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縁は人を結び、人は縁を結ぶ…“以心伝心”の魔訶不思議

  • 縁は人を結び、人は縁を結ぶ…“以心伝心”の魔訶不思議

 

 「そろそろ、あの世からお迎えがくるっていうことなのかなぁ」―。最近、途切れかかっていた縁がふいに戻るたびに、こんな縁起でもない気持ちにさせられることが多い。で、今回の縁(えにし)の不思議の顛末(てんまつ)は今月1日のあるご婦人の来訪がきっかけ。20年ほど前に一度、お目にかかったはずだったが、その記憶はほどんどない。差し出された名刺を拝見して、まるでフラッシュバックみたいに往時がよみがえった。「えみし学会 運営委員」とあった。私はこの日、たまたま当ブログに「日本三大“土人考”」(6月1日付参照)なる原稿を掲載したばかり。偶然にしては余りにも出来すぎている“符合”にまず、びっくり。そして―

 

 「実はね、私もすっかり失念していたんだけど、新聞折り込みであなたの名前を思い出したの」―。花巻在住の佐久間祥子さん(75)はこう言って、微笑んだ。たしかに、4月24日付朝日新聞に「新花巻図書館―まるごと市民会議」発行の広報誌「ビブリアはなまき」創刊号が折り込まれ、私も拙文を寄せている。「そうでしたか」と互いに顔を見合わせることしばし。「これ、つたない句集ですが、生きた証しのつもりで…」と佐久間さんは一冊の冊子を差し出した。山野草の採色スケッチを添えた素敵な俳句画文集で、『おてまぎ』というタイトルが付けられていた。「子どものとき、舌が回らなくて『お手紙』と言えなくって、『おてまぎ』と。それで…」

 

 「星々が/地の霊/呼ばう/鹿(シシ)太鼓」―。還暦の時に重篤ながんに侵され、九死に一生を得た佐久間さんは以来、それまで縁もなかった俳句を友にするようになった。収められたのは330句。私自身の脳裏にも刻み込まれた、懐かしいふるさとの光景が目の前に立ち上がってくるような、そんな句が並んでいた。ある注釈文に目が引き寄せられた。「えみし学会ゼミナ-ル開催のため、811年文屋綿麻呂の朝廷軍対伊加古率いるえみし戦の最後地・爾薩体(にさて)を訪ねた」―

 

 「爾薩体」―。目が点になった。まだ現役の新聞記者だった20年以上も前、私自身がこの奇妙な地名のナゾを追って取材したことがあったからである。きっかけは宮沢賢治が“郷土喜劇”と名づけた『植物医師』。作中では主人公の植物医師として、「爾薩待(にさつたい)正」という名前で登場している。賢治の教え子だった遠縁の男性が当時、この主人公役を演じたというのも考えて見れば、奇縁である。「この地名はどうも、えみしっぽいな」という独り言みたいなつぶやきが取材行を促した。「植物医師」を名乗るインチキ医師が農民をだますという筋書きだが、アメリカの小さな町を舞台にした“初演形”の方に私の興味はあった。こんなラストシ-ンである。

 

 ………右にピストルを、左手を無造作にポケットに突っ込んだ覆面の巨漢、登場。重い声で「ハンド アップ」。右手のピストルを爾薩待の正面にむけて近寄る。爾薩待、無言で静かに両手を掲げ、ジリジリ片隅に寄る。巨漢おもむろに左手で、爾薩待のポケットから紙幣を取り出し後退(あとずさ)りにドアに近づき、ヒラリと身をかわして逃走する。爾薩待、しおれてイスに深く坐る(『宮澤賢治全集8』ちくま文庫)

 

 地名の「爾薩体」は現在は二戸市「仁左平」と書き改められている。当時、取材の水先案内をしてくれたのは市議の経験もある郷土史家の関正夫さん(故人、当時75歳)。「38年戦争」とも呼ばれたヤマト軍による“蝦夷征伐”の最後の激戦地が弘化2(811)年、爾薩体一帯で繰り広がられた「伊加古の乱」だった。「アイヌ壇の史跡」と彫られた石碑が目に飛び込んできた。「犠牲になった伊加古ら蝦夷(えみし)の墓所だったのではないか」―。関さんがふと、もらしたひと言が今も頭から消えない。

 

 「案内役の関さんは実は私の遠縁に当たる人なの。だから、えみしに魅かれるのかしら」と佐久間さんが突然、口にした。「えっ」と絶句しながら、私は前掲ブログに引用した詩人の故若松丈太郎さんの遺作『夷俘(いふ)の叛逆』の冒頭詩を思い出した。書名と同じタイトルの詩の一節にこうある。「ヤマト王権は東方や北方の先住民たちを/夷狄(いてき)・蝦夷(えみし)・蝦賊(かぞく)と名づけて従属させようとし/順化の程度によって夷俘(いふ)・俘囚(ふしゅう)などと差別した。当然のこととしてレジスタンス活動が続発した」―

 

 対ヤマト戦争の最後の激戦地―「爾薩体」を舞台にしたレジスタンスは811年、約2万人の征討軍の前に伊加古率いるえみし軍は60人余りの犠牲者を出して敗北した、「30年戦争」はこうして幕を下ろした。ところで、言語学者の金田一京助によると、爾薩体」はアイヌ語による読解が可能だとして、「木の枯れた森」とか「窪森」などという地名解を当てている(『北奥地名考』)。それにしても、賢治はなぜ、えみしを連想させる人物を劇中の主人公に起用したのであろうか。“初演形”がアメリカインディアン(先住民)の同化政策を連想させるように、賢治もまた結局はヤマト側に与(くみ)する思想の持主ではなかったのか……“聖者伝説”がまかり通るイ-ハト-ブの地ではこの手の言説はまさにご法度(タブ-)だと思い込んでいたのだったが…

 

 「私ね、賢治は縄文の系列ではなく、ヤマトの側だと思うのね。伊加古の乱にしたって、結局は爾薩体を舞台にすることで、“まつろわぬ民”への挽歌を残したかったのでは…。なんたって、銀河宇宙の人ですもの」―。“えみし”談議に花を咲かせているうちに、佐久間さんがケロッとした口調でこう言った。一瞬、こんな“危険“思想の持主がそばにいたことに虚をつかれたが、“異論”にもの申すその勇気に力をもらったような気持にもなった。

 

 まこと、「縁は異なもの味なもの」―ではある。

 

 

 

 

(写真は生き生きとした句と山野草のスケッチがマッチした俳句画文集『おてまぎ』)

 

 

 

《追記》~現代のジェノサイド、カナダで先住民の遺骨、発見。日本でもアイヌやウチナンチュ(琉球人)の遺骨問題が未解決!?

 

 カナダの先住民寄宿学校の跡地から215人の子どもの遺骨が発見され、カナダ全土に波紋が広がっている。政府は過去に子どもを家族から引き離して寄宿学校で生活させるなどの同化政策を実施し、謝罪もしているが、当事者団体は全ての学校跡地で調査をすべきだと訴えている。遺骨が発見されたのは、カナダ西部バンク-バ-から250キロ北東にあるカムル-プス。地元の先住民団体によると、遺骨は5月下旬に最新式のレ-ダ-を使い、地中を調べて見つかった。「3歳ほどの子の遺骨もあり、記録されていない死者だ」という。

 

 カナダは1867年に建国されたが、現在は「ファースト・ネ-ション」などと呼ばれる先住民に対する同化政策は英領の頃からあった。カナダ政府によると寄宿学校は全国に139校設けられ、15万人以上の児童・生徒が親元から強制的に引き離されて生活していた。今回遺骨が見つかったのは最大の寄宿学校で、カトリック教会が運営。1950年代には最大500人が学んでいたという。

 

 カナダ最後の寄宿学校は96に閉鎖され、2008年には当時のハ-パ-首相が同化政策について謝罪。15年に出された報告書は、寄宿学校における身体的虐待やネグレクトの実態を明かし、「文化的ジェノサイド」と結論づける一方、「死者数は完全にはわかりそうにない」としていた(6月5日付「朝日新聞」電子版)

 

 

コロナ神から「アイヌ学」へ…日本三大“土人考”

  • コロナ神から「アイヌ学」へ…日本三大“土人考”

 

 「コロナ禍の時代、私はアイヌ民族の教えに従って、この疫病をあえて『コロナカムイ』(コロナ神)と呼ぶことにしています。『パヨカカムイ』(徘徊する神=病気の神)にならい、“負けるが勝ちよ”、“無駄な抵抗はやめよ”という深遠なアイヌ精神が宿っていると考えるからです。私たちは今こそ、アイヌの哲学に学ばなければならないと心の底から思っています」―。『アイヌ新聞記者 高橋真』(4月29日付当ブログ参照)と題するギクリとするような書籍を恵送いただいたアイヌの古布絵作家、宇梶静江さん(88)に対し、こんな礼状をしたためた。ほどなくして、「『アイヌ学』を起ち上げよう!」という趣意書が届いた。

 

 「私がアイヌであることを意識するようになったのは、『あっ、犬が来た』という、言われない悪意ある言葉を浴びせられた、その瞬間だったのではないかと思います。それ以来、アイヌと和人(日本人)の違いは、私を捉えて離さなくなってしまいました。私はなぜアイヌなのか?私はなぜ日本人と暮らしているのか?」―。アイヌ民族として生きてきた苦難を書きつづった趣意書はこう結ばれていた。「私が考える『アイヌ学』とは、アイヌも和人も関係なく、アイヌとは何かを共に考え、共に語り合う一つの場所をこの地上に開くことです」

 

 「臥牛」(ふしうし)という地名が記憶の古層にこびりついている。北上・更木地方の小字で、まだ小学低学年だった当時、郷土史家を気取っていた遠い親戚のじいさまがこんなことを語ってくれた。「『うし』(usi)とはアイヌ語に由来している。場所や所を指す言葉で、この一帯に牛の放牧場があったので、こう呼ぶようになったんではないか。東北には同じようなアイヌ語由来の地名があちこちにあるんだぞ。覚えて置け」―。新聞記者となって北海道勤務になった際、アイヌ取材にのめりこんだのも、定年を迎えてふるさとに戻ることになったきっかけも、どうも消すことのできないこの「臥牛」の記憶みたいなのである。

 

 「研究フォ-ラム 花巻地方のアイヌ語地名をさぐる」―。古代史に興味のある仲間を誘って、こんなイベントを開催したのは定年3年後の2003年。民俗学者の谷川健一さん(故人)やアイヌ語学者で横浜国立大学名誉教授の村崎恭子さんを招き、「猿ヶ石川・豊沢川流域のアイヌ語地名について」…をテ-マに開催。会場の宮沢賢治イ-ハト-ブ館は県内外からの聴衆でいっぱいになり、翌日の地名探訪会も盛会に終わった。半分、道楽三昧の定年生活の安寧(あんねい)を打ち砕いたのが8年後に発生した東日本大震災(3・11)だった。宇梶さんはそのわずか1週間後に以下のような詩をつづった(冒頭写真『大地よ!』所収)

 

 

大地よ/重たかったか/痛かったか

あなたについて/もっと深く気づいて/敬って

その重さや/痛みを/知る術を/持つべきであった……

 

 大震災の記憶も忘却のかなたへと消え去り、コロナ禍での五輪開催がまたぞろ叫ばれる中、もう一つの詩集が世に送り出された。「2021年3月11日」発行の奥付のあるこの詩集は冒頭写真の『夷俘(いふ)の叛逆』(コ-ルサック社)で、作者は奥州市出身の詩人、若松丈太郎さん(享年85歳)。福島県内で高校教師を続けるかたわら、近代の倨傲(きょごう)を指弾し続けた若松さんは4月21日に病没した。遺作のなった詩作に「土人からヤマトへもの申す」と題する作品がある。チェルノブイリ原発事故を視察した後に発表した詩「神隠しされた街」(1994年)は福島原発を予言していたとも評された。

 

 

米軍基地建設に抗議するウチナンチュ-に

ヤマトから派遣された警官のひとりが「土人!」と罵声をあびせた

ウチナンチュ-が土人だば

おらだも土人でがす

そでがす/おら土着のニンゲンでがす

生まれてこのかた白河以南さ住んだことぁねぇ

<東北の土人><地人の夷狄(いてき)>でがす……

 

 「土人」という罵声を浴びせられたのは『水滴』(1997年)で芥川賞を受賞した作家の目取真俊さん(60)である。5年前、沖縄・東村の米軍北部訓練場周辺で抗議活動中、警備していた大阪府警の機動隊員から「触るな。土人」とののしられた。私自身、その前日にたまたま同じ現場に滞在していたこともあり、その一部始終の光景が頭に焼き付いている。冒頭写真の代表作『魂込め(まぶいぐみ』は沖縄戦で両親を失った男の魂が肉体を離れて、海辺をさまよう記憶の物語である。そんな悲劇の歴史を背負わされたウチナンチュ-(沖縄人)に対する「ヤマト」の目線にハッとさせられた。考えても見れば、アイヌ民族もかつては「旧土人」と蔑(さげす)まれ、「蝦夷(えみし)」とも呼ばれた我が東北の先人たちも「化外(けがい)の民」と埒外(らちがい)に葬り去られてきた歴史を忘れてはいない。

 

 コロナ禍が猛威を振るう沖縄・読谷村在住の反戦彫刻家、金城実さん(82)に久しぶりにお見舞いの電話を入れた。「なんの、なんの。沖縄土人はそんなヤワじゃないぞ。そろそろ、全国の土人大集合の好機到来ということじゃないのか」と例のだみ声が返ってきた。そういえば、宇梶さんもこんなことを言っていた。「アイヌはね、コロナにはかからないの。ちゃんと、カムイ(神)として敬っているんだもの…。アイヌにとっては森羅万象(自然界)が全部、カムイ。だから、私たちアイヌ(アイヌ語で「人間」の意)はカムイに守られて生きている。その人間たちの余りの強欲にコロナのカムイも怒ったんだよ」

 

 「パラダイムシフト」(価値の大転換)―。「3・11」の際もインテリの口から盛んに喧伝され、結局は雲散霧消(うんさんむしょう)のはかなきに消えたように、ワクチン接種の効果が現われ、仮に五輪が無難に終わった場合、世界中を恐怖のどん底に突き落とした今次のコロナ禍もやがては「泡沫(うたかた)」と化してしまうのだろうか。そんな予感がする。それに引き換え、「土人の記憶」はそうやすやすとは消えることのない、身体に刻まれた“記憶”の集積…決して、癒すことのできない傷痕の総体である。だからこそ、いま「アイヌ学」、いや「土人学」の再興が待たれるゆえんである。宇梶さんの呼びかけに呼応したい気持ちがだんだん、強くなってくる。

 

 

 

 

(写真は“土人学”を考える際の私の必読リスト。宇梶本は藤原書店刊、目取真本は朝日文庫刊)

 

 

 

 

 

「Mr.PO」の思想と行動(2)…「立地適正化計画」という“自縄自縛“

  • 「Mr.PO」の思想と行動(2)…「立地適正化計画」という“自縄自縛“

 

 「すいた時間、すいた場所を選んで遊ぼう」―。人っ子ひとりいない公園広場にこんなステッカ-が張り付けてある。コロナ禍が猛威を振るう半年以上も前の令和元年(2019年)夏、花巻市内の中心市街地に忽然と「花巻中央広場」なる空間が姿を見せた。陽をさえぎる樹木もなく、冬場は雪に閉ざされるこの空間には当時から人の気配はなかった。とってつけたようなボルダリング(岩や人口壁面への登はん用施設)に取りついている人の姿はついぞ、見かけたことはない。実はこの“無用の長物”こそが、Mr.PO(上田東一市長)が政策理念に掲げる「立地適正化計画」の虚実を見事なまでに映し出している。

 

 少子高齢化の時代のただ中に誕生した上田市政はある意味で時の運にも恵まれていた。初当選した直後の平成26(2014)年8月、「改正都市再生特別措置法」が施行されたのに伴い、国の優遇制度が利用できる「立地適正化計画」の制度が導入された。「まちづくりと施設整備の方向―立地適正化計画による都市再構築の方針」(以下「都市再構築の方針」)…いまに至る政策理念の骨子が固められたのはそのわずか4ケ月後。まちづくりの方向性がこの時点で以下のように位置付けられた。

 

 「立地適正化計画は、それぞれの市町村において都市計画法に基づいて指定された都市計画区域内において、さらに住宅及び医療、福祉、商業その他居住に関連する施設の立地に関する方向を定めるとともに、用途地域など既存の都市計画制度と組み合わせて居住の密度を高めていく『居住誘導区域』と、その居住誘導区域の中でも特にまち全体として必要な機能の維持と新規立地を促す『都市機能誘導区域』を定め、市街地の範囲や都市機能の立地をコントロールしながら、人口減少社会に耐えうる住みよいまちづくりの形成に努めていこうとするものです」―。全国自治体が競うように計画策定を進める中、当市は2年後の平成28(2016)年6月、全国で「3番目」の策定にこぎつけた。Mr.POが政策論争のたびに自慢げに口にする常とう句である。

 

 このプロジェクトの第1号が昨年3月、旧厚生病院跡地に移転・新築した総合花巻病院である。中心市街地の定住促進と活性化を目指した災害公営住宅や子育て世代向け住宅などの建設が続き、立地適正化計画は順風満帆に進むかと思われたが、その足を引っ張ることになったのが、冒頭の“無人公園”の怪である。元デパ―ト跡地だった当該地はがけ崩れの恐れのある急斜面に面しており、「都市計画運用指針」(国交省)で土砂災害特別警戒区域(いわゆる「レッドゾ-ン」)に指定されていた。「こともあろうに、人命の危険が及びかねない場所に居住を促す」―。Mr.POの本性見たりである。こういう心性を称して、広い意味では「ファシズム」ともいう。

 

 オ―プン前年の平成30(2018)年10月、国交省から除外指導があり、さらに令和2(2020)年6月には都市再生特別措置法の一部改正が国会で可決成立。「居住誘導区域から土砂災害特別警戒区域を原則すべて除外する」―ことが正式に決まった。「中央広場」誕生の裏には決して、表ざたにはできないこんな闇の出自が隠されていたのである。時折開かれる官製お抱えの“やらせイベント”以外にはほとんど人気(ひとけ&にんき)のない広場に立っていると、人命軽視という怨霊(おんりょう)がそこら中に漂っているような錯覚にさえ陥ってしまう。慌ててしつらえた崩落防止用のコンクリ―ト壁(冒頭写真)を見ていると、なおさらそんな気持ちになってしまう。

 

 商社勤務の経験もあり、確かに「商才」には長けているのだろうが、「文才」となると若干、首を傾げたくなる。私は議員在職中、何度か「(宮沢)賢治」観を問うたことがある。そのたびに賢治作品を「道徳本」としてみる浅慮(せんりょ)にびっくりしたものである。つまりはその読解力のなささ加減、想像力の欠如に失望させられたというのが実感である。たとえば、「住宅付き図書館」の駅前立地という“奇想天外”にその精神の貧困の一端を垣間見ることができる(5月24日付当ブログ参照)

 

 前市政が平成25年5月、新図書館の建設に当たっての適正蔵書数を「50~65万冊」と算定したのに対し、その後に就任したMr.POは半分の30万冊に見直す考えを示し、その理由をこう述べた。「人口減少が見込まれる中で利用者が蔵書数の増加ほどに増えるとは考えにくく、一層厳しさを増すと見込まれる財政状況を踏まえ、運営経費や従事者数が現状を大きく超えないよう計画の規模を見直す必要があります。蔵書数は県内他市の市立図書館と比較して突出して多いものでしたが、30万冊は花巻市の都市規模にもほぼ見合うものと考えられます」(前掲「都市再構築の方針)―。いわゆる“身の丈”発言である。

 

 「知の殿堂」とも呼ばれる図書館をおのれの貧相な身の丈で斟酌(しんしゃく)してもらっては迷惑千万である。ちなみに前市政時代の計画で見込まれた所蔵雑誌数は約400誌にのぼったが、現在公表されている「新花巻図書館整備基本計画(試案)」の中では半分の約200誌に減っている。

 

 「新しい風は、市政の風通しをよくしたいということです。すなわち市民への情報提供に努める。そして市民の皆様、市議会及び議員の皆様の声をよく聞く。それから、昨日も申し上げましたけれども、市政の決定過程の透明性を高める。どうしてそのような市政を行ったのかがきちんと説明できるように。市長が決めたということではなく、市長がなぜ決めたかということをしっかり残すことが大事だと。そのようなイメ-ジを持っております。それで、市民と一緒に花巻市をよくしていこうと、そういう風を吹かせたいということでございます」―。Mr.POが初登壇した3月定例会(平成26年3月5日)の一般質問で、私は政治理念と政治哲学についてただした。7年前のこの“初心”は一体、どこに!?これって、ある種の“サギ行為”ではないのか―

 

 

 

(写真は“公園”もどきに姿を変えた「花巻中央広場」。左手の突起部分がボルダリングスペ-ス。後方上部の日本家屋が解体が決まっている旧料亭「まん福」=花巻市吹張町で)

 

 

 

《追記》~またぞろ、“やらせ”要請の波!?

 

 革新を標榜する某市議が先導役を務めるJR花巻駅の橋上化をめぐる”やらせ”要請がいったん小休止していたと思っていたら、6月1日に3団体がそろってMr.POに対して促進方を要請することがわかった(5月7日、同11日、同16日付の当ブログ参照)。花巻農業高校同窓会と市商店街振興組合協議会、花巻北高同窓会・PTAの3団体で、そういえば、橋上化問題も立地適正化計画の一大プロジェクトのひとつ。どっちが“やらせ”の当事者か、わかったもんではない。

 

 

 

 

 

 

「Mr.PO」の思想と行動(1)…イ-ハト-ブ歌舞伎「青天の霹靂」、好評公開中

  • 「Mr.PO」の思想と行動(1)…イ-ハト-ブ歌舞伎「青天の霹靂」、好評公開中

 

 「私たちは、まちづくりに関する基本的事項を共有し、市民が自ら考え、決定し、行動す る市民参画と協働のまちづくりを進めることによって真に豊かな地域社会を実現するため、 ここにこの条例を定めます」(「花巻市まちづくり基本条例」、平成20年3月)―。当市は「まちづくり」の基本理念として、この条例の前文でこう謳っている。身もふたもない言い方になるが、「PO(パワハラ&ワンマン)」流とは「そんな理念などクソくらえ」という“愚民”化政策である。まさか、と思う人はPO劇場で公開中の密室劇「青天の霹靂(へきれき)」(全7幕)をしかと御覧(ごろう)じいただきたい。青森県産の米の銘柄ではないので、お間違えのないように。その前にちょっと、解説を―

 

 新花巻図書館の建設をめぐって、〝ナゾの空白期間〟と呼ばれる約2年半の期間がある。現在も生きている「新花巻図書館整備基本構想」の策定(2017年8月=平成29年)から、「新花巻図書館複合施設整備事業構想」(いわゆる“上田私案”)の策定(2020年1月29日=令和2年)に至るまでの期間である。文書開示請求をした資料などから浮かび上がってきたのは…。市民や議会の頭越しに行われてきたオガ-ルとの“密約”という闇の実態である。以下、時系列的にその経過を辿ってみる。さ~て、お待~ち。拍子木の音ともに幕がスルスルと上がる。いよいよ、主役のお出ましである(パチパチ…)

 

 

<第1幕>「新花巻図書館整備基本構想」(2017年8月=平成29年)

~「花巻市立地適正化計画」(平成28年6月)の策定に伴い、新花巻図書館を市街地活性化に資する「都市機能誘導区域」に整備することを明記。MR.PO(上田東一市長)の下での図書館論議が本格化へ

 

<第2幕>「花巻市図書館複合施設等整備方針検討業務報告書」(2018年6月=平成30年)

~いわゆる、この「UR報告書」の中で、建設場所が「花巻駅東口」と「まなび学園周辺」とに特定され、“密室”協議がひんぱんに

 

<第3幕>株式会社「オガ-ル」(岡崎正信社長)との間で「花巻市図書館複合施設整備アドバイザ-業務」にかかる随意契約を締結(2019年4月22日=平成31年・令和元年)

~契約期間は当初、同日から同年11月30日までで、契約金額は1,867,536円。その後、令和2年3月31日まで延期され、金額も4,931,445円に増額。業務実施報告書によると、その範囲はJR協議や市長協議だけではなく、議会対応に向けたミ-ティングにまで及び、“黒幕”としての暗躍ぶりが浮き彫りに

 

<第4幕>岡崎社長が「第21回まち・ひと・しごと創生会議」(内閣府主催)の席上、図書館と民間賃貸住宅とを合築する「花巻市図書館整備事業」に参入する旨の報告(2019年12月19日)

~“寝耳に水”の出来事に議会側が「議会軽視だ」と反発したのに対し、Mr.POは「この件については岡崎さんの個人的な行為で、市として関与したわけではない。ただ、国の融資を受けやすくするためにも当市の考えを伝えてくれたのは良かった」とうそぶき、“未必の故意”(越権行為)を援護するという愚民化の本性があらわに

 

<第5幕>「新花巻図書館複合施設整備事業構想」が議員説明会や記者会見の場で突然、明るみに(2020年1月29日=令和2年)

~JR花巻駅前のJR所有地(現スポ-ツ用品店敷地)に50年間の定期借地権を設定。図書館と賃貸住宅、テナントを合築する複合施設案(「住宅付き図書館」の駅前立地)―いわゆる“上田私案”が公にされたことで、新花巻図書館への関心が一挙に高まる。愚民化を強いられてきた市民の間にも「洗濯物がはためく図書館なんて…」という声が

 

<第6幕>「新花巻図書館整備」会議(2020年2月19日)

~“上田私案”の公表に伴い、その後の地ならしをするために召集。起案書には「新花巻図書館複合施設整備事業について、建設場所や建設の手法が決定し、今後は具体的な事業内容や構想策定について関係機関で検討を進めていく」―。この時点で「住宅付き図書館」の駅前立地について、行政側とアドバイザ-側が基本合意へ。この会議には岡崎社長とともに今後のWSを担うことになる早川光彦・富士大教授も初めて参加(謝礼金23,000円)。この年の7月から10月にかけ、7回(謝礼金は1回につき1万円)にわたって開かれた「としょかんワ-クショップ」に助言者(アドバイザ-)として立ち合い、現在もその立場にある。これって、“共同正犯”!?

 

<第7幕>“上田私案”(「住宅付き図書館」の駅前立地)を白紙撤回へ(2020年11月12日)

~序破急の「急」つまり「ラッキ-セブン」になるはずが、急転直下のあわれな幕切れ。でも、MR.POは転んでもタダでは起きない。失地挽回(ばんかい)をたくらみ、続編のクランクインに向け、虎視眈々(こしたんたん)。油断大敵

 

 

 

(写真は幹部職員を差しおき、身振り手振りをまじえて答弁するMR.PO=5月18日開催の花巻市議会臨時会で、インタ-ネット中継の画面から)

 

 

 

《注記》~「思想」、そして「行動」ということ

 

 当ブログの表題は東京大学法学部の元名誉教授で著名な政治学者、丸山眞男(故人)の古典的名著『現代政治の思想と行動』から拝借した。「抑圧の移譲」や「無責任の体系」などという概念通じて、ファシズムや軍国主義を論じた論考はいまに至るも影響力を失っていない。いや混迷のコロナ禍のいまこそ、読まれるべき内容かもしれない。同学の後輩を自慢するMR.POは果たして、この名著を読んだことがあるのだろうか。彼の「思想と行動」からはそんな気配はみじんも感じられない。

 

 

 

 

 

 

補正予算の上程、当市が全国最多…これって、果たして自慢していいこと? 臨時会が“専決”の場と化したイ-ハト-ブ議会の崖っぷち!?

  • 補正予算の上程、当市が全国最多…これって、果たして自慢していいこと? 臨時会が“専決”の場と化したイ-ハト-ブ議会の崖っぷち!?

 

 「トップ志向がお好きなMr.PO(上田東一市長)はさぞかしご満悦のことであろう」―。地方自治体の専門情報誌『日経グロ-カル』(NO.411 5月3日発行)が未回答の2市を除いた全国813市区の中で、当市花巻の2020(令和2)年度補正予算(一般会計)の上程回数が30回(同誌の調査回答期限の時点では29回)と全国最多だったという調査結果を掲載した。「国や県の動向をみながら、コロナ対策を市長の専決処分できめ細かく出したことが最大の理由」と取材に応じた職員は話しているが、果たしてそうか。数字の裏側を辿っていくと、そこには上田“強権支配”の構図が透かし絵のように浮かび上がってくる。

 

 「本来は議会が議決しなければならない事件を、時間的に議会の招集を待てない緊急な場合などに、行政運営の遅れや滞りを防ぐため、例外的に市長が議会の議決に代わり意思決定する」―。地方自治法第179条は「専決処分」の趣旨について、こう規定している。また、この処分を行った後はすみやかに議会への報告と承認を得なければならないとされている。今回のコロナ禍は当然、こうした“緊急事態”に該当することは言うまでもない。事実、当市の30回の補正予算の内訳は22回がコロナ関連である。ところで、案件ごとに仔細に分析を進めていくと―

 

△専決処分12件(7件がコロナ関連)、△臨時会における議決9件(すべてがコロナ関連)、△定例会のおける議決9件(うちコロナ関連が6件)…。一体、この数字は何を意味しているのか。未知のウイルスへの臨機応変が迫られる事態とはいえ、この手続きにはある種の「恣意」や「意図」が感じられる。なぜ、十分な質疑の時間が用意された定例会での審議がわずか6件なのか。なぜ、議案が当日配布され、質疑の準備もままならない臨時会での議決が9件に及んでいるのか。専決処分が7件というのも多すぎはしないか。直近の第5回臨時会(5月18日)の異様な光景が私の目に焼き付いている。

 

 「国は、その供給スケジュ-ルをもとに、65歳以上の高齢者で接種を希望する高齢者が7月末までに接種を終えられるよう、地方自治体に対し接種計画の見直しを求めたところです。当市においては、ワクチンの供給スケジュ-ルが示されない中で花巻市医師会をはじめとする関係者との調整の中で、高齢者への接種につきましては8月中の終了とする接種スケジュ-ルを策定することとしていたところでありますが、国の要請により、7月末までには接種を希望される高齢者の方に接種を終えることを目標とする接種計画に見直すこととし、…このままでは、コ-ルセンタ-につながりにくい状況がさらに進むことが予想されますことから、回線数を現状の10回線から30回線に増やすこととして、必要経費を補正予算として本臨時議会に提案しております」―

 

 30分にも及ぶ「開催前」報告に耳を傾けながら、オヤっと思った。1カ月の「前倒し」はスケジュ-ルの大幅変更である。現場の混乱も予想される。と、思って議会中継の議員席に目をやると、みんな虚を突かれたようにキョトンしているではないか。総額1億5千万円以上のコ-ルセンタ-増設費を計上した議案書が議員全員に配布されたのはこの日の午前9時からの議会運営委員会が終了し、同10時からの開会直前。「これじゃ、まるで騙まし討ちではないか」と同情したくもなる。

 

 私の手元に「新型コロナウイルスワクチン接種のご案内(ク-ポン券在中)」と印刷された封書がある。「ワクチン接種を希望される方は、この通知とは別に送付される接種会場通知に記載の日時及び集団接種会場での接種をお願いします。接種会場通知は、3月に届く方、4月に届く方など様々です。ですが、必ず会場予約の案内が届き、希望する方はワクチンを接種できますので安心してお待ちください」―。5月の下旬にさしかかろうとしているが、私の手元にそれらしき通知はまだ、届いていない。

 

 「臨時会の議案配布は以前から開会の直前。だから、提案理由などを吟味する時間的な余裕もない。こんなやり方を許してきた議会側に責任もあるが、最低1週間前には配ってほしい。抜き打ち的な開催を抑制するためには隣の北上市のように通年議会の導入も考える時期かもしれない」―。ある現職市議は自戒を込めて、宙を仰いだ。案の定、質疑では「コ-ルセンタ-の対応はとても良いとの評判だ」などと的外れの内容に終始した。「討論の通告はありません。これから採決に入ります。異議なしと認め、よって第3号議案は原案通り、可決されました」―議長の声を聞きながら、私は臨時会そのものが究極の“専決処分”の場に堕する瞬間を見せつけられたような気がした。まんまと「議会の私物化」に成功したMr.POが内心、ほくそ笑む姿も眼前に去来した。

 

 補正予算の上程がわずか4回と少なかった東京都目黒区は「コロナ対策は、ある程度まとめて打ち出した。専決処分をしなかったため、補正の回数は少なかった」と同誌上で語っている。編集子は的確にこう分析している。「コロナという緊急事態で専決処分による迅速な対応と議会重視の姿勢のどちらを優先するか。首長の考え方も補正の回数に反映していると言えそうだ」―。なんたって、「NO1」…この人の“PO”ぶり(パワハラ&ワンマン)にはますます、拍車がかかりそうな気配である。令和3年度に入ってもすでに2回の臨時会が開かれ、コロナ関連のいずれもが「異議なし」の一声で可決されている。議員諸賢よ、もう少し踏んばらんか!?

 

 

 

(写真は「補正上程、全国最多」と掲載した『日経グロ-カル』)

 

 

 

《追記》~思惑だらけの「7月末」

 

 高齢者のワクチン接種をめぐる1ケ月の「前倒し」問題が地方自治体を混乱の渦に巻き込んでいる。我がイ-ハト-ブ議会は突っ込みどころが満載のこの件をスル-して、涼しい顔だが、5月21日付の朝日新聞は「首相の号令に地方困惑/遠い目標『終われるはずがない』」という大見出しで、こんな裏舞台を紹介している。議員諸賢よ、6月定例会でこの辺の経緯を「Mr.PO」に問いただし、汚名を返上してほしい。

 

 いわく~「自治体は地方交付税のことが頭にあるから、総務省にお願いされたら断れない」(政権幹部)、いわく~「100%打ち終わる必要はない。予約の枠に一つでも空が出たら完了だ」(首相周辺)、いわく~「(東京五輪の開会式がある7月下旬と同時期に高齢者接種にめどをつけ)政権をとりまく空気を変えたい」(首相に近い閣僚経験者)。4月下旬、「(7月末完了は)無理」と回答した自治体は約700に上ったが、5月12日時点でその数は251に減った。”トップダウン”とはまさに川の流れのごとし。そう、「五月雨や集めてはやし~川」…