読みもの長井物語

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元禄7年(1694)に最上川舟運によって宮舟場が設置されて以来、飛躍的に商人町へと変貌した江戸時代。明治に入りどのように長井は変わっていったか、年譜形式で紹介する。

 

明治30年3月15日

 

 

 

 

両羽銀行長井出張所が宮十日町635番地(第八十一国立銀行長井出張所内)に出張所を開設、同年4月1日開業。6月30日、第八十一国立銀行廃止に付き同所の業務を引き継ぐ。両羽銀行長井出張所が明治33年11月6日、十日町560番地に移転。明治34年8月1日、両羽銀行長井支店と改称する。大正15年9月25日に境町東2 428・429・430番地に新築移転する。(明治29年4月14日、山形に株式会社両羽銀行が創立)

 

 

明治30年4月

 

 

大山大将「義勇奉公」と揮毫する日清戦争記念碑建つ。高さ4.70メートル、吉野産の花崗岩。征清碑の選文は東宮待講三島殻修書は巌谷修なり。

 

現在も見ることができる 石碑の北東から

 

 

 

明治30年10月27日

 

 

株式会社長井銀行が長井市小出2458番地に資本金6万円で設立。明治37年11月にあら町(現越後屋呉服店北)に移転。昭和8年8月11日に羽陽銀行に買収される

 

 

 

 

 

明治30年11月

 

 

西置賜郡役所主催で、郡会議事堂において物産品評会開催

 

 

 

 

明治31年3月15日

 

佐々木宇右衛門、衆議院議員に当選

 

明治31年5月24日

 

 

菅原白龍死す(享年66歳)。後に、長井へ移送され時庭正松寺に埋葬される

 

明治31年6月

 

 

蚕種検査法制定により長井養蚕検査所本町におく。39年宮舟場に、39年更に郡会議事堂、41年十日町クラブ、45年蚕業取締所と改称、大正2年本町裏東町通りに移る

 

明治32年5月15日

 

福島・米沢間に鉄道開通。当日開通式

 

明治32年7月19日

 

西置賜地方大洪水

 

明治32年

 

横山孫助、製糸講習所を設立

 

明治33年

 

山形に電気ひかれる

 

明治33年4月21日

 

赤湯駅開業

 

明治33年4月

 

この頃の長井町の人力車50台。車夫70人を越える。宿場は大町相沢、館町枡形と二軒あり

 

明治33年12月11日

 

長井町長に、たたら信行(米沢市笹岡町)

 

明治34年3月

 

県立置賜農学校を小松町に創設

 

明治34年4月11日

 

 

奥羽本線山形まで開通。(全線開通は明治38年)福島山形間奥羽南線つながる

 

明治34年5月3日

 

午後2時、今泉で大火。43戸焼失

 

明治34年7月1日

 

ノーベル賞が創設

 

明治34年8月1日

 

両羽銀行長井出張所が長井支店に昇格

 

明治34年10月

 

 

宮公園入口に階楽館建つ。別名「長井座」。廻り舞台、桟敷あり、平間には枡区切りあり。上演するのは「石見重太郎」「八百屋お七」「玄蔵門破り」など実演した

明治34年10月7日

 

 

長井村で役場と小学校の位置に関して村民の間に軋轢が起こり、成田の区民220名、五十川に新築した村役場を襲って焼亡する

 

               

 

 

明治35年8月8日

 

 

〆切堤防100間余決壊

 

明治35年9月

 

 

郡警を長井警察署と改めた。大正9年12月大町より栄町に移る

 

明治35年10月21日

 

奥羽本線秋田・青森間開通

 

明治36年8月7日

 

〆切堤防全壊(明和7年構築)

 

明治36年6月2日

 

 

竹田清五郎が西置賜郡紬織物同業組合をつくる。設立総会は、郡会議事堂

 

明治37年8月

 

長井大橋(木橋)完成

 

明治37年10月14日

 

自転車所有御届

 

明治38年4月1日

 

 

 

小出法讃寺内に私立置賜図書館を開く。10部門にわけ、1073冊の外、大蔵経360冊、郡書類従665冊、その他多数の書籍を蔵する。後に洗心書院と改称する

 

明治38年4月1日

 

 

伊佐沢全村の和合のため、上下の学校を合併し、翌年に新校舎を現在地に建設する伊佐沢村の小学校を統合し伊佐沢小学校とする

 

 

明治38年7月10日

 

長井小学校に実習補習学校を附属する

 

 

明治38年8月1日

 

 

前月からの豪雨で白川・野川大氾濫。浸水600戸、死者4人、野川堤防流失

 

明治38年9月15日

 

奥羽線全線開通

明治38年10月

 

 

 

羽陽軒川村製糸場が長沼惣右エ門経営となり、長井製糸場と改称。

大正に入ると、横浜の生糸問屋渡辺文七の所有となり、やがて信州富国館製糸の両角慶一の手に移り、羽陽館両角製糸場に。大正8年11月に、郡是製糸が買収、大正9年2月に工場が竣工、2月1日に操業開始した。

 

明治38年11月30日

 

 

 

 

西置賜郡(二町十五カ村)招魂碑小出公園東南の森正面にたつ。碑は、青銅砲身形に山形之師の題字を刻む。周辺を鉄柵で囲む。造工事費2324円27銭。関係町村が国県税所得税戸数割の三等分(二回分納)。納入9月下旬、落成11月秋季皇霊祭に招魂祭を行う。合わせて、周りにケヤキ・マツ・スギ・イチョウ・ヒノキを植え、五訓の森を造成

松ケ池公園南東角に 五訓の森に今は白龍碑が

 

 

 

明治38年11月

 

本郡紬織物同業組合主催の第1回西置賜郡紬織物品評会

明治39年11月3日

 

 

明治天皇昭憲太后のご尊影下賜せらる。学童と伊佐沢村の職員が松川橋まで出迎え拝戴式(はいたいしき)を行う

 

 

明治39年12月15日

 

年賀郵便取扱制度を創設


2016.02.04:n-old:count(301):[メモ/歴史的建造物]
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