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謹賀新年…「私の夢の図書館」セレクト5~「イーハトーブ図書館」の実現に向けて!!??

  • 謹賀新年…「私の夢の図書館」セレクト5~「イーハトーブ図書館」の実現に向けて!!??

 

 明けましておめでとうございます。図書館“騒動”に明け暮れた昨年でしたが、今年の初夢にもまたぞろ、本たちの隊列行進がたち現れそうな気配です。おそらく、その本たちはみんなピカピカと光り輝いているはずです。さ~て、2023年のスタ-ト…夢枕には予想通り、病院跡地に完成した「イーハトーブ図書館」のオープニングセレモニーの光景がすっくと姿を見せました。世代を超えた人たちの喜びが周囲に満ちあふれています。白雪をいただいた霊峰・早池峰から後光が射し込んできました。”降臨”の瞬間…。初夢はふくらみっ放し。「私の夢の図書館」セレクト5ーへどうぞ。

 

 

●日本一の「イ-ハト-ブ図書館」の実現へ

 

 花巻市は将来都市像として「市民パワ-をひとつに歴史と文化で拓く/笑顔の花咲く温(あった)か都市(まち)/イ-ハト-ブはなまき」というスロ-ガンを掲げている。「イ-ハト-ブ」とはいうまでもなく、宮沢賢治が思い描いた理想郷「ドリ-ムランド」(『注文の多い料理店』広告チラシ)を指す。賢治ファンだけではなく、観光客の誘客も期待した“賢治”ライブラリ-を

 

●「死ぬまでに行きたい世界の図書館15選」へのノミネ-トを

 

 旅行口コミサイト「トリップアドバイザ-」がかつて全米を沸かせた映画「バケットリスト」(棺桶リスト)にあやかって、「死ぬまでに行きたい世界の図書館15選」を公表。日本では「まちとしょテラソ」(長野県小布施町立図書館)と「京都マンガミュ-ジアム」(京都市)が見事選ばれた。「イ-ハト-ブ図書館」もぜひ、この棺桶リスト入りを目指して。ちなみに第1位は「ヴァスコンセロス図書館」(メキシコシティ)、「テラソ」は堂々の第6位

 

●『つづきの図書館』のような図書館を

 

 本書は当市出身の童話作家、柏葉幸子さんの作。「図書館のつづき」ではなく、自分の本を読んでもらった本の側が読書好きのその少女の「つづき」を知りたくなったという奇想天外な物語。図書館から本たちが飛び出してくるような、そんなワクワクする光景が目に浮かぶ。さて、「イ-ハト-ブ図書館」からはどんな主人公たちが街なかに繰り出してくることか

 

●たとえば、「ホ-ムレス」など〝変な人”でも自由に出入りできる―「誰にでも開かれた」図書館の実現を夢見て

 

 この“変な人”発言は市主催の若者世代対象の図書館WSで出された。揚げ足を取るつもりはない。米国映画「パブリック-図書館の奇跡」は寒波の中で、ホ-ムレスが図書館を占拠するという筋書きになっている。どうして、図書館側はホ-ムレスの要求を受け入れたのか。図書館の役割とは何か―「イーハトーブ図書館」がそのことを考えるきっかけになれば

 

●「成長し続ける有機体」としての図書館…進化する図書館とは

 

 インド図書館学の父と言われるランガナ-タンの言葉。賢治自身、「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です」(『春と修羅』序)と書いている。有機体とは実に永久不滅の現象で、その意味では「賢治」そのものが不滅ということでもある。世代を継ぎながらの「賢治本」の集積に終わりはない。「イ-ハト-ブ図書館」は永遠に進化し続ける

 

 

 

<注>~「まちとしょテラソ」

 

 図書館を闇夜を照らす行灯(あんどん)にたとえて「照らそう」をイメ-ジした命名。Terra(ラテン語で地球や大地の意)とSow(英語で種をまく意)を組み合わせた図書館像も浮かび上がる。小布施町は「テラソ」を中心にした「まちじゅう図書館」運動も展開している。2011年、「Library of the Year」大賞受賞。館長は2013年から公募方式に。開館は2009年7月

 

 

 

 

 

 

(写真は棺桶リストに選ばれた「まちとしょテラソ」=インタ-ネット上に公開の写真から

 

もう、忍耐の限界…駅前立地の「白紙撤回」を求めて、街頭へ~被爆地・ヒロシマでも”立地”論争!!??

  • もう、忍耐の限界…駅前立地の「白紙撤回」を求めて、街頭へ~被爆地・ヒロシマでも”立地”論争!!??

 

 怒りや絶望感さえも通り越したような、この鬱々(うつうつ)たる気持ちを何と表現したらよいのだろうか。「鬆」(す)―。水分が不足して繊維ばかりのスカスカの状態になった大根の切れ端を見ながら、ふとこの言葉が浮かんだ。「(大根に)鬆がとおる」などという。骨が劣化するあの老人病の年齢に達したせいばかりでもあるまい。新花巻図書館とJR花巻駅橋上化(東西自由通路)をめぐる上田東一市長の“詭弁”(きべん)の数々については、当ブログでも再三触れてきた。終わりが見えないコロナ禍の中で、上田流の居丈高で中身の「スカスカ」手法はもう臨界点を超えたというのが本音である。

 

 「白紙撤回」と「市政刷新」と…。師走入りした12月中旬、82歳の老残はこんなのノボリ旗を立てながら、JR花巻駅前でマイクを握った。同憂の士を募って、「駅前図書館の白紙撤回を求める市民有志の会」(「白紙撤回の会」)を立ち上げたばかりだった。「叛逆老人は死なず」と「さらば、お任せ民主主義」の2本柱を掲げた今夏の市議選で惨敗して以来、約5カ月ぶりの辻立ちである。「JR交渉はもう、やめろ」、「賢治のイ-ハト-ブが泣いているぞ」…。上田市政に危機感を抱く同憂たちもそばで、大声を張り上げている。「不退転」の決意がビンビンと伝わってきた。

 

 賃貸住宅付き「図書館」という奇怪な構想(”上田私案”、のちに「住宅付き」部分は撤回)が降ってわいてから、間もなく丸3年になる。この人にとっての「図書館」の出自とは実は、”不動産”物件だったことがいまや白日も下にさらされつつある。さらには、高校生の”政治”利用(世論誘導)という強権発動にまで手を染め、その”暴走”は止まるところを知らない。「白紙撤回の会」は神出鬼没の”忍法”の術を駆使して、市民の皆さんの前に突如、現れるはずです。2本のノボリ旗に気が付いた時には、ほんのちょっとでも耳を傾けてください。市政を自分たちの手に取り戻すためにも…

 

 では、皆さん、良いお年を。来年こそは宮沢賢治が「夢の国」と名づけた”イーハトーブ”の夜明けが来たらんことを!?この1年間、歯に衣着せぬ”罵詈雑言”にお付き合いいただき、ありがとうございました。新しい年も懲りずに、よろしくお願い申し上げます。

 

 

 

 

<図書館の病院跡地への立地と市政の刷新を>(設立趣意書)

 

 

 花巻城跡に隣接した旧総合花巻病院の移転・新築に伴って、眼前を覆っていた病棟が解体された結果、私たちは約100年ぶりに由緒ある遺跡など城跡のおもかげに接するという幸運に恵まれました。晴れた日には霊峰・早池峰など北上山地の雄大な姿を望むができます。目の前にこつ然と現れた広大な“空間”に身を置きながら、私たちは「図書館の立地はここしかない」と直感しました。

 

 花巻市はJR花巻駅前のスポ-ツ店用地を第1候補に挙げていますが、郷土の詩人、宮沢賢治が学んだ現花巻小学校とシニアの学びの場である「まなび学園」(生涯学習都市会館)に挟まれたこのロケ-ションこそが「文教地区」にふさわしいと考えます。私たち「白紙撤回の会」は以下の理由から、駅前立地に反対し、市民の声を行政に反映できるよう市政の刷新を求めるものです。

 

 

●当該地は来年3月(予定)に更地になった段階で、市側が取得することが決まっている。JR所有の駅前用地の取得は税金の”二重払い”(無駄遣い)に等しい。

 

●花巻城跡調査保存委員会は解体工事で全貌を現した「濁り堀」について、「一級品の貴重な遺構。現状保存が望ましい」と答申した。将来、原形を維持したまま“歴史公園”として整備すれば、図書館の環境がさらに充実する。

 

●当該地を含む花巻城跡一帯は賢治作品にも登場する、いわば“賢治精神”が凝縮されたホ-ムグランドでもある。将来都市像として「イ-ハト-ブはなまき」の実現を掲げる当市にとっても「うってつけ」の場所と言える。

 

 

駅前図書館の白紙撤回を求める市民有志の会(「白紙撤回の会」)

 

 

 

 

(写真は図書館の駅前立地の撤回を呼びかける私=2022年12月中旬、JR花巻駅前で。手にしている白紙は中国の習近平「独裁」(ゼロコロナ政策)反対で注目を浴びた“白紙運動”にあやかった)

 

 

 

 

《追記》~広島でも図書館“立地”論争(12月25日付朝日新聞「声」欄から)

 

 

 広島市立中央図書館は、平和公園に近く、街の中心部でも木立に囲まれたみどりの図書館です。閲覧室や自習室の窓からは梅や満開の桜も望め、小鳥たちが憩っています。しかし、築48年で建物が老朽化したことから、市は移転を計画。現地での建て替えを求める市民による署名活動も行われるなか、市は広島駅前の商業施設内へ移転する方針を示しました。議論は尽くされたとは言えず、拙速に判断されたとしか思えません。

 

 この図書館は、被爆についての文献資料を網羅的に収集し、多くの被曝者が被爆体験記を納めています。遺言のようにつづられたその声に触れるため、故井上ひさしさんら作家たちも通い、被爆の実相を伝える作品を生んでいったと聞きます。ここに集う人は、平和記念公園に続く静かな環境で、被爆者から私たちに残された声を聴くのです。郷里の広島で被爆した詩人、原民喜は詩「永遠のみどり」で、「ヒロシマのデルタに/青葉したたれ」とうたいました。みどりは平和です。中央図書館が今の場所で再建され、被爆地の図書館としての使命を果たしていくよう望みます(司書 竹原陽子=広島県・46歳)

 

<註>~27日付中国新聞デジタル(Yahhoo!ニュース)にこの間の詳しい経緯が掲載されている。市民無視の強引な進め方は当市のケースと類似点が多く、示唆的である。「図書館とは何ぞや」という論議を深めるうえでも貴重な報告と言える。

 

 

灯台下暗し(その10~とりあえずの「完」)…あぁ、“青春”残酷物語~ついに、高校生の”政治”利用も!!??

  • 灯台下暗し(その10~とりあえずの「完」)…あぁ、“青春”残酷物語~ついに、高校生の”政治”利用も!!??

 

 「青春って、一体なんだろうか」―。私は目の前の数字をまじまじと眺めながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。「新花巻図書館の整備に関する市内学校等でのグル-プワ-ク」の結果として、市HPには「93vs25」という数字が並んでいた。市内6校の130人を対象とした新図書館の立地場所をめぐる意見集約で、93人が「駅前JR敷地」を希望したのに対し、「旧病院跡地」はわずか25人だったという告知である。一方、225人が参加した市民説明会ではその数字(発言実数)が「18vs32」と逆転していた。

 

 単なる世代間の相違だろうか。いや、私のまなうらには本来、夢を語り合う世代であるはずの“青春群像”をまるで、操り人形みたいに政治利用しようとするどす黒い悪意が見え隠れしていた。わが青春時代を風靡(ふうび)したある映画のシ-ンがそんな妄想を引き出したようだった。

 

 映画「青春残酷物語」(大島渚監督、1960年6月3日公開)は戦後最大の闘争と言われた「60安保」(日米安保条約改定反対)のさ中に産声を挙げた。当時、大学生だった私もこの闘争の渦中に身を置いていた。東大生だった女子学生が警察官との衝突で死亡したのは映画封切りのわずか10日後のことだった。デモ参加の合間をぬって、私も映画館にかけつけた。「若さゆえの奔放、怒りゆえの暴力、愛ゆえの破滅」…。女子高生と大学生との無軌道な愛の物語はデモに身を投じる私自身の気持ちと違和感なく、重なり合った。大島監督は当時、「日本のヌ-ベルバ-グ」(新しい風)ともてはやされていた。「政治の季節」を複眼でえぐり取るそのすごさに度肝を抜かれたことを覚えている。

 

 「駅に近くて、便利だから」、「駅は人が集まりやすいから」…。HPに目を移すと、駅前立地を希望する高校生たちの意見の多くはその利便性に集中していた。活字離れが進む若者世代の傾向としては無理からぬことかもしれない。「いまの若者は…」と切って捨てるのはいとも簡単である。現政権が進める「安保三文書」の改定に大方の国民が無関心を決め込む時代状況下ではなおさらである。しかし、この「無関心」の政治利用こそがこの国の伝統的な作法と言われてきた。「60年安保」の際、当時の岸信介首相はこう言ってのけた。「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通りである。私には『声なき声』(サイレント・マジョリティ)の声が聞こえる」―

 

 「強い意見やビラ配りをする市民だけでなく、こうした人たちに気圧(けお)されて発言できなかった人もいたと聞いている。より幅広い意見を吸い上げたい」(12月5日付当ブログ参照)―。上田東一市長にとっての「サイレント・マジョリティ」とはさしずめ、高校生など若者世代を指すのであろう。高校生を対象にした「橋上化」バ-ジョン(11月24日付当ブログ「今度はアンケ-ト“捏造”疑惑」参照)がその第1弾だとすれば。今回は第2弾としての「図書館」バ-ジョンと言えそうである。

 

 無鉄砲でもある種の「権威」に叛逆する精神性…これこそが私たち世代の「青春」だった。「若さ(奔放)」と「怒り(暴力)」と「愛(破滅)」という混然一体の中にひそむ不変の青春性…。もし仮にこれが骨抜きにされているとしたら、高齢世代の私たちにもその責の一端があるはずである。図書館は「知のインフラ」とも呼ばれる。「グル-プワ-ク」の設問の中に「そもそも、図書館とは何か」という根源的な問いかけがなかったとすれば…逆に立地場所に特化した設問が先にありきだったすれば、それはもう若者世代に対する行政の裏切り行為…「政治利用」そのものである。いまの若者たちはもしかしたら、あの「青春残酷物語」よりもはるかに“残酷”な時代を生かされているのかもしれない。

 

 若者よ、政治の”人質”からの一日も早い自己解放を!!??老残の身のノスタルジ-ということを重々承知しつつも、人はすべからく”歴史”に謙虚でなければならないと思う。「過去」を帯びない「今」はない。

 

 

 

(写真は強烈なイメ-ジの映画ポスタ-。ほとばしる“青春”が伝わってくる=インターネット上に公開の写真から)

 

 

 

《追記》~さようなら、照さん

 

 東日本大震災で母親と妻、一人娘を失った大槌町在住の白銀照男さんが亡くなった。享年73歳。震災以来、何度も肉親捜しに同行した。「数日前にがんが見つかり、すでに手遅れだった。(12月)21日に息を引き取りました」と息子さん。3人はまだ、行方不明のまま。「やっと、3人のもとに行けるね」と思うと少し、ホッとした。大切な人がまた、私を残して旅立ってしまった。合掌

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

灯台下暗し(その9)…コロナ禍の中の図書館”立地論争”!!??

  • 灯台下暗し(その9)…コロナ禍の中の図書館”立地論争”!!??

 

 「人類はいま、コロナパンデミックという感染症の脅威の中に生きなければならない宿命を負わされてしまいました。ニュ-ノ-マル(新しい日常)が叫ばれる時代の中で、図書館の在り方も従来のようなまちの活性化やにぎわい創出の観点だけから論じることは、もはや不可能だと考えます」(2020年10月25日)―。私は2年前の夏から秋にかけて5回開催された「としょかんワ-クショップ」の最終回で、冒頭のような意見表明をした。あれから2年以上たったいま、コロナ禍は一層悪化の一途をたどりつつある。

 

 新花巻図書館の立地問題に議論が集中した市議会12月定例会が開会中の12月13日、岩手県は新型コロナウイルスへの1日の感染者数が過去最多の2515人に達したと発表。岩手医大附属病院の小笠原邦昭院長は「いまの状態からさらにひっ迫した時には本当に命が危なくなることを想像してもらいたい」と厳しい口調で呼びかけた。相前後し、当市でも上田東一市長や複数の議員らが相次いで感染し、厳しい議会運営を迫られた。そんな中、市側が立地場所の第一候補地に挙げたのがJR花巻駅前のスポ-ツ店敷地だった。

 

 「公共交通が整備された駅前こそが最適地。将来の世代を担う若者世代や駅利用者が集うことによって賑わいも創出され、駅周辺の活性化も加速される」―。マスク姿といういで立ちで駅前立地の正当性を力説する上田市長に激しい違和感を覚えた。「感染症の時代だからこそ、人の集積はなるべく避けるべきだという発想の転換が必要ではないのか。それこそが行政トップの使命ではないか」と毒づきたくさえなった。「緊急事態宣言」が発令された2年前、図書館プロデュ-スの達人として知られる岡本真さん(アカデミック・リソ-ス・ガイド代表)はこう語っていた。事態はまさに岡本さんの予想通りに進んでいる。

 

 「図書館の集客機能がまちづくりの文脈で評価・尊重されてきましたが、新型コロナの感染拡大を防ぐには、図書館においてもむやみに人を集められない、かつ長時間の滞在が好ましくない、さらに交流自体を大規模には行えないということになります。この10年ほど、大きな影響力をもってきた図書館による『賑わい』創出という考え方は曲がり角に来たと感じています。コロナの脅威がいつまで続くのかは、まだ誰にもわかりません。ですが、今後も発生が予測される新たな感染症の脅威を見込むと、公共施設の計画・整備・運営は一度ゼロベ-スから組み上げ直していく必要があるでしょう」(2020年7月10日付論考「新型コロナ後、『図書館×まちづくり』の在り方が問われる」)

 

 コロナ禍の中での“立地論争”のさ中、花巻城跡に隣接する旧総合花巻病院の建物群が撤去された結果、目の前に霊峰・早池峰山を遠望する眺望がこつ然と姿を現した。「いままで建物に遮られて見えなかったけど、この光景を目に入れてしまった以上、図書館はもうここしかない」―。まるで、“新名所”にでも様変わりしたみたいに「跡地」見物が後を絶たなくなった。新図書館をめぐる市民説明会で「病院跡地派」が32人と「駅前派」の18人を上回ったのもはけだし、自然の成り行きだったのであろう。予想だにしない出来事が突然起きる―「青天の霹靂」(せいてんのへきれき)とはこのことを言うのかもしれない。

 

 旧総合花巻病院の中庭に宮沢賢治が設計した花壇があった。「Fantasia of Beethoven」(ベ-ト-ベンの想い)と自らが名づけたこの花壇について、賢治はこう書いている。「けだし音楽を図形に直すことは自由であるし、おれはそこへ花でBeethovenのFantasyを描くこともできる」(『花壇工作』)。病院跡地に隣接し、シニアが集う「まなび学園」は妹のトシが学び、のちに教鞭を取った花巻高等女学校(花巻南高校の前身)の建物である。そのトシは約100年前、世界中で猛威を振るった感染症(スペイン風邪)に罹患(りかん)し、それが原因で夭折(ようせつ)した。空耳であろうか…。銀河宇宙の彼方から、賢治の声が聞こえたような気がした。

 

 「イ-ハト-ブに図書館をつくるのなら、おらも大好きで何回も登った早池峰が見えるその場所に建ててほしいな。広々とした空間が広がるこの環境なら、トシもきっと喜ぶと思う。ついでに、ベ-ト-ベンの花壇も復元してもらえれば、よけいうれしな…」―。口を開けば「コロナ対策」を叫ぶその人が一方で「コロナ」に背を向ける…その無自覚ぶりというか、倒錯した”図書館像”はもはや悲惨を通り越して、”狂気の沙汰”としか言いようがない。

 

 

 

 

(写真は市側が新図書館の立地の第一候補に挙げたスポ-ツ店とその周辺=JR花巻駅前で)

 



 

灯台下暗し(その8)…数字の“マジシャン”が、その数字に逆襲される時!!??

  • 灯台下暗し(その8)…数字の“マジシャン”が、その数字に逆襲される時!!??

 

 「タダじゃ、ないんですよ」―。上田東一市長の発言に一瞬、虚を突かれた。花巻市議会9月定例会で複数の議員が新花巻図書館の立地場所について、旧総合花巻病院跡地の適否を問うた際にこの「タダ」発言が飛び出した。「そうか」と危うく合点しそうになって、ハタと気が付いた。この該当地はすでに市側と病院側の双方の間で有償譲渡の協定が締結済みだったことを思い出したのである。まるで、市有地として購入するためには「新たな支出」が要請されるような口ぶり…これって、もう立派な詐欺行為ではないのか。実はこの発言には巧妙な“伏線”が用意されていた。

 

 「駅前のスポ-ツ用品店の土地を購入する経費や整備事業費がわからないと比較検討ができないのではないかという趣旨の意見の方も9名、旧総合花巻病院跡地を希望するが、事業費の比較検討が必要ではないかという意見の方が2名あったところであります」―。上田市長は定例会初日(12月2日)の行政報告で、市民説明会における新図書館の立地場所の集約について、「病院跡地が32人、市側が第1候補に挙げる駅前スポ-ツ店敷地が18人だった」としたうえで、土地購入に関してはその後の一般質問の中で「病院跡地の取得には約3億円が見込まれるが、スポ-ツ店敷地の場合は1億5千万円から2億円程度と試算されている」と具体的な数字を示した。これこそが、上田市長の得意技―「数字による目くらまし」手法である。この“落とし穴”にはまらないためにここで、きちんとおさらいをしておきたい。

 

 「総合花巻病院の移転整備に関する協定」(平成29年3月6日付)には病院跡地の取り扱いについて、以下のように定めている。

 

●「乙(公益財団法人総合花巻病院)は新病院開業後、現在の病院跡地内の建物、施設すべてを解体撤去し更地にした上で、甲(花巻市)に譲渡する」(4項の4)

●「土地価格は不動産鑑定評価し、当該評価額を基準に甲と乙とが協議して決定する」(4項の5)

 

 つまりはこういうことである。病院跡地についてはその譲渡価格の多寡(たか)にかかわらず、すでに市側が購入することが双方で合意しているということである。逆に言えば、購入を拒否した場合は、契約不履行も成立するという民法上の協定が締結済みということを忘れてはならない。一方のスポ-ツ店敷地はまさに新規購入の物件に相当し、これこそが「新たな支出」(税金のムダ使い)に当たるというべきである。伊藤盛幸議員(はなまき市民クラブ)が一般質問の中で「すでに市有地化が決まっている病院跡への立地を決断すべきではないか」と迫ったのはけだし、正論である。

 

 「数字(1・5億vs3億)だけ見れば、やはり駅前立地も選択肢として残るのでは…」―。一方で、市民だけではなく議員の中にもこんな考え方がいまだに根強いらしい。そもそもが比較対照が成立しない数字による“目くらまし”…術中にはまるとはこのことではないか。当ブログで何度も指摘してきたように、ここでも”民意”(市民の声)が恣意的に作られていく数字のからくりが浮き彫りになっている。

 

 ところで、数字の“マジシャン”を気取ってきた上田市長が今度はその数字の逆襲を受ける羽目に陥っている。病院跡地への立地を希望する「32人」…さすがのマジシャンもこの数字をないがしろにはできまい。以下の発言にその手の内が透けて見えてくる。「強い意見やビラ配りをする市民だけでなく、こうした人たちに気圧(けお)されて(駅前立地を希望しながら)発言できなかった人もいたと聞いている。より幅広い意見を吸い上げたい」(12月5日付当ブログ)―。この人が今後、どんな手法を繰り出すのか、その一挙手一投足からいや増し、目が離せなくなってきた。記憶に新しいところでは11月24日付当ブログ「今度はアンケート”捏造”疑惑」を参照していただきたい。

 

 

 

 

(写真は解体前の花巻病院。建物が撤去された眼前に現れたのはまさに「文教地区」にふさわしい光景だった=花巻市花城町で、インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

《追記》~「タダ」発言のなぞ解き

 

 「タダ」発言のからくりを整理しようと思い、市長答弁の録画を聞き直してみた。「仮に病院跡地の譲渡金額が3億円だとして…、いや立地候補地の駅前スポ-ツ店の敷地の金額もまだ決まっていませんが、いずれにせよ(病院跡地に比べて)はるかに安い」と述べたあと、こう続けた。「たとえば、市が独自にその土地(病院跡地)を他の目的に使おうとした場合、(そこに図書館が建っていれば)新たに土地を求めなければならない。そうすればまた、金がかかってしまう。だから、タダではないと言ったんです。将来的には民間活用(譲渡)ということもあり得る」―。お得意の数字をちらつかせながら、図書館の病院跡地への立地へ「NO」サイン(予防線)を出したというのがミエミエ。それにしても、いかにもこの人らしい、なかなか手の込んだ“詭弁”ではないか。