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くどうれいんさん…惜しくも受賞逃すも、“震災文学”に新たな境地~受賞作も震災がテーマ

  • くどうれいんさん…惜しくも受賞逃すも、“震災文学”に新たな境地~受賞作も震災がテーマ

 

 初の小説『氷柱(つらら)の声』で芥川賞候補にノミネ-トされていた盛岡市在住の歌人で作家のくどうれいんさん(26)らの作品を審査する選考会が14日開かれ、くどうさんは惜しくも受賞を逃したが、“震災文学”に新境地を開くなど大きな反響を呼んだ(7月11日付当ブログ参照)。東日本大震災を題材にした小説としては同じ盛岡在住の作家、沼田真佑さん(42)の『影裏』が4年前の第157回芥川賞を受賞したほか、その翌年には遠野市出身の作家、若竹千佐子さん(67)が『おらおらでひとりいぐも』で同賞を受賞するなど岩手における“文学人脈”の豊かさを浮き彫りにした。

 

 今回、芥川賞に輝いた2作のうちの1作はドイツ在住の石沢麻依さん(41)のデビュ-作『貝に続く場所にて』。1980年、宮城県仙台市生まれ。東北大学大学院文学研究科修士課程修了。今年、同作で第64回群像新人文学賞を受賞したばかりだった。ドイツの学術都市に暮らす私の元に、東日本大震災で行方不明になったはずの友人が現れる。人を隔てる距離と時間を言葉で埋めてゆく、現実と記憶の肖像画。コロナ禍が影を落とす異国の街に、震災の光景が重なり合う、静謐(せいひつ)な祈りをこめて描く鎮魂の物語…。群像新人賞の選評では―

 

 「記憶や内面、歴史や時間、ここと別のところなど、何層にも重なり合う世界を、今、この場所として描くことに挑んでいる小説」(柴崎友香)、「人文的教養溢れる大人の傑作。曖昧な記憶を磨き上げ、それを丹念なコトバのオブジェに加工するという独自の祈りの手法を開発した」(島田雅彦)、「犠牲者ではない語り手を用意して、生者でも死者でもない『行方不明者』に焦点を絞った点で、すばらしい。清潔感がある」(古川日出男) 

 

 今回の授賞について、石沢さんはオンラインでの記者会見でこう語った。「“震災文学”を代表する作品ということではなく、あくまである記憶、体験をめぐる『惑星』のようなものだと考えています。今後、どうやって震災の記憶をさらに引き継いでいくのか。先人も作品を通して声を上げていますが、私もその一人になることができました。これからもっと自分の創作を発展させることで人々が震災を記憶していくことにつながればいいと思います」―

 

 沼田さんが受賞した時、私は当ブログにこう書いた(2017年8月1日付)。 「東北は敗けない、日本はひとつ、頑張ろうニッポン、みんながヒ-ロ-…。こんな表面を取り繕(つくろ)うような復興メッセ-ジに対し、沼田さんは異議申し立てをしたかったのではないのか。私はそんな気がする。選考委員の一人である作家の高樹のぶ子さんは震災をテ-マにしていることについて、こう述べている。『人間の内部と外側の崩壊を描いた。人間の不気味さと自然の不気味さが呼応している』」―。あの大震災に今はコロナという疫病が襲いかかっている。緊急事態宣言下での”復興五輪”を目前にした今、こうした記憶の物語が世に問われた意義は大きい。 

 

 「十年一昔」―。人々の記憶が風化する中、猛威を振るうコロナ禍と「3・11」を重ね合わせるような石沢さんの手法はくどうさんの作品を彷彿(ほうふつ)させる。東北ゆかりの作家たちによって、本格的な「震災文学」の創出が始まったのかもしれない。かつて経験したことのない「パラダイムシフト」(価値の大転換)への予感……

 

 

 

 

(写真は今後の作品に期待が集まるくどうさん=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

「十年一昔」という時間軸…記憶の風化の狭間にて

  • 「十年一昔」という時間軸…記憶の風化の狭間にて

 

 「(福島原発事故は)アンダ-コントロ-ル下にある」という“ウソ”の号令で始まり、復興五輪やコロナに打ち勝つなどという“マコト”しやかさを装った「祝祭」(東京オリパラ)が目の前に迫っている。まさに「百年の計」を地でいった英国の辞書作り(7月6日付当ブログ参照)とは裏腹な狂騒曲の幕開けである。コロナ禍に伴う緊急事態宣言発令下でのある種、狂気じみた光景を見せつけられているうちに「十年一昔」という言葉が反射的に口からもれた。100年という時間軸は逆に言えば、10年刻みの忘却の総量を指しているのではないか。そして、この忘却こそが「ウソから出たマコト」を操る巧妙きわまる装置ではないのか―

 

 盛岡市在住の作家で歌人の「くどう・れいん」さん(26)の最新作『氷柱の声』(群像4月号、単行本として講談社から刊行)は東日本大震災(3・11)で、“被災者(地)”とひとくくりにされ、あげくの果てにそっくり丸ごと記憶の風化にさらされた「忘れられた側」の物語である。主人公の「伊智花(いちか)」は盛岡市内の高校2年の時に「3・11」に遭遇した。以来、現下のコロナ禍までの10年間、それまで生かされ続けてきた人生をもう一度、自ら生き直そうという奔放な力強さを感じさせる作品である。被害が比較的に少なかった内陸部に住む伊智花は世間の無関心のただ中でもがき苦しむ“被災”の多様な実相に打ちのめされる。たとえば、祖父母と母と姉を津波で失った男性の、こんな悲鳴に似た声を…

 

 「いろんな人が僕の人生のこと勝手に感動したり、感動してる人に怒る人が居たり、忙しいすよ。僕はただ暮らしているだけなのに。確かに僕の人生は感動物語として消費されてしまっているかもしれない。でも、考えて見ると、ある日突然家族も家も全部なくしてしまった僕は、もうどっちみち美しい物語を歩むほかないんじゃないかって思ったりするんですよ。何を目指しても、敗れても、どうあがいても感動物語にしかならないんですもん…」―。そして、伊智花はデパ地下のコロッケ屋でバイトしていた時の、先輩店員のこんな言葉にドキッとする。

 

 「トゥ-さん(伊智花のニックネ-ム)サンイチイチにシフト入ったことないですか。わたしバイトはじめてすぐだったんですけどすごかったですよ。館内放送で『それじゃ黙とうするね、せ―の』みたいなの流れて、それからの一分間。やとわれパ-トも、館(やかた)のひとも、お客さんも。ギャルも外国の人もおじいちゃんもおばあちゃんも家族連れも、みんなその場に固まって、目をつぶって。わたし、そわそわしてこっそり目を開けて顔も上げちゃったんですけど、全員ちゃんと目、つぶってました。わたしが泥棒だったらいまの隙にカ-トからお財布取れるなとか思っちゃうくらいみんな集中してたんですよ」―

 

 1年にたった1回の「喪(も)」の日の光景を思い浮かべながら、そういえば私自身も同じような“不謹慎”を繰り返してきたよな……などと思いながら、そぞろ読み進むうちにパっと目を見開かされるような文章にぶつかった。「ん―、でもしょうがない。なるようにしかならないし、神様が振ったサイコロのことなら何を恨んでもなあって」―。伊智花の大学時代の友人で福島出身のト-ミ(崎山冬海)は震災後、ニュ-ヨ-クに留学。そこで新型コロナウイルスによるロックダウンに見舞われた。ボ-イフレンドの中国人は「中国ウイルス」という罵声を浴びせられた末に帰国し、ト-ミも郷里の福島へ。気が付くと、伊智花とト-ミが久しぶりに交わす会話はまるで“憑(つ)きもの”が落ちたみたいに明るい雰囲気に変化している。たとえば―

 

 「うん。ずっと、だれなのかわからないだれかの目を気にして、傷付かなければいけない、傷付かなかった分、社会に貢献できる人間でなければならないってがんばってた。わたしはいつのまのか『希望のこども』になろうとしてたんだよ」―。こんなやりとりの中で、ト-ミがふともらした「神様のサイコロ」という言葉に私は引っ掛かっていた。「感動物語」とか「希望のこども」などという強制のくびきから“被災者”を解放したのはもしかしたら「他人事」(震災)から、だれもがそのその”被災”から逃れることはできないという「自分事」(コロナ)へと思考回路の変換を促した”神様のサイコロ”…「コロナ神」の思し召しではなかったのか―こんな妄想が広がった。

 

 『氷柱(つらら)の声』は第165回芥川賞の候補作にノミネ-トされ、その選考会は7月14日に開催される。受賞を期待したい。当ブログは奇しくも「3・11」が誕生日である当年取って81歳の老翁が孫の世代に送る感謝と応援のメッセ-ジでもある。それにしても小説とは際限のない想像力をかき立ててくれる不思議な世界である。“五輪狂騒曲”が吹き荒れる中、この若い作家の感性から「忘却」の残酷さを改めて教えられた気がした。同世代の7人に取材し、執筆の動機について「あなたと震災のことで『言えなかったこと』『言うほどじゃないと思っていること』を聞かせてください」とあとがきに書いている。作品はこんな文章で締めくくられる。

 

 「まだすこし涙で潤んだ視界のなかで、窓の外に立派な氷柱が並んでいた。太いものや、細いものや、長いものや、短いもの。さまざまに違った氷柱はみな透き通って春の光を通し、静かに水滴を落としはじめていた。春だ」ー。あの大震災から今日で丸10年4ケ月…「十年一昔」を超えた。

 

 

 

 

(写真は東日本大震災で瓦礫の荒野と化したまち。すっくと立つ地蔵尊のまなざしを私は記憶の奥に刻み続けたいと思う=2011年3月、岩手県大槌町で)

 

 

「百年の計」という時間軸…「狂気」と「正気」の狭間にて

  • 「百年の計」という時間軸…「狂気」と「正気」の狭間にて

 

 monumentum aere perennius」というラテン語が裏表紙に記してある。「青銅よりも永遠なる記念碑」という意味だという。迷走を続ける「新花巻図書館」問題を考え続けるなか、絶えず頭を離れなかったのが「百年の計」という時間軸のことである。そんな折しもまるで天の啓示みたいな形でめぐり合ったのがずばり『100年かけてやる仕事―中世ラテン語の辞書を編む』(小倉孝保著、プレジデント社)。英国が準国家プロジェクトとして100年をかけて完成させた『英国古文献における中世ラテン語辞書』の誕生の物語を追ったドキュメンタリ-である。

 

 「自分たちの生きている時代に完成しそうもない、つまり自分たちが使うあてもない辞書をつくることになぜ、それほど精力を傾けたのか」―。著者は執筆の動機をこう書いている。この事業がスタ-トしたのは第1次大戦が始まる前年の1913年で、完成したのは2013年。ひと口に「100年」といわれてもその時間軸はピンとこない。著者は新聞記者らしい感覚でその時空間をこんな風に説明する。「日露戦争前に辞書の必要性が叫ばれ、徳川幕府最後の将軍、徳川慶喜が亡くなった大正2年にプロジェクトが始動。そして、第一次、第二次大戦、戦後の混乱と経済復興、バブル経済とその崩壊を経て初めて辞書が完成している」―。それにしても、この気の遠くなるような「世紀をまたぐ」事業を支えた心意気とは一体、何だったのか。

 

 「英国では中世、公文書や教会の文書、そして研究発表はすべて中世ラテン語で書かれていました。そうした文書を現代人が正しく理解するには完全な辞書が必要です。中世ラテン語の辞書なくして英国の古文書は一つも理解できません。近代に入っても書き言葉としてラテン語は広く使われ、ニュ-トンが万有引力の法則を発表したときのレポ-トを理解するにも辞書が必要です」―。オックスフォ-ド大学でラテン語を教えるリチャ-ド・アシュダウンは本書の中でこう語っている。また、第二代編集長を務めたデビッド・ハウレットは辞書つくりの醍醐味を「ハチ」にたとえて言う。「辞書編集はハチが花の上を飛ぶのに似ています。こっちの文献をのぞいたら、次は別の文献を探ります。図書館が森、書棚が樹木、文献が花だとすれば編集者はハチです」

 

 意外な登場人物だったが、米国生まれの詩人で俳人でもあるア-サ-・ビナ-ドさんがインタビュ-の中でこんなことを口にしている。「アイヌ語が滅びてしまったとき、日本語がわからなくなる。英語の源流がアングロ・サクソンの民族語とラテン語にあるのと同じように、日本語にはアイヌ語が影響しています。カミはアイヌ語でカムイでしょう」―。ハタと心づいた。「辞書つくりとは、言葉の背後に堆積した記憶の古層を掘り起こす発掘作業ではないか」―と。

 

 ちなみに私の手元にも数冊のアイヌ語辞典が常備してある。試しに「津波」を引いてみる。『萱野茂のアイヌ語辞典』によれば、「津波」はアイヌ語で「オレプンペ」(o-rep-un-pe)と表記される。語源分析をすれば、「オ=それ、レプ=沖、ウン=住む、ペ=者」となり、アイヌ民族にとっての津波とは「沖に住んでいて、しばしば陸地にやって来るもの」という共通認識があった。一方、日本語の解釈では「津」には船着き場や港などの意味があり、文字通り港を襲う波だから「津波」と名づけられた。森羅万象(自然)をカムイ(神)として敬うアイヌの精神世界では「津波」は抗(あらが)えない自然現象として、そのことを言葉に刻印して後世に伝えたのだと思う。日本語にしても「津波」よりは「海嘯」(かいしょう)という古語の方が自然の脅威が伝わってくる。

 

 ところで、米国映画「博士と狂人」(P・Bシェムラン監督、2019年)は、初版の発行まで70年の歳月を費やした世界最高峰の『オックスフォ-ド英語大辞典』(OED)の誕生秘話(実話)を描いた作品である。原作はベストセラ-となったサイモン・ウインチェスタ-の同名のノンフィクションで、メル・ギブソンとショ-ン・ペンが初共演して話題を呼んだ。貧しい家庭に生まれ、学士号を持たない異端の学者(ギブソン)。エリ-トでありながら、精神を病んだアメリカ人の元軍医で殺人犯(ペン)。この2人の天才が辞典つくりという壮大なロマンを共有し、固い絆で結ばれていく…

 

 「ワ-ドハンタ-」(言語採取者)―。こうした英国の辞書プロジェクトの背後には古典から言葉を探し出す無数のボランティアたちの姿があった。ある日、精神病院から大量の語彙カ-ドがギブソンの手元に届けられる。罪への贖罪(しょくざい)からなのだろうか、それはワ-ドハンタ-の鬼と化したペンからのものだった。犯罪者が大英帝国の威信をかけた辞書つくりに協力していることが明るみとなり、時の内務大臣ウィンストン・チャ-チルや王室をも巻き込んだ事態へと発展してしまう…。こんな手に汗を握る展開に私は「百年の計」とはある意味で”狂気”のなせる業(わざ)ではないかとさえ思った。

 

 「いまの時点で将来に向けた過大な計画を策定すること自体が逆に『絵に描いたモチ』になる」―。花巻市議会の6月定例会で「Mr.PO」(上田東一市長)はまちのグランドデザインを問われたのに対し、こう答えた。るる紹介してきた「夢の辞書つくり」とは真逆の発想である。辞書つくりが百年の計であるとするならば、それを収蔵する「図書館」はそれ以上の時間をかけても一向におかしくない。将来の遺産とはいつの時代でも、そうした世代を超えたリレ-が生み出すものである。残念ながら、Mr.POにはそのどちらの資格もない。つまり、このご仁には「狂気」どころか「正気」さえも感じられないということである。

 

 

 

(写真は映画「博士と狂人」のポスタ-。左がギブソン=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

《追記》~危機に瀕する先住民の言語

 

 7月7日付「朝日新聞」に「よみがえれ/豪州先住民の言語」と題する特集記事が掲載され、先住民(アボリジナルピ-プル)の言語復活の努力が紹介された。参考までにその一部を以下に転載する。中世ラテン語の辞書編纂に国を挙げて取り組んだ英国がかつて、自国の植民地下にあった豪州先住民の言語を奪う立場にあったという歴史の皮肉を肝に銘じておきたい。

 

 

 豪州では6万5千年前から先住民が暮らす。250以上の言語が話されていたとされるが、18世紀後半以降の入植の過程で多くが失われた。政府の昨年の報告書は、現状で1千人超が話す言語は20だけだとする。すべての世代が第1言語として話しているのは、12言語にすぎない。一方で、ガーナ語など復活の動きがある10の言語を紹介している。

 

 政府は20~21年に各地の取り組みに計2千万豪ドル(約17億円)を助成した。メルボルン大のレイチェル・ノードリンガー教授(言語学)は「言語が失われることは、先住民の知識や文化の一部が失われることでもある」と指摘。ユネスコ国連教育科学文化機関)によると、世界にある6700言語の40%が消失の危機にある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「Mr.PO」の思想と行動(10=完)…結局は「権力と無駄」との相関関係を証明しただけの「終わった人」~ところで、「まん福」跡地に新図書館ってのは!?

  • 「Mr.PO」の思想と行動(10=完)…結局は「権力と無駄」との相関関係を証明しただけの「終わった人」~ところで、「まん福」跡地に新図書館ってのは!?

 

《前 編》

 

 ののしり合いに終始した花巻市議会の「6月(バトル)定例会」は7月1日、15日間にわたった会期の幕を閉じた。最終日のこの日、久しぶりに傍聴席から「兵(つわもの)どもが夢の跡」と化した議場を見下ろしてみた。一方の主役…「Mr.PO」(上田東一市長)の疲れ切った表情が目に飛び込んできた。心底、思った。「この人はもう、終わった人だな」と…。その一方で、議会制民主主義(二元代表制)の崩壊の危機をすんでのところで回避した一部を除いた議員諸賢の奮闘には、これまでそうではなかった分の“名誉回復”を含めて拍手を送りたいと思った。

 

 「当市はもう、JRから信用されていない。話し合いができる状況ではない」―。一般質問のやり取りの中で、顔を引きつらせながらヒステリックに叫ぶMr.POの姿に一瞬、その意味を解しかねた。自ら手掛けた2大プロジェクト―「新花巻図書館」と「JR花巻駅の東西自由通路(駅橋上化)」の整備計画がともに議会側の反対でとん挫したことに対する“逆恨み”が根底にあるようだった。「当り前じゃないですか。こっちは相手側とコンセンサスを得ようと頑張っている。それが(議会側の)反対でダメになる。これじゃ、前に進めない」…。いやはや、と思った。「このご仁は首長の立場をどこかの企業のトップと勘違いしているのではないか。いや、企業にもちゃんと、株主総会というものはある」

 

 「1・29」事変と私が名づけたあの“青天の霹靂”(へきれき)をもうすっかり、忘れてしまっているようである。あるいは忘れたふりをしているのかもしれない。2020年1月29日、ある昵懇(じっこん)のコンサルタントと密室で練り上げた「新花巻図書館複合施設整備事業構想」なる代物が突然、天から降ってきた。いまでは“上田私案”と呼び慣らわされる「住宅付き図書館」の駅前立地構想で、「Mr.PO」vs「市議会」の“イ-ハト-ブ戦争”勃発の契機になった事件である。「住宅付き」部分の白紙撤回、駅橋上化をめぐる集団“やらせ要請”などの経緯については当ブログに収録した「イ-ハト-ブ歌舞伎『青天の霹靂』」もう一度お読みいただきたい。

 

 「間接民主主義は憲法で保障されている、大切な議会運営の基本」―。一般質問最終日の6月23日、Mr.POに対する議会側の“引導渡し”かと思いきや、発言の主は何とそのご本人だったというブラックユ-モアも顔負けのお粗末が演じられた。耳を疑うどころか、耳朶(じだ)が壊れたのではないとさえ思った。そういえば、このご仁の発言は「1・29」事変で議会側にケンカを売ったあたりから、まるで思考回路がメルトダウン(炉心溶融)したみたいに迷走状態を繰り返してきた。「憲法で保障?…。それを踏みにじってきたのは一体、誰だったのか。あんたにだけは言ってほしくはない」―。インタ-ネットの議会中継でこの茶番を見せつけられた私は思わず、パソコンに向かって毒づいていた。

 

 

《後 編》

 

 最終日の本会議終了後、急きょ議員説明会があることを知った。議題は「旧料亭・まん福」の経緯について―。現職市議時代からの懸案で、その後の経過が気になっていたので傍聴した。この老舗料亭は1935(昭和10年)に開業され、戦後長きにわたって、花柳界の隆盛を支えてきた。64畳にも及ぶ大広間の天井には樹齢2千年を超すとも言われる屋久杉の樹皮が使われ、床の間や柱には黒檀(こくたん)や紫檀(したん)などの銘木がふんだんに施されていた。ここで結婚式を挙げたという市民も多く、一方で“料亭政治”の舞台としても利用されるなど当市のシンボル的な存在だった。しかし、近年の料亭離れで経営が悪化。市側が8年前、土地代金として5800万円を支払い、建物は無償で譲り受けた。

 

 この日の説明会で市側は「建物や跡地の利活用について、民間資金の導入などを検討してきたが、条件が見合う引き合いがなかった」として、この種の市場調査は今後、行わない方針を固め、今年12月末完了をメドに解体撤去することになった。また、旧料亭内あった花巻ゆかりの画家の作品など65点は市博物館へ収蔵し、床の間や石灯篭など再利用が可能な工芸品15点は公売に付すことになった。今回の建物撤去に伴い、更地になる総面積はざっと、3840平方㍍にのぼる。〝塩漬け“状態になっている旧新興製作所跡地(花巻城址)を除き、市の中心部にこれだけ広大な空き地は他に見当たらない。つけ加えると、私自身は花巻城址の「旧東公園」跡地こそが、新図書館の立地にふさわしいと事あるごとに訴えてきたが、Mr.POの”失政”のあおりを受けて、日の目を見ることなく現在に至っている。

 

 「開けてびっくり、玉手箱」―。説明を聞いているうちにこの高台の一等地こそが新花巻図書館の立地最適地ではないかとふと、ひらめいた。Mr.POが全国で3番目と胸を張る「花巻市立地適正化計画」の都市機能誘導区域に位置するこの地以外にどこがあろうか…。背中を押されるような気持で、説明会の帰途、久しぶりに「旧まん福」界隈(上町、吹張町、鍛治町、末広町など)を散策してみた。最近まで近くにあったはずの岩手銀行鍛治町支店の建物はすでに撤去され、見通しがずいぶんと良くなっている。隣接する高台にまだ残る旧料亭の古風な建物が風雅なたたずまいをあたりに漂わせていた。小学生の時、友達と誘い合って通った銭湯「末広湯」はレンガづくりの煙突や男湯と女湯の文字がかすれながらも当時のまま残っていた。東北本線のガ-ドを汽車がガタゴト音をたてながら通り過ぎた。往時の商店街の賑わいが目の前に去来するような、そんな錯覚に陥った。

 

 「市有地だから、JRなど厄介な相手とも交渉しなくてすむ。Mr.POがお題目みたいに唱える中心市街地活性化にうってつけの場所ではないか。(新図書館の)建設予定地の選定が難航する中、この地こそが天からの授かりもの。真の意味の〝青天の霹靂“とはこのことではないか」―。ブラブラ歩き続けているうちに、夢がどんどんと広がった。私たちはどうしてこんなに回り道をしてしまったのか…

 

 封切直後に観た映画『終わった人』(中田秀夫監督)のシ-ンが突然、二重写しのようにまぶたによみがえった。原作は作家、内館牧子の同名の長編小説。岩手日報など地方紙8紙に2014年6月9日から連載。加筆を経て2015年9月17日に講談社から刊行。仕事一筋で定年を迎えた東大卒のエリ-ト銀行マンの定年後の悲哀を描いた傑作である。2017年にラジオドラマ化、2018年に映画化された。主人公の定年後の人生行路はほぼ、Mr.POの首長時期と重なっている。「終わった人」には去ってもらうしかないが、「終わり」は「始まり」のゴ-サインでもある。この日の本会議で長年の懸案だった「花巻市民参画条例」の制定を求める陳情が全会一致で可決された。「イ-ハ-ト-ブはなまき」の潮目は確実に変わりつつある。

 

 

 

 

(写真は映画化された「終わった人」のポスタ-=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

<注>~コメント欄に旧料亭「まん福」の近影写真を掲載

 

 

 

 

《追記》~「権力と無駄は相関する」

 

 フランス文学者で思想家の内田樹さんがこんなタイトルの論考を『週刊金曜日』(7月2日号)に掲載している。まさに、「Mr.PO」の“思想と行動”を見透かすような、ドンピシャの内容にこっちがびっくり。以下にその要旨を転載させていただく。たとえば、この命題の典型例と言えるのが「住宅付き図書館」の駅前立地構想。WS(ワークショップ)におけるアンケート調査で、この構想に賛成した人はゼロ。こうした案件で賛否のいずれかがゼロというのは統計学上、あり得ないと言われる。ということは、そもそもこの構想自体が政策上の要件を満たしていなという意味で、「権力と無駄」の相関を見事に浮き彫りにした好例である。

 

 

 「組織がほんとうに上意下達的であるどうかを簡単に確かめる方法がある。それは『無意味なタスク』(仕事や作業などを指すビジネス用語)を下僚に命じることである。完全にトップダウンの組織であれば、その『無意味なタスク』は遅滞なく末端まで行き届く。だから、『無意味なタスク』を発令しておいて、それに黙々と従う部下を重用し、『これ、意味ないですよ』と突き返してくる部下を排除するという人事考課を10年ほど続けていれば、理想的にトップダウンな組織が完成する」

 

 「どのような有害無益な指示でも、誰一人疑義を呈したり、実行を止めようとする者がいない組織が出来上がる。すばらしく効率的な組織ではあるけれども、『無意味なタスク』について『これをやるのは時間と予算の無駄です』と言ってくれる人間がいなくなるので、結果的にその組織がする仕事のうち『ブルシット・ジョブ』(どうでもいい仕事)が占める割合は増え続ける」

 

 「自分がほんとうに下僚から畏怖されているかどうか知りたがる人間は(無意識的にだが)『無意味なタスク』を発令する傾向がある。自分が権力者として畏怖されていることを確認するためには、誰の利益にもならない『壮大な無駄』を命じて、それが実現するのを見ることだからである。それとは逆に、ボトムアップでものごとを決める民主的な組織では、合意形成には時間がかかる。それぞれ一家言ある人たちが自説を述べるので、なかなか話がまとまらない。その代わり、『誰の目にも無意味とわかるタスク』が採択されるリスクはきわめて低い」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

忙中閑―「学生時代」と図書館と…

  • 忙中閑―「学生時代」と図書館と…

 

 「つたの絡まるチャペルで祈りを捧げた日/夢多かりしあの頃の想い出をたどれば/懐しい友の顔が一人一人うかぶ/重いカバンを抱えて通ったあの道/秋の日の図書館のノ-トとインクの匂い/枯葉の散る窓辺 学生時代」(平岡精二作詞・作曲、1964年リリ-ス)―。ひとり酒のテレビから、ペギ-葉山が熱唱した懐かしい歌が聞こえてきた。思わず、唱和した。ハタと心づき、本棚の奥に眠っていた文庫本を取り出した。背表紙はボロボロになり、茶色に変色した行間に赤ペンの傍線がかすかに痕跡を残している。

 

 アンドレ・ジッドの『狭き門』―。「誤りと無知とによって作られた幸福など、私は欲しくない。 幸福は対抗の意識のうちにはなく、協調の意識のうちにある。 幸福になる秘訣は、快楽を得ようとひたすらに努力することではなく、努力そのもののうちに快楽を見出すことである」…。初恋の人にこの部分を丸写しにしたラブレタ-をそっと手渡したのも、そういえば図書館の本棚の陰だったな。真っすぐに顔を向けることさえできなくて、くびすを返すともう、一目散。60年以上も前の青春のひとこまが走馬灯のように流れていく。2番目の歌詞が流れてきた。

 

 「讃美歌を歌いながら清い死を夢みた/何んのよそおいもせずに口数も少なく/胸の中に秘めていた恋への憧れは/いつもはかなく破れて一人書いた日記/本棚に目をやればあの頃読んだ小説/過ぎし日よわたしの学生時代」―。結局はふられてしまったが、意を決して彼女を賢治命名の「イギリス海岸」(北上川)に誘ったことがあった。当時、私たち高校生の間では「北上夜曲」(菊池規作詞、安藤睦夫作曲)がデ-トの成否を占うキ-ワ-ドのひとつとされていた。「宵の灯(ともしび) 点(とも)すころ/心ほのかな 初恋を/想い出すのは 想い出すのは/北上河原の せせらぎよ」…。顔をほてらせながら、私は必死になって歌った。彼女はじっと聞いてくれていたようだったが、それっきり音信は途絶えてしまった。

 

 コロナ禍のうっとうしい日々、梅雨の合間を利用してイギリス海岸に足を運んだ。ふいに『方丈記』(鴨長明)のあの有名な一節が口元からもれた。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」―。81歳の老いぼれはこんな感慨に浸りながら、泡盛の晩酌をあおる。「死して生きるとは何ぞや。ワクチンにまですがって、生き延びようという我が性(さが)のわびしさよ」…などとボソボソとつぶやきながら。6月30日、2回目のワクチン接種。

 

 

 

(写真は悠久の流れという言葉がぴったりのイギリス海岸)