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新花巻図書館…市民の大勢が駅前立地にNO!!??~迫られる”政治決断”

  • 新花巻図書館…市民の大勢が駅前立地にNO!!??~迫られる”政治決断”

 

 その「悪夢」は、私が“1・29事変”と名づける2020(令和2)年1月29日にさかのぼる。この日、いわゆる「住宅付き図書館」の駅前立地(「新花巻図書館複合施設整備事業」)という奇妙奇天烈な構想が何の前触れもなく、いきなり天から降ってきた。まさに青天の霹靂…“上田私案”と私が呼ぶゆえんである。その後、住宅併設案は撤回されたが、JR花巻駅前のスポ-ツ店用地を立地の第1候補地にする方針は変わらず、土地取得交渉も含めたその是非を問う市民説明会が10月11日から市内17か所で始まり、22歳以下を対象にしたオンライン説明会(27日)を残すだけになった。

 

 「JR所有の立地場所を譲ってもらうため、その“お墨付き”を得るための説明会ではないのか。市民はそのアリバイづくりにただ利用されているのではないか」―。東和図書館で22日に開催された説明会の席上、ある青年が激した口調でまくしたて、こう続けた。「私たち若い世代としてはむしろ、駅前立地を希望する。しかし、その進め方がすっきりしない。裏に何かあるような気がして…」。この日、3回目の参加となった私は「大方の市民の反応は駅前よりも旧花巻病院跡地(花巻城址)への立地を望む声が多いように思う。行政側の受け止め方はどうか」とただした。

 

 答弁に立った佐々木正晴・新花巻図書館計画室長はしどろもどろしながら、こう答えた。「まだ、最終的な集計ができていないので今の段階では申し上げられない。ただ、印象としては(病院跡地が)『多数』だったと思う。今後、各種団体への説明会も残されており、成り行きを見守りたい」―

 

 旧花巻病院の病棟が解体された結果、約100年ぶりにかつての花巻城のおもかげが目の前に現出した。こうした立地環境の変化が市民が描く図書館像に大きな影響を与えたことはまちがいない。しかし、私は図書館の駅前立地にからんだ“闇の構図”に市民がうっすらと気が付き始めたのではないかとも考える。今から約3年前の2019年12月、首相官邸で「第21回 まち・ひと・しごと創生会議」が開かれた。席上、紫波町で「民間主導の地域経営・公民連携事業」―「オガ-ル」を展開する同社社長の岡崎正信さんがひとつの事例発表をした。

 

 「JR花巻駅前のJR用地を活用した新図書館整備事業。図書館と民間賃貸住宅を合築し、図書館に住むという新しいライフスタイルを花巻市民に提供する…」―。まるで「上田私案」を前倒ししたような突然の公表に「市民や議会軽視もはなはだしい」と批判が挙がった。上田東一市長は何やら意味深めいた口調で、こう言ってのけた。「岡崎さんが創生会議の場で花巻の事例について説明したことは知っていた。しかし、個人の立場での発表であり、市として関与したわけではない。ただ今後、国の有利な融資を受けるためにも花巻の考えを伝えてくれたのは良かったと思っている。こうした大きな事業を進めるためにはこの種の同時並行的な手続きが必須である」―

 

 その後、急浮上したJR花巻駅の橋上化と図書館の駅前立地も実は「ワンセットではないか」という疑念が市民の間に広がりつつある。「上田市長はなぜ、駅前立地にこれほどこだわるのか。橋上化の見返りに図書館用地の取得を可能にするというような“密約”でもあるのではないか」。こんな素朴な質問が説明会の席上でも相次いだ。ひょっとして、これがあの上田流”裏の手”(つまりは「同時並行的な手続き」)なのかもしれないと、そんな気にもさせられてしまう。上田市長が「この二つの案件は別物だ」と強調すればするほど、市民の疑念は深まるばかりである。

 

 「むしろ、花巻駅の橋上化と図書館の駅前立地とがセットである方が活性化の観点からは相乗効果が期待できるのではないか。なぜ、そうはっきりと言えないのか」―。東和会場で障害者団体のある男性はこう発言した。市民感情からすれば、こっちの方がよっほど正直な気持ちである。「別物」発言は逆に市民の間に”あらぬ疑念”を増幅させているだけにしか見えない。

 

 私は市民説明会の初日(10月11日、笹間振興センタ-)、立地場所に関連して上田市長宛てに公開質問状を提出(同日付当ブログ参照)し、26日付で回答を得た。以下に全文を掲載する。常日頃、「市民の意向を最大限に尊重する」と話している上田市長の”政治決断“に注目したい。

 

 

 

 2022年10月11日付でいただいたご意見に回答いたします。市では、新しい図書館の基本計画を策定するため、利用者団体等の代表も含め専門的な立場から基本計画の試案を検討する会議として、令和3年度に新花巻図書館整備基本計画試案検討会議を設置し、図書館のサ-ビスや機能について具体的に検討をしてきました。今年度は、この検討会議において建設場所の議論を行っており、具体的な候補地としてJR花巻駅前のスポ-ツ用品店敷地と旧総合花巻病院跡地の場所に意見が集約されてきたところであり、検討会議では花巻駅前のスポ-ツ用品店敷地を希望する、またはどちらかというと希望するとの意見が多かったところです。

 

 駅前のスポ-ツ用品店の場所はJR東日本が所有する土地であり、JR東日本は原則土地を売買しない方針とのことですが、市が図書館用地として市の活性化のために必要ということであれば、土地売買の協議に応じるとの意向を示しています。駅前のスポ-ツ用品店敷地に図書館を整備する案をこれ以上検討するためには、面積や価格などについてJR東日本と具体的な条件を交渉し、その結果、JR東日本と合意が得られる条件が当市にとって受け入れ可能な条件であるか見極める必要があります。このことから、これまで検討会議において検討してきた図書館のサ-ビスや機能について、JR東日本と具体的な協議を始めたいということを今回説明しているものです。

 

 市民説明会においては、図書館の建設場所について様々な意見があり、旧総合花巻病院跡地の場所がいいとの意見もありますが、駅前のスポ-ツ用品店の場所がいいとの意見もありますので、それらの意見を含め市民の皆様からお話を聞きながら、市民の多くに利用される新花巻図書館の整備に向けて検討を進めたいと考えております。

 

 花巻城址は本市にとって重要な場所だと考えております。その上で、花巻城は廃城となってから150年の歴史の中で様々な課題が出てきております。そのような状況で今何ができるかを考えるとともに、将来に委ねるものは委ねるということも必要になっているものと考えます。堀跡については、花巻城跡調査保存検討委員会の皆様に現地を視察いただいた後も解体工事が進む中で、北側の一部を除いた部分については当初考えられていた程度より相当程度がすでに破壊されていると聞いております。そのような状況について、花巻城跡調査保存検討委員会のさらなるご意見を伺いながら、現時点で可能な限り保存すべきと考えているところです。

 

 旧花巻総合花巻病院跡地自体は堀跡には面しているものの、花巻城の外ではありますが、まなび学園を含め市街地にある土地の活用も考慮に入れながら、有効に活用すべき貴重な場所だと考えており、花巻城の堀跡に面していること、また宮沢賢治ゆかりの花巻農学校があった場所だということも踏まえ、仮に図書館建設場所としての活用とならない場合にあっても、それにふさわしい活用について市民の意見を聞いて検討していく必要があると考えております。なお、図書館建設場所についての市の考えについては上記に記載しているほか、増子様も複数回参加くださった市民説明会でご説明した通りですので、ご参考にしてくださいますようにお願いいたします。

 

2022年10月26日

花巻市長 上田 東一

 

 

 

(写真は“上田私案”の原案とされる事例発表のパワ-ポイント=総務省のHPから)

 

 

イ-ハト-ブの「お花畑」…“異論”排除のWS「始末記」~果ては、傍聴者に対する監視強化、まるで戒厳令下!!??

  • イ-ハト-ブの「お花畑」…“異論”排除のWS「始末記」~果ては、傍聴者に対する監視強化、まるで戒厳令下!!??

 

 「総花的とは、すべての関係者にまんべんなく恩恵やメリットを与えることを意味します。平等に与えるという良い意味ではなく、人気取りのための八方美人的な方法、メリハリがなく効果が薄い方法といったネガティブな意味合いで使われる言葉です」(ウィキペディア)―。この定理をまず頭に刻み込んだ上で、次のキャッチフレ-ズを声をあげて読んでみる。

 

 「市民パワ-をひとつに/歴史と文化で拓(ひら)く/笑顔の花咲く温(あった)か都市(まち)/イ-ハト-ブはなまき」―。合併による新市誕生(平成18年)以降、当市が掲げてきた将来都市像のスロ-ガンである。宮沢賢治が「ドリ-ムランド」(夢の国)と名づけた”イ-ハト-ブ“の実現を謳う割には余りにも「総花的」すぎはしないか。というわけで「新しい将来都市像を検討しよう」というテ-マで、「まちづくり市民ワ-クショップ」(WS)が9月21日に開催され、新しい候補作が発表された(10月15日号「広報はなまき」)。また、大きな声で読んでみた。

 

 「湯ったり/恵安倍(ぇやんべ)に~結の花っこ/咲くはなまき」、「岩手のヘソとして~老いも若きも誰もが元気にくらし/かせぎ/世界とつながる緑豊かなイ-ハト-ブ花巻~」、「人と文化つながる/イ-ハト-ブはなまき~銀河鉄道に乗せて~」、「自然文化を引き継ぐ理想郷(イ-ハト-ブ)花巻~ワレラヒカリノミチヲユク~」、「豊かな自然/雅(みや)びな文化/つながる花巻/理想郷/利創響(利便性・想像力・響き合う)」…。当の賢治が真っ先に耳をふさぎたくなりそうな貧相な言葉の羅列。8グル-プがぞれぞれ選んだ「将来都市像」を口にしているうちに「これ以上、イ-ハト-ブの恥さらしをするのは止めてくれんか」と思わず、叫んでしまった。

 

 「第2次花巻市まちづくり総合計画」の策定に向けて発足したこのWSはそもそも、スタ-トからいわく因縁つきだった。まちの将来像に関心を持ってきた私は自分の思いを伝えたいと参加を予定していたが、今回から「公募枠」が廃止されたことを直前に知った。一般部門の39人の参加者はすでに決定済み(9月7日付当ブログ「“異論”排除のWS…公募方式が廃止へ」で、体のいい“門前払い”を食らった形だった。さらに、団体推薦枠の委員からも「アリバイづくりに利用されるのではないか」(9月26日付当ブログ「『市民参画』という名の虚構…ワ-クショップ」)などという懸念の声が出ていた。

 

 ところで、「日本の植物学の父」と呼ばれる牧野富太郎を生んだ高知県佐川町は2016年に「第5次佐川町総合計画」を策定。“みんなでつくる総合計画”と名づけられた計画書の巻末には参加した353人の町民の発言が掲載されている。その年のグッドデザイン賞(公益財団法人・日本デザイン振興会)に選ばれ、授賞理由にはこうある。

 

 「地方自治体が長期的なまちづくりの方針や将来像、その実現の手段などを総合的、体系的に示す『総合計画』は、10年間のまちづくりの大事な指針であるにもかからず、どの地域も似た内容のものが多く、その地域に住まう住民や、行政職員に、積極的には読まれない、活用されないという課題がありました。平成26年度より、高知県佐川町では『みんなでつくる総合計画』プロジェクトと称し、町長、役場職員、地域住民が手を取り合って、町の魅力を再発掘し、10年後の佐川町について議論を重ね、みんなが一丸となって誇りに思える総合計画づくりに取り組んできました。住民一人ひとり、『みんなが主役』の新しいまちづくりプロジェクトです」―

 

 第4回目となったこの日(19日)、私はその様子を知ろうとノコノコ出かけた。“関所”(受付)で渡された紙片「傍聴される方へのお願い」にぶったまげた。報道関係者以外の写真撮影や録画・録音の中止と傍聴席からの移動禁止を指示するその紙切れにはこう書かれていた。「騒ぎ立てるなどしてワ-クショップの進行を妨害したり、会場の秩序を乱し、会議の支障となる行為がみられる場合は、退場していただくことがあります」ー

 

 「みんなが主役」どころか、これではまるで“刑務所”同然ではないか。ふと、背筋がざわっとした。傍聴者に対する“人権侵害”にほとんど無頓着なその感覚に…。「お願い」文書を読むと、まるで”暴徒集団”が殴り込みをかけかねないみたいな書きぶりではないか。銀河宇宙を包み込んでいた「イ-ハト-ブ」はいま、受難者に寄り添うというあの“賢治精神”とは真逆の道を転げ落ちつつある。上田(東一)市政という強権支配下での、これがまちづくりの実態である。”公僕”たる市職員が民主主義の根本義である「市民参画」を自らの手で葬り去ろうとする行為もまた、げに恐ろしい光景である。

 

 

 

(写真は第4回「まちづくり市民WS」で話し合う参加者。会場内での撮影を許されなかったため、会場外の看板を手前に撮影した。これまでのWSでこれほどまでの“厳戒体制”が敷かれた例はない=10月19日午後、花巻市のまなび学園で)

 

 

 

《追記》~事実上の傍聴者“締め出し”、文書開示請求へ

 

 今回、傍聴者に配布された「傍聴される方へのお願い」と題する文書を仔細に点検した結果、この内容は明らかに民主主義の原理・原則に抵触するという判断に至った。そのため、19日付でその策定経過や背景などを明らかにするよう行政文書開示請求をした。なお、文書の現物はコメント欄に掲載した。

 

 

 

 

もうひとつの「図書館」誕生秘話…「いい計画だなぁ。検討するべじゃ」

  • もうひとつの「図書館」誕生秘話…「いい計画だなぁ。検討するべじゃ」

 

 新花巻図書館の立地をめぐり、迷走劇を続けているわが「イ-ハト-ブ」(賢治命名の夢の国)の有り様にうんざりする日々、ふと隣りまち・北上の「図書館」誕生秘話を思い出した。一体、どうしたらこれほどまでの“雲泥の差”が生まれるのか。この日(15日)の市民説明会の会場はたまたま、「まなび学園」(生涯学習都市会館)。隣接地では私が立地の最適地とした花巻城址が約百年ぶりにその全貌を現しつつある。約20人の市民が参加、うち半数近い9人が発言。城のおもかげが残る旧花巻病院跡地への立地を求めた。ふと窓外を見やると、霊峰・早池峰の雄姿が…

 

 「うん、いい計画だなぁ。検討するべじゃ」―。当時、北上市長だった故斎藤五郎さんのこのひと言で全国で唯一、詩歌に特化した図書館「日本現代詩歌文学館」は産声を上げた。40年ほど前、「北上近代詩歌資料館(仮称)建設基本計画」と書かれた趣意書を胸にしのばせた男が市長室を訪れた。当時、毎日新聞(北上駐在)の記者だった佐藤章さん(故人)。「工場誘致も大切だけれども、文化の香りも…」。こう“直訴”した佐藤さんに斎藤市長は即座に「うん…」とうなずいた。ほどなく開かれた市議会全員協議会は大きな拍手に包まれ、檄(げき)が飛んだ。「市長、やりとげろよ」―

 

 平成2(1990)年5月20日、文学館は市制施行30周年事業として、正式にオ-プンした。民間協力団体「文学館振興会」が立ち上げられ、最高顧問には作家で詩人の井上靖氏が就任。会長には「政界の3賢人」と呼ばれ、文部・厚生両大臣や衆議院議長も歴任した灘尾弘吉氏(いずれも故人)が名を連ねた。“托鉢行脚”と称して、建設費の半分に当たる3億円の資金集めや資料収集の実働部隊が全国に散った。その後、最大200万冊が収蔵できる「研究センタ-」も完成。現在の収蔵数は図書や雑誌類が約133万5千冊、その他の写真や原稿などがざっと9万2千点にのぼり、まさに「日本一」の規模を誇っている。

 

 さらにその4年後には黒沢尻工業高校の移転に伴い、その跡地に自然美豊かな「詩歌の森公園」が誕生した。10数年の歳月と総工費約26億円をかけた大事業…「言霊の館」とか「北の詩歌の正倉院」などと呼ばれる文学館は公園の中心に位置している。広大な敷地内には池や水の流れ、築山などが配置され、井上靖記念室や俳人の山口青邨の居宅を移築した「雑草園」などがある。そして、文学館の前には本県が生んだ日本を代表する彫刻家、舟越保武の彫像「EVE」(イブ)がひっそりとたたずんでいる。

 

 「東芝などの企業進出で北上市は、工業都市としての発展がほぼ約束されたと思う。しかし、せっかく文学的な風土があるにもかかわらず、その象徴になるものがない。“工業砂漠”だけにはしたくない」(昭和59年1月25日付「岩手日報」)。「五郎さん、五郎ちゃん」の愛称で呼ばれた斎藤市長の面目躍如たるものを感じる。

 

 それにしても「三人三様」とはよく言ったものである。“暴言”市長の名をほしいままにした兵庫県明石市の泉房穂市長がふたたび舌禍事件を起こし、今期限りの引退を表明した。職員に対する暴言の責任を取って、いったん辞任した後の市長選で再選されるなどの“強運”の持主も今度は力尽きた感がある。だがその一方で、子育て支援などの行政手腕は高く評価され、市民の間から「辞めるなコ-ル」も。他方、同じような暴言などで“パワハラ”疑惑がつきまとっている当市の上田東一市長はといえば、新図書館の駅前立地の強行突破の構えを崩していない。さ~て、東西の“暴言対決”の行く末はいかに…。いずれ「人徳」という点で言えば、この二人に比べて「五郎さん」は別格である。

 

 

 

(写真は広々とした「詩歌の森公園」。このたたずまいが図書館と見事に融合している=北上市本石町で)

 

 

 

 

公開質問状「新図書館は花巻城址へ」…百年の計を見すえて

  • 公開質問状「新図書館は花巻城址へ」…百年の計を見すえて

 

 新花巻図書館の立地場所などをめぐる、市民を対象にした説明会が11日、笹間振興センタ-を皮切りに始まり、約20人の市民が集まった。今月27日まで17か所で開催される(うち21日と27日はZoomによるオンライン方式)。冒頭、市川清志・生涯学習部長が「第1候補地のJR花巻駅について、まず相手側と土地譲渡交渉に臨みたい」とあいさつ。質疑では「旧花巻病院の解体が進んだ結果、遠く北上山地を望むことができるようになった。この場所こそが生涯学習の場にふさわしい。100年先を見据えた決断を」、「人の集まる場所に立地するのか、本を求める人のために建てるのか。そもそも、図書館とは何ぞやという議論がすっぽり、抜けている」、「駅前立地に誘導しようという意図がミエミエ」…

 

 図書館問題を論議する会議(新花巻図書館整備基本計画試案検討会議)では駅前立地派が多かったという報告があったが、この日はそれを支持する発言はゼロ。これまでの図書館論議とは打って変わった雰囲気にひょっとしたら、”風向き”が変わりつつあるのかも……。私は席上、下記のような公開質問状を読み上げ、上田市長あてに提出した。回答があり次第、当ブログを通じて報告します。

 

 

 

 

花巻市長 上田 東一 様     

2022年10月11日

花巻市桜町3-57-11 増子義久

 

 

公開質問状―新花巻図書館は花巻城址へ

 

 

 新花巻図書館の立地候補地がJR花巻駅前に絞られつつある中、本日11日から17回にわたる市民説明会が始まりました。折しも総合花巻病院の移転に伴って、旧病棟の解体工事が進んだ結果、私たち市民は約100年ぶりに由緒ある花巻城址のおもかげに接するという幸運に恵まれました。晴れた日には高台の城跡から霊峰・早池峰など北上山地の雄大な姿を望むことができます。そして、ぽっかりと目の前に現れた“空間”に身を置く時、歴史の息づかいが周囲から立ちのぼるような気配を感じます。私はこのようなロケ-ションこそが図書館の建設場所にふさわしいと考え、その理由を添えてここに「新花巻図書館の立地を旧花巻病院跡地(花巻城址)」に求めるものです。回答は文書にて10月26日までにお願いいたします。

 

 

1)当該地はまなび学園(生涯学園都市会館)と花巻小学校に挟まれており、新図書館をここに立地することによって、周辺一帯を「文教地域」として形成することができる。また市庁舎も近距離にあり、城跡をまちづくりの生命線と位置づけるという点でも意義がある。

 

2)「花巻城跡調査保存委員会」は解体工事で全貌を現した「濁堀」について、「一級品の貴重な遺構。現状保存が望ましい」と答申した。将来は原形を維持したまま、“歴史公園”などとして活用することも検討する。

 

3)当該地は来年3月(予定)に更地になった段階で、市側が取得することが決まっている。市議会側も「市有地への立地」を求めており、JR所有の駅前用地の譲渡交渉が不透明な今、病院跡地の方が立地の確実性を担保できる。

 

4)花巻城址は賢治作品にも登場する、いわば”賢治精神“が凝縮されたホ-ムグランドでもある。将来都市像として「イ-ハト-ブはなまき」の実現を掲げる当市にとっても「うってつけ」の場所と言える。

 

5)当該地は長い間、人々のいのちを守る医療拠点として貢献してきた。「愛は人を癒(いや)し、誠は病を治す」とその病訓にある。さらに当市ゆかりの山室民子は「図書館法」の生みの親として知られる。賢治の理想郷「イ-ハト-ブ」のこの地にこそ、そんな夢の図書館を誕生させたい。「魂の癒しの場」―。世界最古の図書館といわれるアレキサンドリア図書館(エジプト)のドアにはこう記されているという。

 

 

 

(写真はトップを切って開催された市民説明会=10月11日午後7時すぎ、花巻市の笹間振興センターで)

 

 

 

《追記ー1》~ある「図書館」問答(9月28日開催の「教育委員会議」議事録から)

 

 「立地はもちろん大事ですが、プロセスとか説明が悪かったとか、どっちが後先だったとか、そのような議論になってしてしまっていることは、あまり幸せなことではないと感じております。改めてお伺いしますが、こういう図書館であるべきではないかというビジョン、構想、一番大事なコンセプトはこの答弁(市川清志・生涯学習部長)からは探せていないのですが、検討会議(新花巻図書館整備基本計画試案検討会議)での意見を受けて、市として今どのように考えているということでしょうか。…立地以前の、市としてどのような構想やビジョンをお持ちなのかということを、今さらですがお聞きしたいと思います」(役重眞喜子委員)―。市のHPに10月12日付で掲載されている新図書館に関するやり取りが結構、核心に迫っている。ぜひ、読んで欲しい。

 

 

《追記ー2》~ありし日の「賢治」問答

 

 高校教師をしながら、地に足が着いた賢治研究に長年取り組んできた吉見正信さんが亡くなった。享年93歳。私はこの日(11日)の市民説明会に臨む直前にこの訃報を知った。市長への公開質問状を読み上げていた時、60年以上前の記憶が突然よみがえった。高校時代、吉見さんは漢文の教師だった。そんなある日、「君にとって、賢治とはどんな存在か」と問われた。とっさに「今世紀最大の”詐欺師”じゃないですか」と答えた。恩師は「そうだな」と言ってニヤッと笑った。新図書館の立地を賢治ゆかりの花巻城址にしたい。そんな気持ちが遠い記憶を呼び戻したのかもしれない。合掌

 

 

 

 

ベ-ト-ベンと賢治と…そして、隆房さん

  • ベ-ト-ベンと賢治と…そして、隆房さん

 

 「…それにおれはおれの創造力に充分な自信があった。けだし音楽を図形に直すことは自由であるし、おれはそこへ花でBeethovenのFantasyを描くこともできる。さう考へた」(宮沢賢治『花壇工作』)―。旧花巻総合病院の中庭にかつて「Fantasia of Beethoven」という標識を掲げた花壇があった。この病院の創立者で賢治の主治医だった故佐藤隆房さん(1890~1981年)が大正13年春、賢治に設計を依頼して作った花壇の復元で、命名の由来が冒頭の作品である。賢治の詩「病院の花壇」には当時の光景を彷彿(ほうふつ)させる描写がある。

 

 「…今朝は截(た)って/春の水を湛(たた)えたコップにさし/各科と事務所へ三っづつ/院長室へ一本配り/こゝへは白いキャンデタフトを播(ま)きつけやう/つめくさの芽もいちめんそろってのびだしたし/廊下の向ふで七面鳥は/もいちどゴブルゴブルといふ/女学校ではピアノの音/にはかにかっと陽がさしてくる/鋏(はさみ)とコップをとりに行かう」

 


 総合花巻病院の前身は大正6(1917)年、ロシア革命が勃発したその年に佐藤さんが開業した「佐藤外科医院」にさかのぼる。その後、花巻共立病院を経てざっと1世紀の長きにわたって、花巻の地に近代医療の礎(いしずえ)を築いてきた。それだけではない。佐藤さんは主治医の立場で賢治と間近に接した研究者としても知られ、名著『宮沢賢治―素顔のわが友』を著わしたほか、親交のあった詩人で彫刻家の高村光太郎を顕彰する「高村記念会」を創設するなど医療だけではなく、文化の啓蒙にも計り知れない貢献をした。

 この由緒ある病院は2年前に旧県立花巻厚生病院跡地へ移転・新築された。その跡地の整地作業がいま急ピッチで進められ、歴史の“素顔”(花巻城址)が次々に目の前に現れつつある。詩「病院の花壇」に出てくる「女学校ではピアノの音…」とは妹トシが通い、後に教鞭も取った花巻高等女学校(後の花巻南高校、現「まなび学園」)を指している。ポッカリ開けた空き地に立つと、ピアノの音律が耳元に聞こえるような錯覚さえ覚える。そのトシも今年没後100年を迎えた。『花壇工作』の中に賢治と佐藤さんの意見が衝突する場面が出てくる。賢治いわく。

 「おれはびっくりしてその顔を見た。それからまわりの窓を見た。そこの窓にはたくさんの顔がみな一様な表情を浮べてゐた。愚かな愚かな表情を、院長さんとその園芸家とどっちが頭がうごくだらうといった風の――えい糞考へても胸が悪くなる。だめだだめだ。これではどこにも音楽がない。おれの考へてゐるのは対称はとりながらごく不規則なモザイクにしてその境を一尺のみちに煉瓦(れんが)をジグザグに埋めてそこへまっ白な石灰をつめこむ。日がまはるたびに煉瓦のジグザグな影も青く移る。あとは石炭からと鋸屑(おがくず)で花がなくてもひとつの模様をこさえこむ。それなのだ」

 この時の一件について、佐藤さんは『素顔のわが友』の中にこう記している。「お互いにチクチクやり合って喜んだり、悲しんだりする間柄です。この後で間もなく賢治さんは私のために実にすばらしい花壇設計図を書いて来ました。そして二人は仲よく、香り高い春の土の上に立ちました」…。「愛は人を癒(いや)し、誠は病を治す」―。この病院が掲げる基本理念には“賢治精神”が見事に体現されているように思える。

 

 「Fantasia of Beethoven」は現在、移転先の新病院の病棟にそのミニチュア版が展示されている。「イ-ハト-ブ図書館」が完成した暁(あかつき)には原寸大の花壇を新図書館の入り口にぜひ、復元してほしいと願う。

 



 

(写真は賢治が設計した花壇(復元)。この由来を知る人は年々、少なくなってきた=花巻市花城町の解体前の旧総合花巻病院で)

 

 

《追記》~日本三大偉人としての賢治

 

 作家の夢枕獏さんがアントニオ猪木の死を悼む寄稿文の中で、「ぼくは、かねてから、日本が世界に誇る三大偉人というのを考えていて、まずは空海、そして宮沢賢治、三人目がA・猪木であると発言してきた」と書いていた(10月10日付「朝日新聞」)。タイトルは「ファンタジ-に捧げた肉体」―。「この三人、日本のいつの時代、どの地域に生まれても、それぞれ空海となり、宮沢賢治となり、A・猪木となった人であろうということだ」と夢枕さん。私自身、いつどこにでも「やぁ、こんちわ」と背中をポンと叩いて現れる、そんな変幻自在な人が賢治だとかねがね思っていたので、この偉人説に得心した。