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忙中閑…映画「MINAMATA」がいまに伝えること

  • 忙中閑…映画「MINAMATA」がいまに伝えること

 

 

 「私たちは皆、ただの一片のホコリであり、同時に小さな力なのです。私たちが窮地に立たされたとき、誰かが率先して、巨大な壁を壊そうとすれば、きっと大勢の人々が後に続いてくれるはずです」―。米国のスタ-俳優ジョニ-・デップ制作・主演の映画「MINAMATA-ミナマタ」(2020年)について、デップはこう語っている。水俣病の「公式確認」から65年の今年、伝説的なフォトジャ-ナリストであるユ-ジン・スミス(1918―1978年)を主人公にすえたこの話題作が日本で封切られた。コロナ禍のさ中で「パラダイムシフト」(価値の大転換)が求められるいまこそ、この映画は見られるべきではないのか―そう思った。

 

 “猫おどり病”などと奇病扱いされていた「水俣病」の現地、熊本県水俣市にユ-ジンと妻のアイリ-ン・美緒子・スミスが滞在したのは1971年から約3年間。当時、現地は有機水銀を垂れ流した原因企業の「チッソ」(当時)と患者家族の間で、損害賠償を求める裁判が起こされるなど騒然とした空気に包まれていた。ユ-ジンとアイリ-ンは1975年、写真集「MINAMATA」を出版、世界的に大きな反響を呼んだ。「水俣の核心はこれが神の仕業などではなく、人間がやったという事実です。水俣のことを知った時、私はいま、何かをすべきだと直感しました」(9月26日付「朝日新聞」)―。デップのこの言葉にはユ-ジンになり切って「水俣」を再現しようという強い意志が感じられる。

 

 二人が水俣に滞在していた時期は私が新聞社の記者として、九州を管轄する西部本社に在籍していた時期とちょうど重なる。取材で現地を訪れた際、カメラを手にするユ-ジンと遭遇したこともある。映画のラストで「母子の入浴シ-ン」がクロ-ズアップされる。1971年のクリスマス前後の撮影とされる。「私が食べた水銀をこの子が全部吸い取ってくれました。水銀の毒を自分ひとりで背負って生まれてきたのです。だから私やあとから生まれた残り6人の弟妹は無事だったんです。この子は家族の“宝子”ですたい」―。母親がこう語る”宝子”はわずか21歳でその短い生を終えた。このあまりにも美しい「悲話」に打ちのめされた私だったが、今度はデップがそれを現代に見事によみがえらせてくれた。

 

 「声をあげて、世界に訴えよう」―。抗議行動の先頭に立つ「ヤマザキ・ミツオ」役(真田広之)にいまは亡き「川本輝夫」さん(享年67歳)の姿が重なった。チッソ本社(東京)の会議室で、テ-ブルに座り込む「ヤマザキ」の姿が映画に映し出される。1971年夏、環境庁(当時)は川本さんら未認定患者9人の行政不服審査に対する棄却処分を取り消した。1年6ヶ月にわたる本社前での座り込みや本社役員との自主交渉の最前線にいたのが川本さんだった。その結果、川本さんは逆に傷害罪で起訴されたが、訴追権の乱用に当たるとされ、無罪を勝ち取った。取材で親しくなった川本さんは気性が激しい反面、ホッとするほどの優しさをあわせ持つ人だった。「川本さんはね、天使です」―。水俣病に寄り添い続けた作家の石牟礼道子さん(故人)が生前、ふともらした言葉を思い出した。

 

 盛岡での映画鑑賞の帰途、カ-ラジオが新総裁の誕生を伝えていた。「国民の声に謙虚に耳を傾けたい」と殊勝に語っている。その言葉にウソがないことを願いたい。城下町「ミナマタ」を支配下に置いたチッソのように、片や「聞く耳」を持たない我が「イ-ハト-ブ国」のトップの去就を占う首長選挙も来年1月に迫っている。私が九州勤務を終え、東北の地方支局に転勤したあと、川本さんを講師に呼んで市民たちと「水俣病」の勉強会を開いたことがあった。打ち上げの酒の席で、照れながらこう言った。「おらは見た目は直情型ばってん、根は気弱な男じゃけん…」―。その虚勢の無ささに逆にこの人の芯の太さを見た思いがした。

 

 映画のシ-ンのひとこまひとこまが走馬灯のように目の前に去来した。「巨悪に立ち向かったユ-ジンや川本さん、“宝子”の澄んだ眼差し…。それを目の前に再現してくれたデップに心からの感謝を捧げたい」―心底、そう思った。東日本大震災と福島原発事故、そして沖縄の米軍基地問題…。すべては地続きの延長線上にある。「MINAMATA」を見ながら、コロナ禍のいまこそ、人類は変わらなければならないという思いを強くした。と同時に、ハリウッドの売れっ子俳優がこうした重いテ-マに取り組むという米国映画界の懐の深さにも脱帽した。

 

 ユージンはチッソ五井工場(千葉県)での取材中、労働組合員らから暴行を受け、その時の傷に持病が重なって、59歳の若さで旅立った。現在、71歳のアイリーンはいまも、環境問題の最前線で活躍している。「ミナマタ」そのものを描くことをあえて避け、逆に「ミナマタ」を描き切った稀有な作品と言える。

 

 

 

 

(写真は抗議行動に立ち会うユ-ジン(デップ)とアイリ-ン(美波)=インタ-ネット上に公開の映画の一場面から)

 

 

 

《追記ー1》~小原議長が議員辞職

 

 

 花巻市議会の小原雅道議長(61)が9月30日付で、議員辞職願いを副議長あてに提出した。小原氏は来年1月に施行される次期市長選に出馬の意向を示しており、これに向けた辞職とみられる。また、議長職の辞職は議会の議決事項となっているため、10月中に予定されている臨時市議会に上程される見通し。近く、正式な出馬表明をするという。これにより、すでに出馬表明をしている現職の上田東一市長との一騎打ちになる公算が強まった。

 

 

《追記ー2》~「他人事」から「自分事」へ

 

 「実子の瞳に、心かき乱され/水俣の声なき声、ユージンは世界に警告した」―10月3日付「朝日新聞」1面にいまだ終わりのない水俣病の惨禍と映画「MINAMATA」を紹介する特集記事が掲載された。ユージンが同名の写真集(序)に「私たちが水俣で発見したのは勇気と不屈であった」と記してから50年近くが過ぎた。過去に例のないこの「受難」を他人事として、忘却の彼方に打ち捨ててきた私たちはやっとコロナ禍の下で、その当事者性(自分事)に気が付いたのかもしれない。 

 

 

 

 

 

上田市長が正式に出馬表明…“失われた8年”はいずこに!?

  • 上田市長が正式に出馬表明…“失われた8年”はいずこに!?

 

 「国民の命と暮らしを守る」というまるで百万遍念仏みたいな“呪文”を唱え続けた上、結局は退陣に追い込まれることになった菅義偉首相と入れ替わるように、今度はその“亡霊”がよみがえったのではないかと一瞬、頭の中に言いしれない虚無が去来した。花巻市の上田東一市長(67)は24日正式に3選出馬を表明したが、政治家の初心には欠かせない心のこもったメッセ-ジは聞かれずじまい(24日付当ブログ「指導者のスピ-チ」参照)。さらに、その大切な資質のひとつとして、“言魂”(ことだま)を言挙げする割りには魂を揺さぶるようなひとかけらも伝わってはこなかった。まずは、岩手日日新聞(9月25日付)からその出馬“語録”のいくつかを拾ってみると―

 

▽「市民の力であと4年間の任期を頂き、働かせてほしい。市の維持発展、市民の命と暮らしを守るため全力を尽くしてきたが、多くの事業は姿が見えてきたものの、未だ道半ばだ」

▽「財政基盤がしっかりしている今こそ、今後4年間に取り組むことが花巻の将来の基礎を決める4年といってもいい」

▽「市民が望む新しい図書館の姿を話し合い、実現に向けた諸課題を解決していく。JRとさらなる調査を行い、市の財政上無理のない計画を策定し、市民にその是非を問いたい」(新図書館建設やJR花巻駅の橋上化などについて)

 

 オヤっと思った。任期を重ねた政治家たるものは大抵在任中の政治運営について、その瑕疵(かし)も含めて、反省のひとくさりを口にするものである。現に目の前の自民党総裁選をめぐっては、胸の内はさておいて「過去の反省」のオンパレ-ドである。メルケル演説のような“政治哲学”は最初から望むべくもないが、たとえば、市民参画という手続きを一切無視して公表した「住宅付付き図書館」の駅前立地構想とその白紙撤回、橋上化に伴う調査費予算が議会側に否決されたにもかかわらず、“やらせ要請”という疑惑の中で予算を再上程するという強権突破。そして、終始つきまとった「PO」(パワハラ&ワンマン)疑惑の数々…。「緘黙」(かんもく)を貫いたところがこの人らしいと思えば、その通りである。

 

 次期市長選(2022年1月16日告示、同23日投開票)にはすでに花巻市議会議長の小原雅道さん(61)も出馬の意向を示しており、両者の一騎打ちになる公算が強い。「失われた8年」を取り戻すためにも議会制民主主義にのっとった“マナジリ”を決した真剣勝負を双方に望みたい。私たち市民はもう「お任せ民主主義」のツケはブーメランのように自身に舞い戻ってくることを知ってしまっている。

 

 

 

 

(写真は菅首相のパクリみたいな“公約”を掲げて、記者会見に臨んだ上田市長=9月24日、花巻市内のホテルで。IBCテレビの放映画面から)

 

 

 

 

指導者の「スピ-チ」…メルケルと菅と上田と~その「Mr.PO」が3選出馬の意向表明

  • 指導者の「スピ-チ」…メルケルと菅と上田と~その「Mr.PO」が3選出馬の意向表明

 

 「こうした制約は、渡航や移動の自由が苦難の末に勝ち取られた権利であるという経験をしてきた私のような人間にとり、絶対的な必要性がなければ正当化し得ないものなのです。民主主義においては、決して安易に決めてはならず、決めるのであればあくまでも一時的なものにとどめるべきです。しかし今は、命を救うためには避けられないことなのです」―。ドイツのメルケル首相は昨年3月18日のテレビ演説で、コロナ禍に伴うロックダウンに際し、国民にこう訴えた。私はいま、この感動的な演説の残響音を耳に聞きながら、地元紙「岩手日報」の記事に目を落としている。

 

 「上田氏3選出馬へ/花巻市長選」―。こんな見出しが1面に躍っていた。「上田氏」とは私がその市政運営のひどさ…「PO」(パワハラ&ワンマン)を批判するためにあえて命名した現職の上田東一市長を指している。同市長選にはすでに小原雅道・市議会議長が出馬の意向を示しており、同紙は「事実上の一騎打ちになりそう」と伝えている。この人は現下のコロナ禍にどう向き合ってきたのであろうか―。そう思い、HP上に掲載されている「花巻市長からのメッセ-ジ」を読み直してみた。9月24日現在の掲載本数は計16本。罹患状況やワクチン接種に関する情報がほとんどで、メルケル演説のような、いわゆる“琴線”に触れる言葉にお目にかかることは皆無と言っていい。

 

 「親戚で集まっての法事やお墓参り、バ-ベキュ-などの中止や延期。やむを得ず、集まる場合であっても会食等を厳に控えること」―。県が独自の「緊急事態宣言」を発令した8月12日、上田市長は改めて、こう呼びかけた。「市民の皆様におかれましては、8月のこの時期はお盆休みや夏休みに入られている方も多いことと存じますが、ひとりひとりが、あらためて感染拡大防止に取り組むようお願いします」。側近中の側近である藤原忠雅・副市長による“会食”事件が起きたのはこの翌日のこと。まさに“懐刀”の耳にもトップの言葉は届いていなかったという驚愕すべき事態。「聞く耳」を持たない”裸の王様”は実は「Mr.PO」だけではなかったというわけである。”馬の耳に念仏”、いや”馬耳『東風』”を地で行く下手な大絵巻を見せつけられた思いだった。

 

 「国民の命と暮らしを守る」―。一方で、百万遍念仏みたいにこの言葉を繰り返してきた菅義偉首相はわずか1年余りで退陣に追い込まれることになった。その大きな要因に「言葉の不在」を指摘する論者が多い。たとえば、臨床心理士の東畑開人さんは「問われるべきは自分の言葉だ。いや、違う。より根源的な問題は自分の耳にある。話を聞いてもらうためには、先に聞かなくてはならぬ。聞かずに語った言葉は聞かれない」(9月16日付「朝日新聞」)。さらに、哲学者で東京大学准教授の国分功一郎さんは菅退陣をめぐって「言葉の破壊をやめ、信じる価値語れ」と題して、こう語っている。

 

 「背景にあるのは『言葉の破壊』ではないのか。我々と世界をつなぎとめているのは言葉である。(昨年3月のメルケル演説は)権利制限の必要性を国民に訴えた。東独出身である自身の重い経験を踏まえながら、政治家として事態に応答する責任を示した演説だった。政治の言葉はまだ生きているのだと感じさせる迫力があった。だからこそ政治家は、自らの信じる価値を自らの言葉で語り、国民が政治について判断を下すための助力をする者でなければならない」(9月17日付「朝日新聞」)―

 

 「言葉が大事だ。日本文化には“言魂”(ことだま)という表現がある。言葉は命、魂だという意味だ。今回の件は日本の文化としても許すことはできない」―。9月8日付「岩手日報」に「本人、保護者死亡と誤送付」という大見出しの記事が掲載された。花巻市が市内在住の重度心身障害者10人に対し、7月2日付で本人や保護者が死亡したものと誤認し、医療費助成に必要な資格確認の届け出文書を送付していたという内容だった。今議会でこの「人権侵害」事案についてただされた際に発せられたのが、この発言である。謝罪の作法について、能書きを垂れたかったのかもしれないが、私はわが耳目を疑い、キョトンとして議会中継の画面を見つめていた。「まさか、この人の口から!?」という思いにとらわれたのである。

 

 3選出馬に際し、「Mr.PO」の口からどんな魂(たましい)のこもった言葉が発せられるのか、いまから楽しみである。花巻市議会の9月定例会は24日に閉会。「イーハトーブ国」はこれから激烈な選挙戦に突入する。次期市長選は来年1月13日告示、同23日投開票。いざ、「秋の陣」から「冬の陣」へ……

 

 

 

 

 

(写真はテレビ演説で国民に訴えるメルケル首相=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

パンデミックの夜の十五夜(中秋の名月)、そして賢治からの”伝言”……

  • パンデミックの夜の十五夜(中秋の名月)、そして賢治からの”伝言”……

 

 「そういえば、今日は賢治の88回忌に当たる日だな」―。まんまるなお月さんを仰ぎ見ようと思い立った矢先、その命日を失念していた自分に粛然(しゅくぜん)たる気持ちになった。銀河宇宙を遊泳し続けた宮沢賢治にとって、「月」はいつもその心象風景のど真ん中にあり続けた。『月夜のけだもの』や『月夜のでんしんばしら』などの作品だけではなく、私はたとえば、『なめとこ山の熊』の次のような一節を無意識のうちに中天の「十五夜」に重ねていた。猟師の小十郎がクマたちによって、葬送される感動的な最終場面である。

 

 「その栗の木と白い雪の峯々にかこまれた山の上の平らに黒い大きなものがたくさん環(わ)になって集って各々黒い影を置き回回(フイフイ)教徒の祈るときのようにじっと雪にひれふしたままいつまでもいつまでも動かなかった。そしてその雪と月のあかりで見るといちばん高いとこに小十郎の死骸(しがい)が半分座ったようになって置かれていた。思いなしかその死んで凍えてしまった小十郎の顔はまるで生きてるときのように冴(さ)え冴(ざ)えして何か笑っているようにさえ見えたのだ。ほんとうにそれらの大きな黒いものは参の星が天のまん中に来てももっと西へ傾いてもじっと化石したようにうごかなかった」―

 

 「名月や/池をめぐりて/夜もすがら」(松尾芭蕉)、「名月を/取ってくれろと/泣く子かな」(小林一茶)…。「満月さん」というニックネ-ムで呼ばれた亡き妻を思う時、私は決まってのこの名句を思い出していた。しかし、今夜はどうもいつもと心持ちが違うようなのだ。「賢治なら、コロナ禍の地球をどんな思いで描写したのだろうか」―。そんな想念に突き動かされたからなのかもしれない。たまたまの偶然なのだが、明日(9月22日)が発行日となっている『ポストコロナの生命哲学―「いのち」が発する自然(ピュシス)の歌を聴け』(福岡伸一、伊藤亜紗、藤原辰史・共著)の中で、生物学者の福岡さんは賢治の代表作『春と修羅』(序)の冒頭に置かれた―「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です」という一節を引用して、以下のように述べている。

 

 「『春と修羅』は、コロナ禍におかれた私たちが文明社会の中の人間というものを捉えなおす上で、非常に重要な言葉が書かれていると、私は思います。ここでまず注目したいのは、冒頭で『わたくし』は『現象』だ、と言っている点です。これは、『わたくし』という生命体が物質や物体ではなく『現象』である、それはつまり自然のものである、ということです。ギリシャ語の『ピュシス』は『自然』を表す言葉ですが、右に挙げた『春と修羅』の文章は、本来、生命体はピュシスとしてあるのだ、ということを語りかけているように思います」―。コロナパンデミックの謎を解く水先案内人が奇しくも賢治だという福岡さんの視点にぐいぐいと引き込まれた。

 

 闇が濃くなるにつれ、雑草にすだく虫たちの声も一段と大きくなり、冷え冷えとした秋の風が体を突き抜けていく…。この日、イ-ハト-ブの夜空は分厚い雲におおわれ、8年ぶりに満月と重なった「中秋の名月」は時たま、気まぐれのように顔を見せるだけ。まるで“隠れん坊”みたいなその仕草が逆に、悪戯(いたずら)好きの賢治を彷彿(ほうふつ)させるのだった。それにしても…。命日の翌日に賢治からのメッセージが届くなんて、その”暗合(あんごう)”の妙に軽いめまいを感じたというのが正直な思いである。

 

 

 

 

(写真は雲間からひょっこり、顔を見せた「満月さん」=9月21日午後7時50分ごろ、花巻市桜町の自宅庭から)
 

 

「市長へのメ-ル」の再回答を拒否…「木で鼻…」論法から一転、「黙殺」路線へ!?

  • 「市長へのメ-ル」の再回答を拒否…「木で鼻…」論法から一転、「黙殺」路線へ!?

 

 花巻市の藤原忠雅・副市長が関わったコロナ禍での“会食”事件の件について、8月23日付の「市長へのメ-ル」で8項目の質問(以下に再掲)を提出。同31日付で「ご意見については参考とさせていただきます」(同日付当ブログ参照)という「木で鼻をくくる」典型のような回答をもらったため、折り返し「誠意がない」として、再回答を求めていた。以来、2週間以上もナシのつぶてだったため、16日に改めて問い合わせた結果、こんな内容のメ-ルが返送されてきた。「市長へのメ-ルに対する再度の回答でございますが、同一の方から同一の趣旨内容でいただいた場合、回答しない取り扱いとしております。また、令和3年8月31日にお送りした回答内容と変わりはございませんことから、回答しないことといたしました」―。「木で鼻…」論法から「黙殺」路線へ。いやはや!?これってやっぱり、「『上田流コンプライアンス」の詐術』」(10日付当ブログ)っていうことじゃないのか。

 

 今回の不祥事に伴う“減額処分”について、前回の回答では「過去の特別職の給料減額の例や他自治体の例を参考に検討を行い…」と書かれていた。私は過去の事例を精査し、たとえば「前市政下の平成25年6月定例会にも同じような『減額』条例が提出されたことがあった。入札妨害や著作権侵害、職員の飲酒運転など重要事案に対する『指揮監督』責任を取る内容で、当時の市長には4か月間月額給与から100分の30,副市長に対しては100分の15を減じた額を支給するという厳しい内容だった。これに比べて、今回は減額幅に大きな隔たりがあるが、この処分が妥当なものだったと考えるか」(第5項目)―。この質問に対する「ゼロ回答」は事実上の回答拒否と受け取らざるを得ない。ことほど左様ということである。以下に回答を拒否された質問項目を再掲する。皆さんは市当局の対応をどう思われますか。

 

 

 

1,今回、市長と副市長に対して、給与の“減額”処分が科せられることになったが、その処分理由は何か。究極の「コンプライアンス」違反と見る向きもあるがどうか。

 

2,処分するに際して、根拠となる規定などの取り決めはあるのか。市長は緊急の「お詫び」会見(8月19日)の中で、「副市長についての処分、あるいは私の監督責任について、今担当部署に検討してもらっています」と話しているが、己の処分の検討を担当部署にやらせるというのは本末転倒ではないのか。市民が納得できる説明を求める。

 

3,つまり、言葉の厳密な意味で今回の事案は「常勤特別職」(市長及び副市長)自身が“被処分者”の立場に置かれているということである。今回の“減額”処分は誰がどのような認識もとで決定したものなのか―その経緯を明らかにしてほしい。

 

4,今回の「減額」条例の参考先例としては、平成29年4月1日に施行された条例がある。この事案は農業委員会職員の有印公文書偽造事件に関連し、当時の常勤特別職(市長及び副市長)に対し、2カ月間月額給与から100分の10を減じた額を支給する内容で、いわゆる“部下の不祥事”に対する「監督責任」を取るという通例の手続きである。今回の「減額」条例もほぼこの先例を踏襲したもので、減額幅や期間も同じ内容になっている。こう理解してよいか。

 

5,前市政下の平成25年6月定例会にも同じような「減額」条例が提出されたことがあった。入札妨害や著作権侵害、職員の飲酒運転など重要事案に対する「指揮監督」責任を取る内容で、当時の市長には4か月間月額給与から100分の30,副市長に対しては100分の15を減じた額を支給するという厳しい内容だった。これに比べて、今回は減額幅に大きな隔たりがあるが、この処分が妥当なものだったと考えるか。

 

6,以上言及したように、今回の事案がこうした先例と決定的に違うのは、本来「監督責任」や「指導責任」を担うべき「常勤特別職」自身がこの事案の当事者の位置に立たされているということである。

 

 とくに、副市長の職務は「花巻市職員倫理規定」(平成25年5月)における「総括倫理監督者」、また、職員を処分する際の「花巻市職員分限懲戒等審査委員会」(平成27年8月付同規定)の委員を兼務し、さらには委員長の任命権も与えられている。一方で、コンプライアンス防止などのために定められた「花巻市不正防止に係る内部通報に関する規程」(平成27年8月)では、仮に市長自身が“被通報者”の立場に立たされた場合は「副市長に報告しなければならない」とその職務の重大性が明記されている。そして、行政トップの上田市長はその副市長を指揮監督下に置くという立場にある。市長としての立場から、今回の事案についての認識を伺う。

 

7,そもそも、今回の事案はコロナ禍というこれまで人類が経験したことのない“未知の世界”で発生した想定外の出来事である。加えて、本来なら組織内に範を示すべき“上司”が当事者として直接、事案に関与したという点でも特異である。今後の教訓として生かすためにも、こうした「想定外」の事態に対処するための第三者委員会のような組織を設置すべきだと考えるがどうか。

 

8,「イ-ハト-ブはなまき」のイメ-ジを全国規模で失墜させたという意味で、今回の事案は刑事罰にも劣らない“大罪”ともいえる。さらには、公務員の信用を失墜させたという「信用失墜行為」にも該当すると言わざるを得えない。こうした場合、その当事者自身が己の出処進退を判断するというのが、日本の政治家の昔からの流儀と言われてきた。本来なら”性善説”に依拠していたはずの政治家像がいま、崩壊している実態は周知の事実である。今回の事案を“自己責任”という観点からどう認識しているか―最後に伺いたい。

 

 

 

《参考資料》~「市長へのメ-ル」の応募要領(市HPより)

 

 

 後学のために「市長へのメ-ル」の応募要領(心得)を転載しておく。「公序良俗及び良識に反するもの」だって!!??「ケッ、どっちが良識に反しているっていうのか」……

 

 

以下に該当するものには回答しません。

 

・正確な氏名(フルネ-ム)、住所、電話番号、メ-ルアドレスが記載されていないもの

・公序良俗及び良識に反するもの

・特定の個人や団体または本市を侮辱または誹謗中傷するもの

・営利目的の宣伝、政治・宗教活動やこれに類するもの

・不当要求に当たるもの

・隣家とのトラブルなど、民事に関するもの

・内容の意味や意図が不明なもの

・同一の方や同一の家族、団体などから、同一の趣旨内容で繰り返し投稿されたもの

・単なる個人の感情の表明であるもの

・その他、単なる質問や建設的な意見・提言ではないもの

 

 

 

 

(写真は9月定例会の決算特別委員会で答弁に立つ上田東一市長=9月16日、花巻市議会議場で。インターネットによる議会中継の画面から)