古写真から情報を読み取ります。長井の昔を楽しんでください。「長井市文教の杜」に保管している古写真のコレクションを紹介します。
旧郡会議事堂のことは、旧郡役所とも幾度もでてきたが、旧郡会議事堂ができる前の「初代郡会議事堂」のことは、あまりわからなかった。写真も見つかっていなかった。
大正3年に発行された「町勢要覧」のグラビアに「置賜織物同業組合事務所」として掲載されていた写真があった。洋館である。そして、同じ町勢要覧に地図(略図)がついているが、現在の文教の杜のところに、「織物事務所・郡役所・郡会議事堂」の表示がある。
この地図の「織物事務所」こそ「置賜織物同業組合」の事務所ではないか、と考えた。これまで謎だった初代郡会議事堂がわかるかもしれない。要覧のグラビアの置賜織物同業組合事務所の写真には、これまで見たことのない洋館が写っていた。
要覧のグラビアページ
もしこれが初代郡会議事堂であるならば、長井市史によれば6間・10間の洋館。人の背丈から見ると、サイズ的には合致している。郡役所は15間・4.5間。郡役所は東側から見ると横長だが、初代郡会議事堂は縦長ということになる。
町勢要覧は「立原和愛・加藤数馬」が発行、大正3年というと長井駅が開業した年で記念に作られたものだ。その中に添付されている地図を下に示す。
宮地区の部分図
現在の文教の杜部分拡大図。今は郡役所しか残っていない
当時は、洋館が3棟並んで建ってたのだろう。全景写真も残っている。
北側手前が郡会議事堂、真ん中が郡役所、そしてその南に初代郡会議事堂(屋根の部分が写っている)。堂々とした風景だったにちがいない。それぞれの写真は以下のとおり。初代郡会議事堂は、以下の資料から推定したもの。
新郡会議事堂
西置賜郡役所
上記写真の左部のアップ。下記写真の北面が写っている
置賜織物同業組合事務所:初代郡会議事堂
このように、洋館が3棟並んでいた。初代の郡会議事堂のバルコニーには屋根がかかり、窓は郡役所と同じ上げ下げ式。
この3棟に関することが長井市史に載っている。抜粋して下記に記す。
■西置賜郡役所 明治11年11月に落成 12月1日に開業式
勧進代獅子踊・河原沢村神楽
明治11年11月23日~29日 一般観覧許す
■郡会議事堂(初代)に附属する土蔵 建築落成 明治17年度
■議場建築(初代) 明治20年度 梁間六間、桁間十間、二階造西洋風の造作。予算千円
■新郡会議事堂建築案まとまる 明治44年 特別会計で
初代議事堂の売却金も充てる
議事堂建設設計費として150円
議事堂新築
その時の建議書は下記のとおりだ。
建議書
一、 明治四十四年度に於いて西置賜郡会議事堂を改築せらん事を望む
理由
本郡会議事堂は建設以来、年所を経て大に腐朽頽廃(たいはい)の状を呈せるのみならず、旧式の建築なるを以って、其の設計宜(よろ)しきを得ず、実際の不便甚だ少なしとせず。且(か)つ堂狭隘にして、多数の公会に適せざるの憾(うらみ)あり。
随(したがっ)て郡会益に至大の関係ある教育、勧業等、各種の品評会、展覧会等を開催する場合の如き、之を利用するの便益を得ること能(あた)わず。其の結果、郡事業の発展を沮碍(そがい)するに至るなきことを保せず。
今や社会の趨勢は、益々之に応ずべき相当施設を為する最も緊要なるを認むるに依り、明治四十四年度に於いて、郡有苗圃地を該敷地に充用し、以上の欠陥を補うにるべき、相当設計の下に、比較的完全なる議事堂を建築せられん事を望む。
即ち当局者は速かに郡会議事堂建築に要する具体的成案を作り、其予算を郡会に附議せられ度(た)し。而(しか)して其経費支弁の方法は、之を特別会計となし、郡蓄積金及び中学校設備積立金を、其歳入に繰入れ、以て郡財政の調和を得せしむることとし、之が工事は、年度開始と共に成る可(べ)く速やかに着手して、本年冬期前に竣工を告げしめ度く、又、在来の議事堂は、改築予算の成立と同時に、随時契約を以て、郡公益に関係ある置賜織物同業組合へ、相当価格にて、特売するの提案を発せられんことを望む。
右郡会の決議に依り、建議候也
明治四十四年二月八日 西置賜郡会議長 菅 四郎兵衛
西置賜郡長 武石速水 殿
建議書は直ちに採択され、新郡会議事堂は明治44年10月に完成した。
■置賜紬織物同業組合のこと
西置賜郡紬織物同業組合 認可 明治35年12月 設立総会は明治36年6月2日郡会議事堂で
置賜織物同業組合に改名 明治43年4月
置賜織物同業組合終わる 企業整備令により 昭和16年12月
西置賜郡立図書館・物産陳列館 大正4年11月12日に開館
現在の中村循環器科医院あたりに。郡制廃止後、置賜織物同業組合の事務所に。戦後中央会館の建物に
郡区町村編成法は明治11年7月22日
■長井紬(本場米琉)の歴史 川村吉弥 著 発行:昭和50年8月31日
織物組合事務所のところを抜出し、そのまま記述する。
組合事務所
置賜織物同業組合が初めてつくられたのは、明治36年9月のことであるが、創設当時の事務所は当然のことながら間借りの借家住まいだった。その場所は長井市小出本町で、森旅館すなわちいまの末広の向かいであった。つまり今の竹田市太郎さんの場所に当たる。
次には同じ本町で故佐藤門右衛門さんの店先を借りて移った。もとの郵便局今の山形殖産相互銀行の向かいの家だ。今はオリエンタル電器店というようだ。
そこも移らなければならなくなったので、今度は長井町役場といっても今は小野医院の向かいの小松安兵エさんの家に引っ越した。これで三度変わったわけだが、今度は相当長くおられる所というので宮境町(栄町)446番地大木周益医院を貸してもらって移った。それは明治43年1月1日のことだ。今は置賜石油のスタンドに変わったけれど。
ところが、明治44年に郡役所の南にならんでいた郡会議事堂が、北側に新築されて不要になったので払下げられることになった。組合としては自分の事務所を必要としていたし、事務量も多くなったし、染色試験室や標本室も必要になっていたから、どうしてもこれを組合事務所として買受けたいのであった。さいわい組合も基礎もようやく固まっていたので、これの払下げを受けて移った。組合の機関雑誌置賜染色界の第三巻第一号(明治44年9月)の表紙裏に次のような公告を出した。
今般本組合事務所用として長井町大字宮千百二十二番地に建設しある旧西置賜郡会議事堂を譲受け本年六月一日より同所に移転して組合事務所を取扱う。追て目下起工中の庁舎内部の模様替並付属建物増築工事竣工の上は、事務所階上に工芸品陳列場を常設して公衆の縦覧に供す可(べ)し。
ここに移ってから組合の事務は極めて円滑にまた活発に行われた。この建物(初代郡会議事堂)は大正12年にまた移転したので大友惣八の世話で荒砥繭市場の建物に買い取られていった。
概観すると、初代郡会議事堂は、明治20年度に郡役所南側に新築されたが、老朽化のため明治44年、郡役所北側に二代目として新築された。初代郡会議事堂は同年に置賜織物同業組合に売却、その6月には事務所として入居している。庁舎内部の模様替えと増築を行っている。郡制廃止の大正12年に同業組合は現在の中村循環器科医院あたりにあった「西置賜郡立図書館・物産陳列館」に移る。それまで同組合事務所として使用していた初代郡会議事堂は荒砥繭市場の建物に買い取られ、長井からその姿を消した。初代郡会議事堂があった場所に長井税務署が新築された。その年は昭和4年3月10日のことである。
威風堂々としたこれらの洋館、長井に電気が通ずる大正3年までは相当暗かったに違いない。初代郡会議事堂では多くの催しが行われたが、暗くて困ったことが長井市史に載っている。