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時々刻々…市議選告示「蝉しぐれと虹」(最終日)~及ばず、悔いなし!!、そして、アブラハムの執り成し

  • 時々刻々…市議選告示「蝉しぐれと虹」(最終日)~及ばず、悔いなし!!、そして、アブラハムの執り成し

 

 「もしも遠い山に色鮮やかな虹がかかれば、奇跡は起こる」―。原爆症の悲惨さを描いた映画「黒い雨」(井伏鱒二原作)はこんなセリフで終わる、しかし、結局は虹が出ることはなかった。一方、選挙戦最終日の23日、私の眼前には五色の虹がくっきりと浮かんだ。「奇跡」は起こると私は思った。

 

 この日は午前中から不思議なことが相次いだ。9時半すぎ、選挙カ-の車中で携帯が鳴った。小学校から大学まで一緒だった親友からだった。大学卒業後、北海道出身の代議士の地盤を引き継ぎ、道議会議員になって現在、9期目。議長を経験した経歴を持っている。私の出馬を風の便りで知った上での激励かからかいの電話かと思ったが、まったくの別件だった。「いま、オレがどこにいるか分かるか。選車の中だよ」と伝えると。相手は「えっと」と驚きの声を上げた。ほどなくして、ショ-トメ-ルが届いた。「必ず当選するよ。花巻で会おう」とあった。

 

 車外は土砂降りの雨に。傘をさし、大声で叫んでいる男性がいる。慌てて、車を飛び降りると見覚えのある男性が立っていた。「あの時は本当にありがとうございました。大槌の仮設で…」―。あの大震災の際、ボランティア活動で知り合った被災者だった。「いまは花巻に居を移しました。さっき、女房と二人であなたへの投票を済ませてきました。その足で孫の顔を見ようとしたら、目の前にあなたの選車が現われるじゃないですか」―。なにか胸が熱くなるような感情が体中を駆けめぐった。

 

 「拡大を続けるコロナ禍、終わりの見えないウクライナ戦争、そして元首相に対する白昼テロ事件…。終末観さえ漂ういまの時代の中、私は賢治さんのメッセ-ジの大切さを訴え続けてきました」―。自宅近くの「雨ニモマケズ」賢治詩碑の前に立ち、私は1週間に及ぶ激しい選挙戦の報告をした。雨はまだ降り続いている。ヒグラシなのだろうが、耳にうるさいほどの蝉しぐれが降り注いでいる。10分ほどの報告を終えた瞬間、厚い雲間からわずかな日差しがもれた。銀河宇宙の賢治に届いたのかもしれないと私はうれしい気持ちになった。帰路にある陸橋にさしかかった途端、ウグイスさんがすっとんきょうな声を上げた。

 

 「候補、あっちの空を見て」―。ひと抱えもあるような太い虹が輪を作っていた。一瞬の間にその虹は消えた。「皆さんのご支援がなかったら、私はとっくに挫折していたはずです。悔いはありません。すがすがしい気持ちです」―。午後8時、“叛逆老人”の選挙戦は最後の「お礼遊説」で1週間の戦いに幕を下ろした。

 

 

 

(写真は賢治詩碑の前で選挙戦の報告をする私=7月23日、午後5時すぎ、花巻市桜町4丁目で)

 

 

 

《追記ー1》~完敗、いや惨敗。「イーハトーブでも”奇跡”は起こらなかった」。それでも悔いなし!!

 

 

 花巻市議選の投開票が7月24日に行われ、私はわずか474票の得票に止まり、31人の立候補者中、最後から2番目で落選した。選挙期間中の前後、私が訴えた宮沢賢治の理想郷「イ-ハト-ブはなまき」の実現というスロ-ガンがほとんど受け入れられなかったことになる。この現実を粛然と胸に刻みたい。しかしその一方で、このことを認識できたという意味では大きな収穫であったともいえる。いまは思いを全部吐き出したという達成感の中にいる。落選しても、”叛逆老人”は死にはしません。ご支援に心から感謝申し上げます。

 

 

 

《追記―2》~「アブラハムの執り成し」と474人の有権者

 

 「まことにあなた(神)は、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。あの町(ソドム)に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、その五十人の正しい者のために、町をお赦しにならないのですか。正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。全くありえないことです。全世界をさばくお方は、正義を行われるべきではありませんか。(『旧約聖書』「創世記」)

 

 アブラハム(父祖=預言者)は粘り強く神と交渉を続けることによって、その善良な人の数を50人から10人に減らすことに成功する。旧約聖書のこの一節を思い起こし、今回、私を支持してくれた474人(イ-ハト-ブの住人)とアブラハムが執り成した10人(ソドムの住人)の姿を無意識に重ね合わせていた。「仮に善良な人たちが一握りだったとしても(つまり、悪者が多数だったとしても)そのまちを滅ぼしてはならない。逆にその少数者が将来のまちの救世主なるはずだから…」

 

 


 

 

時々刻々…市議選告示「選挙権はないけれど」(6日目)

  • 時々刻々…市議選告示「選挙権はないけれど」(6日目)

 

 「マスコさん、ドイツでは70歳すぎたら、被選挙権がなくなる。でも日本にはその制限がないんだよね。だから、マスコさんは100歳まで政治家を続けることができるよ。記録に挑戦してみて…」―。花巻市郊外でケ-キ職人をしているドイツ人のポ-ルさんはこう言って、ニヤリと笑った。「人生の余暇を楽しむのがヨ-ロッパ人の生き方。そこが日本人と違うところかな」。選挙って、こんな旧交を温める機会になったり、新たな出会いを生んだりして、とっても面白い。まるで“祝祭”みたい…

 

 ある街宣箇所での出来事―。マイクを握った直後、5メ-トルの至近距離に止めた車から40代半ばの男性が降りて来た。熱心に聞き耳を立てていたが、時折、ポケットに手を入れたり、周囲をうかがうなどちょっと、落ち着きがない。一瞬、あの元首相に対するテロ事件が頭をよぎった、たまたまこの日、私の選挙ポスタ-が掲示板から消えてしまうというハプニングがあったせいかもしれない(コメント欄に証拠写真)

 

 約15分間の演説を終え、その男性に歩み寄った。45歳だという男性な開口一番、こう言った。「あなたの演説をずっと、聞きたいと思っていた。ウグイスさんの声が聞こえたので、後ろについてきた。会えて良かった」―。私は自分の浅慮が恥ずかしくなった。「これまで引きこもりの人たちの支援に生きがいを感じてきたが、コロナ禍の拡大でそれもできなくなった。あなたの力を借りて打開策を考えたい」―。この日の新聞各紙はコロナ感染者がついに1日15万人を超えたというニュ-スを伝えていた。私たちは互いに携帯番号を交換し、再会を約束した。

 

 ウグイスさんが小さな声でささやいた。「ほんとのところ、候補者が襲われたら、どうやって防ごうかな、と。相手の車のナンバ-も必死になって頭に刻んだ」―。後日談に選挙カ-の中は爆笑の渦に包まれた。「選挙って、何が起こるかわからない、だから、お祭りなんだね」

 

 

 

 

(写真はポ-ルさん夫妻を囲んで、記念撮影に収まるスタッフたち=花巻市大沢で)

時々刻々…市議選告示「大当たり」(5日目)~消えたポスタ―!?

  • 時々刻々…市議選告示「大当たり」(5日目)~消えたポスタ―!?

 

 「もう年も年だし、当たるとしてもせいぜい“中気病み”(よいよい)ぐらいなもんだろうな」―。そう思っていたら、ポスタ-掲示の場所取りの抽選で、なんと「1番くじ」を引き当ててしまった。「幸先が良い。当確」、「神のご加護」、「日ごろの行いの現れ」…。友人、知人からまるで、“当選祝い”みたいなメ-ルや電話が殺到した。小学生から大学生に至る成績で「1番」になったことはもちろんなし。宝くじを買ってもいつも「はずれ券」ばかり。選挙は“縁起もの”とはいっても、そう単純に喜んでばかりもいられない。

 

 選挙戦も中盤をすぎ、少しづつ手ごたえみたいなものも感じてきた。アドリブ満載の絶叫調街宣(街頭演説)に一息を入れ、ぐるりと全方位を見回すと…。いるいる。2階の窓から身を乗り出して、じっと聞き入っているおばあちゃん。ちぎれるように手を振っているおじいちゃん。「私は当年82歳。みなさんの代表選手です」と応答すると、本当にちぎれた腕がこっちに飛んできそう。

 

 選挙戦がヒ-トアップする中、他陣営に遭遇する機会もしょっちゅう。道端に整然と並んだ支持者を前にして、公約を披歴する候補者、連呼を繰り返しながら、目の前を風のごとくに通り過ぎる選挙カ―。「候補、候補。うしろ、うしろ」とウグイスさん。振り向くと、鮮やかな色彩の帯みたいな布がヒラヒラ舞っている。ハタと心づいた。「このオレにも『1番』があったじゃないか。“理非曲直”(りひきょくちょく)に頑固な自分が…」―

 

 21日昼過ぎ、この「1番」が自宅近くの掲示板から消えてなくなっているのに気が付いた。「明らかな選挙妨害(いやがらせ)。許せない」、「いや、いやがらせなら、ビリっとはぎ取った形跡が残るはず。逆に丁寧にはがしたような感じだ」、「1番さんに魅了された誰かが永久保存版に盗んだのではないか」…。選挙カーの中はこの”椿事“の真偽をめぐって盛り上がった。”叛逆老人”の選挙の波紋はまだまだ、広がりそうな気配である。

 

 

 

 

 

 

(写真は生まれて初めて「1番」になったポスタ―掲示場の前に立つ私=7月21日午前、花巻市内で)

 

時々刻々…市議選告示「苑長!苑長!!」(4日目)

  • 時々刻々…市議選告示「苑長!苑長!!」(4日目)

 

 「苑長!苑長!!苑長~っ!!!」―。のぶ君やてる君が一斉にそう叫びながら、飛び出してきた。みきちゃんやきくよちゃんの姿も…。私は以前、この施設の施設長だった。あれから12年。みんな同じ年かさを重ねたが、今も「苑長」と呼んでくれている。私は不覚にもボロボロと涙をこぼしてしまった。

 

 この日、私は花巻南温泉郷の入り口に当たる障がい福祉サ-ビス事業所「こぶし苑」の前で、マイクを握っていた。新聞社を退社後、この福祉の現場に飛び込んだのは18年前の平成16年3月。6年あまり、福祉という未知の分野で新しい体験をした後、平成22年7月、「アラセブ(70歳)、最後の決断」―を掲げて市議に初当選。2期目は「アラセブ、再度の決断」と看板を塗り替えて再選された。このノボリを作ってくれたのは施設の印刷班のみんなだった。敷地内には私が在職中に建設したパン工房「銀の鳩」が健在だった。走馬灯のように当時の思い出が去来した。

 

 「叛逆老人は死なず」―。今回のノボリもここのみんなで印刷してもらった。のぶ君が突然、怒鳴るような声で言った。「オラも父さんも苑長に入れることにしている。んだども、選挙って、必ず当選するとは限らないべ。落ちたら、また苑長として戻ってくればいい。おらはそっちの方がうれしい。だって苑長はずっと、死なないんだから」…。涙が今度はしずくとなって頬を流れ落ちた。

 

 

 

(写真は自分たちが作ったノボリを握り、リ-フレットを手に記念撮影に収まる利用者のみんな=4月20日、こぶし苑の前の広場で)

 

時々刻々…市議選告示「地蔵さん詣で」(3日目)

  • 時々刻々…市議選告示「地蔵さん詣で」(3日目)

 

 「願以此功徳/普及於一切/我等與衆生/皆共成仏道」―。苔むし、風化しつつある石仏を手でなぞりながら書き写していくと、こんな漢字が連なった。「願わくはこの功徳をもって、あまねく一切に及ぼし、我らと衆生(しゅじょう)と、みな共に仏道をなさんことを」…。こんな意味だということが分かった、告示日初日にこの「桜の地蔵さん」に触れて以来、その詳しい由来が気になって仕方がなかった。忙しい遊説の合間を縫って、図書館に通い、歴史の狭間に埋もれた悲劇を知った。以来、遊説に出発する前の合掌が習いとなった。

 

 先人の研究資料などから、この地蔵尊が建っている旧奥州街道筋(現桜町4丁目)の近くには藩政時代、重罪人を処刑する「向小路殺生場」があったという。さらに、農民一揆の首謀者などもここで処刑されたという記録も残っていた。こうした過去の記憶を鎮魂し、慰霊するために今からちょうど100年前、花巻城の御家人(同心会)らが中心になって建立されたことを知った。宮沢賢治がこのすぐ近くに農民らの啓蒙を目的にした「羅須地人協会」を設立したのが、像の建立4年後の同じ日だったことについては、市議選告示「第1声」で触れた。

 

 仏教徒でもあった賢治が『農民芸術概論綱要』の中で、人類の幸せと世界平和を訴えたのは実はこの地蔵尊の存在を知ったからではなかったのか。「過去を帯びない現在や未来はない。世代を継ぎ続けることこそが歴史ではないのか」…急に胸が熱くなった。そして、今回の市議選が持つ意味の重要性にはたと、気づかされた。

 

 

 

 

(写真は地蔵尊に手を合わせ、遊説の決意を話す私=7月19日午前8時すぎ、花巻市桜町4丁目で)

 

 

 

《追記ー1》~82歳、がんばれ…仏国土からのメッセージ

 

 平和を願う「仏国土」(平泉)に住む知り合いの女性から、「82歳、がんばれ」と以下のような激励のメッセージが届いた。「いよいよ市議選の闘いが始まりましたね。平泉の空の下で健闘を祈っています。必ずや当選を!上田市政を代えるため、花巻の人々のためにがんばってください」

 

 

《追記ー2》~基地のない島を願う沖縄の地からも

 

 沖縄行のたびに運転手兼ガイド役を務めてくれる友人からも。「掲示板の『一番』は僥倖(ぎょうこう)の知らせ。まるで、劇画を見るようなこの選挙戦の模様をネットを通じて、全国発信します。祈当選」