HOME > 記事一覧

「庵野秀明」という”修羅“…このナゾ深き男に付きまとわれて

  • 「庵野秀明」という”修羅“…このナゾ深き男に付きまとわれて

 

 

 思考停止に追い込まれつつある“コロナ脳”をかち割るためには強烈な破壊力のあるアニメが一番というわけで、いま話題の「シン・エヴァンゲリオン劇場版」(庵野秀明脚本・総監督、2021年3月公開)をのこのこと観に行ったまでは良かったが…。いきなり、しょっぱなから脳天一撃の強烈パンチに見舞われた。「人類の浄化か再生か。はたまた神殺しか」―といった先入主はサラ・ブライトマンの美声が奏でる「主よ、人の望みの喜びよ」(バッハ)の冒頭BGMによって、あっけなく打ち砕かれた。それにしても、どうしていきなり!?思い当たる節がある。それは5年前にさかのぼる。

 

 東日本大震災(3・11)と福島原発事故の記憶の風化が叫ばれ始めた、ちょうどその時期に符節を合わせるかのようにして同監督の「シン・ゴジラ」(2016年7月公開)が登場した。「巨大不明生物」(シン・ゴジラ)の正体は海底に捨てられた大量の放射性廃棄物を摂取して生き返った太古の海洋生物。その冒頭シ-ンにいきなり、宮沢賢治の『春と修羅』の原本が映し出された。地元の偉人伝説として、たとえば次のような印象的なフレ-ズは私自身の頭の奥にも刻印されている。

 

 「いかりのにがさまた青さ/四月の気層のひかりの底を唾(つばき)し/はぎしりゆききする/おれはひとりの修羅なのだ」「雲はちぎれてそらをとぶ/ああかがやきの四月の底を/はぎしり燃えてゆききする/おれはひとりの修羅なのだ」―。当時、社会現象と化したこの映画をめぐって、「なぜ、ゴジラと修羅なのか」という“意味論争”が盛んに繰り広げられた。「放射能を生み出した人類に対するゴジラの報復ではないのか。庵野監督はゴジラに対し、修羅を自認する賢治を仮託しようとしたのではないのか」というのが私の解釈だった。単純と言えばその通りだが、「この監督がなぜ唐突に“心象スケッチ”と名づけられた賢治の詩集を観客の前に投げ出したのか」―。この意表を突く“仕掛け”についてはストンと落ちるものがないまま、いまに至っていた。

 

 私は「3・11」10周年の3月11日…81歳の誕生日に当たるその日、8ケ月間弱を過ごした地獄のような施設暮らしからの脱出(正確には”脱走”と言った方が良いかもしれない)を試み(同日付当ブログ参照)、やっとのことで自宅に生還。日なが一日、イギリスのソプラノ歌手、サラ・ブライトマンのCDに聴き耽(ふけ)った。亡き妻が好きだったサラの透き通るような歌声に救いを求めたかったに違いない。そんなある日、庵野監督の素顔に迫るドキュメンタリ-がNHKで放映された。父親が事故で片足を失ったという秘話を明かした監督はこう語った。「『欠けていること』が日常の中にずっとあって、それが自分の父親だった。全部が揃ってない方がいいと思っている感覚が、そこにある。そういう親を肯定したいという思いが、そこにある」―

 

 「仏教八部衆のひとり、阿修羅を指す。一心不乱な狂ったような姿かたちから“鬼神″とか“戦争神”とも呼ばれる」―。修羅(しゅら)について、ウィキペディアなどはこう説明している。ハタと得心する気持ちになった。賢治がそうであったように、今回の「シン・エヴァ」では庵野監督自らが修羅そのものを演じようとしたのではないかと…。はじけるような心持ちで映画館に走った。

 

 「人類補完計画」なるものがこの映画の最大のキ-ワ-ドらしい。「魂と肉体の解放による全人類の進化と意識の統合による原罪からの開放…」―。またぞろ、“意味論争”が百花繚乱の趣である。ふと、「シン・ゴジラ」を創造したと言われる学者の遺書めいた紙片が『春と修羅』のかたわらに置かれている場面を思い出した。「私は好きなようにした。君たちも好きにしたまえ」とそう書かれていた。「シン・エヴァ」の試写会の席上、庵野監督が「もう終わったから、オレは見ないよ」と会場を後にする姿をドキュメンタリ-は伝えていた。「あとはこの映画を観たみなさんのご随意に…」といった風に―

 

 コロナ禍の中で席に間隔を持たせた劇場はそれでも満席に近い状態だった。耳に残響音を残しながら、私は改まった気持ちでスクリ-ンから流れる「主よ、人の望みの喜びを」に聴き入った。サラの美声が前にもまして心地よく響いた。「人類とは永遠に補完し続けなければならない代物なのだ。欠陥品、それでいいのだ」―これが「ナゾ深き男」…庵野“修羅”のメッセ-ジなのだと勝手に解釈した。「絶望せよ。だが、希望も捨てるな」―。幕開きの冒頭にこの宗教歌をさりげなく重ねた意図が少し、わかったような気がした。これも随分と自分に都合の良い解釈だと思いつつも、絶望の淵からすんでのところで救済されたという思いが募った。さて、この“修羅神”は三度目の正直として、今度は何をプレゼントしてくれるだろうか。

 

 ひょっとしたら、それはコロナ神に対する“敗北宣言”だったりして……

 

 

(写真は現代版“修羅”の庵野秀明監督=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

 

《訃報》~「不条理」を訴え続けた李さんが死去

 

 3月7日付当ブログ(「花粉症とBC級戦犯、そして“同志”ということ」)で紹介した李さんの訃報が届いた。追悼の気持ちを込めて、朝日新聞の記事を以下に転載する。

 

 

 第2次世界大戦後の戦犯裁判でBC級戦犯として裁かれ、日本政府に救済と名誉回復を求めていた在日韓国人の李鶴来(イ・ハンネ)さんが28日、外傷性くも膜下出血のため東京都内で死去した。96歳だった。葬儀は家族で営む。1925年、現在の韓国・全羅南道生まれ。戦時中、日本軍軍属としてタイで捕虜収容所の監視員を務めた。捕虜を泰緬(たいめん)鉄道建設に従事させ多数を死なせたとして、シンガポ-ル連合国が開いたBC級戦犯裁判で「日本人戦犯」として死刑判決を受けた。減刑後、東京に移され、56年に仮釈放された。

 

 元戦犯に対する恩給など日本政府の援護制度は、日本国籍を失ったことを理由に対象外とされた。元戦犯者らと「同進会」を結成し、政府に「日本人戦犯には恩給や慰謝料を給付しているのに、なぜ外国籍戦犯を差別するのか」と救済と名誉回復を訴えていた。韓国政府は2006年、「日本の協力者」としてきた李さんらBC級戦犯を「植民地支配の被害者」と認め、名誉回復した。戦犯仲間らでつくったタクシ-会社を都内で経営。24日に自宅内で転倒して頭を打ち、足を骨折。病院に緊急搬送されていた(3月28日付電子版)

 

 

 

 

驕(おご)れる者は久しからず…上田“パワハラ&ワンマン”市政にかげり~落城、必至か!?

  • 驕(おご)れる者は久しからず…上田“パワハラ&ワンマン”市政にかげり~落城、必至か!?

 

 「賛成多数であります。よって、JR花巻駅自由通路(橋上化)の整備にかかる予算削除を求める修正案は委員長報告の通り、可決されました」―。開会中の花巻市議会3月定例会最終日の17日、上田市政の凋落ぶりを象徴する採決が行われた。事実上の「上田不信任」とも言えるもので、1年を切った市長選を占う重要なポイントになりそうだ。その兆候は1年前にさかのぼる。同じ3月定例会で市当局は「令和2年度一般会計予算(案)」を全面撤回し、図書館関連予算を削除したうえで再提案をするという前代未聞の失態を演じた。その直前に突然、公表された「住宅付き図書館」の駅前立地構想に議会側や市民の多くが反対したためで、のちにこの構想そのものが撤回の憂き目を見たのは周知の事実である。

 

 この間の上田発言に、私は“言語中枢”がメルトダウンを起こしつつあるのではないかと危機感を抱いてきた。華々しく打ち上げた図書館構想がとん挫したというショックが背景にあるにしても、その責任を「一部の議員や市民」に転嫁しようという魂胆はもはや異常としか言いようがない。たとえば、今3月定例会の中でこんな発言が執拗に繰り返された。

 

 「(図書館に関する)オンラインによる市民との意見交換会は、参加者が多いことを想定し、市から毎回同じ説明をすることを前提に3回開催し、それぞれ別の方に参加していただき広く意見をいただくことを期待したところでありますが、実際には、報道機関を含めて延べ36名、そのうち3回とも参加された方が6名、2回参加された方が2名、1回のみの参加された方が9名であり、報道関係者を除いた実人数は3回で合計17名にとどまったところであり、その中で3回すべてに参加された方に毎回多く意見をいただいたところです」(議会初日の市長演述)

 

 参加者が少なかった責任を棚に上げた上で、この人は数字の羅列で一体、何を言いたかったのか。ちなみに毎回参加のひとりは私自身である。「理想の図書館像」を繰り返し訴えることに何の異議があろうということか。さらに、一般質問の場でのこんな答弁にもわが耳を疑った。「参加した男女はご夫婦ではないかと思う」、「同じ顔ぶれの参加者の中には声の大きい方もいらしたようで…」―。神聖な議場の中で、個人に対する誹謗中傷が堂々とまかり通るという異様な光景が繰り広げられた。

 

 一方、市長演述の中にはこんな言葉も。「(図書館)ワ-クショップにおいて、(立地場所として)新興製作所跡地が良いと述べた方が、今回の意見交換会でも新興製作所跡地が良いとの意見を述べられたところでもあります」―。私は上田“失政”の証(あかし)として、この場所をあえて候補地として挙げたのだったが、HP上では「立地不適」を躍起になって喧伝(けんでん)する慌てぶり。よぽど、古傷に触れられたくないみたいである。しかし、考えて見ればこれも「ケガの功名」と言えなくもない。震災遺構ではないが、失政の“負の遺産”がこれから末永く、まちのど真ん中に鎮座し続けることによって、貴重な教訓を後世に残したという意味で…

 

 そもそも、上田“パワハラ&ワンマン”市政の淵源(えんげん)をたどれば、「立地適正化」計画なるものにぶち当たる。その成功例として、この人が胸を張る「総合花巻病院」の移転・新築プロジェクトもいまになってみれば、消極的だった病院側を説き伏せた「行政」主導型だったことが明らかになっている。財政難の面から考えれば、国の有利な補助制度を利用するのは行政手法としては間違いではない。しかし、「図書館」というソフト面を重視しなければならないプロジェクトを強引に街なか活性化の目玉に位置付けたのがケチのつき始めといえる。つまりは「ミソ」も「クソ」も一緒くたにしたというわけである。いま問われているのは、そうした上田市政の総体なのである。

 

 「尻(けつ)の穴の小さい、蚤(のみ)の心臓」―。ありったけ「コケ」にされた側としては、若干、品位に欠けるきらいはあるが、こんな形容がこのご仁にはぴったりだという気がする。広辞苑などによると、「気が小さく、臆病(おくびょう)で、他人の言動をおおらかに受け入れる心の広さがなく、要すれば度量に乏しい」―がこの種の人物の共通項らしい。「末人」(ニ-チェのツァラトゥストラ)の“末路”とはかくのごとしか(2月6日付当ブログ参照)。”ソロバン勘定”が先のこの種の人物にはそもそも、哲学的な思惟の深みなど望むべくもないのかもしれない。私が退去を余儀なくされた「サ高住」の経営者もそのひとりである。つまりは同じ穴のムジナということ。

 

 「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者もついにはほろびぬ、ひとえに風の前の塵に同じ」(『平家物語』)―

 

 

 

 

(写真は修正案可決の瞬間。“上田”不信任が現実味を帯びてきた=3月17日午前、花巻市議会議場で。インタ-ネット中継の画面から)

 

 

 

 

「老老日記」…“黙殺”された公開質問状―震災10年の節目を機に、さらば、サ高住!?~真の”人権”感覚とは何か!?

  • 「老老日記」…“黙殺”された公開質問状―震災10年の節目を機に、さらば、サ高住!?~真の”人権”感覚とは何か!?

 

 「ひょっとしたら、これって“人権”侵害なのじゃないのか」と思っていたら、相手方から「いや、侵害されているのはこっちの方だ」と反論を食らった。こんな“茶番”がまかり通る騒動に巻き込まれている。コロナ禍の中、「理非曲直」をわきまえない言い分が世の中をかっ歩している。世も末の感がある。以下に「サ高住」脱出記のてん末を記す。「理・非・曲・直」が奈辺(なへん)にあるのか…大方の判断を仰ぎたい。なお、文中の固有名詞に係る部分はあえて、匿名とする。

 

 

 私はコロナ禍と猛暑に見舞われた昨年8月、やもめ暮らしの生活にくたびれ果て、完成したばかりの「サ高住」(サ-ビス付き高齢者向け住宅)に老後の活路を求めた。「これで残り少ない人生も有意義に過ごせる」―。3食付きの自立・自活の「余生」はこうして希望に満ちたスタ-トを切ったはずだった。いま考えて見ると、夢想家のひとり相撲だと受け取られかねないが、その時の気持ちは「提言書」(別掲資料)に書いた通りであり、いまも変わりはない。

 

 施設の方向がこの気持ちに逆行し始めた、と強く感じるようになったのは年が明けてからである。施設の管理責任者や職員、あるいは厨房を担当する女性たちや夜勤担当の男性たちに対し、再三再四にわたって、運営面での改善策を要望してきたが、ほとんど「聞く耳」を持たないばかりか、周囲には“敵意”の包囲網が張り巡らされているとさえ感じるようになった。こうして私は次第にストレスをため込むようになり、ついに退去を決意せざるを得ない状況に追い込まれるに至った。「去るも地獄、残るも地獄』―。退去するに当たって、いちばん気がかりだったのは、この施設を「終(つい)の住処(すみか)」と定めた多くの入居者のことだった。

 

 「このお年寄りたちに累(るい)が及ぶようなことがあってはならない。老後の幸せを奪ってはならない」―。改善の兆しが一向に見られない中、私はやむを得ざる気持ちで質問を公開し、世間の良識に訴えることにした。いわゆる、「緊急避難」としての措置である。一読して分かるように、質問項目のほとんどは契約に関わる内容や私が個人的に見聞きした体験談で、サ高住の法的根拠や民法上の「契約不履行」に該当するかどうかなどの単純な問いかけである。この公開質問状に対し、3月8日付で運営主体の法人理事長の筆になるらしい「私信」なるものが届けられた。自己弁明的なこの文書の備考欄に「私信とした理由、根拠について」と題する7項目の指摘が列挙されていた(「私信」に該当する部分はこのブログでの公開を控える)

 

 「頭隠して、尻隠さず」―。私自身の微力ながらの改善努力は一顧だにせずに、公開質問の手続きがまるで「唐突」であるかのような恣意的な物言い。この間、私がこうむった精神的苦痛に対する気遣いがないどころか、あろうことか自らを“人権被害者”に仕立てようとする狂態ぶり…。この倒錯した“人権感覚”に心底、恐れおののいた。こんな人物が“福祉”に携わっていることに戦慄さえ覚えた。だがその一方で、支離滅裂な文脈と目を覆うばかりの狼狽(ろうばい)ぶりをさらけ出した今回の「回答拒否」が逆に、事の真実を白日の下にさらしたという意味では「公開」方式は正解だったと考えている。私の質問が核心をついていることに大方の人は多分、気が付いてくれるはずだからである。「火のないところに煙は立たない」―のである。

 

 さて、私に「苦情」を申し立てる正当な権利が保障されているように、その一方で仮に私の質問項目がことごとく「事実無根」(“デッチ上げ”)だとするなら、人権無視どころか「名誉棄損」で訴えられてもおかしくはないという理屈になる。そして、あなたにはその権利が正当に与えられているはずである。いまの時代、まなじりを決した真剣勝負の“論争”が求められていることを肝に銘じたい。

 

 「まさか、あなたはこの施設の粗(あら)探しのために、入所してきたんじゃないですよね」―。入所に際しての面会の際、件(くだん)の理事長はこう口を滑らせた。その後の事態はまさにその通りに進んだ。いや、探す前にすでに「粗だらけ」だったことをあなたが認識していたのだとすれば、それは別の意味で罪深いことではある。こういうのを世間では”詐欺”と呼ぶ。

 

 本日「3月11日」は東日本大震災からちょうど、丸10年になる。そして、不思議な巡り合わせとしか言いようがないが、私はこの日満81歳の誕生日を迎えた。犠牲者の霊よ、安らかなれ―と手を合わせ、「互いに寄り添い、支え合う」というあの日の教訓を胸に刻み直して、私は先が見えつつある人生をやり直そうと決意を新たにした。おそらく最後の“船出”になるであろう節目の出来事となった「サ高住」脱出記の詳細な経緯を以下に公開し、回れ右をして前へと向き直したい。大げさな言い方ではあるが、我が人生をかけた一大勝負という気負いもある。短い期間ではあったが、寝食をともにした入居者の皆さまの幸せを祈りながら……。そして、貴施設が宮沢賢治の理想郷「イ-ハト-ブ」にふさわしい素晴らしい小宇宙に生まれ変わることを願いながら……

 

 

《追記》~真の”人権”感覚とは!?

 

 日テレ系の民放テレビで13日放映された情報番組の中で、お笑い芸人がアイヌ民族を揶揄(やゆ)する表現として、「あっ、犬」と発言。加藤官房長官も局側に抗議するなどヘイトスピーチへの非難が相次いでいる。私自身、アイヌの人々が「あっ、犬」(=アイヌ)という陰口に苦しんだ事例をたくさん知っている。真の”人権”感覚とはこういう不条理に敏感になることなのだ。

 

 

 

《資料―1》~公開質問状

 

 わずか8が月弱という短い期間でしたが、苦難の人生を生き抜いてきた高齢の仲間の皆さまと寝食をともにする機会を与えていただいたことに対し、心から感謝を申し上げます。さて今般、貴施設を去るに当たって、ここで得た貴重な体験をぜひとも今後の施設運営の改善に生かしていただきたく、以下についての見解を伺います。この地を「終(つい)の住処(すみか)」と定めた皆さまの最後の幸せを実現するための一助になれば…こんな切なる思いからあえて「公開質問状」の形を取らせていただきました。回答は3月11日(東日本大震災10周年)までに文書にてお願いします。なお、関係文書は自身のブログ「ヒカリノミチ通信」において、公開させていただくことをあらかじめ申し添えます。

 

 私が昨年8月、貴施設にお世話になるに当たっての“決意表明”はすでにお渡しした「提言書」(別添資料)に記したとおりです。その気持ちは今に至るまで変わってはいませんが、その後の推移については残念ながら、歯車が逆転しているのではないかと危惧を抱いております。ご案内のように「サ-ビス付き高齢者向け住宅」(サ高住)は「高齢者住まい法」(2011年改正)によって設置が認められた施設で、「60歳以上か、要介護認定を受けた60歳未満」が主な入居条件とされ、1日1回の安否確認と生活相談が義務付けられています。ところが、手厚い看護が受けられる特別養護老人ホ-ムなどの老健施設が待機待ち状態であるのに加え、コロナ禍の影響でこの条件をクリアするのが難しくなっているのが現状です。

 

 たとえば、国土交通省などによると、全国7735施設(入居者約26万人=2020年11月現在)の現状は88%が要支援を含めた要介護認定者で、要介護3以上の重度者も30%にのぼり、「サ高住」の“介護施設化”が進んでいるのが実態です。さらに、入居者も高齢化の傾向にあり、54%が80歳代で90歳以上も22%。入居の目安とされた「自立しているか、要支援2までの入居者」(自立・自活可能者)はわずか28%にすぎません。また、入居者の約4割が認知症というデ-タも報告されています。

 

 こうした傾向は当施設も例外ではなく、私を含めた入居者13人(男性4人、女性9人=2021年3月1日現在、定員30人)のうち、7人が80歳以上で90歳を超えた高齢者も2人おられます。また、歩行器を離せない方や認知症を患っていらっしゃる方もおり、4人が外部の介護サ-ビスや系列のデイサ-ビスを利用するなど、ここでも介護施設化の現実が進行しつつあります。一方でこうした体制上の“ミスマッチ”が原因とみられる事故も多発しています。

 

 朝日新聞社が行った調査では、2015年1月から約1年半の間にサ高住で発生した事故件数は3362件にのぼり、半数以上の1730件が自室での事故、そのうち991件が午後5時から翌午前9時と職員体制が手薄と思われる時間帯に起きていることが分かっています。また、事故の内訳は「骨折」(40%)、「けが・病気」(26%)、「薬の配布ミス」(7%)、「徘徊・行方不明」(5%)、「その他」(15%)、「死亡」(7%)。さらに「死因」(230件)の内訳は「病気・衰弱」(36%)、「誤嚥(ごえん)」(16%)、「自殺」(10%)、「入浴中」(9%)、「転倒・転落」(7%)、「その他(死因不明)」(22%)などとなっています。実に1日に6件以上の事故が発生している計算になります。

 

 大事には至らなかったものの、当施設でも一歩まちがえば大事故につながりかねない「ヒヤリハット」が頻発しています。この8か月弱で病気による長期療養、ベットからの転落による手首の損傷、転倒による後頭部の強打、相次ぐ大地震(2020年12月21日と2021年2月13日)に伴うショック(転倒)による胸部の打撲、地震の恐怖心からと思われる廊下での這いまわり行為…。こうした深刻な事態を受け、国交省は4月から入退去者数や退去理由の公開を義務付けるなどの監視強化に乗り出すことにしています。その背景には入居者不足による倒産や廃業などによって、高齢者の余生が奪われることを未然に防止しようという狙いがあります。2019年度にはその数が過去最高の53件にのぼり、強制退去などのトラブルも懸念されています。

 

 貴施設におかれても、こうした最悪の事態を回避するため、次の諸点について早急に改善策を施し、高齢入居者が悔いを残すことなく人生を全うできる環境を整えていただくよう、心からお願い申し上げます。誠意ある回答をお待ちします。以下、質問事項。

 

●貴施設の「生活の手引き&管理規程」には「入居者とは、概ね原則60歳以上の方で、自立・自活が可能な健康な方をいいます」と定められている。実際の入居実態との乖離(かいり)をどう認識しているのか。「多様性の尊重と自己責任の自覚」(理事長)という運営方針がこうした実態に即したものと考えているか。「高齢者住まい法」の体制(施設長=館長を含めた職員5人)のままでの施設運営は厳密な意味で、“違法”状態と指摘されても致し方ないではないのか

 

●入居実態との“ミスマッチ”があるとするなら、支援のあり方などを今後どう改善しようとしているのか。また、入居者と職員との間の“互助関係”(パ-トナ-シップ)をどう構築しようとしているのか。さらに、介護施設化の現状下ではいわゆる“元気老人”との協働(コミュニケ-ション)が避けられないと考えるが、その具体的な手法についての考えを聞きたい。

 

●「もう少し、おらの(心の)痛みを分かってくれるんだば、あれほどまでガミガ言わねと思うのす。情(なさ)けがもう少し、あればな…」―。引きこもりがちなおばあさんがあたりを警戒するような口調でブツブツとつぶやく。声かけを始めて2カ月近くたったある日、まるで呪詛(じゅそ)みたい言葉が口元からもれた。そのひと言が相手の心をいかに傷付けているかということに無頓着な一部の職員の振る舞いに背筋がゾッとした。

 

 当施設では「生活支援サ-ビス費」(税別)として、月額2万円を徴収し「例えば、食事や健康面、趣味、人間関係など日常生活における入居の心配や悩みなどについては職員がいつでも相談に応じます」(「生活の手引き&管理規程」)としている。しかし、私はもちろんのこと他の入居者の間でもこうした親身なサ-ビスを受けたことは一度もないという声が聞かれる。それどころか、“人権侵害”が疑われるような「言葉の暴力」―。この実態をどの程度、把握しているか。

 

●最近の相次ぐ巨大地震を受け、私はとくに夜間における「危機対応」のついてのマニュアルの作成を何度も要請してきたが、今に至るまで反応はない。こうした危機に際しては当然のことながら、私自身も夜勤者と声を掛け合って、入居者の安否確認に回ってきたが、いつ襲ってくるか分からない“余震”の恐怖に眠れない夜を過ごすこともある。川口市が作成したサ高住の「危機管理マニュアル」(平成30年4月)にはこう書かれている。

 

 「マニュアルの目的;サ高住に従事する職員は、日ごろの運営において、当該サ高住で起こりうる危機を未然に防止するように努めなければなりません。また、当該サ高住で危機が発生した場合には、第一に入居者の安心や安全を確保したうえ、迅速かつ的確な対応をとることが求められます。そのため、サ高住においては的確な状況把握や連絡網の作成など、初動対応に必要な体制を個別に整備しておく必要があります。このマニュアルは、市内のサ高住が起こりうる危機に対して備えるための体制を構築する際に活用できるよう作成しました」―。ここには危機管理の精神が凝縮されている。ただちに同種のマニュアルを作成するよう要求する。

 

●当施設の「苦情処理細則」には「入居者は提供するサ-ビスに関し、苦情を申し立てることができます。苦情を申し立てることにより、不利益な取り扱いを受けることはありません」と記され、「苦情処理の体制は入居者等が見やすい場所に掲示します」と明記されている。しかし、この種の掲示は施設のどこにも見当たらない。

 

 「腹減って、ひもじっくって…。おら、歯がないども腹はすく。自販機で買ったサイダ-をすきっ腹に流し込んでじっと、耐えるだけ。食い物で文句言えば、後がおっかね。だども、メシの量だけはもう少し、増やしてもらいて。毎日、死にそうだでば…」(「食の残酷物語」については2月22日付当ブログ参照)。別のおじいさんの悲痛な訴えに戦慄が走った。「苦情処理」という権利行使の正当性さえ知らされない“沈黙”の強制―。老人コミュニティの闇に潜む「無法」を見せつけられる思いがする。この実態をどう説明するのか。

 

 

 以上、5点についての回答を読ませてもらった上で、なお改善策が不透明な場合は人権擁護などに関わるしかるべき機関に対し、善処方を相談したい旨をつけ加えておきます。

 

2021年3月1日

増子 義久

 

 

 

《資料―2》~提言書

 

 昨日は理事長との懇談の場を設けていただき、ありがとうございました。貴重なお話を聞く機会を得ることができましたが、一方で常勤ではない立場上致し方がないとは思いますが、現場の実情をあまり認識しておられないことも知りました。「いろいろ、聞いている」とおっしゃっていましたが、職員のみなさまからの一方的な伝聞だと推測します。

 

 さて、私たちはいま「コロナパンデミック」という人類がかつて経験したことのない困難な時代を生きざるを得ない宿命を背負わされてしまいました。その最大の損失は人と人をつなぐ従来のコミュニケ-ション手段が奪われたことです。いまではまさに忌み嫌われる言葉(“濃厚接触”)になってしまいましたが、実は「人」を人たらしめるものこそが、お互いの肌が触れ合う存在感だったと思います。これがかなわなくなったいま、私たちは新しい方法を模索しなければなりません。

 

 この施設に最近、歩行器を必要とする方や耳の不自由な方が入所されました。私はとっさに宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」の一節―「東ニ病気ノコドモアレバ/行ッテ看病シテヤリ…」というあの有名な詩句を思い出しました。次の瞬間、賢治の「行ッテ」(Go to)精神そのものがいままさに感染防止の上で「NG」扱いになってしまったことにハタと気づかされました。でも、賢治が言いたかったことは「寄り添う」ことの大切だと思い直しました。歩行器をそっと、押してあげました。なにか、フ~っと吹っ切れる思いがしました。筆談用のボ-ドに名前を書くと、その人は目を真っすぐに向けて微笑んでくれました。「これでいいんだ」と思いました。

 

 私たちは同じ屋根の下で寝食をともにする大家族です。みなさん、長い人生を生き抜いてきた達人たちです。職員のみなさんたちと一緒にどこにも負けない「新しい生活様式」をこの場で築き上げようではありませんか。運命共同体といったら、大げさになりますが、コロナ時代を生きるマニュアルはどこにもありません。お互いに知恵を出し合い、叡智(えいち)を結集して手探りで進むしかないと思います。焦らずに少しずつ、お互いの人生の歩みを語り合いながら、賢治の理想郷「イ-ハト-ブ」への第一歩を踏み出そうではありませんか。折に触れ、職員のみなさんと入所者が一堂に会し、屈託のないおしゃべりをする場をつくっていただければ幸いです。

 

2020年12月20日

増子 義久

 

 

《資料―3》~私信とした理由、根拠について(2021年3月8日付の法人側からの文書)

 

●質問は、多くの利用者又はスタッフの意向かどうか不明であり、個人的な意見と思われること

●公開質問状を提出以前に、何ら手続きを行っていないこと。個人的な話し合い、施設内での議論、討論などが必要で、いきなりの公開質問という手段、手法について、その真意に疑問を持たざる得ないこと。乱用とも解釈される

●当施設は、公的ではなく私的な施設であること。したがって、大切なことは自助努力すべきであること

●個々の質問には、入所者、スタッフのプライバシ-に関わる事もあり、充分に事情の真実性とトラブルの頻度などを検証した資料が必要であること

●上述した事由から、安易に公開的返事を出すことはすべきではなく、ましてや、ご自身のブログで公開するというということは認められないこと

●私は、公人でも、議会人でも、ジャ-ナリストでもなく一民間人であり、その人間に合意なく一方的通達(期限付)は失礼千万であり、私の人権を無視したものであり、怒りさえ覚える事案であり、返答する義務は考えない

●しかし、一時的にしろご縁があり、今後の当施設の行く末をご心配いただいていると忖度して、私信として、包括的な考えをお答えすることが、現状において最善策と思われること

 

 

 

 

(写真は自室から見える松林。このロケ-ションが気に入っていたのだったが…=花巻市内で)

 

 

 

花粉症とBC級戦犯、そして“同志”ということ

  • 花粉症とBC級戦犯、そして“同志”ということ

 

 

 『花粉症と人類』(岩波新書)というタイトルの本が送られてきた。私自身、“花粉病(や)み”のせいもあり、「ネアンデルタ-ル人も花粉症?」というキャッチコピ-にひかれたが、同封されていたあいさつ文を見て、思わず、居ずまいを正した。こう書き出されていた。「日本の戦争責任を肩代わりさせられた韓国・朝鮮人元BC級戦犯者とその家族を応援し、裁判や補償立法に係わってこられた敬愛する皆さま」―。「あの時の海平君じゃないか」…私は年甲斐もなく胸が熱くなるのを感じた。いまどきならきっと、鼻先でせせら笑われるであろう“同志”という言葉が全身をかけめぐったからである。

 

 もう30年以上も前になる。いまは東京農大教授である著者の小塩海平さん(55)は集会のたびにその真っすぐな眼差しを壇上から背けることはなかった。寡黙で端正な顔立ちがいまも、記憶の底に刻まれている。当時、同大大学院で花粉の研究に没頭しているということは知っていたが、彼の口をついて出る言葉はいつも「不条理」だった。先の大戦で日本の植民地下にあった朝鮮半島から旧日本軍の軍属として多くの人たちが徴用された。戦後のBC級裁判で捕虜虐待などの疑いで裁かれ、23人が処刑された。さらに、サンフランシスコ平和条約で朝鮮半島の出身者は日本国籍をはく奪されたうえ、もはや「日本人」ではないという理由で、戦後補償の対象からも排除された。

 

 「戦争責任を肩代わりさせられたうえ、戦犯の烙印を押すという不条理が許されるのか」―。こんな呼びかけに若者たちが呼応し、「韓国・朝鮮人元BC級戦犯を支える会」が結成された。当時、新聞記者だった私はその会で小塩さんに出会ったのだった。現在、95歳になる李鶴来(イ・ハンネ)さんは日本に残る最後の元戦犯。映画「戦場にかける橋」で知られる泰緬鉄道(たいめんてつどう、タイ~ミャンマ-間)の工事現場で、李さんは“日本軍軍属”として、連合国軍の捕虜監視に当たった。そして、日本の敗戦によって開かれたBC級裁判で「デス・バイ・ハンギング」(絞首刑)の極刑が言い渡されたが、その後、減刑された。

 

 「日本が国として、謝罪しないのなら、私自身が出向いて捕虜たちに直接、頭を下げたい。捕虜を虐待したという点では、私たちBC級戦犯にも加害の責任ある」―。本来なら、植民地支配の“被害者”であるはずの李さん自らが“加害者”として、かつての敵国に赴(おもむ)くとい”視座”の逆転―。まぎれもなく「加害」の立場に身を置く日本人の私は揺れ動く気持ちに翻弄(ほんろう)されながら、オ-ストラリアへの“謝罪の旅”に同行取材した。ちょうど30年前の1991年のことである。多くの捕虜たちが命を落とした最大の難所「ヒントク」を忘れてはならないという思いで、李さんは「ノ-モア・ヒントク、ノ-モア・ウォ-」と刻んだ時計を当時の捕虜の代表に贈った。「心の区切りを付けるのに半世紀近くもかかってしまった」。李さんのその時のひと言が忘れられない。

 

 「私が元BC級戦犯者の方々から学んだ最も大きな教訓は、『最後まで希望を持ち続け、仲間とともに進むこと』でした」―あいさつ文を読み進むうちに目が点になった。「本書を読んでいただいても花粉症は治りませんが、少なくとも大山さんがいかにすぐれた編集者であるかは、おわかりいただけることと思います」…本書の編集を担当した岩波書店の大山美佐子さんも「支える会」の屋台骨を支える若者のひとりだった。あの戦争、いや10年前の「3・11」(東日本大震災)の記憶さえもが雲散霧消しつつあるいま、「不条理」を心に持(じ)し続けてきた若者たちがいた。老体の李さんはいまも救済の立法化を訴えて奔走する。その車いすを押すのがいまや中年に差しかかった小塩さんや大山さんたちである。これを“同志”と呼ばずして、なんと呼ぼうか。そう言えば、小塩さんが面白いことを書いていた。

 

 「花粉の側にも言い分がある。彼らは、人類が地上に足跡をとどめるようになるはるか以前、太古の昔から、この世に存在していた先住民なのである。…かつて憎きスギ花粉を全滅させることを志し、復讐心に燃えて研究に取り組み始めた私自身が、やがて花粉の魅力に取りつかれ、花粉によって映し出される人類史・文明史を描こうと思うに至った個人的な物語とも重なっている。つまり、本書を通じて、これまで不当に憎まれ、忌避されてきた花粉の弁明に努めたいというのが、私の密かな願いなのである」―

 

 この伝(でん)にならって「花粉」を「コロナ」に置き換え、その言い分に耳を傾けても何ら異存はあるまい。そもそも「コロナ」とはギリシャ語で「王冠」を意味し、大気光学的には「花粉」も「コロナ」の別称だということを本書で教えられた。私が新型コロナウイルスに対し、「コロナ神」の尊称を捧げたいと願うゆえんである。つまりは小塩さんや大山さん、それに私も加えていただければ、私たちに共通する視座はたえず、こっちではなく“向こう側”に向けられているということであろうか。李さんが言わず語らずに指し示してくれた「視点の置換」……

 

 「過去を帯びない現在はない」―。小塩さん、大山さん、そしてかつての“同志”のみなさん、世紀末風のたたずまいの中で、「あったこと」を「なかったこと」にしてはならないという最低限の「人倫」を矜持(きょうじ)することの大切さをあらためて、考えさせられました。ありがとうございました。

 

 

 

 

(小塩さんの『花粉症と人類』は「花粉」を通じた一大文明論でもある)

 

 

「パワハラ」問題が、ふたたび市議会一般質問で俎上に…「沈黙は金なり」&「口は災いの元なり」!?

  • 「パワハラ」問題が、ふたたび市議会一般質問で俎上に…「沈黙は金なり」&「口は災いの元なり」!?

 

 「メンタル疾患が原因とされる休職者が急増している。市役所内のパワハラの実態はどうなっているのか」―。開会中の花巻市議会3月定例会の一般質問で3日、若柳良明議員(平和環境社民クラブ)がその実態や職場復帰者の状況、防止策などについて、ただした。上田東一市長は答弁の中で、「過去10年間で延べ64人(実数43人)がメンタル面の疾患で休職しており、令和2年度は2月末現在で12人と過去最高になっている。しかし、仕事の悩みや職場環境など複数の要因が考えられ、パワハラが直接の原因だと断定することは難しい」と説明した。

 

 若柳議員は1年前の3月定例会でもほぼ同じ趣旨の質問をした。当時、私の手元には上田市長自身の「パワハラ」問題を追及する“怪文書”や匿名のメ-ルなどが相次いで寄せられた。あれから1年がたつというのに、同議員はパワハラの筆頭格とも言える上田市長に対し、「何かあなた自身に身に覚えはないか」と矛先を向けることはなく、通りいっぺんの質問に終わった。上田市長が他人風情の涼しげな顔で答弁を締めくくったのは言うまでもない。議員の資質低下と“パワハラ”市長の面目だけが躍如した猿芝居をまた、見せつけられてしまった。

 

 1年前の“怪文書”について、私は当時複数の市職員やOBに内容の信憑生(しんぴょうせい)を確認したうえで、その要旨(原文のまま)を当ブログに掲載した。現場からの悲痛な訴えは「SOS」発信そのものだった。「喉元過ぎて、熱さを忘れる」という落とし穴はまらないため、以下に再録する。

 

 

 

(SOS)~その1

 

 このまま花巻市政が停滞するのは見過ごすことはできませんでしたので、現状について、上司や先輩方から聞いたこと、同僚と話したことをまとめて、報告いたします。極力自分の気持ちを抑え、客観的な事実に基づいたものとしておりますが、お知り合いの職員に確認していただけば間違いがないことを確認できるかと思います。また、職員の気持ちが暗くなっており、多くの職員が市役所や、市政の未来を不安視しています。さらに多忙による残業が多くなっており、私の周りでも体調不良を起こしたり、帰りが遅いことが家族関係が悪化の一因なったり、交通事故が発生しています。

 

《パワハラ》~単なる気分屋か

 

 その日の気分によることが大きいかもしれませんが、職員への理不尽で度を越した叱責が多く、市職員は疲弊しております。市長は「(公務員は)うそをつく」「ごまかす」「何もしない」等の理由から信用できないと公言しており、その考えが根底にあることから、様々な場面で、例えば市政懇談会で市民の方がいる前で部長を叱責したり、議会においても職員の遅滞が原因で、業務が進捗しないと答弁します。「使えね―」「うそをつくな」「ごまかすな」「市職員にまともなのはいねえな」などなど。朝早く市長決済のため出勤し、または総合支所から出向いて待っていても、そんな苦労はわからないから、(説明を聞かず)数秒で「見直してまた来い」と怒鳴り、追い返します。

 

 花巻市は新聞に掲載されるような不祥事が多いですが、市役所全体が、風通しのいい職場ではないので、不祥事を隠ぺいする体質に変わってきているように感じます。パワハラする人は、自分がパワハラしていることがわからないという、典型的な方です。おかげさまでパワハラによる休職者が増えており、また、将来の部課長になるべき逸材が、早期退職しています。多くの職員は、自分の身を守るために、市長室に行く場合は、ICレコ-ダ-で録音しています。

 

《朝令暮改状態》~物忘れか?

 

 事業がうまくいけば、「俺の言ったとおりだろ」と言い、うまくいかなければ、「なんで説明しないのか(説明はしたのに)」、「俺の言ったとおりにやれ(言ったとおりにしたのに)」と言っています。私も経験しましたが、自然体で、やる気のある職員のやる気をへし折るのが得意です。

 

 副市長、部課長は文句を言いながら、市長の指示で、業務指示は二転三転し、部下はさらに右往左往し、疲弊、疲労困憊状態です。私も数年前に市長に叱責され、それを副市長、部長や課長がいながらも、フォロ-がなく、ただ叱責されました。自分が失敗したならともかく、市長の指示どおりにしたのですが、結局市長の考えが変わっていただけです。私もそのようなことがあり、毎日が不安で、不眠になり、市長協議の朝には出社拒否したいが無理して出勤しましたが、でも結局うまくいかず、うつの状態になり、自殺も考えたこともありました。

 

 有能な職員が休職したり、退職している状況であり、職員全体が自分の仕事以外の面倒なことはやらない雰囲気となっています。北上市職員は優秀だと話をしていますが、花巻市職員も優秀だと思いますが、こんな職場風土では、いい仕事はできません。職員に会えば、早く異動したい、辞めるかなどと話をしており、正常ではないです(2020年3月4日付当ブログ「『ハラスメント』問題が市議会へ」

 

 

(SOS)~その2

 

 最新の記事を拝読させていただきました。職員の一人からの「SOS」を読ませていただき、私も花巻に生まれ、花巻市役所に働く一人として、市役所内の状況についてお伝えすべきかと思いご連絡しました。勇気を出し切れず、匿名でしかご連絡できないことが申し訳ないです。ただ、この話も、お知り合いの職員やOBの方に確認いただければ事実であると分かるはずです。もし必要ならブログでご紹介いただいても構いません。

 

 現在、職員の多くが、自信をなくし、仕事へのモチベ-ションも、将来の希望も失っている状況になっています。市長はよく「市役所の職員はレベルが低すぎる」、「小学生の算数もできない」、「馬鹿すぎる」、「民間企業ならクビだ」などと職員を罵ります。私自身、何度か直接同様のことを言われたことがありますし、市長室に入ったことのないような若手の職員も、議会検討会等の録音デ-タで、部長や課長がそのような罵られ方をしているのを聞いて「将来そんな風になるのなら役職に就きたくない」と言っています。

 

 また、市長の考えに沿わないものは、何を提案しても即否定されるだけなので、誰も新しいことを提案することはできない雰囲気になっています。(市長のおっしゃることに賛同して、機嫌を損ねないようにすることばかり考えています)。市長は「俺のようにはできないだろうけど、頭を使って考えろよ!」と言いますが、一方で「俺が言ったことだけやれ」とも怒鳴ります。結局は、自分が気に食わないことがあったら、その時々で都合よく怒鳴っているだけのように感じます。

 

 市長の言うことに対して反論しようとすると、ほとんど聞いてもらえないままに、何十倍にも否定の言葉で叩かれるので、黙っているしかありません。基本的に他人を見下していて、国や県と連携しているようにいつも話していますが、裏では国や県の方々のことも「程度が低い」とか「大したことない」と罵ることがあって、色々とご協力をいただいた国や県の方々のことを目の前で罵られても黙っているしかなかった自分がとても情けなく思います。

 

 また、市議会の議員の方々のことも「何も分かってない」とか「俺にはすぐにわかることでもどうせ理解できない」と言っているのも聞いたことがあります。それでも、議会は追従するばかりです。何年か前は、少なくとも今よりは仕事を楽しめていた部分があったように感じます。いまはただただ市長に怒鳴られないようにするためにはどうすればいいだろうとビクビクしています。

 

 市長が言うとおり、私たちは無能なのでしょうか。あと何年、こういう状況で働かなければならないのでしょうか。どうにもできないのでしょうか。最近は市役所を辞めたらどうなるだろうということばかり考えてしまいます。(一職員)

 

 

(SOS)~その3

 

 昨日、今日と増子さんのブログを見て勇気づけられた一職員です。匿名で投稿することをお許しください。自分も知りうることを伝えたいと思い、投稿しました。また、この内容についてもブログで取り上げてもらって構いません。

 

 これまで紹介された職員からの訴えは事実です。上田市長は、自分の思い通りに行かないと怒鳴り罵倒するのは日常茶飯事。日頃からコンプライアンスを声高に言っているにも関わらず、自らを律することはなく感情のままに職員を怒鳴り人格否定。部長、課長も市長の機嫌を損ねないよう立ち回るため、結果的に部下は見殺し状態となり、そして精神を病み休まざるを得なくなる。ただ、部長、課長も人間です。幾度となく罵倒され怒鳴られれば、保身の気持ちが優先となることも仕方ないとは思います。問題は、トップがそのような状況を作り出しているということです。

 

 正直なところ、以前の大石市長よりもいいと最初のうちは思っていました。選挙の際にも、上田市長へ一票を投じました。しかし、今では自分の不明さを悔やんでいます。別の職員の投稿にもありましたが、花巻市職員は決して無能ではありません。このままでは、有能な職員ほど状況を悲観し、やめていってしまいます。どうか一刻も早く、この地獄のような状況が変わる一助になればと、今回連絡いたしました。多くの職員が苦しんでいます。どうか助けてください。お願いします(2020年3月6日付当ブログ「相次ぐパワハラ情報」)

 

 

 

 

 

(写真は「パワハラ」問題を追及する若柳議員(3月3日午後、花巻市議会議場で。議会中継のパソコン画面から)