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第4回「図書館と私」オンライン講演会…「まるごと市民会議」主催

  • 第4回「図書館と私」オンライン講演会…「まるごと市民会議」主催

 

 

 「図書館のあり方をみんなで考えよう」―。「新花巻図書館―まるごと市民会議」主催の第4回オンライン講演会が4月25日(日)午後2時から開かれる。講師は当市出身の童話作家、柏葉幸子さん(盛岡市在住)。デビュ―作の『霧のむこうのふしぎな町』(1974年、講談社児童文学新人賞)はのちに、空前のブ-ムを呼び起こした宮崎アニメ「千と千尋の神隠し」(第52回ベルリン国際映画祭金熊賞)のモチ-フになったことで知られる。

 

 野間児童文芸賞を受賞した『岬のマヨイガ』(2016年)は東日本大震災に遭遇した3人の女性がマヨイガ(迷い家=古民家)で共同生活しながら、きずなを強めていくという物語。『遠野物語』に登場する妖怪たちとの交流も描いた異色作。今年になって、竹下景子主演で舞台化されたほか、今年中の映画化が決まっている。演題はずばり「図書館と私」―。『モンスタ-ホテル』シリ-ズや『かいとうドチドチ』シリ-ズなど数多くの作品が繰り広げる変幻自在な“柏葉ワ-ルド”へどうぞ。4月1日付の広報「はなまき」や「まるごと市民会議」のフェイスブックなどで参加方法を案内しています。

 

 私事になるが、柏葉さんとは今回、約20年ぶりの再会となる。2002年4月20日―。「千と千尋の神隠し」の上映会場となった花巻市文化会館大ホ-ルは立ち見が出るほどの観客であふれ、外には入りきれない人たちの長蛇の列ができた。隣接する図書館では映画の上映に合わせて、1週間にわたって「柏葉幸子童話作品展」が開催された。宮崎駿監督は当時、こんな風に語っていた。「その頃、『霧のむこう…』という70年代に書かれた児童文学の映画化を検討してみたんです。正直、僕はその話のどこが面白いのか分からなくて、それが悔しくてね。映画化することで、その謎が解けるのではないかと…」(当時のパンフレットから)―

 

 その2年前、42年ぶりにふるさとに戻った私は映画館が姿を消してしまった街のたたずまいに愕然(がくぜん)とした。仲間たちに声をかけ、「『花巻に映画の灯を再び』市民の会」を結成。その旗揚げ記念に計画したのが宮崎アニメと童話作品展の同時開催だった。1日3回の上映会は大盛況で終わった。私たち「市民の会」は益金の一部で柏葉作品を買いそろえ、花巻市立図書館に寄贈した。あれから20年、今度は柏葉さんからその図書館とのかかわりを聞く機会を得たことに不思議な縁(えにし)さえ感じる。「図書館(本)とは実に出会いの広場なんだ」と……

 

 

《注》~マヨイガ

 

 東北や関東地方に伝わる、訪れた者に富をもたらすとされる山中の幻の家、あるいはその家を訪れた者についての伝承。たとえば、柳田国男の『遠野物語』(1910年)には「無欲ゆえに富を授かった三浦家の妻の成功譚」(第63話)や「欲をもった村人を案内したせいで富を授かれなかった若者の失敗譚」(第64話)などが紹介されている。マヨイガは遠野地方の呼び名で、「山奥の長者屋敷」として語り伝えられている(ウキペディアなどより)

 

 

 

 「新花巻図書館―まるごと市民会議」設立趣意書

 

 

 「図書館って、な~に」―。コロナ禍の今年、宮沢賢治のふるさと「イ-ハト-ブはなまき」では熱い“図書館”論議が交わされました。きっかけは1月末に突然、当局側から示された「住宅付き図書館」の駅前立地(新花巻図書館複合施設整備事業構想)という政策提言でした。多くの市民にとってはまさに寝耳に水、にわかにはそのイメ-ジさえ描くことができませんでした。やがて、議会内に「新花巻図書館整備特別委員会」が設置され、市民の間でもこの問題の重要性が認識されるようになりました。「行政に任せっぱなしだった私たちの側にも責任があるのではないか」という反省もそこにはありました。

 

 一方、当局側は「としょかんワ-クショップ」(WS)を企画し、計7回のWSには高校生から高齢者まで世代を超えた市民が集い、「夢の図書館」を語り合いました。「図書館こそが誰にでも開かれた空間ではないのか」という共通の認識がそこから生まれました。そして、その思いは「自分たちで自分たちの図書館を実現しようではないか」という大きな声に結集しました。

 

 そうした声を今後に生かそうと、WSに参加した有志らを中心に「おらが図書館」を目指した“まるごと市民会議”の結成を呼びかけることにしました。みんなでワイワイ、図書館を語り合おうではありませんか。多くの市民の皆さまの賛同を得ることができれば幸いです。

 

2020年10月25日 

 呼びかけ人代表  菊池 賞(ほまれ)

 

 

 

廃墟と桜、そしてワクチン接種

  • 廃墟と桜、そしてワクチン接種

 

 「公園地内は7、8百の紅提灯を吊るし連ね、城跡の中腹下辺りには数百の灯籠を立て並べ、宿場内市中は各戸の軒に提灯を吊るし、大変に賑わいました。同日は特に好天だったため、近郷近在より老若男女の参詣が非常に多く、公園地内は人がぎっしりと詰まっており、かき氷屋は最も繁盛しました」(明治17年8月25日付「岩手新聞」)―。満開を咲き誇る桜の花びらの先にまるで、陽炎(かげろう)か蜃気楼(しんきろう)が立ち上がったような錯覚に陥った。記事はこの光景を「打ち上げ花火の明かりに照らされながら剣術や柔術、歌俳諧が夜半まで続けられた」とも描写している。

 

 いまから136年前、郷土のいしずえを築いた文学や武芸、書画、和歌、俳諧などの人士194人の名を刻んだ「鶴陰碑」が花巻城三の丸跡に建てられた。その完成を祝う“群霊祭”の様子を伝える記事である。当時、この城跡は「東公園」と呼ばれ、音楽堂や東屋、池などを配し、見事な桜並木がトンネルをつくる花見の名所でもあった。今年、早咲きの桜は4月初旬から中旬にかけてつぼみがふくらんだ。しかし、花見を楽しむ人の姿はいない。コロナのせいではない。瓦礫(ガレキ)の荒野が人を寄せ付けなくなってもう、久しい。

 

 東公園は戦後、デ-タ通信の先駆けとなったテレプリンタ-(印刷電信機)の開発を手がけた「新興製作所」に払い下げられ、戦後花巻の復興を支えた。その後の社屋移転に伴い、7年前に「公有地」として一般に売りに出された。優先取得が法律で認められていたが、上田東一市長は「利用目的ははっきりしない」という理由で取得を断念。その後、不動産業者の手にわたり、無惨な姿をさらけ出したまま、現在に至っている。

 

 城址(しろあと)の/あれ草に臥(ね)てこゝろむなし/のこぎりの音まじり来(く)―。郷土の詩人、宮沢賢治は東公園に寝ころびながら、こんな歌を詠んでいる。その背の下には不動産業者が不法に放置した有毒物質のPCB(ポリ塩化ビフェニル)が秘匿(ひとく)されているらしい。陽炎と蜃気楼がす~っと、目の前から消え、むき出しの廃墟が迫ってきた。いまが盛りの桜が廃墟をいっそう、廃墟たらしめている。上田失政の“負の遺産”の光景として、目に焼き付けておきたい。“永久保存版”として…

 

 

 

(写真はコントラストの妙を描き出す光景。いまや、“負の名所”とでも名付けたくなる。後方の残骸(旧東公園)のどこかにPCBが隠されているらしいが、行政側も現地確認するまでには至ってない=4月15日、花巻市御田屋町の新興跡地で)

 

 

《追記》~裸の王様

 

 上田”パワハラ&ワンマン”市長が15日に行われるワクチン接種のシュミレーション会場に立ち会うとのこと(HPの市長予定)。「福島原発事故の際、無理やり視察して現場対応を妨害した菅直人(当時の首相)みたい」というフェイスブック上の書き込みを見つけた。ったく、同感。そういえば、この人は特定定額給付金(10万円)の支給時にも現場に押しかけ、職員たちの不評を買っていた。あぁ、部下を信用できない”裸の王様”の悲しい性(さが)よ!?

 

 

(続)”パワハラ”首長の雲泥の差…懲りない面々、片や「百条委員会」設置のテンヤワンヤ

  • (続)”パワハラ”首長の雲泥の差…懲りない面々、片や「百条委員会」設置のテンヤワンヤ

 

 「市役所にサウナ持ち込み/職員にパワハラ。大坂・池田市長に百条委『不信任相当』」―。今度はこんな大見出しの記事が目に飛び込んできた。イヤハヤ、気の休まる暇がない。当市花巻も同じような問題(パワハラ疑惑)を抱えているが、果たして議会側にはこれまでのような手ぬるい追及(3月3日付当ブログ参照)ではなく、伝家の宝刀(百条委)を抜く覚悟があるのかどうか―

 

 

 大阪府池田市の冨田裕樹市長(44)が市役所に家庭用サウナを持ち込むなどした問題で、市議会調査特別委員会(百条委員会)が7日、報告書案を固めた。職員へのパワハラなども認めたうえで、「市長としての資質を著しく欠く」とし、「不信任に相当」と明記する方針だ。12日の会合で正式決定する。

 

 サウナの問題は昨年10月に報道で発覚した。市議会は同11月に百条委を設置し、冨田氏や市職員を証人喚問して調査を進めてきた。関係者によると、7日の非公開協議で報告書案をほぼまとめた。発端になったサウナの持ち込みについて冨田氏は「スポーツ障害の症状緩和のため」と正当性を主張した。ただ百条委側は、障害を裏付ける診断書などを冨田氏が示さなかったとし、「弁解の余地のないあるまじき行為だ」と批判した。調査の過程で、冨田氏が多くの私物を持ち込み、昨年9~10月に計17日間、市役所に宿泊したことが判明した。昨夏の休暇時、「淡路島兵庫県)に行った」と議会で答弁したが、実際は九州を旅行していたことも後に明らかになった。

 

 冨田氏は「私が公務と認識した時点で公務だ」と述べ、市役所での宿泊は問題ないとしたが、百条委は宿泊が必要なほどの公務はなかったと判断し、「公私混同で不適切な庁舎使用だ」とした。さらに冨田氏が百条委で「淡路島には行かなかった」と議会での答弁内容を翻したため、「虚偽答弁をした」と断じた。 冨田氏は市外の自宅との往復のため、公務用のタクシーチケットを計15回使った。百条委は自宅としての届け出がなかったとし、私的流用と認定した。

 

 百条委はさらに市職員へのアンケートなどから、冨田氏が職員を大声で叱責(しっせき)したり、使用済みタオルを洗わせたりといったパワハラ行為があったと認定した。富田氏が、市長公務でしか使えない市役所駐車場定期券を自身の後援者に使わせていたことも、公職選挙法が禁じる寄付行為にあたる疑いがあると指摘した。百条委は、冨田氏の一連の言動について「良識ある人間なら到底考えられない」と総括し、市議会として「不信任決議」が相当と結論づけた。

 

 冨田氏は大阪維新の会公認で2019年に初当選し、現在1期目。問題発覚後の昨年11月に維新を離党している。地方自治法では、3分の2以上の議員が出席し、4分の3以上が不信任決議に賛成すれば、市長が10日以内に議会を解散しない限り失職する。関係者によると、池田市の全議員の4分の3以上が不信任に賛成する見込みだ(4月8日付「朝日新聞」)

 

 

<百条委員会の報告書案>(要旨=職員等へのパワハラ疑惑について)

 

 市職員を対象にしたパワハラに関するアンケートを実施した結果、多くの職員から、首長という立場で、自身の意に沿わない職員などに対して大声での叱責(しっせき)や威圧的な振る舞い、そして、身近な秘書課職員等に対しては、執拗(しつよう)な叱責(しっせき)や公私混同甚だしい指示を与えるなど、冨田市長によるパワハラ行為があったものと認められる。冨田市長の証人喚問では、アンケート結果について、確実性がないと反論するとともに、職員から証言のあったパワハラ案件に対しても、「指導」という都合のよい言葉を隠れみのにし、精神的に苦痛を与え、就業環境を害していたものであるにもかかわらず、醜い弁解に終始するだけであり、良識を疑わざるを得ない。

 

 

 

(写真は渦中の冨田・池田市長=インターネット上に公開の写真から)

 

 

 

 

 

 

 

 

“パワハラ”首長の雲泥の差…明石市長、知事選擁立へ。片や!?

  • “パワハラ”首長の雲泥の差…明石市長、知事選擁立へ。片や!?

 

 次の兵庫県知事選(7月18日投開票)の候補者として、立憲民主党と国民民主党所属の元国会議員や県議らが、同県明石市の泉房穂市長(57)の擁立を検討していることが4日、分かった。泉氏を推す議員らは近く泉氏に立候補を要請する方針。同知事選には元副知事の金沢和夫氏(64)と元大阪府財政課長の斎藤元彦氏(43)が無所属で立候補する意向を表明。県議会最大会派の自民党県議団は金沢氏の擁立をめぐって分裂し、斎藤氏を推す一部議員が新会派を設立、保守分裂選挙となることが確実となっている。また、日本維新の会は斎藤氏を推薦する方針を示している。

 

 一方、立民県連副代表で元衆院議員の井坂信彦氏は取材に対し、泉氏について「新型コロナウイルス対応や福祉分野で独自の政策を実行してきたリ-ダ-。今は決断力と実行力のある知事が必要だ」と話した。泉氏は明石市出身。弁護士、旧民主党の衆院議員を経て、平成23年の統一地方選で市長に初当選。市幹部に暴言を浴びせたとして31年2月に辞職、出直し選で当選した。知事選には元加西市長の中川暢三氏(65)も立候補を表明している。

 

 

 こんな記事(4月4日付「産経新聞」)に目を奪われた。懐かしい名前である。実はこの人、“パワハラ”市長として名をはせたものの、その後に懺悔(ざんげ)を繰り返して、出直し選挙で返り咲いたという兵(つわもの)である。1年前の当ブログ「他山の石、以て攻めむべし―明石市長の『パワハラ』始末記」(2020年3月18日付)をじっくり、読み直していただきたい。同じ日本の最高学府(世間では東京大学と呼ぶらしい)を極めた人物にして、これだけの雲泥の差である。わがイ-ハート-ブの上田東一”パワハラ”市長”(3月3日付当ブログ参照)に至ってはこんな待望論もついぞ、聞こえてこない。それどころか、現市政に失望して、40代半ばで退職を余儀なくされた職員の、「まだ、前の市長の方がましだった」という“恨み節”をフェイスブックで見つけた。

 

 

 当時の泉市長のこんな真摯な姿勢が印象に残っている。「明石市政の混乱を招いた責任は私にあり、本当に深く反省している。職員としっかり信頼関係を築き、明石のまちづくりをしっかりやっていきたい…。自分自身の欠点は、苦手分野を後回しにすることと感情のコントロ-ルの2つ。苦手分野は、これから職員から学び取り組んでいきたい。感情のコントロ-ルについては、この1ヶ月以上日記を付けたり、専門講座を受け続けて、55歳にして改めて自分自身の至らなさを知った。その点についてもしっかりと改めていきたい」(当時の新聞報道などから)―

 

 さ~て、残り任期が1年を切ったあなたは一体、どうするつもりなの!?

 

 

 

(写真は涙ながらに自分の至らなさを謝罪する当時の泉市長=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

「庵野秀明」という”修羅“…このナゾ深き男に付きまとわれて

  • 「庵野秀明」という”修羅“…このナゾ深き男に付きまとわれて

 

 

 思考停止に追い込まれつつある“コロナ脳”をかち割るためには強烈な破壊力のあるアニメが一番というわけで、いま話題の「シン・エヴァンゲリオン劇場版」(庵野秀明脚本・総監督、2021年3月公開)をのこのこと観に行ったまでは良かったが…。いきなり、しょっぱなから脳天一撃の強烈パンチに見舞われた。「人類の浄化か再生か。はたまた神殺しか」―といった先入主はサラ・ブライトマンの美声が奏でる「主よ、人の望みの喜びよ」(バッハ)の冒頭BGMによって、あっけなく打ち砕かれた。それにしても、どうしていきなり!?思い当たる節がある。それは5年前にさかのぼる。

 

 東日本大震災(3・11)と福島原発事故の記憶の風化が叫ばれ始めた、ちょうどその時期に符節を合わせるかのようにして同監督の「シン・ゴジラ」(2016年7月公開)が登場した。「巨大不明生物」(シン・ゴジラ)の正体は海底に捨てられた大量の放射性廃棄物を摂取して生き返った太古の海洋生物。その冒頭シ-ンにいきなり、宮沢賢治の『春と修羅』の原本が映し出された。地元の偉人伝説として、たとえば次のような印象的なフレ-ズは私自身の頭の奥にも刻印されている。

 

 「いかりのにがさまた青さ/四月の気層のひかりの底を唾(つばき)し/はぎしりゆききする/おれはひとりの修羅なのだ」「雲はちぎれてそらをとぶ/ああかがやきの四月の底を/はぎしり燃えてゆききする/おれはひとりの修羅なのだ」―。当時、社会現象と化したこの映画をめぐって、「なぜ、ゴジラと修羅なのか」という“意味論争”が盛んに繰り広げられた。「放射能を生み出した人類に対するゴジラの報復ではないのか。庵野監督はゴジラに対し、修羅を自認する賢治を仮託しようとしたのではないのか」というのが私の解釈だった。単純と言えばその通りだが、「この監督がなぜ唐突に“心象スケッチ”と名づけられた賢治の詩集を観客の前に投げ出したのか」―。この意表を突く“仕掛け”についてはストンと落ちるものがないまま、いまに至っていた。

 

 私は「3・11」10周年の3月11日…81歳の誕生日に当たるその日、8ケ月間弱を過ごした地獄のような施設暮らしからの脱出(正確には”脱走”と言った方が良いかもしれない)を試み(同日付当ブログ参照)、やっとのことで自宅に生還。日なが一日、イギリスのソプラノ歌手、サラ・ブライトマンのCDに聴き耽(ふけ)った。亡き妻が好きだったサラの透き通るような歌声に救いを求めたかったに違いない。そんなある日、庵野監督の素顔に迫るドキュメンタリ-がNHKで放映された。父親が事故で片足を失ったという秘話を明かした監督はこう語った。「『欠けていること』が日常の中にずっとあって、それが自分の父親だった。全部が揃ってない方がいいと思っている感覚が、そこにある。そういう親を肯定したいという思いが、そこにある」―

 

 「仏教八部衆のひとり、阿修羅を指す。一心不乱な狂ったような姿かたちから“鬼神″とか“戦争神”とも呼ばれる」―。修羅(しゅら)について、ウィキペディアなどはこう説明している。ハタと得心する気持ちになった。賢治がそうであったように、今回の「シン・エヴァ」では庵野監督自らが修羅そのものを演じようとしたのではないかと…。はじけるような心持ちで映画館に走った。

 

 「人類補完計画」なるものがこの映画の最大のキ-ワ-ドらしい。「魂と肉体の解放による全人類の進化と意識の統合による原罪からの開放…」―。またぞろ、“意味論争”が百花繚乱の趣である。ふと、「シン・ゴジラ」を創造したと言われる学者の遺書めいた紙片が『春と修羅』のかたわらに置かれている場面を思い出した。「私は好きなようにした。君たちも好きにしたまえ」とそう書かれていた。「シン・エヴァ」の試写会の席上、庵野監督が「もう終わったから、オレは見ないよ」と会場を後にする姿をドキュメンタリ-は伝えていた。「あとはこの映画を観たみなさんのご随意に…」といった風に―

 

 コロナ禍の中で席に間隔を持たせた劇場はそれでも満席に近い状態だった。耳に残響音を残しながら、私は改まった気持ちでスクリ-ンから流れる「主よ、人の望みの喜びを」に聴き入った。サラの美声が前にもまして心地よく響いた。「人類とは永遠に補完し続けなければならない代物なのだ。欠陥品、それでいいのだ」―これが「ナゾ深き男」…庵野“修羅”のメッセ-ジなのだと勝手に解釈した。「絶望せよ。だが、希望も捨てるな」―。幕開きの冒頭にこの宗教歌をさりげなく重ねた意図が少し、わかったような気がした。これも随分と自分に都合の良い解釈だと思いつつも、絶望の淵からすんでのところで救済されたという思いが募った。さて、この“修羅神”は三度目の正直として、今度は何をプレゼントしてくれるだろうか。

 

 ひょっとしたら、それはコロナ神に対する“敗北宣言”だったりして……

 

 

(写真は現代版“修羅”の庵野秀明監督=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

 

《訃報》~「不条理」を訴え続けた李さんが死去

 

 3月7日付当ブログ(「花粉症とBC級戦犯、そして“同志”ということ」)で紹介した李さんの訃報が届いた。追悼の気持ちを込めて、朝日新聞の記事を以下に転載する。

 

 

 第2次世界大戦後の戦犯裁判でBC級戦犯として裁かれ、日本政府に救済と名誉回復を求めていた在日韓国人の李鶴来(イ・ハンネ)さんが28日、外傷性くも膜下出血のため東京都内で死去した。96歳だった。葬儀は家族で営む。1925年、現在の韓国・全羅南道生まれ。戦時中、日本軍軍属としてタイで捕虜収容所の監視員を務めた。捕虜を泰緬(たいめん)鉄道建設に従事させ多数を死なせたとして、シンガポ-ル連合国が開いたBC級戦犯裁判で「日本人戦犯」として死刑判決を受けた。減刑後、東京に移され、56年に仮釈放された。

 

 元戦犯に対する恩給など日本政府の援護制度は、日本国籍を失ったことを理由に対象外とされた。元戦犯者らと「同進会」を結成し、政府に「日本人戦犯には恩給や慰謝料を給付しているのに、なぜ外国籍戦犯を差別するのか」と救済と名誉回復を訴えていた。韓国政府は2006年、「日本の協力者」としてきた李さんらBC級戦犯を「植民地支配の被害者」と認め、名誉回復した。戦犯仲間らでつくったタクシ-会社を都内で経営。24日に自宅内で転倒して頭を打ち、足を骨折。病院に緊急搬送されていた(3月28日付電子版)