最上義光プロジェクト
search
プロジェクトからのお知らせ
▼最上義光
□最上義光略年表
□最上義光の功績
▼最上家の人々
○父・母
○弟・妹
○奥方
○息子・娘
○最上家一門
◎最上家歴代当主
▼最上家武将列伝
☆最上四天王
◇最上家家臣団(あ行)
◇最上家家臣団(か行)
◇最上家家臣団(さ行)
◇最上家家臣団(た行)
◇最上家家臣団(な行)
◇最上家家臣団(は行)
◇最上家家臣団(ま行)
◇最上家家臣団(や行)
◇最上家家臣団(ら行)
◇最上家家臣団(わ行)
▼最上家関連人物
▼最上家用語の基礎知識
プロフィール
お問合せ
Home
/
○奥方
清水夫人(しみずふじん)
天正五年(1577)~寛永十五年(1638) 最上義光 の継室。清水城主・ 清水義氏 の娘。名はお辰という。義氏の跡を継いだ義光の三男 清水光氏 にとっては義姉でもある。義光の五男 光広 、六男 光隆 、四女 禧久姫 の生母と考えられ、京や江戸で生活していたと思われる。義光が亡くなると故郷の清水の地に隠棲した。法名を真覚尼といい、最上家改易後も新庄藩主戸沢政盛から手厚く遇されていたという。
2017.02.12
天童夫人(てんどうふじん)
生年不明~天正十年(1582) 最上義光 の側室。天童城主・天童頼貞の娘。頼貞の跡を継いだ頼久(のち頼澄)の姉。義光は天童氏を中心とした国人領主連合「天童八楯」と争ったが、この女性を側室に迎えて和睦した。天正十年(1582)義光の三男(のちの 清水光氏 )を生んだが、まもなくして亡くなってしまった。
2017.02.10
大崎夫人(おおさきふじん)
生年不明~文禄四年(1595) 最上義光 の正室とされる。釈妙英、名は「としよ」とする説も。大崎家11代当主・大崎義直の娘。奥州探題大崎家は、羽州探題最上家の本家にあたる。義光の二女 駒姫 の生母ではないかと考えられる。最上家が豊臣政権に臣従したのちは、人質として上洛し京で暮らした。駒姫が豊臣秀次事件に連座して処刑されると、そのあとを追うようにして亡くなった。悲しみのあまり、自ら命を絶ったのではないかともいわれている。
2017.02.08
3件中/1件~3件