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昭和の長井 5

  • 昭和の長井 5

元禄7年(1694)に最上川舟運によって宮舟場が設置されて以来、飛躍的に商人町へと変貌し、。大正期を経て昭和に入る。舟運で培ったエネルギーが昭和となり、どのように長井は変わっていったか、年譜形式で紹介する。

 

 

昭和20年8月15日

 

終戦

 

昭和20年9月1日

 

国民学校再開

 

昭和21年1月8日

 

長井町東京芝浦製作所長井工場(マルコンの前身)全焼

 

昭和21年1月15日

 

市内各学校、天皇の御真影を奉還。5月奉安殿撤去

 

昭和21年1月19日

 

NHKのど自慢放送開始

 

昭和21年2月

 

 

日本蚕糸製造株式会社が、元の郡是製糸長井工場に戻る

 

 

昭和21年10月9日

 

文部省、男女共学の実施を指示

 

昭和21年11月7日

 

長井町会条例を制定

 

昭和21年

 

創画会発足

 

昭和22年3月31日

 

 

教育基本法・学校教育法公布

 

昭和22年4月1日

 

義務教育の六・三制発足、国民学校の名を小学校に復旧

 

昭和22年4月5日

 

初の公選、長井町長に斉藤弥助

 

昭和22年5月25日

 

海外引揚者住宅に充てるため十日町に新生寮建設

 

昭和22年7月

 

オキタマ新聞発刊

 

昭和22年8月5日

 

天皇、東北巡幸。3日間にわたり山形県下を巡幸

 

昭和22年8月11日

 

簡易裁判所創設(小出青年学校校舎提供)

 

昭和22年8月

 

長井新聞発刊

 

昭和22年8月

 

 

つつじ公園地均しに着手。あやめ公園も明春復活の予定

 

 

昭和22年8月

 

協同薬品工業株式会社設立

 

昭和22年10月6日

 

当用漢字音訓・当用漢字別表を発表

 

昭和22年10月16日

 

長沼孝三、日展に「スタイル」出品。後に長井小学校に寄贈

 

昭和22年11月19日

 

農業協同組合法公布、12月15日施行

 

昭和23年1月1日

 

新戸籍法・新郵便法施行

 

昭和23年1月11日

 

 

自治体警察発足

自治体警察庁舎。現在の市役所第2庁舎、旧商工会館の場所

 

 

昭和23年2月15日

 

長井ジーフ発刊。立原和一

 

 

昭和23年3月1日

 

あやめ公園整備。あやめを明治神宮・安行等から分譲。橋や水路の復興始まる。東京の北村徳太郎の設計により、県・国の補助80万円で、失業対策事業として始める。

 

 

昭和23年6月

 

あやめ復興祭開かれる。

栄町、料亭三清前の看板

 

野川堤防沿いの桜も植えられる

現あやめ公園北駐車場側堤防

 

 

 

昭和23年3月15日

 

 

学校制度、新制高校を入れて六三三制発足につき、新制長井中学校校舎新築

 

 

昭和23年4月

 

伊佐沢村、西置賜郡に編入

 

 

 

 

昭和23年4月

 

 

 

長井市中央保育園の前身、顕桜会が主体となり私設幼稚園として開設。

昭和26年6月:長井町宮保育所として開設認可。長井町小出1614に移転開所

昭和29年11月:長井市保育園と改称

昭和39年8月:新築落成

昭和49年3月:清水保育園の新設により、長井市中央保育園と改称

 

 

 

 

昭和23年7月15日

 

教育委員会法公布施行

 

昭和23年6月

 

 

文化協会が発足。アメリカ映画上映

 

昭和23年9月15日

 

豪雨により松川橋流失

 

昭和23年9月22日

 

長井町国民健康保険条例制定

 

昭和23年10月20日

 

長沼孝三、日展に「おとめ」出品。後に「少女」と改題し、昭和30年長井北校校に寄贈

 

昭和24年1月1日

 

官公庁の勤務時間週48時間制実施。家庭裁判所発足

 

 

 

昭和24年

 

 

平野小学校の分校として、桂谷分校設立。昭和39年8月31日で廃校。子供がいなくなったため。

 

 

 

昭和24年6月4日

 

 

野川ダム起工式並びに同協力会発会式を長井町で挙行

 

 

昭和24年7月25日

 

 

栄町新栄町にスズラン灯点火

 

昭和24年8月8日

 

総天然色映画「若草物語」長井映画劇場で3日間上映

 

昭和24年8月

 

東芝長井工場が東芝から分離することが決定

 

昭和24年8月15日

 

長井町内4箇所で、戦後初めて盆踊り復活。

 

昭和24年11月1日

 

対面交通(車は左、人は右)実施。

 

昭和24年11月3日

 

長井簡易裁判所庁舎成る

 

 

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昭和の長井 4

  • 昭和の長井 4

元禄7年(1694)に最上川舟運によって宮舟場が設置されて以来、飛躍的に商人町へと変貌し、。大正期を経て昭和に入る。舟運で培ったエネルギーが昭和となり、どのように長井は変わっていったか、年譜形式で紹介する。

 

 

昭和15年

 

支那事変貯蓄債権・金15円

 

 

昭和15年1月7日

 

 

長井町が内務省の最上川上流改修工事の附帯事業として、日本電興長井工場の敷地埋め立て工事を要請し、その負担金として町で2万5千円支出

 

 

 

 

 

 

昭和15年2月11日

 

 

桑島五郎、「大楠公銅像」を長井小学校奉安殿前に寄贈

昭和32年5月3日に設置された「慈愛の像」だが、 この台座の上に「大楠公銅像」が設置されていた。台座は上下逆になっている

 

 

 

昭和15年4月22日

 

生活必需物資配給、切符制となる

 

昭和15年5月1日

 

 

長井小学校玄関前に「大松」樹長8m、重量1500貫を植える

 

現在の正面前の松の木

 

 

昭和15年

 

 

第1校舎前に樹木植栽、グラウンド廻りにプラタナス植栽

長井小学校校歌制定

 

 

 

 

 

昭和15年

 

 

 

長沼孝三、あやめポスター制作する

 

 

 

昭和15年7月6日

 

長井保健所落成

 

昭和15年8月1日

 

羽前銀行、両羽銀行(現山形銀行)に合併

 

昭和16年1月18日

 

町道認定 館町路線450m、四ツ谷路線165m

 

昭和16年3月1日

 

 

国民学校令が公布され、4月1日から小学校は国民学校と改称

 

 

昭和16年

 

 

長沼孝三、あやめポスター制作する

 

 

 

昭和16年9月2日

 

 

 

東京芝浦電気長井工場建設の地固め興行として、東京大角力双葉山、羽黒山等一行を迎える。そこに通ずる新道(境町西新道)も双葉山に踏み固めてもらう。

 

 

昭和16年9月

 

置賜織物同業組合終わる。企業整備令により

 

昭和16年11月1日

 

羽陽銀行が両羽銀行に合併

 

昭和16年11月

 

 

東京芝浦電気(株)が「マツダ支社長井工場」を設立。あやめ公園の一隅にあった民家を借りて、電解コンデンサの試作を開始

 

 

 

昭和17年2月24日

 

 

町議会は、長井町役場庁舎改築を議決(明治27年の建築で腐朽狭隘のため)

 

 

昭和17年6月8日

 

 

長井国民学校校舎、木造二階建て一棟新築決定(4万5千円)

 

 

昭和17年7月10日

 

 

あやめ公園と高台を町内会に貸付て馬鈴薯、野菜畑となる。つつじ公園も

 

 

昭和17年7月1日

 

 

旧郡役所を西置賜地方事務所として使用。昭和57年3月31日まで41年間。西置賜地方事務所設置

 

 

昭和17年8月

 

 

東芝長井工場が創業、コンデンサ・半導体等関連工場が設立。9月25日に開場式

 

 

 

昭和17年9月

 

 

東京電器(株)山形工場、工場が完成し、東京芝浦電気(株)マツダ支社長井工場(東芝長井工場)が本格的に操業を開始する

 

 

昭和17年11月20日

 

東北配電株式会社と長井町電気事業の統合契約締結。長井町営電気廃止。

 

昭和17年12月19日

 

長井航空工業株式会社(今回設立)、株式を2万円長井町で引き受けること決定

 

昭和18年1月31日

 

 

町電気事業、昭和17年の企業整備令公布のため廃止を議決

 

 

昭和18年2月24日

 

 

町道認可 登城町地方事務所線30m、坊中県社前線138m、館町下中学校線235m、片田常楽院線655m、境町西三号線103m

 

 

昭和18年5月22日

 

東五十川大火

 

昭和18年5月28日

 

長井町長に長沼惣右エ門当選

 

昭和18年6月25日

 

県立長井中学、神町飛行場・小国電興に学徒動員

 

昭和18年7月2日

 

町道認定 館町末広町北線390m

 

 

 

 

 

 

昭和18年7月15日

 

 

 

西置賜郡招魂碑、金属回収供出のため壮行式。9月4日に撤去

 

 

 

昭和18年7月30日

 

県立長井高女、大船に女子学徒動員

 

 

 

昭和18年10月25日

 

 

東京方面から学童疎開続々。 町道認定 田端谷地橋線1073m

写真は丸大扇屋の疎開

 

長井小学校。芋ほり

 

 

 

昭和18年11月

 

 

郡是製糸長井工場が、企業統制によって日本蚕糸製造株式会社に

 

 

昭和19年1月14日

 

長井町常備消防設置を議決(10名)

 

昭和19年8月

 

 

金井神山で松根油採取始まる。町内各地で防空壕掘り、家の蔵の白壁を染める

 

 

昭和19年8月10日

 

歌丸金鐘寺焼失

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昭和の長井 3

  • 昭和の長井 3

元禄7年(1694)に最上川舟運によって宮舟場が設置されて以来、飛躍的に商人町へと変貌し、。大正期を経て昭和に入る。舟運で培ったエネルギーが昭和となり、どのように長井は変わっていったか、年譜形式で紹介する。

 

 

昭和10年5月29日

 

県の奨励方針に基き長井町に給食農繁期託児所を設置

 

 

 

 

昭和10年6月25日

 

 

 

長井小唄「恋の雪洞り」とあやめ踊り発表、東海林太郎アトラクションを演芸館で開催

菊水館前のPR風景

 

 

 

 

 

 

昭和10年

 

 

あやめ公園に滝と築山を造成

 

 

 

 

昭和10年

 

長井紬の大柄物、「本場米琉」と統一

 

昭和10年ごろ

 

日本電興(株)の長井町誘致に動き出す(現ケミコン)

 

昭和10年11月17日

 

松ヶ池公園演芸館で、福助足袋提供の演芸会

 

昭和10年11月17日

 

東海林太郎、長井写真館で撮影

左から作詞の浦季子、中央は企画の青木庄吉、右は歌手の東海林太郎

 

 

 

昭和11年

 

昭和11年農業雇人賃金協定表

 

昭和11年1月

 

「道路の雪踏みについて」長井町役場より通達

 

昭和11年2月9日

 

長井町職業紹介所を町役場内に設置

 

昭和11年2月29日

 

町道認可郡是南道路364m、南台道路340m

 

昭和11年3月9日

 

長井駅舎改築祝賀式挙行

町勢要覧から

 

 

昭和11年4月17日

 

 

町道認可 旧校地外囲線334m、旧校地南中線90m、旧校地北中線88m

 

 

昭和11年5月20日

 

 

 

長井小学校土盛工事完了。昭和7年8月着工以来、4年3ヶ月、総建坪4.59百㎡。敷地面積4万5千㎡。総経費10万3千円余。

 

 

昭和11年5月25日

 

長井小学校校舎落成式行われる

 

昭和11年8月31日

 

小国・新潟間全線開通。米坂線完成

 

昭和11年11月30日

 

NHK山形放送局開局

 

昭和12年

 

昭和12年農業雇人賃金協定表

 

昭和12年

 

昭和12年職人日料定

 

昭和12年1月

 

 

長井町議会が「東京電器(株)山形工場建設に関する意思表示」を提示する

 

 

昭和12年6月

 

 

東京電器(株)山形工場建設に関して契約締結の件を上程

 

 

昭和12年6月18日

 

町道認可 花作二号線480m、北台弐号線北台三号線

 

 

 

昭和12年7月11日

 

 

あやめ公園に開園記念碑建つ。長井川柳会の川柳大会時に除幕式開催。碑には井上剣花坊、近藤飴ン坊、大谷五花村の川柳が刻まれている

右から3番目が大谷五花村

 

 

 

昭和12年8月

 

 

東京電器(株)山形工場、長井町工場誘致委員会と日本電興が工場建設用地10万坪無償提供契約を締結

 

 

 

昭和12年8月

 

 

日本電興株式会社と長井町との間で工場誘致の契約を結ぶ(日本電興株式会社は東京芝浦電気KKの傍系会社として設立された)。契約書の日付は8月10日。内容は、工場用地として10万坪を無償提供する、契約設立の日から5年以内に工場建設に着手する。会社は町の好意に対して1万円を贈呈すること、日本電興はいつでも「東京電気株式会社」と交替して契約を更新できること、等。東京電気KKは東京芝浦電気KKの前身。

 

 

 

昭和12年9月3日

 

 

長井町国防婦人会発足

 

後に、千人針等活動を行った

 

 

昭和12年11月1日

 

長井郷土たより第一号発行

 

昭和13年2月28日

 

 

町道認可 北台四号線180m、舟場一号250m、栄町西一号96m

 

 

昭和13年3月1日

 

 

金井神の土屋、竹田等、泉山より金井神諏訪堰まで堤防二キロに吉野桜を植える。町の観光費で3年計画

 

 

http://f.tukiyama.jp/n-old/p/senbonsakurahigasi.jpg

現在の右岸側千本桜

 

 

昭和13年3月28日

 

一町四カ村共立長井公立病院設立

 

昭和13年5月2日

 

桑島忠一、長井小学校長から長井町長に

 

昭和13年

 

あやめ公園に200円かけて水泳場をつくる

 

昭和13年3月28日

 

 

一町四ヵ村共立長井公立病院設立(初代院長:志田蔵之助)

 

 

昭和13年4月1日

 

国家総動員法・国民健康保険法公布

 

昭和13年8月21日

 

 

町道認可 高野町西一号路線、水上一号、水上二号、新町西一号、新町二号、川原一号

 

 

 

昭和13年10月8日

 

日本電興株式会社長井工場誘致、委員町議で決定。

同工場と町で用地買収の契約締結。自昭和13年 至昭和17年の間

長井町で特別会計を起こし22万2770円計上

道路認定 栄町西弐号56m

 

 

昭和13年10月

 

 

東京電器(株)山形工場、長井町議会が、5か年計画で工場建設用地の買収と造成を行う計画を可決

 

 

昭和13年11月3日

 

木炭車が走る

 

昭和13年

 

長井商業会結成

 

昭和14年

 

昭和14年農業雇人賃金協定表

 

昭和14年2月16日

 

鉄製不急品の回収開始

 

昭和14年2月25日

 

長井町で都市計画法適用決定

 

昭和14年3月31日

 

 

あやめ公園、町内ごとに配分され、増産畑となる。高台も広く開放され、町民は労働に従事する

 

 

昭和14年3月28日

 

 

一般病院として長井公立病院と改め診療開始。(管理・診療棟、一般病棟完成は14年2月)、(昭和39年長井市立総合病院、平成12年公立置賜長井病院)

 

 

昭和14年6月28日

 

白衣の勇士招待会ご案内

 

 

昭和14年7月6日

 

 

 

朱塗りのあやめ橋竣工式。水上の四釜新太郎夫婦の渡り初め

http://f.tukiyama.jp/n-old/p/ayame27.JPG

 

 

 

昭和14年10月

 

長沼孝三「青年」制作。後に長井高校に寄贈

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昭和の長井 2

  • 昭和の長井 2

元禄7年(1694)に最上川舟運によって宮舟場が設置されて以来、飛躍的に商人町へと変貌し、。大正期を経て昭和に入る。舟運で培ったエネルギーが昭和となり、どのように長井は変わっていったか、年譜形式で紹介する。

 

 

昭和5421

 

久保桜観桜会、長井駅から乗車始めて出る。

 

昭和554

 

森鉱泉開湯。森の湯という

 

 

 

 

昭和575

 

 

佐藤町長があやめ公園の拡張(二町歩)、施設の整備、花園の研究等を中央に依頼し着々実施する。当時種数2000種、遠く北海道・広島・京都から移植。面積2町歩となる。

中央噴水と池も整備

 

 

 

 

昭和5815

 

 

山形新聞主催の山形県名勝推薦コンクールであやめ公園が名所の部・第一位となる。投票数158,723票。記念碑も建立した

現在は石柱上部の灯具が欠落している

 

昭和583日の山形新聞

 

 

昭和5929

 

 

自治功労者横山孫助の胸像、役場前に建つ。除幕式を行う。

 

役場正面右側に建立。現在はつつじ公園に

 

 

 

 

 

 

昭和5101

 

 

長井線のマッチ箱といわれた旧式四輪車を廃し、ボギー車となる。

 

 

 

昭和5101

 

3回国勢調査。西置賜の人口76667

 

昭和6

 

長沼孝三、帝展に「インテリゲンチャ」、初入選

 

昭和6131

 

二重坂掘り下げ起工式を行う

 

 

昭和62

 

 

長井町役場前にカフエー第一号のコマドリが営業開始。以降、8年には東町にグリーン、大町にホンギリ、新栄町にクローバー等が営業。

グリーンホール

 

 

 

昭和6421

 

久保桜で夜間点灯を始める。

 

昭和6628

 

長井高等女学校創立10周年記念式を行う

 

昭和6810

 

米坂線今泉・手ノ子間開通

 

昭和6127

 

大石、桜橋(逆川橋)竣工

 

 

昭和61212

 

 

長井大橋・長井橋竣工式行う。鉄橋。ワーレン式トラス四連で天野組請け負う。工費15万円余。渡り初め

長井大橋の渡初め記念写真

 

 

 

昭和61230

 

撞木橋開通、渡り初め

 

 

 

昭和6

 

 

小池医院建つ

 

 

 

昭和73

 

左荒線期成同盟会結成

 

昭和742

 

 

遍照寺焼失

 

 

昭和77

 

長井郵便局庁舎、同じ場所に改築

 

電信部 電話の事業も行っていた

 

 

 

 

昭和7910

 

 

 

米沢工業試験場長井指導所が西置賜郡販売購買利用組合敷地に竣工。長井繭市場で竣工式。79坪。昭和39年、分場廃止により米繊工試から長井市に返納された

 

 

 

昭和8

 

 

あやめポスター。作者は長井高等女学校の浦とし先生

運輸事務所の制作 各駅に貼られた

 

 

 

 

昭和8617

 

 

山形新聞紙上で長井音頭、長井小唄の歌詞を募集。町内レコード屋多田野、青木両氏が東京に依頼作曲して売り出す。町費1200円の補助。

発表会 演芸館で

 

 

 

 

 

昭和8622

 

 

あやめ公園入口に、堂々たる偉容を誇る「あやめ会館」が建つ。この名称は公募によるもの。高橋忠吉入選、賞状と米一俵を贈る。この会館は、昭和18年に東芝長井工場に売却、事務室となる。

高台南に。道路側の写真

 

右側が高台面 町勢要覧から

 

 

 

 

昭和8624

 

 

 

長井駅前道路舗装。初めての舗装道路。完成してスズラン灯も点火された。

奥が長井駅

 

 

 

昭和889

 

長井銀行が羽陽銀行に買収される

 

昭和8811

 

羽陽銀行長井支店設置

 

 

 

 

昭和811

 

 

あやめ公園にグリーンホール3階建てができる

あやめ公園高台下西に 1階はカフェ 2階と3回は座敷

 

 

昭和8822

 

長井小学校校舎1棟(第1校舎)竣工

 

昭和81110

 

米坂線手ノ子・沼沢間開通

 

 

 

昭和9630

 

 

長井小学校工事竣工

 

 

 

 

 

 

 

昭和99

 

 

 

東北地方大凶作

伊佐沢村役場に「娘売ります相談所」開設

 

 

 

 

 

昭和9101

 

 

羽陽銀行長井支店が新築移転

 

 

 

昭和9127

 

凶作応急対策で土木事業、北台・水上線工事

 

昭和9127

 

 

長井町は、凶作応急対策として土木事業を企画。北台・水上線工事施工。

 

 

昭和9

 

米沢でプレザン錦紗開発、米織生産高10倍に

 

昭和9

 

長井町最上川堤防左岸築堤

 

昭和962

 

 

長井町要覧発行。町営電気創業、長井線鉄道創業20年を祝って

 

 

昭和9年 冬

 

 

伊佐沢村の「娘売り防止」の張り紙が全国の話題を呼ぶ

防ぐための相談所

 

 

2016.02.25:n-old:[歴史的建造物]

昭和の長井 1

  • 昭和の長井 1

元禄7年(1694)に最上川舟運によって宮舟場が設置されて以来、飛躍的に商人町へと変貌し、。大正期を経て昭和に入る。舟運で培ったエネルギーが昭和となり、どのように長井は変わっていったか、年譜形式で紹介する。

 

 

大正15年12月25日

 

昭和となる

 

昭和元年

 

あやめ公園に掛小屋がかかる

 

昭和214

 

佐藤鶴吉が西置賜郡長から長井町長に転出。

 

昭和22

 

山形交通自動車会社創設、郡内に乗合バス走る

 

昭和235

 

中道の火葬場(匿名組合)の権利と設備を買収して町営とする

 

 

昭和2425

 

 

昭和自動車会社設立。4月に長井線東廻り線、5月に宮宿線、9月に西廻り線を運行

 

 

昭和2517

 

米沢営林署長井支所設置

 

 

昭和25

町営電気事業が好転、あやめ、つつじ両公園と市街要所に50燭光域あるいは100Wの高燭電気灯設置

つつじ公園の七兵衛つつじ

 

 

 

昭和2610

 

 

日米親善のためアメリカ人形を長井小学校に寄贈、歓迎会を開く。

 

 

昭和279

 

西置賜郡飛行大会。県立長井中学校校庭で挙行。当地方初の飛行

 

 

昭和2910

 

 

松川橋竣工式挙行、渡部佐与吉夫婦渡り初め

 

 

 

昭和21011

 

 

橋田栄助が太陽自動車学院、トラクッタ興行社開設

 

 

 

 

昭和2

 

 

桑島眼科医院建つ

 

棟上げ

 

 

 

昭和31

 

 

太陽自動車学院、新校舎に移る

 

 

 

昭和3712

 

谷地橋竣工。請負者加藤久八。

 

 

 

 

昭和3年夏

 

 

ときわ館開館(第7ときわ館)。今泉に第八ときわ館が昭和7年。第八ときわ館は昭和18年閉じる。

写真は昭和61年撮影 昭和63年に閉館

 

 

 

昭和39

 

長井変電所設置

 

 

 

 

昭和31010

 

 

 

荒砥・沖郷・赤湯の三銀行合併し羽前銀行となる。長井支店が宮境町西1 460番地2(現NTT敷地)に設置。建物は戦中、西置賜商業統制組合が入り、昭和26年には同組合が清算解散、3月に置賜信用組合が入る。昭和28年秋、建物は「長井町境町東1 421番地(現NTT真東)」に曳き移転し、置賜信用組合は昭和42年まで引き続き使用した。

写真は置賜信用組合入居時のもの

 

 

 

昭和312

 

長井公立病院組合設立。一町五カ村の共同伝染病院

 

昭和42

 

萩公園開園。安部林蔵氏。当時はあけぼの園。

 

 

昭和431

 

 

 

長井公立伝染病院落成

 

 

 

 

 

昭和4310

 

 

 

長井税務署登場町通り(現小桜館南)に新築、開庁式を行う。

町勢要覧から

 

 

 

昭和4524

 

大出水、白川橋大破。長井橋東部流失

 

昭和47

 

 

長井高等女学校寄宿舎落成

 

昭和473

 

山形県料理業大会、長井で開催

 

昭和4726

 

中伊佐沢愛宕山で雨乞い祈祷

 

 

 

 

昭和4915

 

 

松ヶ池公園に八千代橋竣工、渡り初め

渡初め後の記念写真

 

 

 

昭和41231

 

羽陽銀行設立

 

昭和41226

 

長井公立病院落成式  

2016.02.22:n-old:[歴史的建造物]