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「市民参画」という名の虚構…ワ-クショップの罠

  • 「市民参画」という名の虚構…ワ-クショップの罠

 

 「この手のワ-クショップに参加するたびに、多様なメンバ-間での対話や議論の可能性と同時に難しさを感じます。…くれぐれも『市民の声をきいて作りました』というアリバイとして使われるだけの時間となりませんように…」―。現在、策定が進められている「第2次花巻市まちづくり総合計画」に際し、市民の声を反映させるための「まちづくり市民ワ-クショップ(WS)」に団体推薦枠で参加している委員のひとりが冒頭のような“危機感”をSNS上で発信している。今回のWSでは最初から公募枠を廃止するなどその人選方法に批判が挙がっていた(9月7日付当ブログ「“異論”排除のWS」参照)。そして今度は当事者の推薦委員から、そのあり方についての認識が示されたことになり、今後「WSのあり方」論議に拍車がかかりそうだ。

 

●「たとえば付箋にアイデアを書いて貼り出すという手法も、『なんとなくやった気にはなる』ものの、その結果として出てきたものに主催者・参加者は本当に満足しているでしょうか。まず、往々にして起こりうるのが『ワ-クショップという名のヒアリングをおこなったにすぎない』という状況です。図書館関係者だけではなく、社会の多くの人がこのワ-クショップの罠に陥っていると思うのですが、『何十、何百ものアイデアが出てよかった!』、『活発な議論が展開されてよかった!』といったワ-クショップは、基本的には失敗していると思っていいでしょう」

 

 

●「ワ-クショップでのアイデア創造で大切なのは、集団の中でアイデアが構造化され、集約されること。つまり、一人のアイデアが全員のものとなっていくワ-クショップの過程のなかで『一人ひとりが意見を出し合ったからこそ多様化したアイデア』と『一人では考えつかなかった、まさに求めていた唯一のアイデア』を同時に達成することに意味があるのです」(岡本真/森旭彦著『未来の図書館、はじめませんか?』)

 

 図書館問題のスペシャリストである岡本さん(編集者&キュレ-タ-)のこの言葉をまざまざと思い出した。冒頭の委員はこうもつぶやいている。「そもそも現行計画はおろか、市政の現状の理解もバラバラのメンバ-でやるので難しいですね。ワ-クショップの前に研修を通じて正しい知識を共有してからじゃないと建設的な議論にならないような気がして、本気でリタイアしようかとも…」

 

 昨年、新花巻図書館に関わるWSに公募枠で参加し、散々、煮え湯を飲まされた経験者としてはこの発言に無関心を装うわけにはいかない。そして紆余曲折を経た末、上田東一市長がJR花巻駅前を立地の第1候補に挙げた「新花巻図書館」構想の市民への説明会が10月11日から26日まで、笹間振興センタ-を皮切りに市内16か所(うち、21日はZoomによるオンライン説明会)で開催される。市民の皆さまの「声なき声」を届けるおそらく最後の機会になると思うので、ぜひ足を運んでいただきたい。詳しい日程は近く、広報はなまきや市HPで告知される予定。

 

 

 

 

 

(写真は1昨年秋に開かれた図書館WSのひとこま=花巻市葛の市交流会館で)

 

 

「イ-ハト-ブ葬送曲」…組曲~“村八分”(作詞作曲・宮沢賢治)

  • 「イ-ハト-ブ葬送曲」…組曲~“村八分”(作詞作曲・宮沢賢治)

 

 「まず最初に確認しておきたいのですけれども、これは選挙公報が未配布であったことに対する個人的な苦情を述べたものではありません。公共の利益を思って陳情いたした次第です」―。先の市議選(7月24日)の際、選挙公報が未配布だったとして、花巻市内在住の翻訳家、菊池賞(ほまれ)さんが地方自治法第199条第6項に規定に基づき、その原因と実態の監査を首長に求めた陳情の採決が9月定例会最終日の21日に行われた。議長を除く25人が不採択を支持し、採択すべきとしたのはひとりだった。

 

 「これこそが村八分の典型ではないか」―。陳情の成り行きを見守ってきた私は取材ノ-トの速記録を詳細に点検しながら、現代版“村八分”がまさに宮沢賢治が名づけた「イ-ハト-ブ」(夢の国=理想郷)の中でまかり通っている事実に驚愕した。不採択を一貫して主導してきた共産党花巻市議団の櫻井肇議員の発言要旨(9日開催の総務常任委員会)をできるだけ、忠実に以下に再現したい。

 

①「要するにこういう場合、(選挙)公報が来ていないということになれば、区長や配布者に対して問い合わせをするわけですね、普通は。その方々にお確かめになったでしょうか」

 

②「未配布と言いますが、私は一方的に未配布であると断定できる根拠を持ち合わせていません。区長の方は配布したと言っているわけですよね。真っ向から意見が対立するわけです。そうした場合に客観的かつ公平に見て、一方的に未配布であったというふうに断定するのはいかがなものか」

 

③「陳情者の言う地方自治法の第199条第6項ですが。これに基づいて、監査を市長はしないだろうと…。推測して申し訳ないのですが。なぜなら説明の中で陳情者は、この件によって、私は不利益を被っていないと言っている。そうである以上、監査を請求するという理由はないと思います。したがって、否決する以外にはないというのが私の主張です」(共産党員が市長の”内心”を忖度するという驚天動地!そして、「公益」という主張をあえて、”私益”なるイメージにでっち上げようとする薄汚さよ!)

 

 総務常任委に出席した市選管側が、菊池さんへの未配布の事実と過去にも同じミスがあったことを認めたにもかかわらず、まるで意図的に陳情者側の“自己責任”に問題をすり替え、陳情趣旨をねじ曲げようという底意が透けて見えるではないか。コロナ禍の中でも散見された現代版“村八分”事件が目の前に去来した。ウキペデァはこう説明している。「村落(村社会)の中で、掟(おきて)や慣習を破った者に対して課される制裁行為であり、一定の地域に居住する住民が結束して交際を絶つことである。転じて、地域社会から特定の住民を排斥したり、集団の中で特定のメンバ-を排斥(いじめ)したりする行為を指して用いられる」

 

 では、残りの「2分」とは何か―。火事の消火活動と葬式の世話を指し、この二つは共同体に累(るい)が及んだり、祟(たた)りを恐れるために除外しただけのことで、逆に“村八分”という排他性の恐ろしさを強調している。そういえば、賢治自身も寒行修行中にまちの人たちから石を投げつけられたというエピソ-ドが語り継がれている。本日「9・21」は賢治没後88年の命日にあたる(生年なら、縁起の良い米寿)。陳情審査の経過報告を議会中継で聞きながら、私は賢治に仮託した「イ-ハト-ブ葬送曲」をひとり口ずさんでいた。最後に総務常任委員会で、採択賛成の意見陳述をした羽山るみ子議員(はなまき市民クラブ)の発言(要旨)を、後世に伝え残すべき”告別の辞”として、ここに再録しておく。(陳情審査の詳しい経過については、9月9日付当ブログ参照)

 

 

 「今回、選挙公報の未配布がはっきりとしている方は1名だということですが、わずか1名であっても未配布はあってはならないことであり、だからこそ選挙の公平性を担保するために、公職選挙法にも『全戸配布』が明記されているわけです。『たった1名』という数に矮小化せず、逆にその1名の方の権利を守るという認識こそが、民主主義の原則だと思います。さらに、今回の陳情の趣旨は現場で実際に公報の配布に携わった人の責任を問うというものではなく、逆によくありがちな、末端の現場に責任を押し付けるといういわば、“トカゲの尻尾切り”を避けるため、陳情者は『内部統制』という言葉で、危機管理の必要を訴えたものだと理解します」

 

 

 

 

(写真は陳情にたったひとり賛成の起立をした羽山議員。上段左端が櫻井議員=9月21日午前、花巻市議会議場で。インターネットの議会中継の画面から)

 

 

 

 

《追記》~「三無主義と散骨の風景」

 

 賢治の命日の21日、ウエブマガジンプロメテウスを主宰する方から、花巻出身の宗教学者、山折哲雄さんの著書に言及した私のブログ記事を引用したという連絡があった。忘れていた記憶がふと、よみがえった。賢治忌に思いをはせながら、その記事を以下に再録したい。

 

 

 葬式はしない。お墓は作らない。遺骨は散骨する(残さない)」―。僧職の資格を有する山折さんがこうした“三無主義”を公に口にするようになった時は正直、面食らった。「兄貴があっちこっちで吹いて回るもんだから…」と現住職の弟さんも苦笑いを隠さなかった。そりゃ、そう。「檀家追放」宣言に等しいからである。でも、私はいつしかこのしなやかな「型破り」に賛同したくなっていた。英語教師だったころの恩師の面影がよみがえったのである。『わたしが死について語るなら』と題する著作の中で、山折さんは宮沢賢治の文章の一節「われら、まずもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばろう」(『農民芸術概論綱要』)―を引用して、こう記している。 

 

 「死んだときは、私は故郷の寺(専念寺)の墓に入るのではなく、『散骨』(さんこつ)にしてほしいと望んでいます。散骨というのは自分の遺体が、焼かれたあと、その骨灰を粉にして自然の中にまくということです。海や山や川にすこしずつまいてもらえればそれでいいと思っているのです。…妻と私のどちらか生き残った方が、ゆかりの場所をたずね歩き、灰にしたのを一握りずつまいて歩く。遺灰(いはい)になったものはじつに浄(きよ)らなものです。やがて土に帰っていくことでしょう」―。児童向けと、山折さんが好んで使う「末期高齢者」(年長者)向けに書かれたこの本は87歳になる宗教学者の文字通り、型破りの”遺言状”なのかもしれない。

 

 

 

 

 

「声なき声にも耳を傾けて」―橋上化説明会で市民の訴え、続々と!!??

  • 「声なき声にも耳を傾けて」―橋上化説明会で市民の訴え、続々と!!??

 

 「(市当局には)何を言っても聞いてもらえない。若い人たちの間にもそんな『長いものに巻かれろ』というあきらめム-ドが強い。こんな『声なき声』をこれからどうやってすくい上げていくのか」―。中年の女性のこんな発言がきっかけで、会場には堰(せき)を切ったように行政不信の渦が巻き起こった。20日、花南振興センタ-で開かれた「JR花巻駅橋上化・東西自由通路」整備に関わる市民説明会には女性5人を含めた25人が詰めかけた。この構想については以前から、約40億円という巨額の事業費の多くが国の補助などでまかなわれるという市当局の説明に対し、「肝心の活性化策など青写真(グランドデザイン)が示されていない。なぜなのか」という疑念がもたれていた。

 

 私自身もそのことを指摘したうえで、こうただした。「市が公表した想定問答集には駅橋上化整備は花巻駅周辺の活性化を図るため、検討すべきと明記されている。一方、今年6月に開かれた松園地区の市政懇談会では、橋上化がダメになれば、新図書館の駅前立地も難しくなるという趣旨のことが語られている。この発言の乖離(かいり)をどう理解すればよいのか」―。これに対し、松田英基副市長らは「橋上化と新図書館とは別のものだと理解していただきたい。仮に新図書館がまなび学園周辺に立地されることになったとしても、橋上化は予定通りに進めることになる。ただ正直言って、橋上化による活性化の効果は期待できないと言わざるを得ない」。えっと、思わず身を乗り出した。

 

 まさに、市当局の「論理」が破綻した瞬間だった。会場からいっせいに手が挙がった。冒頭の発言を受ける形で高齢の女性が言葉を継いだ。「先ほどの女性の発言に同感です。すぐ、答えてください。説明会で住民の意向は聞き置いたというんじゃないでしょうね。私たちはみんな納税者です。こんな私たちの声にもちゃんと耳を傾けるのが行政の使命じゃないですか」。私の発言の際、数人から「もうやめろ。長すぎる」とヤジが飛んだ。次の瞬間、競うように挙手をする光景に逆にこっちの方があっけにとられた。その数10人以上。

 

 「駅前の活性化なんて、誇大な宣伝だったことが今、はっきりした」、「JR側の持ち出しがほとんどないことに前から疑問を感じていた。橋上化によって一番、得をするのは相手側。もう至れり尽くせり。なにか裏があるみたいで、すっきりしない」、「今日の説明でまず、橋上化ありきというのが明らかになった。それに伴うまちづくりのビジョンを今、ここに示してほしい」…。中年の男性がボソッとつぶやいた。「市長が新図書館の駅前立地に異常にこだわる、その理由がやっとわかったような気がする。これって、”二枚舌”っていうんじゃないのか」

 

 「新病院や高等看護学校、認可保育園などの複合的機能の展開により、移転地において年間80万人の交流が図られ、市中心部におけるにぎわいの創出や、地域の活性化につながると考えられます」―。上田東一市長が最初に手掛けた大型プロジェクトである総合花巻病院の「移転整備基本構想案」(2015年11月)にはそう書かれ、「80万人」構想の根拠に多目的ホ-ル(234席)や助産所、オ-ガニックレストランの開設などが盛り込まれていた。2年前にオ-プンした移転先の新病院にはそのどれもがない。上田市長はこれまでの議会でいみじくもこう答弁している。「グランドデザインを描くことは逆に将来にリスクを残すことになりかねない。つまり、絵に描いたモチになるということだ」―

 

 その言をしかと受け止め、肝に銘じておきたいと思う。私たち市民はこれまで「活性化」という名の正真正銘の『絵に描いたモチ』を食わされ続けてきたということを…

 

 

 

 

(写真は市政批判が飛び交った橋上化説明会=9月20日午後7時すぎ、花巻市南城で)

 

いま、よみがえる歴史の記憶―新図書館立地の最適地がこつ然と出現!!??

  • いま、よみがえる歴史の記憶―新図書館立地の最適地がこつ然と出現!!??

 

 「ひょっとしたら、この広大な土地こそが新図書館立地の最適地じゃないのか」―。目の前に広がる空き地にたたずみながら、ふいに歴史の記憶が呼び戻されるような気持になった。すぅ~すぅ~と吹き抜ける心地よい風を体に受けながら、私はそこに新しい図書館の姿を見たような気がした。

 

 花巻城址の一角に旧総合花巻病院がオ-プンしたのは100年近く前の大正12(1923)年11月。宮沢賢治の主治医でもあった故佐藤隆房医師が地域医療の充実を目的に私財を投げうって、設立した。以来約1世紀の間、当地の中心医療機関として、住民のいのちを守り続けてきた。2020年3月に旧厚生病院跡地に新築・移転したのに伴い、昨年暮れから解体工事が始まった。かつて、1・8ヘクタ-ルの敷地内には5階建てを含め、24棟の病棟が林立していた。解体が進むにつれ、目の前には旧花巻城のたたずまいを思い出させる“空間”が次々に姿を現した。

 

 5月24日開催の「第1回花巻城跡調査保存委員会」(高橋信雄委員長)は城跡周辺の堀(濁掘)について、こう結論づけた。「旧総合花巻病院の解体が進む濁堀(にごりぼり)について、病院の建設等で改変を受けているが、堀の景観は残されているおり、一級品の貴重な遺構であることから、できるだけ現状のまま(堀の規模がわかるように)保存することが望ましいとの意見で一致した」。喫緊の市政課題としての新図書館の立地場所について、上田東一市長は9月定例市議会で、JR花巻駅前のスポ-ツ用品店用地を第1候補地にすることを表明したが、病院跡地を含む「まなび学園」周辺への立地を望む市民の声もある。

 

 一方、地続きの城跡である「旧新興製作所」跡地の利活用について、上田市長は言葉を慎重に選びながらも、こう述べた。「新興製作所跡地の上部平坦地(旧東公園=三の丸)は歴史的に由緒ある場所であることから、市民の多くが史跡保存を望む場合は、市で取得することを検討する余地がないとは言えないものと考える」(9月定例会における市長答弁の要旨)―。これまでかたくなに「取得」拒否を貫いてきたことを考えれば、一歩前進と評価したい。

 

 「花病跡地」と「新興跡地」―。同じ城跡の背後から、期せずして「歴史の記憶」がむっくりと目を覚ましたような、そんな感慨さえ覚える。花病跡地は来年春には更地になり、市が買い取ることになっている。そうなれば、新図書館の市有地への立地を求める議会側の意向とも合致するではないか。

 

 「歴史の息遣いが聞こえる城跡こそが、まちづくりの生命線。まなび学園(生涯学園都市会館=旧花巻南高校、前身は賢治が教鞭を取った稗貫農学校)と花巻小学校に挟まれた、この場所に新図書館が出現すれば、この一帯は文字通り、生涯学習の拠点(文教地区)に生まれ変わるのではないか。ついでに、地続きの新興跡地を市民の手に取り戻すことができた暁(あかつき)には城跡に新庁舎も…」―。来し方行く末を思いながら、私はだんだんワクワクする気持ちになっていた。市民の皆さんもぜひ、「歴史探訪」を兼ねて足を運んでほしいと思う。

 

 

 

(写真は病棟の建物が撤去されたあとに現れた“歴史空間”。右側に見えるのは花巻小学校、左側の林の陰にはまなび学園がある=9月17日午前、花巻市花城町で)

 

 

「新興跡地」へのふるさと納税の充当を改めて、否定~あきらめるのはまだ、早い!!??

  • 「新興跡地」へのふるさと納税の充当を改めて、否定~あきらめるのはまだ、早い!!??

 

 「(市民サイドから要望のないような)例えば、新興製作所跡地の利活用にふるさと納税(イ-ハト-ブ花巻応援寄付金)を充当するつもりはない。むしろ、必要性のないものには使うべきではないと言いたい」―。13日開催の花巻市議会9月定例会の決算特別委員会で、上田東一市長は本舘憲一議員(はなまき市民クラブ)の質問に対し、語気を強めてこう答弁した。この件に関連しては9月6日付当ブロブで、一般質問のやり取りを受け、「『城跡』」の一部取得に含み」と題して掲載した。上田市長はなぜこれほどまでに取得に否定的で、その根拠として「市民の意向」をことさらに言挙げするのか。

 

 当時、「新興跡地を市民の手に」という市民の声がいかに強かったか。当時の熱気を当事者の上田市長が知らないはずはあるまい。「市民、市民」という割には市当局が現在に至るまで、「新興跡地」問題に関するWS(ワ-クショップ=意見集約)や市民アンケ-ト調査を実施したという話は寡聞(かぶん)にして聞かない。当時の新聞各紙にも取り上げられた「跡地ブ-ム」の光景を思い起こす意味で、7年以上前の当ブログの記事をそのまま、転載したい。タイトルは「新興跡地を市民の手に!!??あきらめるのはまだ早い」市民総決起大会―。この総決起大会の1週間後、上田市長は正式に取得を断念した。「自分の”失政”に触れられたくないから…」。そのかたくなさを見ていると、逆にこっちの方が勘繰りたくなるではないか。

 

 

 旧新興製作所の跡地売却をめぐる協議期限が2週間後に迫った12日、「新興跡地を市民の手に!!あきらめるのはまだ早い」市民総決起大会が花巻市内で開かれた。会場のまなび学園中ホ-ルには立錐の余地がない200以上の市民が詰めかけ、関心の高さをみせた。成り行きを心配する新興製作所OBの姿も目立ち、「こんな形で第三者の手に渡ってしまっては当事者としても心苦しい。公共用地に戻すよう最大限の努力をしたい」と口をそろえた。

 この日の大会は花巻中央地区コミュニティ会議の藤本純一会長、花巻中央地区振興協議会の上関泰司会長、新興跡地隣接住民代表の医師、冨塚信彦さんの3人が呼びかけ人となって開催にこぎつけ、①当面は「東公園」部分の取得を優先させながら、同時に跡地全体の取得も視野に入れた官民一体の支援体制を構築する、②(仮称)「城跡保存条例」の制定を促し、花巻城址の利活用について広く民意の集約に努める、③市民の「参画・協働」意識を定着させるため、物心両面の持続的な運動を展開する―の3点の決議を満場一致で承認した。

 花巻市当局は現在、花巻城址の心臓部に当たる旧東公園部分の買い取り協議を続けており、その期限は今月26日。大会では「新興製作所『跡地』問題を考える市民の会」(準備会)の立ち上げも承認され、今後の交渉の推移を見ながら、正式発足のタイミングを探ることになった。当面はこの日承認された3項目の決議の実現方について、花巻市長、花巻市議会議長、花巻商工会議所会頭に対し、要望書の形で提出することになった。

 「話しているうちに興奮してきた。やらなくちゃという思いが込み上げてきた」―。来賓あいさつの先陣を切った医師の渡辺勤さんは最長老の89歳。全国で初めて全額地元負担で誕生した新幹線誘致運動をともに戦い、その感動の記録を『新花巻駅物語り―甚之助と万之助』にまとめた。「あの時の思いもそうだった。歴史を生きるということは未来のために何か大切なものを残すということ。目の前の新興跡地問題がまさにそれなんです」と渡辺さんは噛んで含めるように語りかけた。

 「花巻の文化を愛する市民の会」の秋山潔会長がマイクを握った。「四角山の消滅、鐘つき堂の移転、堀の埋め立て、土塁の取り壊し…。受難続きだった花巻城にとっては今回の売却計画こそが究極の破壊につながる」と語気を強めた。新興製作所OBの上村正三郎さんと橋本孝夫さんがその言葉を引き取った。「東公園での花見の光景が今でも目に浮かぶ。その財産を市民の皆さんにお返ししなくては」(上村さん)、「急転直下の今回の報道には本当にびっくりした。力の限りを尽くして公共の地に戻したい」(橋本さん)…。

 「医者の悪い癖でいつも最悪のシナリオを考えてしまうんです」と呼びかけ人の一人で跡地の隣接地で開業している冨塚さん。跡地内には16棟の建物が建っている。仮に今回の売却先が当初予定の通り、仙台市内の不動産業者に決まった場合、すぐに解体工事に入る意向を示している。「万が一、資金繰りに困って工事が中止になったりすると、アスベスト公害や中心市街地に産業廃棄物が放置されることにもなりかねない。そんなことを考えるとゾッとする」と別の視点から警鐘を鳴らした。

 参加者たちは「跡地」問題が抱える様々な懸念に改めて驚きを隠せない様子で、終始、身を乗り出すようにして聞き入った。「城跡に単にパチンコ店が出店するということだけではない。新興跡地を考えることは将来のまちづくりを考えることだと思う。故郷を失った被災者だからこそ、そのことの大切さが痛いほど分かるのです」。東日本大震災で被災し、気仙沼市から当市に転居した日出忠英さん(73)はそう語った。市民総決起大会は以下の決議文を万雷の拍手で承認した。

                        【決議文】

 花巻市の中心部に位置する「新興製作所」跡地が地元とは縁のない第三者の手に渡ろうとしています。かつて、この場所には花巻城があり、明治維新による城の払い下げ以降は「東公園」として市民の憩いの場となっていました。その後、戦中・戦後にかけて東京・蒲田にあった新興製作所(谷村新興)が東公園に戦時疎開し、花巻の戦後復興に大きな貢献をしたのは市民周知のところです。

 平成19年、新興製作所は花巻第1工業団地に移転し、跡地は手つかずのままになっていました。ところが、昨年12月17日になって「公有地の拡大の推進に関する法律」(公拡法)に基づいた売却計画が明らかになり、仙台市内の不動産業者が当該跡地に遊技施設(パチンコ店)やホ-ムセンタ-などの立地を計画していることが分かりました。

 「公拡法」によると、地方自治体などが「公共用地」として取得を希望する場合、3週間以内は他との契約行為はできないことになっています。花巻市当局はこの規定に従い、1月6日付で新興製作所に対し、東公園部分の買い取り協議の申し入れをしました。その期限は今月26日に迫っており、交渉の行方は予断を許さない状況にあります。

 東公園があった三の丸には花巻の礎(いしずえ)を築いた194人の先人の名を刻んだ「鶴陰碑」が建立されるなど歴史的にも由緒ある土地として、今も市民の記憶の中に生き続けています。その底流には当市出身で北海道帝国大学の初代総長、佐藤昌介博士が賞賛してやまなかった「花巻魂」が脈々と流れています。

 今からちょうど30年前の昭和60年3月、全国で初めて全額地元負担で開業にこぎつけた「請願駅」―東北新幹線の新花巻駅が誕生しました。現代版「百姓一揆」と呼ばれ、「1%の可能性」にかけた住民総ぐるみの誘致運動の光景がまだ、まぶたに焼き付いています。その先頭に立った、故小原甚之助さん(東北新幹線問題対策市民会議議長)の言葉をここに紹介し、市民総決起大会の総意としての決意表明とします。

 「あきらめるのはまだ早い。駄目か、駄目じゃないか、やって見なければ判らない。花巻百年の大計の為に、我われの子孫の為にもう一度やろうじゃないか」(渡辺勤著『新花巻駅物語り―甚之助と万之助』より)


 

 

 

(写真は身じろぎもしないで来賓らの話しに聞き入る参加者たち=2015年1月12日、花巻市花城のまなび学園で)