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もうひとつの「跡地」論争…花巻市議会一般質問最終日~上田流“二枚舌”

  • もうひとつの「跡地」論争…花巻市議会一般質問最終日~上田流“二枚舌”

 

 「観光立市を掲げる当市の中心市街地に瓦礫(がれき)が放置されて、すでに6年半が経過した。基礎杭(くい)や瓦礫、擁壁などの撤去に要する調査費として今回やっと、予算(3月補正2,600万円)が計上された。遅すぎたきらいはあったが、今後の利活用に向けてぜひ、市で取得してほしい」―。3日開催の花巻市議会一般質問の最終日、本舘憲一議員(はなまき市民クラブ)はこう問いかけた。前日の一般質問では新花巻図書館の立地場所として、旧総合花巻病院跡地が論戦の中心になったが、上田東一市長が初当選(平成26年)した直後、隣接する工場敷地をめぐって「もうひとつの跡地」騒動が持ち上がっていた。

 

 今から約9年前の平成26(2014)年秋、花巻城址に工場を構えていた旧新興製作所が広大な敷地の土地譲渡の方針を打ち出した。「公有地の拡大の推進に関する法律」(公拡法)によって、その優先取得権は地元自治体に与えられていた。売却額はわずか100万円だったが、建物の撤去費用などとして、約7億7千万円が見積もられていた。市民の間には「歴史的にも由緒ある土地。利活用には大きな経費はかかるが、将来を見すえて取得すべきだ」という声が広がった。「新興跡地を市民の手に!!あきらめるのはまだ早い」市民総決起大会も開かれ、200人以上の市民が取得を訴えた。

 

 「都市機能誘導区域内に位置する対象施設ではなく、利活用の目的も定まらない案件に市民の貴重な税金を投入するわけにはいかない」―。結局、市側は取得断念し、町なかの一等地は民間の不動産会社の手に渡った。その後、建物の解体業者らとのトラブルなどで工事は中断。現在は破産宣告を受けた業者に代わって、管財人の管理下の置かれたまま、“瓦礫の荒野”が無惨な光景をさらし続けている。さらに、盛岡城址を中心にしたまちづくりを進めている盛岡市が「訪れたいまち・世界52選」(NYタイムズ紙)で第2位に選ばれたというニュースが両者の行政市政の乖離を際立たせた。

 

 「今回、旧病院跡地の病棟撤去や土壌改良などにざっと9億円かかったが、全額相手側が負担することで合意した。新興の教訓が役に立った」―。上田市長は前日の図書館論戦の際、こんなことをふと、口走った。当時、現役の市議だった私はあの時の一部始終を記憶している。上田市長はこう語っていた。「所有者の業者はたしかに悪質だった。このため、瓦礫は放置されたままになったが、最終的には巨大な工場群が撤去された。『安物買いの銭失い』をしなかったという意味で、取得しなかったのは正しい選択だった」―。跡地にパチンコ店やホ-ムセンタ-を立地するという業者側の計画に反対した議員は「花巻クラブ」(当時、5人)だけ。「パチンコ店歓迎」の旗振り役したのは革新会派の議員だった。

 

 あの時から足掛け9年―。上田市長は今3月定例会初日の施政方針演述でこう述べた。「当該(新興)跡地が、歴史的に由緒ある場所であることや景観上の問題も考慮した場合、(城址の)上部平坦地だけでも市が取得の可能性を検討するとの観点から…」。一体、瓦礫を放置したまま、この6年半の長きにわたって、景観を損ねてきた行政責任をどう考えているのだろうか。余りにも自分に都合の良い身勝手な言い草ではないか。これを称して、“二枚舌”(ダブルスタンダ-ド)というのだろう。ちなみに、旧病院跡地を含む「まなび学園」周辺を新花巻図書館の立地場所の第1候補に挙げたのは他でもない上田市長その人である。「花巻市立地適正化計画」(平成28年6月策定)の中にはその位置づけが次のように明記されている。

 

 「今後、『まちなか(中心拠点)』を維持・存続していくために、都市再生整備・計画事業や土地利用計画において位置づけている短中期における整備事業等の継続的な実施に向けて検討します。○総合花巻病院移転整備(県立花巻厚生病院跡地への移転)○花巻高等看護専門学校移転整備○花巻図書館(生涯学園都市会館=まなび学園周辺への移転)…」

 

 「あきらめるのはまだ早い!!新花巻図書館を旧病院跡地へ」―。多くの市民を巻き込んだ「旧新興跡地」運動がいままた、草の根みたいに息を吹き返しつつあるような気がする。「イ-ハト-ブ図書館をつくる会」の設立趣意書はこう結ばれている。

 

 「分断と混迷を深める現代に、図書館の重要性はますます増しています。誰でも無償で、あらゆる知に広く深くアクセスでき、多様な市民がつながることができる図書館は、人とまちをつくります。賢治は、イ-ハト-ブでは『あらゆる事が可能である』と書いています。これは、想像力が人を自由に豊かにするという、賢治からのメッセ-ジだと考えます。想像力を育む図書館こそ、未来への投資です。花巻の豊かな資源を活かせる、病院跡地での建設を望みます」

 

 

 

 

(写真は「新興跡地」問題を問いただす本舘議員=2月3日午前、花巻市議会議場で、インタ-ネットによる議会中継の画面で)

 

 

 

 

図書館論争第2弾…花巻市議会一般質問2日目~上田流“詭弁”が破綻する時

  • 図書館論争第2弾…花巻市議会一般質問2日目~上田流“詭弁”が破綻する時

 

 「破綻する瞬間とは意外とあっけないもんだな」―。詭弁に詭弁を重ねてきた上田東一市長の新花巻図書館をめぐる「駅前」立地構想が2日開会の花巻市議会一般質問でその矛盾を白日の下にさらした。伊藤盛幸議員(はなまき市民クラブ)の追及に対し上田市長は突然、その発言をさえぎろうとしたり、反問権を振りかざすなど“荒れる議会”の様相を呈した。これではまるで、殿ご乱心の体(てい)ではないか。

 

 伊藤議員が立地場所について、市側が第1候補に挙げているJR花巻駅前のスポ-ツ店用地と旧総合花巻病院跡地に関連して「病院跡地は市で買い取ることで双方が協定で合意しているのに対し、駅前のJR用地は新規取得になる。市民の多くは税金の二重払いではないかと思っている。市長はこれについて、かねてから『タダではない』発言を繰り返してきたが、改めて市長の真意を伺いたい」と迫った。この“詭弁”のからくりについては当ブログ(2022年12月11日付)で以下のように分析している。

 

●「タダ」発言のからくりを整理しようと思い、市長答弁の録画を聞き直してみた。「たとえば、市が独自にその土地(病院跡地)を他の目的に使おうとした場合、(そこに図書館が建っていれば)新たに土地を求めなければならない。そうすればまた、金がかかってしまう。だから、タダではないと言ったんです。将来的には民間活用(譲渡)ということもあり得る」(12月定例会における市長答弁)―。お得意の数字をちらつかせながら、図書館の病院跡地への立地へ「NO」サイン(予防線)を出したというのがミエミエ。それにしても、いかにもこの人らしい、なかなか手の込んだ“詭弁”ではないか。

 

 「屋上屋を重ねる」とはこのことを言うのであろうか。この日の質疑で上田市長はさらに踏み込んでこう述べた。「病院跡地は立地条件に恵まれており、多面的な有効利用の可能性がある。たとえば、子育て施設や市庁舎、公園化などを望む声が出てくることも考えられる。それを実現するためには他に新しい土地を求めなければならない。そうなると、別の支出を要することになる」―。“詭弁”の破綻はそのすぐ後に続いた。

 

 「事業を進めるに当たって一番重要なのは、それによって生み出される費用対効果(コストパフォ-マンス)。市側としては駅を利用する高校生や若い世代、通勤客などが利用しやすい駅前立地の方が費用対効果の面からも有効と考えている。仮に用地取得費や立体駐車場などの総事業費が病院跡地に比べて高価になったとしても、将来的にはその選択が正しかったと言えると思う。いずれにせよ、双方の事業費比較を市民に示して判断を仰ぎたいが、場合によっては費用対効果よりも事業費が安い方に立地することもあり得る」―。”支離滅裂”を地で行くような論理破綻…この上田答弁に伊藤議員はすかさず、切り返した。

 

 「論理のすり替えではないか。たとえば、駅を利用する高校生の多くが駅前立地を望んでいるという数字がHP上でひとり歩きし、まるでそれが高校生を代表する意見のように受け取られている。この数値に根拠はあるのか。実数を明らかにしてほしい」。伊藤議員がこう追及したのに対し、市川清志生涯学習部長はいったんは「(その数字は)把握していない」と答えたが、その直後に建設部の事務方が手渡した資料を見ながら、ボソボソと答えた。「失礼しました。花巻北、南、東の各高校の在籍数2千人のうちの駅利用者は800人、花北青雲高校は456人うち160人となっています」と明らかにした上で、取ってつけたように続けた。

 

 「駅を利用しない高校生の間でも友だちと待ち合わせる場所としては駅前の方が良い。図書館には勉強スペ-スもあり、利用しやすい。こんな声が多いのも事実です」―。「語りに落ちる」というのはこのこと。駅利用者の実数が予想以上に少ないのは、実は市側にとっては「不都合な数字」なのである。「友達の多くも自転車通学。駅に立ち寄る機会もほとんどない」(知人の高校生)、「娘が東和町から列車通学していた。昼間は授業、帰りは部活で乗り遅れないようにするのが精一杯」(ある母親)…。こんな声は闇に葬り去られたままである。思えば、3年前の「賃貸住宅付き図書館」の駅前立地という、”家賃収入”の費用対効果が皮算用に帰した結果、代わりに“代役”として登場させられたのが純粋な高校生など若者世代だった。考えて見れば、随分とむごい話ではないか。

 

 それにしても、上田市長はなぜこれほどまでに「駅前立地」にこだわるのだろうか。闇(ナゾ)は逆に深まるばかりである。

 

  

 

 

 

 

(写真は語気鋭く上田市長に迫る伊藤議員=3月2日午後、花巻市議会議場で、インタ-ネットの議会中継の画面から)

 

 

図書館論戦がスタ-ト…花巻市議会一般質問初日~上田流“詭弁”が全開

  • 図書館論戦がスタ-ト…花巻市議会一般質問初日~上田流“詭弁”が全開

 

 市民の意見が二分される形で迷走を続けている「新花巻図書館」問題をめぐって、28日開会した花巻市議会3月定例会の一般質問で論戦の火ぶたが切られた。関心の高まりを反映してか、ふだんは閑散としている傍聴席には20人以上の市民が詰めかけた。この日は久保田彰孝議員(日本共産党市議団)と羽山るみ子議員(はなまき市民クラブ)ら3人がこの問題を取り上げた。「賃貸住宅付き図書館」の駅前立地という複合構想が白紙撤回されてすでに3年以上。現在に至っても先の見えない「JR」交渉について、市民の間には「もうそろそろ、政治決断すべき時ではないのか」といういら立ちの声も聞かれるようになった。

 

 「市側が立地場所の第1候補に挙げているJR花巻駅前のスポ-ツ店用地について、JR側との土地譲渡交渉はその後、進展はあるのか。旧総合花巻病院跡地への立地の可能性をどう考えているか」と久保田議員がただしたのに対し、上田東一市長と市川清志生涯学習部長は交互にこんな答弁を繰り返した。「スポ-ツ店用地とその周辺の土地を譲ってほしいという要望は伝えているが、まだ回答はない。病院跡地への立地を望む市民がいる反面、高校生や各種団体などは駅前にこだわっており、市民全体の意見集約はまだできていない。市民の意見が病院跡地に集約され、仮にJR交渉が不調に終わった場合は駅前立地を断念する可能性はある」

 

 一方、羽山議員は「そもそも高校生が駅前に求めているのは本当に図書館なのか。図書館以外の施設も含めて幅広く意見を聞くことも必要ではないか。アンケ-ト調査をする用意はないか」と高校生の駅前立地への意見集約のあり方に疑義をぶつけた。これに対し、市川部長は「図書館の立地場所については駅前と病院跡地の二か所に市民の意見が分かれており、公正な判断材料を提供する段階ではない」として、否定的な考えを示した。さらに、羽山議員が「市内高校6校を対象としたグル-プワ-クではスポ-ツ店用地を希望した生徒が93人だったのに対し、病院跡地は25人だった」とした上で、市民説明会では逆に病院跡地への立地を希望する意見が多かったことを指摘し、この“逆転”の認識について、見解を求めた。

 

 「議論がかみ合っていない。まるで高校生にとって図書館は必要ではないと主張しているみたいに聞こえてくる」―。牽強付会(けんきょうふかい)を地で行く上田流“詭弁”がまたぞろ、頭をもたげたと思った。昨年の12月定例会での“高齢者”分断発言がふいによみがえったからである。上田市長はその時、こう言ってのけた。「高齢者のためだけの図書館で良いのか。それなら今の図書館で十分。若い人は圧倒的に駅前を希望している」(2022年12月6日付当ブログ参照)―。この”暴言”をきっかけして、高校生を駅前立地の方向へ意図的に誘導しようとしているのではないかという”疑惑”が市民の間に一気にふくれあがった。いわゆる、高校生の「政治利用」である。

 

 “悪夢”は3年前にさかのぼる。2020年1月29日、上田市長は突然「住宅付き図書館」の駅前立地という“サプライズ”(青天の霹靂)を公表した。寝耳に水だった市民の多くや議会側がいっせいに反対ののろしを上げた。その怒りの根底にあるのは「図書館」問題そのものよりも実はこうした住民無視の政治姿勢にあった。困ったことに、この人はどうもそのことにまだ、気が付いていないらしいのである。そういえば、昨年9月定例会でのある議員の質問に対し「言葉尻をとらえた」と言いがかりをつけ、反問権を振りかざして“逆襲”したことを思い出した。急所を突かれた際にこうした逆襲の手口を繰り出すのが、上田流“詭弁”の作法である。この日の質疑を通じて、そのことを改めて肝に銘じた。

 

 ついでにもうひとつ、上田市長の“開き直り”の手口も紹介しておきたい。先の“暴言“について、ある議員が「看過できない重大発言だ。世代間の分断を促しかねない。取り消しを要求したい」と迫ったのに対し、上田市長はこう、のたまわったのだった。「私も現在、68歳の老齢世代。だからこそ、将来を見すえて若者を含めたあらゆる世代に開放された図書館を目指したいと思っている。表現が不適切だとしたらお詫びをしたいが、取り消す必要はない」―。”無理”が通れば、”道理”が引っ込む…これが強権支配に共通する原理である。

 

 

 

 

 

 

(写真は市長の“詭弁”答弁に食い下がる羽山議員=2月28日午後、花巻市議会議場で。インターネットの議会中継の画面から)

 

 

 

 

夢の図書館を目指して…「甲論乙駁」編(その4)~ゴ-シュたちが大集合

  • 夢の図書館を目指して…「甲論乙駁」編(その4)~ゴ-シュたちが大集合

 

 「本日の演奏は賢治さんは当然として、もうひとりの支援者である林住職に捧げます」―。東北農民管弦楽団(白取克之代表)の設立10周年記念公演はこんな異例のあいさつで始まった。同楽団の後援会長で稽古場として寺を提供してきた、花巻市在住の妙円寺住職、林正文さん(享年87)は演奏会を目前にした今月15日に急逝した。この日、合唱団員のひとりとして参加する予定だった林さんの霊前にベ-ト-ベンの「交響曲第9番」の調べが静かに広がった。

 

 東北農民管弦楽団は2013(平成25)年、白取さんの呼びかけで東北地方の農業関係者らによって、宮沢賢治のふるさと「イ-ハト-ブ花巻」で結成された。当初15人だった団員はいまでは70人以上に。専業農家や畜産農家、米穀店、農大生や卒業生、JA職員、農業関係の研究者、かつて賢治が先生だった花農生の関係者…。「家庭菜園以外の“百姓”ならどなたでも」という多彩な顔触れが舞台に大集合した。中学時代、賢治の『セロ弾きのゴ-シュ』に魅かれて、楽器を手にしたという白取さんはいま、弘前市の岩木山のふもとで有機農業を営んでいる。舞台ではハイライトの「歓喜の歌」が始まろうとしていた。

 

 「ここには合唱団を含めて、総勢150人以上の“ゴ-シュ”たちが勢ぞろいしました」―。指揮者で合唱団「じゃがいも」(山形県、2017年、イ-ハト-ブ奨励賞受賞)を主宰する鈴木義孝さんが挨拶をすると、ほぼ満席近い会場からどよめきが起こった。農民楽団の先輩格、「北海道農民管弦楽団」(2018年、イ-ハト-ブ賞受賞)を創設した牧野時夫さんも第1バイオリン(コンサ-トマスタ-)に陣取っている。賢治と林さんはきっと客席のどこかで、一緒に身を乗り出しているにちがいない。そういえば、賢治の十八番(おはこ)もベ-ト-ベンの「田園」や「運命」だったことを思い出した。

 

 「けだし音楽を図形に直すことは自由であるし、おれはそこへ花でBeethovenのFantasyを描くこともできる」(『花壇工作』)―。客席の片隅から賢治のつぶやきが聞こえたような気がした。旧総合花巻病院の中庭には賢治が「Fantasia of Beethoven」と名づけた花壇があった。移転・新築に伴うその病院跡地はいま、賢治に特化したライブラリ-の建設候補地として注目を浴びている。「イ-ハト-ブ図書館をつくる会」という市民運動も立ち上がった。この日の会場となった花巻市文化会館はかつて、賢治が教鞭を取った花巻農学校の跡地である。そしてふたたび、賢治ゆかりの土地が図書館用地として、白羽の矢が立つという巡り合わせ…

 

 「植物医師」や「ポランの広場」など賢治戯曲4部作の公演(2月18、19日の両日)に続いたこの日のゴーシュたちの大熱演、そしてさらには直木賞受賞作『銀河鉄道の父』(門井慶喜著)の映画化…。賢治没後90年の今年はご本人もてんてこ舞いの忙しさになりそうである。「おれたちはみな農民である」という序論で始まる『農民芸術概論綱要』は、「われらに要るものは銀河を包む透明な意志、巨きな力である」という結語で閉じられる―

 

 「日ハ君臨シ カガヤキハ/白金ノアメ ソソギタリ/ワレラハ黒キ ツチニ俯シ/マコトノクサノ タネマケリ」…賢治が作詞した「花巻農学校精神歌」が口をついで出た。どうかすると、口からこぼれ落ちるのがこの歌である。ブログのタイトル「ヒカリノミチ通信」もちゃっかりとこの歌からの無断借用である。その大合唱で舞台はフィナ-レを迎えた。帰路、自宅近くにある「雨ニモマケズ」詩碑に立ち寄った。「賢治さん、よろしくお願いします」と妙に殊勝になっている自分がなんだかおかしくなった。

 

 「いま世界では、ロシアとウクライナの戦争が激しさをましております。『世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない』。今こそ、賢治の精神を世界へ発信していかなければなりません。本日の東北農民管弦楽団の演奏は『心を耕す』演奏会であります。世界平和を願う演奏会だと思います」―。パンフレッの中には故林住職のあいさつ文が載っている。生涯、平和を希求し続けた林さんの文字通りの“遺書”である。

 

 

 

 

 

(写真は会場を揺るがすような「第9」の大合唱。その迫力に圧倒された=2月26日午後、花巻市文化会館で)

 

 

えっ、なぜ!!…花巻市民の死亡数が急増~忍び寄る“不気味な死”??

  • えっ、なぜ!!…花巻市民の死亡数が急増~忍び寄る“不気味な死”??

 

 「出生数が457人だったのに対し、死亡数は1、611人に上った」―。24日開会した花巻市議会3月定例会の施政方針演述の中で、上田東一市長は令和4年一年間の人口動態の数値を明らかにした。最近、私の周辺でも原因不明の“突然死”が相次ぎ、新聞の慶弔欄でも当市の死亡数が増えつつあるのではないかと懸念していただけにこの数値に正直、びっくりした。念のため、市の統計資料を調べてみると、この死亡数は記録が公開されている昭和50(1975)年以降、最多であることが分かった。

 

 当市の「人口動態の推移」によれば、前年令和3年の死亡数は1、440人で一気に171人の増になっている。少子高齢化の波の中で、それまで出生数が死亡数を上回っていた人口動態は平成12(2000)年に逆転。その後は出生数の減少に反比例するように死亡数が急増し続けている。とくに令和2(2020)年のコロナ禍をきっかけにその傾向は顕著になり、国全体の「超過死亡」(予測死を超える死亡)は年間10万人を超えたというデ-タもある。コロナ禍との因果関係は明らかだが、一方でワクチン接種による体調悪化や死因との関係に不安を抱く声も出始めている。

 

 「感染対策として予防効果が疑わしいmRNAワクチン接種の政策評価を求めることについて」―。今定例会には表題の陳情も提出されており、「市民を対象としたワクチン接種後の、接種との因果関係を否定できない全ての体調増悪の調査及び公表」―などの審査を求めている。この日の演述で上田市長は今後も国の指導を受けながら、ワクチン接種を進めることを明言した。この方針に異議を唱えるものではないが、ちなみに死亡数が千人台を超えた5年ごとの推移は―1,023人(平成12年)、1,157人(平成17年)、1,245人(平成22年)、1,278人(平成27年)、1,405人(令和2年)…

 

 「当市に特異な要因はなかったのか」―。市民の健康を守る立場にある行政として、この死亡数の急上昇について、きちんとした分析を求めたい。なお、議会初日のこの日はウクライナ戦争の勃発から丸1年。足元では市民を二分する「イ-ハト-ブ」“図書館戦争”がますます、激化しそうな雲行きである。内外ともに目を離すことはできない。

 

 

 

 

(写真は新年度に当たっての施政方針を述べる上田市長=2月24日午前、花巻市議会議場で=インタ-ネット議会中継の画面から)

 

 

 

《追記》~素直な印象

 

 「最近、家族を亡くした市民」を名乗る方から「素直な印象」というこんなコメントが届いた。「市HPにある市長演述を読みましたが、この方にとっては昨年亡くなられた1,611名の方々は社会増65名を主張するための数字に過ぎないと感じました。無感情で無機質な市政です。恐ろしいです」