堀喜吽(ほりきうん)

 生年不明~慶長五年(1600)

 最上義光の御伽衆。筑紫喜吽とも。筑前で生まれ、兵法家として諸国を巡り、今判官と称した。連歌にも長じており、義光とともに京での連歌会に出席している。慶長出羽合戦の際、撤退する上杉軍に対し自ら先頭に立って追撃する義光を諌めたが、逆に臆病者と罵倒されたため単騎で突撃したところを、上杉軍の鉄砲隊に撃ち抜かれ、義光の馬前で戦死。この時、義光自身も兜に銃弾を受けた。

2017.05.26:mogapro:[ ◇最上家家臣団(は行)]