最上義光プロジェクト
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▼最上義光
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○最上家一門
中野義清(なかのよしきよ)
生年不明~没年不明 中野義建 の子。中野城主。最上家10代当主・ 最上義守 の実父。大永元年(1521)に天童・成生両氏から攻撃を受け灰燼に帰した、山寺立石寺の再興に努めた。
2017.03.12
中野義建(なかのよしたつ)
生年不明~没年不明 最上家8代当主・ 最上義淳 の二男。中野城主。最上家7代当主・ 最上満氏 は中野家の出身であったことから、その子・義淳は、最上家と中野家の当主を兼ねており、嫡男の 義定 には最上家を、弟の義建には中野家を継がせた。
2017.03.07
多田義賢(ただよしかた)
生年不明~没年不明 楯岡光直 の子ともいうが詳細は不明。楯岡義賢とも。楯岡城(村山市楯岡)の最後の城主。楯岡城址の麓にある愛宕神社入口に「楯岡城主多田義賢の碑」が残る。
2017.03.03
松根光広(まつねあきひろ)
天正十七年(1589)~寛文十二年(1672) 長瀞義保 の子。備前守。白岩光広。白岩行広とも。数え3歳で父を亡くしたため、 最上義光 が息子同様にして育てたという。白岩備前守広教の養子となり、白岩氏を継いで白岩城主となった。元和元年(1615)松根城(鶴岡市松根)を築城して城主となり、松根氏を称した。 最上家親 が急死した件を、 楯岡光直 による毒殺であると幕府に訴え出た。幕府は調査したが証拠が無く、光広を柳川藩立花家へ配流する処分を下した。
2017.02.28
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