寒河江光俊(さがえあきとし)

 生年不明~没年不明
 寒河江城主大江氏(寒河江氏)の一族。外記を称す。天正十二年(1584)の最上義光による寒河江攻めののち寒河江城主に任じられたという。天正十六年(1588)の上杉家臣・本庄繁長による庄内侵攻を不当であると豊臣秀吉に訴えるため派遣されたほか、翌年、徳川家康が義光に上洛を勧めた際には、家康のもとに鷹三羽を持って弁明に赴いたという。太閤検地により起きた小野寺領内の一揆を鮭延秀綱らとともに鎮圧、由利十二頭の平定にも功があった。

2017.08.09:mogapro:[ ◇最上家家臣団(さ行)]