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「平成30年7月豪雨」と被爆地・広島

  • 「平成30年7月豪雨」と被爆地・広島

 

 

 「ヤバイ、亜弥ちゃんの家が…」―。重い病を抱える妻の介護のため、一時帰省していた沖縄・石垣島在住の娘がスマホをのぞき込みながら大声をあげた。大学時代の親友で現在、広島県の東広島市に住む写真家、藤岡亜弥(46)さんからの緊急メ-ルだったらしい。「雨がすごい。すぐ裏が山だから、怖い」―。友人はすんでのところで難を逃れて無事だったが、今回の豪雨災害で最大級の被害を受けたのが広島県だった。テレビを見ながら娘がポツリと言った。「川って言えば、亜弥ちゃんは今度、太田川に焦点を当てた写真集と『アヤ子、形而上学的研究』の展示作品が評価され、木村伊兵衛賞をもらったんだよ」。同賞は写真界の「芥川賞」と言われている。さっそく、受賞作『川はゆく』(2017年、第43回木村伊兵衛賞)を取り寄せた。

 

 広島市内の中心部を流れる旧太田川は被爆地・広島を象徴する川である。全身に大やけどを負った被爆者たちが「水をください」と叫びながら、飛び込んでいった川として記憶に刻まれている。「川は血のように流れている。血は川のように流れている」―。受賞作のカバ-にはこう記されている。原爆ド-ム近くの歩道でジャンプする女子学生たち、川べりで抱擁する若い男女、広島球場の空を埋め尽くす歓喜の風船…。70年という時空を隔てた現代の風景の背後から「ヒロシマ」が影絵のように浮かび上がってくる。3年前、ニュ-ヨ-クから生まれ故郷の広島に生活の拠点を移した藤岡さんはこう語っている。「70年という時間の厚みの中で消されてしまったヒロシマの歴史を想像しながら、生活の中で見えにくくなっているヒロシマの痕跡を探そうとした」

 

 「太田川の支流のほとんどが決壊してしまった。まだ、断水したままだ」―。同じ広島県の尾道市に住む畏友(いゆう)の映画監督、森弘太(80)さんはほとほと疲れ果てたという声で現地の状況を伝えてきた。未認定の被爆者に焦点を当てた映画「河/あの裏切りが重く」(1967年、モントリオール国際映画祭招待作品)などの問題作を問うてきた森さんにとっても、今回の大災害はあの被爆の光景と重なり合うものだったらしい。外傷被爆者が登場していないという理由で、制作当時は地元広島での上映が拒否された。東日本大震災以降、福島原発事故に伴う内部被爆や広島や長崎における被爆二世・三世など新しいタイプの「被爆」に関心が向けられる中、この映画が再評価されるようになった。

 

 映画と写真という二つの「映像」技術によって、あらためて「被爆地・広島」の記憶を呼び戻してくれた「平成30年7月豪雨」―。原水爆禁止運動が社会党系と共産党系に分裂し、安保闘争が敗北した結果、アメリカの核の傘の下に身をゆだねることになった日本…。壊滅した被爆者運動の陰で、非外傷性被爆者は補償の埒外(らちがい)に置かれていた。夜の平和公園で自殺しようとしていた被爆老人を助け出すシ-ンがある。老人は「ピカがもう一度落ちればいい」と吐きすてるように言う。「河/あの裏切りが重く」は被爆者を社会から葬り去ろうとする、この国とそこに住まう人間の「冷酷」を描いて余すところがない。森さんにとって、太田川とはこの「分断」の象徴だったのである。

 

 森さんとは親子ほどの隔たりがある藤岡さんがその記憶を引き継いでいることに何か胸に迫る思いがした。藤岡さんは東広島市内のアパ-トで生活しながら、町を歩きつつ日常を撮ったスナップを写真集にまとめた。広島に向き合う時、「わかりやすい『ヒロシマ』のイメ-ジにはしたくない」と強く意識した。平和教育で戦争や原爆を学んだが、実際には戦争を知らない世代。「わからないこと」を大切に、「今の広島の姿をメモをするように撮った」という。選考委員からは「広島出身の作者が、まさに撮るべきものを撮った」と評価された。「受賞は知らなかった。あなたの娘さんの親友とはこれまた、不思議な縁だね。広島にこだわる後継者がいることに嬉しさを感じた」―。森さんの声は電話口で弾んでいた。

 

 「そういえば、亜弥は学生時代から歴史の奥をのぞき込むような視線を持っていたようだった」と娘は言った。早々と写真の世界から身を引いた娘はいま、石垣島で夫とカレ-ライス店を経営している。「遠いからしょっちゅうは来れないからね。お母さんの介護は人生最後の試練。頑張ってね」―。娘はこう言い残して、1週間の介護を終えるとそそくさと島に戻っていった。二人の幼い子を育てながらの店のやりくりだから、これも致し方あるまい。

 

 『川はゆく』をめぐりながら、私は殊勝な気持ちでわが人生の来し方を振り返える。そして、ブツブツとつぶやく。「そうか、被災者や沖縄に寄り添うことの大切さを訴えてきたつもりだが、それが本物かどうか…。今度は一番身近な存在にきちんと寄り添うことができるかどうかで、そのことが問われているっていうわけか。そう、人生の真価が試される最後の修行なのかもしれないな。それにしても、あんた、随分と大げさじゃないか。気張りすぎだよ」―。かたわらのテレビは豪雨被害がまだ拡大しつつあることを伝えている。その無残な光景と旧太田川の被爆残像とが二重写しになって、まなうらに浮かんでは消えた。この川こそが記憶の風化を峻拒(しゅんきょ)する「ヒロシマ」の生きた歴史遺産にちがいないと思った。

 

 

(写真は原爆ド-ムと女子学生のコントたストが歴史のつながり想起させる=写真集『川はゆく』から)

 

 

2018.07.13:masuko:コメント(0):[マスコラム]

「上昇志向」から「常勝思考」へ―”自由飲酒党”の狂乱

  • 「上昇志向」から「常勝思考」へ―”自由飲酒党”の狂乱

 

 全国的な豪雨被害のせいばかりではない。「あの日」以来どうも気分がすぐれない。あの日とはサッカ-ワ-ルドカップの対ポ-ランド戦で「1点差での敗北」を選択した”ギャンブル”戦法があった6月28日のことである。「日本は自陣に引きこもり、ポ-ランドもボ-ルを奪いに来ない。談合のようで失望した」、「攻撃サッカ-という自身の美学にとらわれず、指揮官の責任を果たすために決断した」(6月30日付「岩手日報」)…。甲論乙駁(こうろんおつばく)があるのは承知の上だが、この際、そのことにはあえて触れない。この稀有(けう)なる試合を見ながら、私はある感慨にふけっていた。北海道勤務を終え、東京本社に転勤になった際の挨拶状に私はこう書いた。28年前の1990年4月の日付がある。

 

 「地下鉄の中で、分厚い本を手にした若い女性を見かけました。題名をのぞいて、ぎょっとしました。『常勝思考』。捨て石の山が地方に築かれている間に、中央は勝つことだけに熱中していたのでした。言葉の片鱗として『上昇志向』という程度の記憶しかない浦島太郎にとっては驚くべき出来事でした」―。聞き覚えのある新興宗教の教祖本だった。この国が敗戦の悪夢から脱却するために「勝つこと」だけにうつつを抜かすようになったのはこの頃からだったのだろうか。パス回しのような光景にこの国の政治のありようが二重写しになった。「モリ・カケ(森友・加計)」騒動こそが、勝つことだけしか頭にない「安倍一強」の常勝思考の現れではないのか。そうした思考がスポ-ツの世界にまで浸透しているのだとしたら…。

 

 同時刻に戦われたセネガルーコロンビア戦で、セネガルが引き分けか勝利した時点で日本の決勝ト-ナメント進出は消滅する。結局、コロンビアが勝利し、日本は薄氷を踏むようなギャンブルに勝はしたが、「結果オ-ライ」で済まされるのであろうか。私のストレスの原因はこの辺にある。「もし、セネガルが勝っていたら…」―。日の丸鉢巻きの熱狂的なサポ-タ-はどう反応するのであろうか。多分、こうは言わないと思う。「だから、言ったじゃないか。ポ-ランド戦でも侍ジャパンの精神で堂々と戦うべきだった」―。手の平を返したようなこんなブ-イングは私にはとても予想できない。「自力ではなく他力に依存した」という点ではまさにいま現在の永田町の姿―革新の敵失に乗じた「パス回し」戦術そのものではないか。

 

 「日本は茶番のような試合で、裏口を通って16強入りした」(英紙「インディペンデント」)―。欧米のメディアは辛らつだが、茶番は今回の試合だけに止まらない。カンヌ国際映画祭で最高賞のパルムド-ルを受賞した「万引き家族」(是枝裕和監督、7月2日付当ブログ参照)に対し、安倍晋三首相がそっぽを向いていることにフランスのメディアが不満を募らせていることが話題になっている。是枝監督が安保法制に反対する「映画人/九条の会」に名を連ねていることが原因らしい。「常勝」軍団を率いる頭領ならではの幼稚な振る舞いである。

 

 「サムライ精神、頑張った。ありがとう」―。かりに決勝ト-ナメントに進めなかったとしても、この国の多くの人々はこう言って、選手たちを拍手で迎い入れたにちがいない。私はそう思う。150年前、戊辰戦争に勝利した西軍は「官軍」と自らを称し、敗れた東軍を「賊軍」と蔑(さげ)すんだ。「勝てば官軍、負ければ賊軍、。…否、負けても官軍」―。選手たちの凱旋(がいせん)の光景を見ながら、こんな言葉が口からもれた。そう、この国はいまや「安倍」一色に染め上げられてしまったのではないのか……と。

 

 オウム真理教の元代表、松本智津夫(教祖名、麻原彰晃)死刑囚ら7人の元教団幹部に対する死刑が6日、執行された。サリン製造の拠点が置かれていたのが、当時の山梨県上九一色(かみくいしき)村(現、富士河口湖町)だったことを不意に思い出した。縁起でもないが、「熱狂」と「狂信」とが一瞬、交錯するような錯覚を覚えた。死刑前夜でしかも豪雨災害のさ中、安倍首相や執行責任者の上川陽子・法相ら自民党議員がにこやかに乾杯している写真がネット上に出回っている。この人たちは一体、何に祝杯をあげているのだろうか。果たして、安倍「一神教」(ファシズム)の”勝利”に対してだったのかどうか…。我がニッポン国の「狂乱」状態は止まることを知らないようである。その元凶はもちろん、自由民主党、もとい”自由飲酒党”である。

 

 

(写真はチャ-タ-機で帰国した選手たちを待ち受けるサポ-タ-たち=7月5日、羽田空港で。インタ-ネット上に公開の写真より))

 

2018.07.07:masuko:コメント(0):[マスコラム]