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「図書館」論戦第2弾…渦中のスポ-ツ用品店が”蚊帳の外”!!??

  • 「図書館」論戦第2弾…渦中のスポ-ツ用品店が”蚊帳の外”!!??

 

 「立地予定地で現在も営業を続けている肝心のスポ-ツ用品店の動向や意向がさっぱり、伝わってこない。一体どうなっているのか」―花巻市議会6月定例会の一般質問2日目の20日、ふたりの議員が関連の質問に立った。鹿討康弘議員(はなまき市民クラブ)は冒頭の観点から市側の見解をただした。

 

 前日の一般質問で上田東一市長はこう答弁した。「JR側が駐車場を含む当該所有地(3,664平方㍍)の譲渡交渉に応じることを約束した。その際の条件として、新図書館の立地予定地にあるスポ-ツ用品店の建物も市側で取得し、解体などの費用も市側で負担することになった。今後、契約当事者のテナント(スポ-ツ用品店)とJR側との間で話し合い、そうした補償負担が生じないようお願いしている」―。鹿討議員はこの点をついて、「それはきちんと担保された約束になっているのか」とただしたのに対し、市川清志・生涯学習部長は「契約の中身について、この場ですべてを明らかにすることは控えさせていただきたい。JR側にお願いしている段階だ」と言葉を濁した。

 

 JR東日本盛岡支社と当市との間で今月12日付で「花巻駅自由通路及び橋上駅舎整備事業に係る」基本協定が締結された(市HPに掲載中)。既存のこ線橋の撤去費用を除いた本体の部分の費用は全部、国庫補助を含めた当市の持ち出しとなっている。新図書館の立地場所として、市民の関心が高まっている「旧花巻病院跡地」の場合、病院側が建物の撤去や更地後の土壌改良などを完了した上で、今年度中に当市へ譲渡する段取りになっている。これが通常の譲渡の手法である。「橋上化や自由通路の前例にならい、用地費だけでなく、建物の撤去費用も押しつけられる懸念はないのか…」。譲渡交渉の先行きにまた、不安が募ってくる。

 

 もうひとりの質問者、高橋修議員(明和会)は「駅前にしろ病院跡地にしろ、事業費の多寡(たか)で立地を決めるのではなく、将来を見すえた選択をしてほしい」と要望。市川部長は「50年いや80年先を展望して決めたい」と答えた。JR側は今回の譲渡交渉に当たり、図書館など公共の利益に供する土地を提供する場合、その譲渡所得が控除対象となる「土地収用法」を援用することにしている。「国鉄民営化」に辣腕(らつわん)を振るった大企業のしたたかな手腕がチラチラと垣間見えてくる。

 

 

 

 

(写真は図書館問題で食い下がる鹿討議員=6月20日午前、花巻市議会議場で。インタ-ネット中継の画像から)

新図書館…JR側が「土地譲渡に前向き」回答~9月定例会一般質問

  • 新図書館…JR側が「土地譲渡に前向き」回答~9月定例会一般質問

 

 「新図書館の立地場所の候補地のひとつである駅前用地について、土地所有者のJR側から交渉に応じるという前向きの回答をいただいた」―。迷走を続けてきた新花巻図書館の立地場所について、上田東一市長は19日開催の花巻市議会6月定例会の一般質問で、久保田彰孝議員(共産党花巻市議団)に対し、こう答弁した。今後はJR交渉を進める一方で、市民の間で立地希望が高まっている旧花巻病院跡地との事業費や配置イメ-ジなどを比較検討した資料を市民に示した上で、最終的な意見集約をしたいとしている。

 

 この日の答弁で上田市長は譲渡対象ついて、図書館用地として想定しているスポ-ツ用品店敷地のほかに現駐車場も含めた総面積は「3,664平方メ-トル」に上ると初めて具体的な数字を明らかにした。その一方で、譲渡の際の条件としてスポ-ツ用品店の建物そのものも一括取得になることをほのめかした。この場合、当該物件の解体や更地化については「市側で負担することがないようテナント(スポ-ツ用品店)と話し合いたい。場合によっては、土地収用法の適用も視野に入れなくてはならない」と譲渡交渉の前途が必ずしも楽観できないことも示唆した。

 

 一方、すでに市側で買い取ることが協定で決まっている旧花巻病院跡地については、「双方の不動産鑑定価格を比較検討し、妥当な価格で遅くても今年度中に所有権の移転にまでこぎつけたい」とし、さらに病院跡地に他の公共施設の立地も視野に入れた地質調査費を早急に予算計上したいと一歩踏み込んだ。

 

 「図書館問題を担当してきた市川部長は今年度で定年を迎える。これまで苦労してきた労にも報いたい」―。またしても、上田市長の口から「公私混同」のトンデモ発言が飛び出した。生涯学習部の市川清志部長が長年、この問題に取り組んできたことについては私自身、百も承知である。しかし、行政運営にとって「公」と「私」をごっちゃにすることは絶対に避けなければならない“鉄則”である。どうもこの人にとっては“市民目線”よりは身内の都合が優先するらしい。新図書館の駅前立地に異常にこだわり続ける姿勢の背後にはこうした“市民感覚”の欠如が透けて見えてくる。それはひょっとして、”利権”がらみの黒い霧なのかもしれない。

 

 

 

 

(写真は新図書館問題について、追及する久保田議員=6月19日午前、花巻市議会議場で、インタ-ネット中継の画面から)

 

 

「駅前立地」は既定路線…上田市長に”虚偽”答弁の疑い~高まる市民不信!!??、一般質問の質疑に関心が…

  • 「駅前立地」は既定路線…上田市長に”虚偽”答弁の疑い~高まる市民不信!!??、一般質問の質疑に関心が…

 

 「新図書館の立地場所は当初から駅前が既定路線だった」―。花巻市の上田東一市長は市民の考え方が二分される新花巻図書館の立地場所について、実は計画当初から「駅前」立地を強行する立場に立ち、JR側と“密室”で協議していたことが、開示請求した行政文書で明らかになった。市議会や市民説明会などで「立地場所はまだ、最終決定したわけではない」と答弁を繰り返してきたが、その背後ではひそかに駅前立地に向けた地ならしをしてきたことがうかがわれ、明らかな“虚偽”答弁の疑いが強くなった。

 

 上田市政の政策理念は2016(平成28)年6月に策定された「花巻市立地適正化計画」にさかのぼる。この時点における新図書館の立地場所は「生涯学園都市会館(まなび学園)周辺」と明記されていた。ところが、翌2017(平成29)年8月に公表された「新花巻図書館整備基本構想」では立地場所が「数か所」に拡大された。この時期を境にJR東日本盛岡支社と市当局(生涯学習部と建設部)との間で非公開の会議がひんぱんに開かれるようになった。

 

 今回、開示請求したのは「基本構想」が公表される2か月前に立ち上げられた「まちづくり勉強会」と称する会議。JRと市当局の担当者で構成され、2017(平成29)年6月7日開催の第1回目から翌2018(平成30)年10月3日まで計10回の会議がもたれている。開示請求したのは3月30日付で、1カ月半以上待たされた上で、今月22日付でやっと開示された。87枚のコピ-のほとんどは真っ黒く塗りつぶされた、いわゆる“のり弁”だった。

 

 とくに目を奪われたのは「花巻新図書館プロジェクト」計画資料(案)という表題の文書。その内容が書かれた22ペ-ジ分がそっくり、判読不明に塗りつぶされていた。「よっぽど、外にはもらしたくないことが書かれているのでは…」―。闇に隠された部分を詮索したくなるのが人情というものであろう。利害関係者という情報公開上の制約から伏字になっている部分はほとんどがJR側の発言分。それでも部分開示した行間から「駅前」立地に前のめりになる姿勢も読み取れる。たとえば、双方の口からふともれるこんな発言―

 

 「駅舎以外、市として図書館とともに機能付けするものは何か」(JR)、「図書館と複合施設によって描くまちづく案と自由通路や駅舎の整備に関するオ—ソライズのタイミングが合うと分かりやすい」(市)、「上層階が図書、低層が多機能スペ-スかと。これらを一体で運営できる手法があるとよい」(JR)、「(平成30年7月の)図書館協議会に立地場所を駅の方にという公表になる。11月の時点では橋上(駅自由通路)の考えと図書館とのイメ-ジを対外的に示したい」(市)、「図書館と複合の事業で周辺の価値を高めていく。その分周辺の価値が上がり、税収をペイできる」(市)…

 

 「まちづくり勉強会」と平行した形で、もうひとつの組織が設置されていた。「花巻駅周辺整備調査定例会」と称し、メンバ-の構成はほぼ同じだった。まちづくり勉強会に遅れること約半年後の2017(平成29)年12月15日に第1回目の会議を開催し、翌2018(平成30)年8月7日まで9回の会議がもたれている。後者の会議については以前に同様の文書開示請求をし、当市の懸案である「JR花巻駅の橋上化(東西自由通路)と新図書館」とはワンセットの事業計画であることを明らかにした(2023年1月14日付当ブログに詳細を掲載)

 

 この二つの非公開の会議で練り上げられた結果、正式に公表されたのが「新花巻図書館複合施設整備事業構想」(2020年1月29日)、いわゆる“上田私案”とも呼ばれる「賃貸住宅付き図書館」の駅前立地だった。市民や市議会の頭越しに降ってきたこの構想がその後、「白紙撤回」に追い込められたのは当然の成り行きだった。現在、旧花巻病院の跡地が立地候補地として、一挙に注目を浴びつつあるが、上田市政に「駅前」立地の旗を降ろす気配はない。なぜ、これほどまで頑(かたく)なになるのだろうか。

 

 「JRは花巻駅の橋上化をやりたいと思っており、橋上化の話が進めば、土地の売買について真剣に話をしてくれる可能性はある。橋上化がなくなった際には、駅前に図書館を建設することについてもどうなるか分からない」―。上田市長は令和4年6月に開かれたある市政懇談会の席上で、こう述べた。市議会でこの真意をただされた市長は「反問権」を振りかざし、血相を変えてその発言を否定した。おそらく、図星をつかれたための狼狽だったのだろう。そして、そのからくりはJR側が作成した前記の「花巻新図書館プロジェクト」計画資料(案)の中にその詳細が記されているはずである。黒塗り文書の背後から「利権」という不穏な言葉が見え隠れする。

 

 

 

 

(写真はこれぞまさに“ブラックリスト”にふさわしい「のり弁文書」。本文の判読可能箇所はわずか2行だけ)

 

 

 

《追記ー1》~幻の図書館計画書(コメント欄に写真掲載)

 

 全22ページにわたって書かれたこの「幻の図書館計画書」の中にひょっとしたら、“利権”めいたことがうごめく「闇の世界」が広がっているのかもしれない。

 

 

《追記―2》~追認機関と化す「検討会議」

 

 上田市長は昨年の市議会9月定例会で「検討会議のメンバ-の多くが賛同した」として、駅前立地を第1候補にすることを初めて、公に明らかにした。「新花巻図書館整備基本計画試案検討会議」は有識者や図書館関係者など各種団体が集まって、2021(令和3)年4月に発足。しかし昨年の9月以降、すでに8カ月以上も開催されていない。つまり、上田市長の意を体(たい)する“操り人形”(追認機関)としての正体があらわになっている。

 

 

《追記ー3》~図書館問題、一般質問への関心高まる

 

 花巻市議会6月定例会は6月16日から19日(会期14日間)の日程で開催される。一般質問は19日から3日間で、市民の関心が高い新図書館問題については4人の議員が質問する。登壇者は以下の通り(敬称略)

 

・19日~久保田彰孝(共産党花巻市議団)

・20日~高橋修(明和会)、鹿討康弘(はなまき市民クラブ)

・21日~羽山るみ子(はなまき市民クラブ)

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

夢の図書館を目指して…「甲論乙駁」編(その10完)~等身大の「賢治」と賢治「神話」のはざまにて~あぁ、無情のフラワ-ロ-ルちゃん

  • 夢の図書館を目指して…「甲論乙駁」編(その10完)~等身大の「賢治」と賢治「神話」のはざまにて~あぁ、無情のフラワ-ロ-ルちゃん

 

 「それはやっぱり、コロナやウクライナの影響っていうのはあったと思います。そのなかで家族の大切さみたいなものを見直したいっていう思いが、この原作と宮沢賢治の文学からもう一度考えさせられました」―。賢治没後90年を記念して製作された映画「銀河鉄道の父」(門井慶喜原作)が5月5日に全国公開されるが、成島出監督はその動機を冒頭のように語っている。ふるさとの当地では関連施設の周遊スタンプラリ-や映画に使用された衣装や小道具の展示などブ-ムにあやかろうとあの手この手の“お祭り騒ぎ”の様相を呈しているが…

 

 生誕100年(1996年)の27年前、あの“賢治狂騒曲”を目の当たりにした私としてはやはり、「時代に利用されやすい」という賢治の“危うさ”を思い起こしてしまう。代表的な詩「雨ニモマケズ」が先の大戦で戦意高揚に利用されたかと思えば、戦後は逆に耐乏生活のスロ-ガンとして叫ばれ、そして今度はコロナ禍で失われた“家族愛”のあるべき姿としての「宮澤家」が装いを新にして、再登場しつつある。かつて、高名な賢治研究者の間で「雨ニモマケズ」論争があった。賢治に対する評価が真っ向から対立したエピソ-ドとして今に語り継がれている。

 

 「宮沢賢治のあらゆる著作の中で、最も取るに足らぬ作品の一つであろう」(『宮沢賢治』、1955年)―。詩人で弁護士でもあった中村稔さん(96)がこう喝破したのに対し、詩人谷川俊太郎の父親で著名な哲学者だった徹三(故人)はこう反論した。「その精神の高さに於いて、これに比べ得る詩を私は知らない」(『宮澤賢治の世界』、1963年)。私の手元に『私の賢治散歩』と題する分厚い本がある。著者はこの作品で第17回宮沢賢治賞(2007年)を受賞した菊池忠二さん(故人)。石鳥谷町出身の菊池さんのこの本のお供をしていると、いまにもひょいと賢治が飛び出してきそうな気配を感じる。「二つの疑問」という文章(要旨)がある。

 

 「私のような凡俗の人間にも、起死回生のきっかけをもたらしてくれた『雨ニモマケズ』は中村説のような『取るに足らない作品』ではなくして、やはり優れた芸術作品が持つある種の心の浄化作用ではなかったのか。一方、比類なき『精神の高さ』を称揚する谷川説に私のごときが果たして感応することができたのかどうか。決着のつかない問題としてくすぶっているが、そのことが逆に私の賢治に対する興味と関心の原点になっていることも事実である」

 

 『本統の賢治と本当の露』というタイトルの本の帯には「本当の賢治を私たちの手に取り戻したい」と書かれている。当市在住の著者、鈴木守さんは賢治の”聖者伝説”の虚構に向き合い続けてきた稀有(けう)な人である。そのブログ「みちのくの山野草」にこんな記述がある。「賢治さんが生前、血縁以外の女性の中で最も世話になったのが高瀬露さんです。ところがどういうわけか〈高瀬露悪女伝説〉が全国に流布しているというのが実態です。そこでこのことについて、主に『仮説検証型研究』という手法に依って再検証をしてみましたところ、それは単なる虚構であり、〈高瀬露は悪女とは言えない〉がその『真実』だということを検証できました」―

 

 菊池さんにしろ鈴木さんにしろ、創られた賢治“神話”に抗(あらが)い、等身大の賢治像を追求するその姿勢に私自身、大いに共感する。10回にわたって書き続けてきた「夢の図書館」シリ-ズはとりあえず、今回をもって終わりとしたい。実現を目指したい「宮沢賢治ライブラリ-」を決して、賢治の単なる“聖地”に祭り上げてはならない。こんな思いを込めて…

 

 最後にもうひとつ―3月下旬、NHKBSスペシャルで「業の花びら―宮沢賢治 父と子の秘史」というタイトルの番組が放映された。これまでタブ-視されてきた賢治にまつわる「同性愛」を取り上げて注目された。しかし、その「真実」は本人以外に誰にもわらないはずである。後世に名を残したまま夭折(ようせつ)した者の宿命と言えば、そうであろう。にもかかわらず、公共放送が企画したという背景にあるのは「LGBT」(性的少数者)の権利拡大という時流に乗り遅れまいとする、「宮澤家」もそれを承認した新手の”神話づくり”とは言えないだろうか。

 

 

 

 

 

(写真は在野の研究者の2冊の力作。この地道な探求がない限り、賢治はいつの時代でも都合の良いように利用されかねない)

 

 

 

《追記ー1》~文中の鈴木守さんから、賢治の“同性愛”説についての独自の見解が寄せられた。私自身、その考えに同調する観点から、以下にその内容を記したブログ「みちのくの山野草」をご紹介する。

 

Eテレ「宮沢賢治~慟哭の愛と祈り」、はたして如何なものか - みちのくの山野草 (goo.ne.jp)

 

 

 

《追記―2》~いい加減にせんか!?

 

 「フラワ-ロ-ルちゃん(地域キャラクタ-)缶バッチについては、市の職員の手作りということでございまして、数をどれだけ作ることができるか、600個は用意いたしますけれども、それ以上のご希望がある方に対して、どれだけ対応するかということについては、できるだけ対応していきたいなというふうに思っております」(4月定例記者会見における上田東一市長の発言)―

 

 正直、ぶっ飛んでしまった。賢治没後90周年のお祭り騒ぎについては当ブログでも苦言を呈したが、今度はタイアップキャンペーンのプレゼント用の缶バッチを職員たちが手づくりしているという「ハッ」。まさか勤務中の作業ではあるまいが、おもちゃ屋のアルバイト料のために税金を納めているんじゃないぞ。図書館とか橋上化とか職員が叡智を集めなきゃならない案件が山積する中、いい加減に目を覚まさんか。「この親にして、この子あり」….。官民を挙げた賢治の新たな”聖者伝説”が生み出されつつある。

 

 

《追記ー3》~ブログ休載のお知らせ

 

 既存ブログの整理のため、新規掲載はしばらくの間、休ませていただきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夢の図書館を目指して…「甲論乙駁」編(その9)~『街とその不確かな壁』、そして「夢読み」と古い夢たち

  • 夢の図書館を目指して…「甲論乙駁」編(その9)~『街とその不確かな壁』、そして「夢読み」と古い夢たち

 

 「トンネルというか、現実の世界と異次元の世界を行ったり来たりして、最終的に自分がどっちに行くのか分からなくなるのが僕の小説の1つのあり方だと思う」―パラレルワ-ルド(並行時空)を描かせたら、右に出るものはいない作家の村上春樹さんの最新長編『街とその不確かな壁』は街を隔てる壁の「あっち」と「こっち」の物語である。その想像力の射程の長さに圧倒されながら、この二つの街の舞台がともに図書館であることにハタと心づいた。“図書館狂騒曲”に翻弄(ほんろう)される日々…私はまるで誘われるようにして、この風変わりな図書館の往還を繰り返していた。

 

 普通の図書館がある街から壁をくぐりぬけて、向こう側の街へ行くためには自分につきまとっている自分の「影」を捨てなければならない。つまり、「影なし人間」への変身が求められる。こうして「ぼく」が越境した先に現れた図書館には10代の女性司書がひとり。「あなたは<夢読み>になるのよ」とひとこと。「図書館の書庫で、そこに集められたたくさんの<古い夢>を読んでいればいいの」と続ける。なるほど、書庫には一冊の本もない。「夢読み」が読む「古い夢」とは…。そうか、図書館とはその空間に幾層にも蓄積された古い夢たちを読み解くことだったのかと、妙に得心した。ところが、得心した途端にわれに返った。

 

 「新図書館 若者のため駅前に」―。4月20日付「岩手日報」の声欄に65歳の介護施設世話人の女性(65歳)の投書が載った。こんな内容だった。「駅は夕方から夜にかけて、近隣の高校生が集ってきます。寒い日は冷たい風が駅舎の待合室にも入ってきます。図書館があれば、電車や迎えを待つ間、勉強や友人との交流もできるのではないでしょうか」―。この図書館“待合室”説こそが普通の市民感覚ではなかったのかと正直、合点した。図書館とは何ぞやという「図書館」論議の基本的な本題設定を怠った当然の結末である。最初から、高校生や若者たちの利便性を図るための「駅前交流(広場)」構想を打ち出していれば、新図書館問題がこれほどの迷走を繰り返すことはなかったはずである。

 

 わが街の謳い文句「イ-ハト-ブ」とは…郷土の詩人、宮沢賢治が「実にこれは著者の心象中に、この様な状景をもって実在したドリ-ムランドとしての日本岩手県である」(『注文の多い料理店』広告チラシ)と書き残しているように、この地はまさに「夢の国」(ドリームランド)そのものである。その夢の国から私を含めた夢読みたちを追放しようというのなら、もう一度「影なし人間」になって、賢治がこしらえてくれたもうひとつの理想郷「銀河宇宙」へと飛翔(ひしょう)するしかあるまいと思う。

 

 「村上春樹ライブラリ-」(正式名、早稲田大学国際文学館)が2021年10月、同大学構内にオ-プンした。自著や50カ国以上に翻訳されている訳書、収集したレコ-ドなど「まるごと春樹」が満載。『街とその…』のあとがきの中で、著者はこう書いている。「真実というのはひとつの定まった静止の中にではなく、不断の移行=移動する相の中にある。それが物語というものの真髄ではあるまいか」―。村上ワ-ルドを彷徨(ほうこう)していると、いつも賢治との遭遇を感じてしまう。たとえば、賢治は『春と修羅』の序をこんな書き出しで始めている。

 

 「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です/(あらゆる透明な幽霊の複合体)/風景やみんなといつしよに/せはしくせはしく明滅しながら/いかにもたしかにともりつづける/因果交流電燈の/ひとつの青い照明です」…。そういえば、今回の村上作品のもう一方の主役は幽霊たちである。賢治との親和性も実はここにある。表題の「夢の図書館」はだからこそ、賢治の一切合財を集めた「宮沢賢治ライブラリ-」の実現でなければならない。脱出するのはまだ、早すぎるかもしれない。

 

 

 

 

(写真は村上文学のこれまでの集大成ともいえる『街とその不確かな壁』)