郡警を長井警察署と改めた。大正9年12月大町より栄町に移る

 

明治35年10月21日

 

奥羽本線秋田・青森間開通

 

明治36年8月7日

 

〆切堤防全壊(明和7年構築)

 

明治36年6月2日

 

 

竹田清五郎が西置賜郡紬織物同業組合をつくる。設立総会は、郡会議事堂

 

明治37年8月

 

長井大橋(木橋)完成

 

明治37年10月14日

 

自転車所有御届

 

明治38年4月1日

 

 

 

小出法讃寺内に私立置賜図書館を開く。10部門にわけ、1073冊の外、大蔵経360冊、郡書類従665冊、その他多数の書籍を蔵する。後に洗心書院と改称する

 

明治38年4月1日

 

 

伊佐沢全村の和合のため、上下の学校を合併し、翌年に新校舎を現在地に建設する伊佐沢村の小学校を統合し伊佐沢小学校とする

 

 

明治38年7月10日

 

長井小学校に実習補習学校を附属する

 

 

明治38年8月1日

 

 

前月からの豪雨で白川・野川大氾濫。浸水600戸、死者4人、野川堤防流失

 

明治38年9月15日

 

奥羽線全線開通

明治38年10月

 

 

 

羽陽軒川村製糸場が長沼惣右エ門経営となり、長井製糸場と改称。

大正に入ると、横浜の生糸問屋渡辺文七の所有となり、やがて信州富国館製糸の両角慶一の手に移り、羽陽館両角製糸場に。大正8年11月に、郡是製糸が買収、大正9年2月に工場が竣工、2月1日に操業開始した。

 

明治38年11月30日

 

 

 

 

西置賜郡(二町十五カ村)招魂碑小出公園東南の森正面にたつ。碑は、青銅砲身形に山形之師の題字を刻む。周辺を鉄柵で囲む。造工事費2324円27銭。関係町村が国県税所得税戸数割の三等分(二回分納)。納入9月下旬、落成11月秋季皇霊祭に招魂祭を行う。合わせて、周りにケヤキ・マツ・スギ・イチョウ・ヒノキを植え、五訓の森を造成

松ケ池公園南東角に 五訓の森に今は白龍碑が

 

 

 

明治38年11月

 

本郡紬織物同業組合主催の第1回西置賜郡紬織物品評会

明治39年11月3日

 

 

明治天皇昭憲太后のご尊影下賜せらる。学童と伊佐沢村の職員が松川橋まで出迎え拝戴式(はいたいしき)を行う

 

 

明治39年12月15日

 

年賀郵便取扱制度を創設

2016.02.04:n-old:[歴史的建造物]