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「新図書館」構想⑭ 上田流「クソミソ」思考の功罪…無理が通れば、道理が引っ込む

  • 「新図書館」構想⑭ 上田流「クソミソ」思考の功罪…無理が通れば、道理が引っ込む

 

 「全国で3番目」が逆に仇(あだ)になったのではないのか―。上田(東一)「ワンマン」市政の余りにもひどい“暴走”ぶりにため息が絶えない今日この頃である。花巻市は平成28年6月、都市再生特別措置法の一部改正(平成26年8月)で導入された「立地適正化計画」を策定した。現在、全国自治体の9割以上の248市町が策定する中で「全国で3番目、東北では初めて」というのがこの人の自慢げな口癖で、初当選(平成26年)以来の市政運営の主柱になってきた。将来の人口減や高齢化社会に備え、公共施設や商業施設、住宅などを「都市機能誘導区域」と「居住誘導区域」に集約し、コンパクトシティづくりを進めるのがねらいとされた。

 

 財政がひっ迫する中で、国の手厚い支援が受けられる制度を積極的に利用するのは行政トップとしては当然の選択肢である。しかし、こうした優遇措置には立地範囲や完成日時などの“縛り”がつきもので、その辺の兼ね合いが手腕の見せ所になる。上田市長は今回、撤回された「新図書館」構想を公表した際の記者会見でこう述べている。「国の多額の補助金をいただき、これを使って総合花巻病院の移転新築ができた。あるいは中央広場の整備もした。あるいはそういう考え方の中において、コンビニも併設されている災害公営住宅とか、子育て世帯向け地域優良賃貸住宅を国の支援を得ながら造れたわけですけれども、我々としてはこの図書館の複合施設の整備についても、まちなかの活性化に資すると考えております」(1月29日)

 

 「無理が通れば、道理が引っ込む」―。上田市政の主要施策のほとんどが立地適正化計画がらみだったことがこの発言から見て取れる。国の制度融資が有効利用されたケ-スももちろんあるが、“金目”を優先させた結果、ほころびも目立ち始めた。たとえば、その典型が「花巻中央広場」。市中心部のこの一帯は当初の立地適正化計画の中では居住を促す「居住誘導区域」に指定されていた。ところがその後、国交省から「住民の生命に著しい危害が生じる恐れがある」(レッドゾ-ン)と指摘された。急きょ、隣接する急傾斜地に擁壁を設置するなどして「広場」に衣替えし、昨年7月、中心市街地の活性化を旗印にオ-プンした。上田市長は今定例会で「この広場敷地のほか、居住誘導区域内にレッドゾーンが含まれていた個所が全部で7か所あった」―という事実を初めて認めた。当市のケースは”悪質事例”として、全国大手紙で2度にわたって、大きく取り上げられた。

 

 「コロナ」危機が迫りつつあった先月2月21日、市当局は「新型コロナウイルス感染症に関して」と題したチラシを作成し、3月1日付の広報誌に折り込んで全戸配布した。「持病のある方、ご高齢の方はできるだけ人混みの多い場所を避けるなどより一層、注意してください」などと留意事項が書かれていたが、チラシ作成の2日後の2月23日、市所有の公共施設であるこの広場で多くの市民に参加を呼びかける「どでびっくり市・冬の陣」が開かれた(2月29日付当ブログ参照)

 

 その時点で、コロナ危機の認識を持っていたにも関わらず、「負の遺産」ともいえる広場の開放を許可し、人寄せパンダよろしく“盛況”を装った。かと思ったら、今度は一転して公共施設の一斉休館へ。国の”号令”(トップダウン)に右ならえをした、公共施設の全面休館は3月2日から始まり、今月いっぱい続けられている。どうやら市民の健康などはそっちのけで、自分の“失政”を糊塗(こと)すること…つまりウソをつくことには憚(はばか)りがなかったようである。さらに、総合花巻病院の移転・新築にしても当初は病院側からの支援要請があったとの主張一点張りだったが、今となっては立地適正化計画の目玉プロジェクトとして、最初から「行政主導」型の事業だったことが明らかになっている。そして、追い打ちかけたのが今回の「新図書館」構想である。市議会3月定例会の施政方針でこう述べている。

 

 「国は令和2年度、新たに立地適正化計画で定めた都市機能誘導区域内に、都市再生整備計画に基づく都市構造再編集中支援事業により実施される誘導施設及び公共公益施設の整備等について、補助率2分の1という極めて有利な補助制度を設けることとしておりますが、市としては、図書館部分については市が図書館の区分所有権を取得することを前提として、この補助金の交付を受けることを想定しているところです」―

 

 図書館の中身(理念)よりも「箱もの」を先行させようという「クソミソ」思考がここに如実に表れている。このように、上田市政のほとんどの施策のよってきたる淵源(えんげん)は立地適正化計画にあった。私としては「諸悪の根源」とさえ呼びたくなるが、その一方で皮肉な言い方をすれば、この人の市政運営は終始一貫しており、少しもぶれてはいないということにもなる。施政方針にはこんな一節もある。

 

 「ここ数年、全国各地において新しい形態の図書館ができ、話題となっております。多くの図書館は今までの『静まり返った図書館』ではなく、子育ての場所として幼児が寝そべって絵本を読める場であったり、中高生が情報を得たり勉強したり、また自分の居場所を確保できる場であったり、老若男女がそれぞれ交流できる場所であったり、中には飲食自由・私語自由の場所も作ったり、あるいは、カフェはすでに当たり前との意見もあるようですが、それ以外の商業施設、賃貸住宅などとの複合施設も多くなってきています」―

 

 市民が描く「図書館」像と余りにもかけ離れた「上田」図書館の青写真は立地適正化計画の延長線上に位置づけられた当然の帰結だったのである。つまり、クソとミソとを一緒くたにした政策の貧困……「無理」(金目)を押し通した結果、「道理」(行政のあるべき姿)が吹き飛んでしまったという「自縄自縛」(じじょうじばく)のお粗末を満天下にさらしたのである。かつて、このまちの行政を担った人物に「ドーリズム」(道理主義)を掲げた首長がいたことをふと、思い出した。

 

 

 

 

(写真は立地適正化計画に示された新図書館の位置図。撤回された「新花巻図書館複合施設整備事業」構想案から)

 

「新図書館」構想⑬ 「新図書館 市民も議論を」…市民の関心、さらに

  • 「新図書館」構想⑬ 「新図書館 市民も議論を」…市民の関心、さらに

 

 「賢治記念館の上に賃貸住宅があったら…」という市民の“目線”に大いに納得させられた。花巻市の「新図書館」構想をめぐって、(3月)21日付の岩手日報「論壇」欄に投稿された文章の一節である。花巻在住の伊藤昇さん(78)が「新図書館 市民も議論を」と訴えた内容で、私の耳にも「ふいに見上げると、図書館の上層部のベランダに洗濯物がヒラヒラ舞っている」といった違和の声が届いている。市当局は今回、新図書館構想をいったん取り下げることにしたが、逆に一般市民の「図書館」像(イメージ)からいかに乖離(かいり)していたかということを浮き彫りにする結果になった。1ケ月ほど前には「自然豊かな新図書館に」と題する投稿もあった(2月27日付当ブログ参照)。市民の関心は日増しに高まっている。以下に伊藤さんの文章を転載させていただく。なお、宮沢賢治記念館など市内の公共施設は「コロナ」危機の影響で今月いっぱい、閉鎖されている。

 

 

 

 花巻市議会の一般質問を傍聴した。登壇者のうち複数の議員が新図書館の複合施設整備事業構想について取り上げていた。これは、市民の関心の高さを反映したものであろう。問題の焦点は、図書館の上になぜ賃貸住宅を併設しなければならないのかということと、予定地がなぜJR花巻駅東側なのかという2点であった。

 

 上田東一市長の答弁では駅前は花巻の顔であり、活性化対策を進めたいこと。そのために、市街地再生の核として図書館を建設し、同時に人口減対策として賃貸住宅を併設したいという説明であった。また、花巻駅前は旧3町からのアクセスが優れているということも強調した。私が違和感を覚えたのは、図書館を賃貸住宅との複合施設にするということである。

 

例えば、宮沢賢治記念館の上に賃貸住宅があったらどう感じるだろうか。記念館は、賢治の遺稿や作品、あるいは諸資料の単なる「入れ物」ではない。賢治の生涯や思想を象徴するものでもあると思う。だからこそ当時の関係者たちは、周囲の景観や施設のデザインについても深く検討したはずである。

 

 私は図書館もまた単なる「本の入れ物」ではないと思う。図書館は花巻にある他の文化施設に勝るとも劣らない文化の中心を担っているのではないだろうか。私たちに人生の豊かさや安らぎを提供するだけでなく、市の将来を担う子どもたちにとっても「すてきなところだなあ。また来たいなあ」と思えるような図書館でありたい。外観、広場、くつろげるカフェなども重要な要素だと思う。そのためには閑静で十分な広さの敷地が必要であろう。どのような図書館にするかという構想が決まれば、建設場所はおのずと決まるはずだ。

 

 花巻駅前の活性化はもちろん重要であり、少ない財源の中であれもこれもやらなければならない市長の立場も理解できないではない。だが、図書館建設と駅前の活性化対策は切り離して考えていただきたい。市長は今回の構想は市民や議会の意見を聞くための試案として提案したと述べていた。多くの市民が各所で討論を重ね、積極的に市に意見を提案していくことを期待したい。完成すれば長く利用されることになる図書館である。市民に愛され、親しまれる図書館を目指したい。

 

 

 

 

(写真は市内を一望できる高台に建つ宮沢賢治記念館。この建物の上に集合住宅が鎮座する光景はまさに「公共施設の美」に背を向ける愚行…グロテスクな代物としか言えない=インタ-ネッ上に公開の写真から)

 

速報~「コロナ」危機と地方自治の本旨…図書館対応の異常!?公共施設は休館延長

  • 速報~「コロナ」危機と地方自治の本旨…図書館対応の異常!?公共施設は休館延長

 

 「一斉休校と一斉休館と」―。安倍晋三首相の唐突な“号令”に歩調を合わせるかのように花巻市の公共施設の一斉休館は今月2日にスタ-ト。当初の期限の19日を前にその数は50か所以上に及んでいる。一方この日、図書館に限って21日以降の休館が解除されることが公表されたが、そのほかの公共施設では今月末まで継続されることになった。「万が一に備えるのが危機管理」(上田東一市長)という理屈はわかるが、「緊急事態宣言」の発動をちらつかせる国のトップダウンに同調するだけで、果たして良いものか。「私権」の制限が危ぶまれる宣言だが、今回の「コロナ」危機は一方で「地方自治の本旨」(自治の独立)を問いかける形にもなった。

 

 継続休館は地域活動の拠点となる27か所の振興センタ-のほか、宮沢賢治記念館や高村光太郎記念館、市博物館などの観光施設、主にシニア世代の活動の場である「まなび学園」などで、町内会が運営する「地区公民館」も休館を要請された結果、全地域での社会活動がほぼ麻痺状態に陥っている。そんな中、「情報拠点でもある図書館の全面休館は納得できない」、「学校が長期間休校になるいまだからこそ、子どもたちに読書の機会を与えたい」、「貸し出し自体の禁止は異常だ」…などの意見が殺到したため、市内の4館は当面、土日に限って開館することになった。

 

 そもそも、当市の図書館への異常な対応は最初から、他自治体に比べても突出していた。県内14市中、国が休校措置を決めた今月2日から19日までの全面休館に踏み切ったのは陸前高田と大船渡両市だけ。残りの自治体では3月中の図書館関連の行事を中止した程度で、ほぼ通常通りの業務を行った。このほか「休校中の小中学生の入館制限」(北上市)、「学習コ-ナ-の高校生以下の利用制限」(奥州市)、「児童生徒に変わる保護者への貸し出し」(滝沢市)など実情に即した臨機応変な対応が目立った。さらに、岩手県立図書館では5冊の本を詰め合わせた“福袋”を用意し、昨年の同時期より保護者の利用が1・5倍も増えるなど好評を博した。

 

 「ワンマンによる“トップダウン”行政だから、国のトップダウンには従わざるを得ないのだろうが、それにしても地方自治の裁量権を放棄した自殺行為ではないか」―こんな厳しい声が上田市政に寄せられている。コロナ危機に加え、「新図書館」構想の事実上の撤回、そして、にわかに降ってわいた“パワハラ”疑惑の包囲網の中で、上田市長はどこに打開策を見出そうとしているのだろうか―

 

 図書館こそが「危機管理の最前線」に位置していることをこの人はご存じないみたいである。ご本人は歯牙(しが)にもかけなかったが(2月21日付当ブログ参照)、2019年10月8日付の当ブログ(映画「『ニュ-ヨ-ク公共図書館』と花巻中央図書館構想の狭間にて」)をとくと読み直してもらいたい。「図書館は民主主義の柱であり、同時に社会インフラの根本である」―ということが書いてある。もっと、言おうか。「万が一のリスクを覚悟することも政治家(リーダー)に課せられた、つまり、あなたが背負わなければならない使命―ミッションなのだ」―と 

 

 ちなみに、趣味で通っているイベント団体の主催者からの連絡で、私は公共施設の休館延長を初めてを知った。HPでその事実を確認したのはずっとあと。庁内の無秩序状態が目に浮かんでくる。このまちのスローガン…「イーハトーブはなまき」はいま、沈没の瀬戸際に立たされている。

 

 

 

 (写真は休館の表示を掲げた図書館の出入り口=3月16日、花巻市若葉町の花巻市立図書館で)

 

 

 

《追記-1》~図書館特別委員会の設置へ

 

 花巻市議会の3月定例会最終日の18日、図書館のあり方などを調査・研究する「新花巻図書館整備特別委員会」が正式に設置されることが決まった。議長を除く全議員(25)人で構成され、委員長に伊藤盛幸議員(市民クラブ)、副委員長に佐藤峰樹議員(明和会)を選出した。前掲の「一市民」が指摘するように二元代表制に則った図書館論議を積み重ね、議会としての独自の「図書館」像を示してくれることを期待したい。

 

 

《追記―2》~「対岸の火事」とはなさずに「他山の石」となせ!!

 

 「佐川理財局長(パワハラ官僚)の強硬な国会対応がこれほど社会問題を招き、それにNOを誰れもいわない これが財務官僚王国 最後は下部がしっぽを切られる。なんて世の中だ、手がふるえる、恐い 命 大切な命 終止府(原文のまま)」(コメント欄に”遺書”の全文を掲載)―。衝撃的で痛切な内容の一通の“遺書”が19日付の新聞各紙で公開された。2年前、学校法人森友学園大阪市)への国有地売却と財務省の公文書改ざん問題に抗議・自殺した同省近畿財務局の赤木俊夫さん(当時54)が書き残していた。

 

 赤木さんの妻が18日、国と佐川宣寿(のぶひさ)・元同省理財局長に計約1億1200万円の損害賠償を求める訴えを大阪地裁に起こした際に明らかにされた。読む側にとっても、震えを押さえることができない文面である。あちこちで、“パワハラ”騒動はあとを絶たない。決して「対岸の火事」と目をそらしてはならない(3月4日付と同6日付け並びに同18日付の当ブログ「パワハラ」関連記事を参照のこと)

 

 

《追記―3》~ヤマハ、「パワハラ」自殺を認定

 

 大手楽器メ-カ-ヤマハ(本社・浜松市)の男性社員が今年1月、上司から厳しい指導を受けて体調を崩し、自ら命を絶っていたことがわかった。会社側は、体調不良の背景にパワーハラスメントがあったことを認め、「関係者におわびし、再発防止に全力を挙げる」としている。会社や関係者によると、亡くなったのは研究開発部門の30代の男性社員。昨春、課長職に起用されたことで、研究開発部門の執行役員だった50代の上司の男性と接する機会が増えた。上司は2017年に他社から中途採用された。

 

 会社によると、男性社員は、昨年6月ごろから体調を崩し、精神科を受診。11月から休職して実家で療養していたが、今年1月、自死した。社内の通報窓口に昨年末、男性へのパワハラを示唆する情報が寄せられていたという。ヤマハは、男性の死を受け、第三者の弁護士に調査を依頼。男性が体調を崩したのは、上司によるパワハラ行為の影響があったと認定し、上司を3月末で退職扱いとした。上司は1月から出社していないという。

 

 ヤマハの山畑聡常務執行役は「ご遺族には大変申し訳なく思う。内部通報まで気がつかなかった。対話重視で風通しの良い職場を作り、コンプライアンスを強化したい」と話している(3月20日付「朝日新聞」電子版)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「他山の石、以て玉を攻むべし」…明石市長の「パワハラ」始末記

  • 「他山の石、以て玉を攻むべし」…明石市長の「パワハラ」始末記

 

 花巻市の上田東一市長の“パワハラ”疑惑に関連し、3月4日付当ブログ(「『ハラスメント』問題が市議会へ…メンタル疾患の休職者が急増!?」)の中で、いわゆる“怪文書”の一部を紹介した。その際、言及しなかった部分に「明石市長どころでない状況です」という文言があった。兵庫県明石市の泉房穂(ふさほ)市長(56)は自らの暴言などの責任を取って、いったん辞職した後の市長選で返り咲いたことで一躍有名になった。その顛末(てんまつ)については、以下に新聞記事(要旨)を掲載するが、奇跡の復権をとげた時の言葉が印象的である。

 

 「明石市政の混乱を招いた責任は私にあり、本当に深く反省している。職員としっかり信頼関係を築き、明石のまちづくりをしっかりやっていきたい…。自分自身の欠点は、苦手分野を後回しにすることと感情のコントロ-ルの2つ。苦手分野は、これから職員から学び取り組んでいきたい。感情のコントロ-ルについては、この1ヶ月以上日記を付けたり、専門講座を受け続けて、55歳にして改めて自分自身の至らなさを知った。その点についてもしっかりと改めていきたい」(当時の新聞報道などから)

 

 

 ところで、こんな職種があることにも驚かされるが、「謝罪」コンサルトによると、この種のハラスメントの解決法のひとつに「す・き・か・な~」方式があるという。「す」=スピ-ド(即決)、「き」=聞く、「か」=感情(+情熱)、「な」=泣く…の頭文字を取った命名である。

 

 一度、政治生命を失いかけた泉市長が市民の支持を受けて再選された背景には、この方式を忠実に実行したこともあるらしい。辞職会見の中で、泉市長は涙ながらにこう謝罪した。「私の行為は許されないことであり、すべて私の責任。リ-ダ-としての資質を欠いているのは明らかで、処分を受けるのは当然。申し訳ありません」―。まさに……「批判の直後に素早く記者会見を開き(スピ-ド)、会見での質問にしっかりと受け答えをし(聞く)、自分の言葉(感情)で涙ながらに話した(泣く)」というマニュアル通りの行動である。

 

 本日18日、花巻市議会の3月定例会が閉幕するに当たり、上田市長に対して、詩経の「他山の石、以て玉を攻(おさ)むべし」という教えを献上しておきたいと思う。広辞苑などによると、よその山から出た粗悪な石でも、自分の宝石をみがく役には立つという意。転じて、他人の誤った言行でも、自分の修養の助けとなるという意味だという。私自身にとっても、肝(きも)に銘じておかなければならない至言である。

 

 

 

 

●職員への暴言で市長が辞職したことに伴う兵庫県明石市の出直し市長選が(2019年3月)17日に投開票された。前市長で無所属の泉房穂(ふさほ)氏(55)が、元市長で無所属の北口寛人(ひろと)氏(53)、元県議で共産新顔の新町美千代氏(71)を破り、3選を果たした。泉氏は前回選挙での得票(5万1千票)を大きく上回る8万票余りを獲得した。泉氏は2期目満了(4月30日)を待たず辞職したため公職選挙法の規定で辞職前の任期となり、4月の統一地方選で市長選がある。

 

 暴言問題は今年1月に録音デ-タで発覚。泉氏は2017年6月、国道用地の買収の遅れに激高し、「(建物に)火つけてこい」「燃やしてしまえ」と職員に怒声を浴びせた。発言を全面的に認め「パワハラよりひどいこと」と謝罪。先月2日に辞職した。録音には「市民の安全のためやろ」との発言もあり、市役所には泉氏を擁護する意見が批判より多く届いた。一方パワハラ問題の専門家は「目的の正しさで暴言を正当化するのは危険」と指摘するなど議論を呼んだ。

 

 泉氏は告示3日前に立候補を表明。辞職後、怒りの感情をコントロ-ルするアンガ-マネジメントの勉強会に通ったとし、選挙戦では「(暴言は)選挙結果で許されるものではない」と謝罪を繰り返した。泉氏は2期8年で、中学生までの医療費を所得制限なしで無料化するなどの子育て支援策を実現。街頭演説や集会では「人口や税収が増えた」と訴え、「税収で高齢者施策に取り組みはじめた段階。明石の未来に責任がある」と呼びかけ、出直しへの理解を広げた。

(2019年3月18日付「朝日新聞」)

 

 

兵庫県明石市の泉房穂市長(56)は(2020年1月)15日、市内で開かれた新年会の席上、催しの開催をめぐって市議と口論になり、「やめてまえ」と暴言を浴びせていたことを明らかにした。泉市長は昨年1月、市職員に対する暴言が問題化して市長を辞職、出直し選挙で再び当選した経緯がある。同日会見した泉市長らによると、市長は13日昼ごろ、市内の公民館であった地域住民らの新年会に招かれて出席。花火大会見物客らが死傷した2001年の歩道橋事故の影響で中止された「市民まつり」再開の可否をめぐり、自民系会派の市議と言い争いになった。

 

 市長は、再開を求める市議に「(事故の)遺族ら関係者がおり、軽々には判断できない」と説明したが、市議がさらに再開の提言書を3月市議会に提出する考えを述べたことに立腹。「やめてまえ」と2回怒鳴り、直後に市議に謝罪して発言を撤回した。市長は「飲酒していたが、酔ってはいなかった」としている。市議は取材に「市長はすぐ我に返ったようだ」と語り、翌14日にも改めて謝罪があったとして「(謝罪を)受け入れる」と話している。泉市長は会見で「言動には慎重であるべきなのに、感情的になって不適切な発言をしてしまい、申し訳ない。改めて強い自覚を持って対応していきたい」と話した。

 

 泉市長は旧民主党の衆院議員を経て11年に市長に転身。昨年1月、道路拡幅工事に伴う建物の立ち退き交渉をめぐり、部下職員に「火つけて捕まってこい」などと暴言を浴びせていたことが発覚した。引責辞職した後の同3月にあった出直し市長選に再び立候補して当選、任期満了に伴う翌4月の市長選でも無投票で4回目の当選を果たした。暴言問題発覚後、怒りをコントロ-ルする「アンガ-マネジメント」講習を受けたと明らかにしていた。

(2020年1月15日付「朝日新聞」)

 

 

 

(写真は出直し選挙で復権を果たした泉市長=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

 

《追記》~ある市民からの投稿(3月14日付)

 

 今の市長が最初の選挙に出たとき、高学歴で経験豊富な割に腰が低く「市民の声を大事にする」との主張であったので期待していました。選挙では「市長になっても市長と呼ばずに『上田さん』と親しみをもって呼んでほしい」ともおっしゃっていました。予想通り当選しましたが、その後のオ-ル与党(市長派)化する議会の動きを見て「危ないな」と感じていました。今の「市長」を生み出したのは我々市民であり、最たるは議会ではないかと思います。健全な二元代表制を取り戻し、市民の代表者としての議員には是々非々で市長と向き合っていただきたいと強く願います。そして「上田さん」には当選当初の思いを取り戻していただきたいと、切に願います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「新図書館」構想⑫ 南からの、新しい風…「二人爺ィ」に抱腹絶倒

  • 「新図書館」構想⑫ 南からの、新しい風…「二人爺ィ」に抱腹絶倒

 

 「なぜ、図書館の上層部に賃貸住宅を建設しなければならないか理解できません。『図書館の自由に関する宣言』(日本図書館協会)によると、図書館には『公共施設の美』としての評価もあります」(陳情書)―。花巻市議会文教福祉常任委員会(本舘憲一委員長ら8人)での陳情審査(3月9日)の席上、はっきりした口調で「(図書館の)単独整備」を要求する意見陳述を聞きながら、私はハッと気が付いた。先月14日に花南振興センタ-で開かれた議会報告会で、鋭い意見を表明した女性がいたのが強く印象に残っていた。今回の陳情者の山下牧子さんがその人だったことを初めて知った。

 

 先の議会報告会は2月中旬、市内12か所で3日間にわたって、開催された。中心市街地に位置する「まなび学園」の参加者がわずか3人だったのに対し、私の地元である花南振興センタ-に足を運んだ住民は27人と最高を記録した。山下さんら女性が先導する形で議論が白熱した(2月14日付当ブログ参照)。なぜ、これほどまでの盛り上がりを見せたのか―その時以来、ずっと考え続けてきた。約10日後に催されたあるイベントをのぞいて、その謎が少し、解けたような気がした。

 

 「『北芸の会』創立35周年記念公演」と銘打った演劇が2月23日、隣接する北上市の「日本現代詩歌文学館」の中ホ-ルで披露された。「北芸」は北上を中心に芝居好きが集まった素人劇団である。日本で唯一、詩歌に特化した図書館であるこの文学館の誕生の経緯については2月27日付当ブログ(「するべじゃ」の鶴の一声)で触れた。この日の演目は当時、理事として文学館の立ち上げに尽力した同市出身の詩人で脚本家の相沢史郎さん(故人)の不朽に遺作『二人爺ィ』。昭和61年以降、東京をはじめ全国を縦断した主なお披露目だけで50回近くに及ぶ。

 

 「二人で待づべな、昔雑魚(ざっこ)釣りした時みでぇぬよ。金三。な~」―。舞台では老人ホ-ムで暮らす二人の老人…清助と金三の悲喜こもごもの人生が演じられていた。その絶妙のセリフと仕草に腹を抱えて笑い転げていた時、ふいに文学館の生みの親、「五郎さん」(当時の北上市長、斎藤五郎さん)の言葉を思い出した。いま、隣り町は半導体記憶装置フラッシュメモリ-を製造する「キオクシア(東京、旧東芝メモリ)」のオ-プンで話題が持ちきりだが、斎藤市長は40年近くも前にこう語っていた。

 

 「東芝などの企業進出で北上市は、工業都市としての発展がほぼ約束されたと思う。しかし、せっかく文学的な風土があるにもかかわらず、その象徴になるものがない。工業砂漠だけにはしたくない」(昭和59年1月25日付「岩手日報」)。ふと、目を舞台に移すと、三代目「金三」役の小笠原百治さんが世をはかなんで首にひもを回そうとしている。「自死」は不首尾に終わるが、迫真の演技である。83歳の小笠原さんは私の自宅近くでリンゴ園を経営する親しい仲である。大学で演劇を学んだ本格派の「金三」さんがニヤッと笑って言った。

 

 「この地区は北上と背中合わせ。だから、“五郎”精神というか、文化の香りがする風もビュンビュン吹いてくるんだよ。花巻の町方とちょっと、違う風土があるのかもしれんな。それに賢治精神って言ったらいいのか、賢治を身近に感じることができる土地柄だし…」―。宮沢賢治が「羅須地人協会」を設立し、近隣の農民らと“農民芸術”を論じたのもこの地だった。そういえば、花南地区は市内で唯一の人口増加地区でもあり、自宅をここに構えて、車で15分ほどの工業団地に通勤する“新住民”も増えつつある。

 

 実は山下さんもこの地区の住民で、南からの「ビュンビュン」風を日ごろから感じているのかもしれない。「今回の新図書館構想には驚きと同時に失望を感じた」…山下の陳述を聞きながら、私はドキュメンタリ-映画「ニュ-ヨ-ク公共図書館」の場面を脳裏に浮かべていた。入り口に2頭のライオン像が置かれた建物は、19世紀から20世紀にかけたボザ-ル様式の傑作といわれ、1911年のオ-プン当時は米国一の総大理石建造物として話題をさらった。図書館とはまさに山下さんが指摘するように、「公共施設の美」としても存在するのである。

 

 

 

(大の仲良しの清助と金三が取っ組み合いのけんかをする場面も。げんこつを食らわせているのが「金三」役の小笠原さん(右)=2月23日、北上市本石町の詩歌文学館中ホ-ルで)