HOME > 記事一覧

ながいまちなみ物語 33 山交十字路東側

  • ながいまちなみ物語 33 山交十字路東側

まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。

 

 

山交十字路の「すゞや」から東方を撮影。昭和33年11月以降、昭和34年11月以前である。現在の中央タクシー車庫の蔵屋根が一部左側に見える。その奥に銭湯、そして「長井運送株式会社」があった。上部に見える四角の煙突は新市庁舎。市庁舎落成は昭和33年11月3日、道路舗装は昭和34年11月のこと。

 

2014.12.18:n-old:[歴史的建造物]

ながいまちなみ物語 32 昭和33年の中央十字路付近

  • ながいまちなみ物語 32 昭和33年の中央十字路付近

まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。

 

 

昭和33年11月4日、消防署火の見櫓から山交十字路(現在の中央十字路)を撮影した写真。新市庁舎の落成を記念して自衛隊が行進した。十字路に立つゲートは昭和30年がスタート。右側は小西屋かもしれない。写っていないが、右手前は現在もある丸や、香文閣と続く。左下にストウヤ呉服店。整然としていた。

 

2014.12.17:n-old:[歴史的建造物]

長井古写真物語 84 手作りのポスター

  • 長井古写真物語 84 手作りのポスター

古写真から情報を読み取ります。長井の昔を楽しんでください。「長井市文教の杜」に保管している古写真のコレクションを紹介します。

 

昭和37年5月のこと。今泉の駐在巡査が手書きの交通安全ポスターをつくり、店先に貼った。その数35枚。春の交通安全運動の周知ポスターだが、印刷したものより目立つかもしれない。「人は右、車は左」「徐行徐行と自動車、バイク」と標語を入れ、それぞれの商店名まで入れてある。なかなかいい。長井で初めて信号機が設置されたのは山交十字路、現在の中央十字路であった。昭和37年9月のこと。交通ルールの基本的なことを市報で必死にPRしていた。鉄道の踏切に警報機を設置するのもこの時期からである。

2014.12.16:n-old:[歴史的建造物]

長井古写真物語 83 戸籍事務に複写機登場

  • 長井古写真物語 83 戸籍事務に複写機登場

古写真から情報を読み取ります。長井の昔を楽しんでください。「長井市文教の杜」に保管している古写真のコレクションを紹介します。

 

 

昭和32年7月には戸籍発行に複写機がお目見え。「今まで皆さんが戸籍謄本を必要な場合、市役所の窓口で長時間待っていただきましたが、複写機を購入、ほんの短時間のうちに出来上がり、いままでのようなご迷惑をかけなくてもよくなりました」と市報で紹介している。市役所で初めての複写機導入。そのまま、写るんだどー。驚きが目に浮かぶようだ。

2014.12.15:n-old:[歴史的建造物]

長井古写真物語82 市章公募

  • 長井古写真物語82 市章公募

古写真から情報を読み取ります。長井の昔を楽しんでください。「長井市文教の杜」に保管している古写真のコレクションを紹介します。

 

市章の図案を公募。昭和30年6月のことである。昭和29年11月15日に新生・長井市が誕生したが市章はまだ無かった。「ふるつてご應募ください」と市報で大々的に呼びかけた。賞金は一等が5千円、二等が千円、佳作が商品となっている。締め切りは7月15日で、385点の図案が寄せられた。その図案が貼り出されたのが写真だ。審査風景かもしれないが、さだかではない。

1等賞には「長井市横町 大沼喜三郎氏」。その図案が下記の写真だ。

 

 

昭和30年9月25日発行の市報に掲載された。以降、駅前道路に整備された歓迎ゲートにも採用されたが、市章にはならなかった。その理由の記載はないが、その8年後、長沼孝三氏によるデザインの現在の市章が制定された。合併後9年後のことである。

2014.12.12:n-old:[歴史的建造物]