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イ-ハト-ブの「お花畑」…“異論”排除のWS「始末記」~果ては、傍聴者に対する監視強化、まるで戒厳令下!!??

  • イ-ハト-ブの「お花畑」…“異論”排除のWS「始末記」~果ては、傍聴者に対する監視強化、まるで戒厳令下!!??

 

 「総花的とは、すべての関係者にまんべんなく恩恵やメリットを与えることを意味します。平等に与えるという良い意味ではなく、人気取りのための八方美人的な方法、メリハリがなく効果が薄い方法といったネガティブな意味合いで使われる言葉です」(ウィキペディア)―。この定理をまず頭に刻み込んだ上で、次のキャッチフレ-ズを声をあげて読んでみる。

 

 「市民パワ-をひとつに/歴史と文化で拓(ひら)く/笑顔の花咲く温(あった)か都市(まち)/イ-ハト-ブはなまき」―。合併による新市誕生(平成18年)以降、当市が掲げてきた将来都市像のスロ-ガンである。宮沢賢治が「ドリ-ムランド」(夢の国)と名づけた”イ-ハト-ブ“の実現を謳う割には余りにも「総花的」すぎはしないか。というわけで「新しい将来都市像を検討しよう」というテ-マで、「まちづくり市民ワ-クショップ」(WS)が9月21日に開催され、新しい候補作が発表された(10月15日号「広報はなまき」)。また、大きな声で読んでみた。

 

 「湯ったり/恵安倍(ぇやんべ)に~結の花っこ/咲くはなまき」、「岩手のヘソとして~老いも若きも誰もが元気にくらし/かせぎ/世界とつながる緑豊かなイ-ハト-ブ花巻~」、「人と文化つながる/イ-ハト-ブはなまき~銀河鉄道に乗せて~」、「自然文化を引き継ぐ理想郷(イ-ハト-ブ)花巻~ワレラヒカリノミチヲユク~」、「豊かな自然/雅(みや)びな文化/つながる花巻/理想郷/利創響(利便性・想像力・響き合う)」…。当の賢治が真っ先に耳をふさぎたくなりそうな貧相な言葉の羅列。8グル-プがぞれぞれ選んだ「将来都市像」を口にしているうちに「これ以上、イ-ハト-ブの恥さらしをするのは止めてくれんか」と思わず、叫んでしまった。

 

 「第2次花巻市まちづくり総合計画」の策定に向けて発足したこのWSはそもそも、スタ-トからいわく因縁つきだった。まちの将来像に関心を持ってきた私は自分の思いを伝えたいと参加を予定していたが、今回から「公募枠」が廃止されたことを直前に知った。一般部門の39人の参加者はすでに決定済み(9月7日付当ブログ「“異論”排除のWS…公募方式が廃止へ」で、体のいい“門前払い”を食らった形だった。さらに、団体推薦枠の委員からも「アリバイづくりに利用されるのではないか」(9月26日付当ブログ「『市民参画』という名の虚構…ワ-クショップ」)などという懸念の声が出ていた。

 

 ところで、「日本の植物学の父」と呼ばれる牧野富太郎を生んだ高知県佐川町は2016年に「第5次佐川町総合計画」を策定。“みんなでつくる総合計画”と名づけられた計画書の巻末には参加した353人の町民の発言が掲載されている。その年のグッドデザイン賞(公益財団法人・日本デザイン振興会)に選ばれ、授賞理由にはこうある。

 

 「地方自治体が長期的なまちづくりの方針や将来像、その実現の手段などを総合的、体系的に示す『総合計画』は、10年間のまちづくりの大事な指針であるにもかからず、どの地域も似た内容のものが多く、その地域に住まう住民や、行政職員に、積極的には読まれない、活用されないという課題がありました。平成26年度より、高知県佐川町では『みんなでつくる総合計画』プロジェクトと称し、町長、役場職員、地域住民が手を取り合って、町の魅力を再発掘し、10年後の佐川町について議論を重ね、みんなが一丸となって誇りに思える総合計画づくりに取り組んできました。住民一人ひとり、『みんなが主役』の新しいまちづくりプロジェクトです」―

 

 第4回目となったこの日(19日)、私はその様子を知ろうとノコノコ出かけた。“関所”(受付)で渡された紙片「傍聴される方へのお願い」にぶったまげた。報道関係者以外の写真撮影や録画・録音の中止と傍聴席からの移動禁止を指示するその紙切れにはこう書かれていた。「騒ぎ立てるなどしてワ-クショップの進行を妨害したり、会場の秩序を乱し、会議の支障となる行為がみられる場合は、退場していただくことがあります」ー

 

 「みんなが主役」どころか、これではまるで“刑務所”同然ではないか。ふと、背筋がざわっとした。傍聴者に対する“人権侵害”にほとんど無頓着なその感覚に…。「お願い」文書を読むと、まるで”暴徒集団”が殴り込みをかけかねないみたいな書きぶりではないか。銀河宇宙を包み込んでいた「イ-ハト-ブ」はいま、受難者に寄り添うというあの“賢治精神”とは真逆の道を転げ落ちつつある。上田(東一)市政という強権支配下での、これがまちづくりの実態である。”公僕”たる市職員が民主主義の根本義である「市民参画」を自らの手で葬り去ろうとする行為もまた、げに恐ろしい光景である。

 

 

 

(写真は第4回「まちづくり市民WS」で話し合う参加者。会場内での撮影を許されなかったため、会場外の看板を手前に撮影した。これまでのWSでこれほどまでの“厳戒体制”が敷かれた例はない=10月19日午後、花巻市のまなび学園で)

 

 

 

《追記》~事実上の傍聴者“締め出し”、文書開示請求へ

 

 今回、傍聴者に配布された「傍聴される方へのお願い」と題する文書を仔細に点検した結果、この内容は明らかに民主主義の原理・原則に抵触するという判断に至った。そのため、19日付でその策定経過や背景などを明らかにするよう行政文書開示請求をした。なお、文書の現物はコメント欄に掲載した。

 

 

 

 

もうひとつの「図書館」誕生秘話…「いい計画だなぁ。検討するべじゃ」

  • もうひとつの「図書館」誕生秘話…「いい計画だなぁ。検討するべじゃ」

 

 新花巻図書館の立地をめぐり、迷走劇を続けているわが「イ-ハト-ブ」(賢治命名の夢の国)の有り様にうんざりする日々、ふと隣りまち・北上の「図書館」誕生秘話を思い出した。一体、どうしたらこれほどまでの“雲泥の差”が生まれるのか。この日(15日)の市民説明会の会場はたまたま、「まなび学園」(生涯学習都市会館)。隣接地では私が立地の最適地とした花巻城址が約百年ぶりにその全貌を現しつつある。約20人の市民が参加、うち半数近い9人が発言。城のおもかげが残る旧花巻病院跡地への立地を求めた。ふと窓外を見やると、霊峰・早池峰の雄姿が…

 

 「うん、いい計画だなぁ。検討するべじゃ」―。当時、北上市長だった故斎藤五郎さんのこのひと言で全国で唯一、詩歌に特化した図書館「日本現代詩歌文学館」は産声を上げた。40年ほど前、「北上近代詩歌資料館(仮称)建設基本計画」と書かれた趣意書を胸にしのばせた男が市長室を訪れた。当時、毎日新聞(北上駐在)の記者だった佐藤章さん(故人)。「工場誘致も大切だけれども、文化の香りも…」。こう“直訴”した佐藤さんに斎藤市長は即座に「うん…」とうなずいた。ほどなく開かれた市議会全員協議会は大きな拍手に包まれ、檄(げき)が飛んだ。「市長、やりとげろよ」―

 

 平成2(1990)年5月20日、文学館は市制施行30周年事業として、正式にオ-プンした。民間協力団体「文学館振興会」が立ち上げられ、最高顧問には作家で詩人の井上靖氏が就任。会長には「政界の3賢人」と呼ばれ、文部・厚生両大臣や衆議院議長も歴任した灘尾弘吉氏(いずれも故人)が名を連ねた。“托鉢行脚”と称して、建設費の半分に当たる3億円の資金集めや資料収集の実働部隊が全国に散った。その後、最大200万冊が収蔵できる「研究センタ-」も完成。現在の収蔵数は図書や雑誌類が約133万5千冊、その他の写真や原稿などがざっと9万2千点にのぼり、まさに「日本一」の規模を誇っている。

 

 さらにその4年後には黒沢尻工業高校の移転に伴い、その跡地に自然美豊かな「詩歌の森公園」が誕生した。10数年の歳月と総工費約26億円をかけた大事業…「言霊の館」とか「北の詩歌の正倉院」などと呼ばれる文学館は公園の中心に位置している。広大な敷地内には池や水の流れ、築山などが配置され、井上靖記念室や俳人の山口青邨の居宅を移築した「雑草園」などがある。そして、文学館の前には本県が生んだ日本を代表する彫刻家、舟越保武の彫像「EVE」(イブ)がひっそりとたたずんでいる。

 

 「東芝などの企業進出で北上市は、工業都市としての発展がほぼ約束されたと思う。しかし、せっかく文学的な風土があるにもかかわらず、その象徴になるものがない。“工業砂漠”だけにはしたくない」(昭和59年1月25日付「岩手日報」)。「五郎さん、五郎ちゃん」の愛称で呼ばれた斎藤市長の面目躍如たるものを感じる。

 

 それにしても「三人三様」とはよく言ったものである。“暴言”市長の名をほしいままにした兵庫県明石市の泉房穂市長がふたたび舌禍事件を起こし、今期限りの引退を表明した。職員に対する暴言の責任を取って、いったん辞任した後の市長選で再選されるなどの“強運”の持主も今度は力尽きた感がある。だがその一方で、子育て支援などの行政手腕は高く評価され、市民の間から「辞めるなコ-ル」も。他方、同じような暴言などで“パワハラ”疑惑がつきまとっている当市の上田東一市長はといえば、新図書館の駅前立地の強行突破の構えを崩していない。さ~て、東西の“暴言対決”の行く末はいかに…。いずれ「人徳」という点で言えば、この二人に比べて「五郎さん」は別格である。

 

 

 

(写真は広々とした「詩歌の森公園」。このたたずまいが図書館と見事に融合している=北上市本石町で)

 

 

 

 

公開質問状「新図書館は花巻城址へ」…百年の計を見すえて

  • 公開質問状「新図書館は花巻城址へ」…百年の計を見すえて

 

 新花巻図書館の立地場所などをめぐる、市民を対象にした説明会が11日、笹間振興センタ-を皮切りに始まり、約20人の市民が集まった。今月27日まで17か所で開催される(うち21日と27日はZoomによるオンライン方式)。冒頭、市川清志・生涯学習部長が「第1候補地のJR花巻駅について、まず相手側と土地譲渡交渉に臨みたい」とあいさつ。質疑では「旧花巻病院の解体が進んだ結果、遠く北上山地を望むことができるようになった。この場所こそが生涯学習の場にふさわしい。100年先を見据えた決断を」、「人の集まる場所に立地するのか、本を求める人のために建てるのか。そもそも、図書館とは何ぞやという議論がすっぽり、抜けている」、「駅前立地に誘導しようという意図がミエミエ」…

 

 図書館問題を論議する会議(新花巻図書館整備基本計画試案検討会議)では駅前立地派が多かったという報告があったが、この日はそれを支持する発言はゼロ。これまでの図書館論議とは打って変わった雰囲気にひょっとしたら、”風向き”が変わりつつあるのかも……。私は席上、下記のような公開質問状を読み上げ、上田市長あてに提出した。回答があり次第、当ブログを通じて報告します。

 

 

 

 

花巻市長 上田 東一 様     

2022年10月11日

花巻市桜町3-57-11 増子義久

 

 

公開質問状―新花巻図書館は花巻城址へ

 

 

 新花巻図書館の立地候補地がJR花巻駅前に絞られつつある中、本日11日から17回にわたる市民説明会が始まりました。折しも総合花巻病院の移転に伴って、旧病棟の解体工事が進んだ結果、私たち市民は約100年ぶりに由緒ある花巻城址のおもかげに接するという幸運に恵まれました。晴れた日には高台の城跡から霊峰・早池峰など北上山地の雄大な姿を望むことができます。そして、ぽっかりと目の前に現れた“空間”に身を置く時、歴史の息づかいが周囲から立ちのぼるような気配を感じます。私はこのようなロケ-ションこそが図書館の建設場所にふさわしいと考え、その理由を添えてここに「新花巻図書館の立地を旧花巻病院跡地(花巻城址)」に求めるものです。回答は文書にて10月26日までにお願いいたします。

 

 

1)当該地はまなび学園(生涯学園都市会館)と花巻小学校に挟まれており、新図書館をここに立地することによって、周辺一帯を「文教地域」として形成することができる。また市庁舎も近距離にあり、城跡をまちづくりの生命線と位置づけるという点でも意義がある。

 

2)「花巻城跡調査保存委員会」は解体工事で全貌を現した「濁堀」について、「一級品の貴重な遺構。現状保存が望ましい」と答申した。将来は原形を維持したまま、“歴史公園”などとして活用することも検討する。

 

3)当該地は来年3月(予定)に更地になった段階で、市側が取得することが決まっている。市議会側も「市有地への立地」を求めており、JR所有の駅前用地の譲渡交渉が不透明な今、病院跡地の方が立地の確実性を担保できる。

 

4)花巻城址は賢治作品にも登場する、いわば”賢治精神“が凝縮されたホ-ムグランドでもある。将来都市像として「イ-ハト-ブはなまき」の実現を掲げる当市にとっても「うってつけ」の場所と言える。

 

5)当該地は長い間、人々のいのちを守る医療拠点として貢献してきた。「愛は人を癒(いや)し、誠は病を治す」とその病訓にある。さらに当市ゆかりの山室民子は「図書館法」の生みの親として知られる。賢治の理想郷「イ-ハト-ブ」のこの地にこそ、そんな夢の図書館を誕生させたい。「魂の癒しの場」―。世界最古の図書館といわれるアレキサンドリア図書館(エジプト)のドアにはこう記されているという。

 

 

 

(写真はトップを切って開催された市民説明会=10月11日午後7時すぎ、花巻市の笹間振興センターで)

 

 

 

《追記ー1》~ある「図書館」問答(9月28日開催の「教育委員会議」議事録から)

 

 「立地はもちろん大事ですが、プロセスとか説明が悪かったとか、どっちが後先だったとか、そのような議論になってしてしまっていることは、あまり幸せなことではないと感じております。改めてお伺いしますが、こういう図書館であるべきではないかというビジョン、構想、一番大事なコンセプトはこの答弁(市川清志・生涯学習部長)からは探せていないのですが、検討会議(新花巻図書館整備基本計画試案検討会議)での意見を受けて、市として今どのように考えているということでしょうか。…立地以前の、市としてどのような構想やビジョンをお持ちなのかということを、今さらですがお聞きしたいと思います」(役重眞喜子委員)―。市のHPに10月12日付で掲載されている新図書館に関するやり取りが結構、核心に迫っている。ぜひ、読んで欲しい。

 

 

《追記ー2》~ありし日の「賢治」問答

 

 高校教師をしながら、地に足が着いた賢治研究に長年取り組んできた吉見正信さんが亡くなった。享年93歳。私はこの日(11日)の市民説明会に臨む直前にこの訃報を知った。市長への公開質問状を読み上げていた時、60年以上前の記憶が突然よみがえった。高校時代、吉見さんは漢文の教師だった。そんなある日、「君にとって、賢治とはどんな存在か」と問われた。とっさに「今世紀最大の”詐欺師”じゃないですか」と答えた。恩師は「そうだな」と言ってニヤッと笑った。新図書館の立地を賢治ゆかりの花巻城址にしたい。そんな気持ちが遠い記憶を呼び戻したのかもしれない。合掌

 

 

 

 

ベ-ト-ベンと賢治と…そして、隆房さん

  • ベ-ト-ベンと賢治と…そして、隆房さん

 

 「…それにおれはおれの創造力に充分な自信があった。けだし音楽を図形に直すことは自由であるし、おれはそこへ花でBeethovenのFantasyを描くこともできる。さう考へた」(宮沢賢治『花壇工作』)―。旧花巻総合病院の中庭にかつて「Fantasia of Beethoven」という標識を掲げた花壇があった。この病院の創立者で賢治の主治医だった故佐藤隆房さん(1890~1981年)が大正13年春、賢治に設計を依頼して作った花壇の復元で、命名の由来が冒頭の作品である。賢治の詩「病院の花壇」には当時の光景を彷彿(ほうふつ)させる描写がある。

 

 「…今朝は截(た)って/春の水を湛(たた)えたコップにさし/各科と事務所へ三っづつ/院長室へ一本配り/こゝへは白いキャンデタフトを播(ま)きつけやう/つめくさの芽もいちめんそろってのびだしたし/廊下の向ふで七面鳥は/もいちどゴブルゴブルといふ/女学校ではピアノの音/にはかにかっと陽がさしてくる/鋏(はさみ)とコップをとりに行かう」

 


 総合花巻病院の前身は大正6(1917)年、ロシア革命が勃発したその年に佐藤さんが開業した「佐藤外科医院」にさかのぼる。その後、花巻共立病院を経てざっと1世紀の長きにわたって、花巻の地に近代医療の礎(いしずえ)を築いてきた。それだけではない。佐藤さんは主治医の立場で賢治と間近に接した研究者としても知られ、名著『宮沢賢治―素顔のわが友』を著わしたほか、親交のあった詩人で彫刻家の高村光太郎を顕彰する「高村記念会」を創設するなど医療だけではなく、文化の啓蒙にも計り知れない貢献をした。

 この由緒ある病院は2年前に旧県立花巻厚生病院跡地へ移転・新築された。その跡地の整地作業がいま急ピッチで進められ、歴史の“素顔”(花巻城址)が次々に目の前に現れつつある。詩「病院の花壇」に出てくる「女学校ではピアノの音…」とは妹トシが通い、後に教鞭も取った花巻高等女学校(後の花巻南高校、現「まなび学園」)を指している。ポッカリ開けた空き地に立つと、ピアノの音律が耳元に聞こえるような錯覚さえ覚える。そのトシも今年没後100年を迎えた。『花壇工作』の中に賢治と佐藤さんの意見が衝突する場面が出てくる。賢治いわく。

 「おれはびっくりしてその顔を見た。それからまわりの窓を見た。そこの窓にはたくさんの顔がみな一様な表情を浮べてゐた。愚かな愚かな表情を、院長さんとその園芸家とどっちが頭がうごくだらうといった風の――えい糞考へても胸が悪くなる。だめだだめだ。これではどこにも音楽がない。おれの考へてゐるのは対称はとりながらごく不規則なモザイクにしてその境を一尺のみちに煉瓦(れんが)をジグザグに埋めてそこへまっ白な石灰をつめこむ。日がまはるたびに煉瓦のジグザグな影も青く移る。あとは石炭からと鋸屑(おがくず)で花がなくてもひとつの模様をこさえこむ。それなのだ」

 この時の一件について、佐藤さんは『素顔のわが友』の中にこう記している。「お互いにチクチクやり合って喜んだり、悲しんだりする間柄です。この後で間もなく賢治さんは私のために実にすばらしい花壇設計図を書いて来ました。そして二人は仲よく、香り高い春の土の上に立ちました」…。「愛は人を癒(いや)し、誠は病を治す」―。この病院が掲げる基本理念には“賢治精神”が見事に体現されているように思える。

 

 「Fantasia of Beethoven」は現在、移転先の新病院の病棟にそのミニチュア版が展示されている。「イ-ハト-ブ図書館」が完成した暁(あかつき)には原寸大の花壇を新図書館の入り口にぜひ、復元してほしいと願う。

 



 

(写真は賢治が設計した花壇(復元)。この由来を知る人は年々、少なくなってきた=花巻市花城町の解体前の旧総合花巻病院で)

 

 

《追記》~日本三大偉人としての賢治

 

 作家の夢枕獏さんがアントニオ猪木の死を悼む寄稿文の中で、「ぼくは、かねてから、日本が世界に誇る三大偉人というのを考えていて、まずは空海、そして宮沢賢治、三人目がA・猪木であると発言してきた」と書いていた(10月10日付「朝日新聞」)。タイトルは「ファンタジ-に捧げた肉体」―。「この三人、日本のいつの時代、どの地域に生まれても、それぞれ空海となり、宮沢賢治となり、A・猪木となった人であろうということだ」と夢枕さん。私自身、いつどこにでも「やぁ、こんちわ」と背中をポンと叩いて現れる、そんな変幻自在な人が賢治だとかねがね思っていたので、この偉人説に得心した。

 

 


 

 

 

 

「イ-ハト-ブ図書館」の実現を目指して…「つぶやき」語録

  • 「イ-ハト-ブ図書館」の実現を目指して…「つぶやき」語録

 

 旧総合花巻病院の解体工事が進むにしたがって、約100年間、周囲の目から遮断されてきた光景がこつ然と目の前に現れてきた(9月17日付当ブログ「いま、よみがえる歴史の記憶」参照)。以来、”夢見る男”の口をついて出てきた「つぶやき」語録のいくつか…

 

 

●花巻城跡地という立地条件も文教地区にぴったり。宮澤賢治が学んだ現花巻小学校と自らが教鞭を取った、“桑つこ大学”とも呼ばれた旧稗貫農学校(現まなび学園周辺)に挟まれたロケーションもまさに最適地。約100年ぶりに目の前に開けた光景に歴史の”息づかい”を感じながら「図書館はもう、ここしかない」とひらめいた

 

●約100年間にわたって、イ-ハト-ブ住人のいのちを守り続けてきた旧総合花卷病院…その創設者が賢治の主治医の故佐藤隆房氏だったということも考えてみれば、なんとも不思議な歴史の巡り合わせだと思う

 

●旧総合花巻病院跡地は来年3月(予定)に更地になった後、市が取得することが決まっており、市有地への立地を求めている議会側の意向とも合致する。市が立地の第1候補に挙げる駅前のJR所有地の譲渡交渉が不透明な中、前向きに検討すべきではないか

 

●元をただせば、現在のJR花巻駅は明治23年、地元の豪商・伊藤儀兵衛の土地寄進で開業した経緯がある。病院跡地問題は図らずも、こんな歴史の記憶も呼び戻してくれた。因果はめぐるということか

 

●日本初の”文化立法”といわれた「図書館法」(昭和25年4月)の立案に関わった人物に花巻ゆかりの山室民子がいる。慈善団体「救世軍」の創設者・山室軍平の妻で、花巻の素封家に生まれた旧姓・佐藤機恵子が民子の母である。民子は図書館法を起案するに当たって「今は文化を以て立つ外はない。それにつけても、教育の重要であることを思わざるを得ない」と述べている。図書館法の生みの親―山室民子の”遺訓”を生かすためにも花病跡地の花巻城址を新図書館を中心にした「一大文教地区(文化拠点)」に

 

●「Fantasia of Beethoven」と賢治が命名した花壇がかつて、旧総合花卷病院の中庭にあった。創設者の佐藤隆房医師と賢治との心温まるエピソ-ドがこの花壇には刻まれている。花病跡地はこんな゙賢治秘話゙の宝庫でもある。病棟の解体工事に伴い、この花壇のミニチュア版が新病院の病棟テラスに移転した。いずれ、「ベ-ト-ベンの想い」という謎めいた花壇の成り立ちについては拙ブログ「ヒカリノミチ通信」で触れたい。いっそのこと、花病跡地に建つ新図書館は賢治を偲んで「イ-ハト-ブ図書館」とでも名づけたらどうだろう。夢は膨らむばかりである

 

●新花卷図書館とJR花巻駅橋上化との「ワンセット」論議がかまびすしい昨今、「花病跡地」と「新興跡地」こそがまさにワンセットにふさわしい構図ではないか。なにせ、この二つの跡地はいずれも花巻城址に位置しているから。「城址(しろあと)の/あれ草に臥(ね)てこゝろむなし/のこぎりの音まじり来(く)」―。賢治はかつて「東公園」(旧三の丸)の高台に寝ころびながら、こう詠んだ。童話『四又(よまた)の百合』にこんな一節がある。「…すきとほった風といっしょに、ハ-ムキャの城の家々にしみわたりました」―。”ハ-ムキャの城”とはすぐ、花巻城址と察しがつくではないか。あぁ、「イ-ハト-ブ図書館」の夢がどうにも止まらない

 

●新興跡地」(花巻城址)の取得に頑強に反対してきた上田東一市長が9月定例市議会で、取得に”含み”を持たせる発言をするなど微妙に変化してきた。なぜなのか?上田市長の先祖に当たる上田弥四郎氏は江戸後期の文化6(1809)年、花巻城の大改修工事の総指揮をとり、”造作文士”と呼ばれた。その後長い間、城址一帯は工場と病院の建設によって、人びとの目前から遮断され、歴史の記憶も風化を続けてきた。建物群が撤去された今、遠望には霊峰・早池峰など北上山地の山並みがキラキラと輝いている。忘却の彼方に置き忘れてきた”記憶”の覚醒……。まるで、厚い雲間から顔をのぞかせた満月を見る思いである。先祖に想いを馳せる上田市長の気持ちもわかるような気がする。みんなで「城跡探訪」に出かけよう

 

 

 

 

 

(写真は病棟の解体工事によって、ほぼ原形を維持したまま現れた花巻城址「濁堀」の基底部。将来はこの一帯を”歴史公園“へと夢が広がる=花巻市花城町の花巻小学校